あ~れ~、ご無体な~。
策士、サクッと策に溺れる。
特別待遇房の中は思ったより冷える場所だった。地下なのでもっと温かいものかと思っていたが、逆に肌寒い。どこからか流れ込んでくる冷気は、ここで死んだ魔族たちの暗い怨念を含んでいるかのようだ。
また、牢前の小部屋は牢から運び出された拷問器具がところ狭しと積まれていて、見通しが悪い。誰か入ってきてもすぐには気づかないぐらいだ。
しかし、前室の外では厳めしい顔で二名の兵士が立番をしているので問題はない。
赤々と炎を揺らす松明の灯りの中、俺は心細く思って自分の両手首を拘束する手枷を動かした。連動して壁まで続く鎖がジャラジャラと鳴った。
ハハハ、魔王子ともあろう者が自分の城で鎖に繋がれるなんて滑稽じゃあないかい。
「シィッ……!」
アマリアから静かにしろとの指示が耳に届く。積み上げられた器具には埃避けの布が何枚もかぶせてあり、その下に彼女らは潜んでいるのだ。
囮になると決めたのは自分だ。それは偏に甲冑を外した鉄仮面をさらし者にするのは気が進まなかったから。ただ、それだけ。
……いや、あのおねーさん二人組みの驚く顔を間近で見て楽しみたいと思ったのもあるか。少なくとも霊血の同胞は救いに来るのであって、殺しに来るわけではないし。
何はともあれ、自分で自分を慰めるとは、実に情けないものである。
さて、そろそろ敵を待ち受けるべく用意した、頼もしき我が討伐隊のメンバーを紹介しよう。総勢十名の少数精鋭である。
そう、たったの十名だ。ドライデンの言い訳によると、南に迫る聖エピス王国軍を考慮した兵力再編成のせい、だそうだ。どうせ俺のわがままに対して割ける人数がこの程度ということなのだろう。
内訳は星辰騎士団から歴戦の騎士五名と衛兵役の屈強な兵士が二名。それに近衛兵たるシルバーメリーと剣光騎士のアマリアは自主的に参加してくれた。そして、俺様。
ま、実質九名と思ってもらって構わない。だって、ほら、俺は捕虜役だし、肉体派じゃないし、仕方ないよ。ちなみにメリーは牢の隅でくしゃくしゃになった毛布の中に潜んでいる。
まあ、量より質だ。星辰騎士団の連中が噂どおりに粒選りなら、この頭数でも取りこぼしはないだろう。
それよりも捕まえてからどうするか、ということに俺の思考は飛んだ。捕獲以上にこっちのほうがずっと難問だった。そもそも二人でも扱いに苦慮しているのに四人になったら、単純にやる事が倍になるわけだ。……ゲッ、世話するだけでゲーム時間がなくなるぢゃないか。
戦時ということで、いっそサクッと殺っちまうのも手だよね。
いやいや、そんなことをすれば、同盟を打診してきたセイヴィニアの態度が硬化するだろうから得策ではない。
う~ん、う~ん、そうだな……。もう、いっそのこと、奴らには自給自足をさせてみようかな。
城内にコスプレ女囚カフェでも開いてその売り上げで生活してもらおう。独房の中で鎖に繋がれた囚人美女が給仕してくれるという内容で、コンセプトは『SもMもいけます』だ。
コスプレのバリエーションは制服職業系のナースや軍人に、キャラモノはもちろん、事前予約でオーダーメイドの特注ユニフォームもありマス。
まあ、マスカットライダーは頭部がフルヘルムだから客によっては楽しみ半減かもしれないな。
グフフフフ。事が起こるまで暇だから、女囚どもの活躍を妄想してやろうではないか。
店内では、あーんなことや、こーんなことや……。
い、いかん。奴らと一緒に俺も囚人女給役をやっている姿が頭に浮かんでくる。嫌な予感しかしないからコスプレ女囚カフェはやめとこ。
さて、話を真面目路線に引き戻そう。
肝心のセイヴィニアは現在俺の部屋にいる。もちろん独房と同様に魔定輪を両手両足につけ、魔力のひと欠片も自由に使えないようにして鎖に繋いだ状態にした。
対して見張るは、我が魔王顧問クラ姫である。見るからにひ弱な番人だが、魔力は真核段階なので、消去法的に俺より適任なのは言うまでもない。
イスファルはセイヴィニアの隣の房に移送済みだ。薬で軽く眠らせてある。
表向きの理由は適当だが、要は襲撃場所を分散させないためにそうした。なぜなら、たった二人を分断するよりこちらの十名を分けるほうが戦力的に痛いのだ。
戦力配分に傾斜をかけると戦力の低い側は到底敵し得ない。ならば、全員で事に当たり、メリーかアマリアが一人を引きつけ、残る全員でもう一人に集中攻撃をかけるわけだ。つまり、手早く個々に撃破することで、常に一対八から九の状況を作る戦法。
隠し球も準備したことだし。まあ、二人をまとめておくことは、襲撃する側からしても願ったり叶ったりだろう。
鉄仮面のないイスファルは、甲冑を剥がされて以来ずっと無反応だった。しかし、食事をとるとか、基本的な生命維持活動は自力でやってくれるようになった。それ以外は一切しないが。
主人の隣の牢に移してやることを伝えたら少しだけ身じろぎをした。指を動かすことすら厭うこの女には、世話をするほうの身になってみろと、俺は言いたい。
俺は枷とともに手首を飾る腕時計で時間を確認した。二本の針は草木も眠る丑三つ時を指し示している。
説明しよう! 時間潰しに。
この時計はSAIKOというブランド物だ。金貨程度では購えない超高級品だ。現地通貨の八百円で買った。さすがはアキバハムートガハラ。常人が想像だにしない価値のパラダイムシフトが常在している。
暇に任せて人間界へ思いを馳せていると、物音一つしなかった特別待遇房で居丈高な声が耳に届いた。俺は急いでうな垂れた。
「どけ! 私はザックスリー公爵家の跡取りだぞ!」
どうやら衛兵と押し問答しているらしい。
「私はナロウのために魔皇女セイヴィニアと友好な関係を築きに来たのだ! 邪魔をするな!」
下心しかない関係、の間違いだろ。
衛兵には自然体を命じてある。彼らが本領を発揮するのは、今ではない。ややあって、ヒカルド・ザックスリー子爵様が前室に現れた。
クソヤロウだが、イケメン細マッチョの格好よさは健在だ。スカしたポーズも決まってる。それだけは奴のスペックの中で素直に羨ましいと思える要素だ。あのスタイルなら、どんな勝負服でも着こなせる。
松明に照らされるイケメンは勝ち誇った顔でこちらを眺めた。
「セイヴィニア、未来の夫が貴女を救いに参りましたよ」
早くも呼び捨てか。会うのは、まだ二度目だろ。俺が顔を見られないように伏せて黙っていると、奴のねっとりした言葉がまとわりついてきた。
「先日の申し出について充分に考える時間があったでしょう。やはり、貴女を助けられるのは私しかいない。そうでしょう?」
奴は手を伸ばすと、俺の角に触れた。正確には、セイヴィニアの螺旋角を模した長い角飾りだ。やめろ、バカルド、ヅラがずれる。
邪険に払い除けると、今度はその手をつかもうとしてきた。それもうまく避けると、さすがにイケ面が不愉快そうに歪んだ。
奴は乱暴に俺の腕をとり、鎖の余長の許す限り荒々しくひねり上げてくれた。俺は逆らうようにわざと大きく顔を背ける。正体がバレるのだけはマズイ。
が、奴は俺の顎の先端に触れてきた。無理矢理顔を自分へ向かせる気だ。
奴は細い首筋を見て憐れむように言った。
「肌が紫ではないか。ひどい拷問を受けたのですね。かわいそうに。やはり、この場で私のものになるのが貴女の唯一で最良の選択だ」
この紫色は仕込であり、演出だ。貴様の同情を誘うためじゃあない。
俺は週刊少年マンガ雑誌の熱血主人公並の気力で首に全力を込めた。それでも意に反してじりじりと顔が上がりつつある。も、もしかして、貞操の危機!?
「なぜ抵抗する。まさか、あのボケ魔王子の色香に篭絡されたわけでもあるまいに」
この大バカルドめ、牢屋なんかでトチ狂うんじゃない! でも、これならコスプレ女囚カフェは当たるかもしれないな。
だから、そんな場合じゃないって! 俺様の可憐な桜色の唇が奪われてしまう。どうにかしなければ。
そのとき、遠くからカツンカツンと足音が響いてきた。
ヒラルドの顔が不快に染まり、舌打ちが聞こえた。
「チッ、もう来たのか。仕方ない、時間だな」
奴は俺の顎から手を放すと、耳元で囁く。
「貴女はきっと私に感謝する。そして……貴女は私のものだ。では、後程」
背筋に悪寒が走った。奴の右手が俺の尻を激しく揉みしだいたからだ。身動きできない相手にとんでもないことをする奴だ。破廉恥この上ない。
ちなみに人間界には痴漢電車という苦行じみた女性専用車両があるらしい。痴漢と女性しか乗れないという変態車両なのだそうだ。人間の女性って大変なんだなあ、ホントに。
痴漢罪の厳罰化を心で固く誓う俺であった。妄想乙。
当り散らす声が遠ざかるのを確認してから、俺は冷や汗を拭った。国宝級にキュートな唇のファーストキスがあんな奴に奪われたら二度と立ち直れない。
騒音の元が去り、特別待遇房は静謐さに包まれた。前室の埃避けの下で押し殺したような含み笑いが響いた。それを咎めるアマリアの声も笑いをこらえているのがわかる。ちくしょう。他人事だと思いやがって。
俺はこの辛酸を是非セイヴィニアに伝えなければ、と思った。彼女のせいでこんな目に遭ったわけだから。つまり、嫌がらせ。
そうだな。人間界の映画を参考にソリッド・シチュエーション・ホラー風のジレンマをマイルドに直接体験してもらおう。
まず、セイヴィニアにはとびきり豪華な食事を用意してやる。意地汚い彼奴は飛びつくように食べるはずだ。そして、大半を食べ終えたところで、その残りがイスファルの分だよ~んと種明かししてやれば、忸怩たる思いに駆られることだろう。ケーケケケ、ざまーみろ。
ズゥゥゥン……。
前触れもなく小部屋の外で地下室を揺るがすような振動が起こった。続けて人の倒れる音がする。
ついに来たか!
俺は頭を垂れてプラチナブロンドで顔面を隠す。俺の役割は囮だ。決して気取られてはならない。
固唾を呑んで見守る中、扉は少しずつ開き始めた。が、開ききった鉄板の向こうには誰もいなかった。おそらく通路から中を窺っているのだろう。
今か今かと待ち受けていると、突然右手の石壁が爆発するように弾けて崩れた。飛んできた瓦礫が俺の頭をかすめて反対側の壁にぶつかる。ひええっ!
壁にあいた穴からミノタウロス娘の大柄な体躯がぬうっと入り込んできた。その肩には包帯をぐるぐる巻きにした人物が担がれている。包帯の女性は隣に移したイスファルだ。
ギョギョギョ! そーゆー順路かよ!
今、ミノタウロス娘と俺は同じ牢の内側におり、討伐隊とは檻で隔たれた状態となった。すっげーマジーぜ。
アマリアが血相を変えて布の下から飛び出し、牢を開けようとするも、到底間に合うはずがない。
ミノタウロス娘がセイヴィニアと思い込んでこちらに手を伸ばした。その腕へ狙い澄ましたメリーの一撃。
が、相手も超人的反応を見せて、惜しくも堅牢な籠手に阻まれた。『霊血の同胞』なんて趣味的な呼称も伊達ではないようだ。
ミノタウロス娘は片手で大剣を引き抜き、無言のままシルバーメリーと激しく斬り結んだ。さすがに一人担いでいるため思ったように動けないらしく、メリーとは一進一退の攻防を繰り広げた。
牢の格子扉が開いたとき、アマリアの背後で人の倒れる音がした。中に入ろうとした彼女が振り返ると、鉄槍を手にしたサキュバス娘が三人目の腹を貫いたところだった。
物足りない顔のサキュバスは鉄槍を軽々と振って騎士を壁へ払い飛ばす。
「あら~、ナロウ最高の騎士団といっても、この程度ォ? 本当に手応えがないわネェ。あたしたちが最初から本隊にいたら、今ごろは城壁にはモーブの旗が翻っていたんじゃない?」
見え見えの侮辱に激昂するアマリア。
「小細工を弄したな!」
「そっちは罠に嵌めようとしたでしょう?」
「背後から襲っておいて言う台詞か!」
「え~? 布の下から不意打ちするのはいいノォ?」
「少なくとも正面から斬りかかるつもりだった!」
「一対五だけど?」
「クッ……」
うーむ、口撃力は相手のほうが上のようだな。愚か者め。常日頃腕っ節に頼る生活をしているから言い負かされるんだ。
そのやり取りを尻目にミノタウロス娘が声をかけた。
「モリル、大丈夫か?」
「ジェジェ~、心配なんてしてないくせに~」
「まあね。だけど、ここは狭いから気をつけるんだよ」
「わかってる。私は栄養が胸じゃなくて、ちゃんと頭に回ってるから」
「抜かせ!」
こりゃ、ヤベーな。敵には明らかな余裕が感じられる。
俺の分析するところ、この狭さは熱閃の魔力を使うには適さないはず。ご主人様や同僚がもろにその影響を受けるからだ。屋外戦闘のときの熱量を考えれば、こんな狭い空間なんてあっという間に溶鉱炉状態になるだろう。
もちろんアマリアの大気の魔力も地下の穴倉ではできることが限られており、互いに不利といえる。
にもかかわらずサキュバス娘ことモリルに余裕があるのは、あちらには精神攻撃があるためだろう。前回の戦いを考慮すると、確かに分が悪い。
そろそろ俺様の出番か。声の震えを抑え、口元で呟くように言った。
『そこまでだぁ、霊血の同胞よぉ。それ以上騒がしくすると、セイヴィニアに飲ませた毒の回りが早まるぞ』
カツラの下に仕込んであるインカムを通して、部屋の隅に設置したスピーカーから大音量で流れる。ほとんどタイムラグがなく、俺の声にほぼ重なるほどだった。
「毒だって!?」
筋肉牛女から驚きの声。い~い反応。期待通りじゃないか、ジェジェ。
『フハハハハ、俺様がひと言呪文を唱えれば、セイヴィニアには更に異なる毒が注入される魔術を施してある。先の遅効毒とこの新たな毒が混じると即効性の致死毒となるのだ』
「チッ、卑怯者め! 声だけして、どこにいる!」
おまえの少し後ろだよ。
「出て来い! あたしと正々堂々勝負しろ!」
『するわけないだろう、筋肉牛女。驚くほどのバカか、おまえは。ジェジェジェ』
「ジェジェジェじゃない! あたしの名はジェジェだ!」
といきり立つジェジェ。対して冷静なモリルが諌める。
「ちょっと、簡単に乗せられないノォ。そんなのハッタリに決まってるじゃない。さっさと殿下を連れ出してしまいましょう」
さすがに頭脳担当はマヌケじゃない。とはいえ、筋肉担当の狼狽は本物だった。俺の話を真に受けている。
「でも、本当だったら……」
『おっと、それ以上セイヴィニアに近づくなよ。そんなに疑うなら、その場所から彼女の肌を見るがいい。ところどころ薄く紫色に染まっているだろう。これはダイオキシアン化オタクニウムという人間界にしかない特別な遅効毒ニュークリア・ポイズンだ。その効能は女性をすべて喪女に変えてしまうという恐ろしいものだぞ』
「モジョ? モジョとは何だ!?」
うーん、どう説明すればいいんだ?
『喪女とはな……モジョモジョしているため、決して魔王継承権は与えられない女のことだ。そんな彼女をモーブ皇国に連れ帰ったら、いったいどうなるんだろうなあ? 今なら解毒剤を飲ませて喪女にならずにすむが、な』
二人の視線を感じて俺はわざと苦しそうに手を振るわせた。
ジェジェは息を呑んでモリルを見る。
「だめ、ハッタリよ!」
「だけど……だけどさ、本当に紫色をしてるんだ。殿下の首が……」
ミノタウロス娘の顔が悄然とし、肩が落ちた。
「待ちなさい!」
呼び止める声も虚しく、身の丈ほどの大きな剣はガランと投げ捨てられた。深い溜め息とともにモリルも鉄槍を床に落とす。
アマリアがすかさず難敵に手枷をはめ、首にも同様に魔定輪のある鉄環をつけて無力化した。ジェジェにはメリーが飛びついて、やはり手枷を装着させる。そのぶつかるような勢いの反動でミイラじみた格好のイスファルが床に落ちた。
やったね!
俺はすっくと立ち上がり、大笑いする。
「ギャハハハハハ! あーあ、これが見たかったんだ」
突然のセイヴィニアの変貌に、二人ともポカンと口を開けた状態で固まった。
わかりやすいようにプラチナブロンドのヅラをずらしてやる。
「ン~? シストレンだってぇ? 霊血の同胞じゃなくて『おつむがカラカラ』に改名しろよ!」
「貴っ様ぁぁぁっ!」
筋肉担当は逆上したが、時すでに遅し。剣を突きつけられて、両名ともおとなしくせざるを得なかった。
「どうせヒラルドの野郎がおまえたちに情報を流してたんだろ。だから、巡回の直後なんて狙い澄ましたタイミングで襲ってきたんだ。ほら、言ってみろよ」
しかし、二人は口を開かず、もの凄い眼差しで俺を見つめるだけ。
俺はこれ見よがしにカツラをかぶりなおすと両手を腰に当ててひとしきり笑ってやった。いやあ、策がうまくはまると気持いいなあ。
「まあ、いいさ。ザックスリー公爵家との繋がりについては、時間をかけてでも吐いてもらうからな。さあ、星辰騎士団の諸君、連れてゆくのだ」
得意げに新たな捕虜二名を西の塔にある牢獄へ連行するよう命令した。ちょうどそのときだった。
前室で怪しい物音がした。それを聞いて枷の鎖を受け取った騎士が身構え、腰の剣に手をやる。と同時によろめいた。
その隣でもう一人の騎士もグフッと呻き、口から血の泡を垂らして膝をつく。
「その命貰った!」
物騒な台詞を吐いたのは、王城警備を担う制服兵士だった。牢番とは異なる姿の兵士に俺は呆気に取られた。二名の暗殺者がセイヴィニアの姿を騙る俺に肉薄する。
マジか? 城の警備は近衛の部隊が担う重要なポジションだ。そのために入隊審査は厳しいと聞いている。そんなエリート連中に本気でセイヴィニアの命を狙うような浅はかな奴がいたのか!?
メリーが獣じみたスピードで暗殺者に体当たりをかました。一人がそれをすり抜ける。そいつの血刀は俺の首筋を狙うもアマリアの長剣に阻まれた。
剣戟に圧倒されて俺は壁に背を押し付けた。
そこへ新たな影が壁一面を覆うように現れた。不気味な声が耳朶を打った。
「セイヴィニア、聖エピスの糧となれ」
わずかに聞き覚えのある声は俺の心に苦みを呼び覚ました。抱えたマリーに襲い掛かる姿がオーバーラップする。
咄嗟に両腕を交差させると、うまい具合に手枷が刃から俺を守ってくれた。
驚いたことに、その影の正体はモーブ皇国南方面軍団上級将校のマルクトだった。モーブの陣地で俺たちを本陣まで案内した奴だ。
「さすがは軍団長閣下。素手で受け止めるとは……ん?」
プラチナブロンドを見る瞳には憎しみが満ちている。それが訝しげなものに変じた。
「貴様、セイヴィニアではないな」
続いての一撃を鎖で受けると、鉄の鎖はいとも簡単に断ち切られてしまった。
苛立ったマルクトは腕を引くや、鋭く突き入れてきた。もはや俺にはそれを防ぐ手立てはない。
と、その間に立ちはだかる白い姿があった。それは包帯をぐるぐると巻いたミイラのような人物。刺突を受けた腹から赤い染みが広がってゆく。
予想外の闖入者にマルクトは反射的に後退した。
「借りは……返した、ぞ」
この台詞を絞り出してからイスファルはどうと倒れた。それを目の当たりにした捕虜二名は雄叫びを上げて暗殺者に向けて突進した。
状況の整理ができない俺はただただ立ち尽くす。
「チィッ、こいつらを連れて退け!」
マルクトの合図によって残る二名の暗殺者は俺とイスファルを抱え上げた。
俺は全身の力を込めて抵抗したが、それは長く続かなかった。剣の柄で頭を殴られ、失神した。
◇ ◇ ◇
魔王子ポオが誘拐されたことは護衛官であるシルバーメリーの手により即座に彼の盟友へと伝えられた。
スリザール伯爵ことレオノール・バッツはこのことを秘して他言無用とした。いつまで伏せておけるかはわからないが、長老会議での投票に差し障りが出るからだ。少なくとも救出がなされるまでは秘密にしておきたい。
シルバーメリー以外に生き残ったのは剣光騎士アマリアだけだった。彼女は素直に頷きこそしなかったが、スリザール伯爵の無言の圧力には勝てなかった。
メリーに待機を命じ、アマリアには南国境の警戒任務に就くよう申し伝えた後、バッツは星辰騎士団舎へと向かった。深夜だが早急に捜索及び追撃の部隊を出さなければならない。多忙を極める騎士団長なら、まだ仕事中のはずだ。
バッツが通された部屋は騎士団営舎の食堂であり、ぬるいお茶が目の前のテーブルにぽつりとおかれている。応対する庶務官は口をへの字に結び、愛想笑いの一つもない。
宮廷の要職をもてなすにしてはあまりにも粗略な扱いである。つまり、歓迎されてない、ということだ。
こいつのバカは真性だ。バッツの冷淡な表情の裏でそんな言葉が躍った。
庶務官はこれ以上要請に応えられる人員はいないと判を押したように繰り返すだけで、騎士団長を呼べという言葉に耳を貸そうとしない。彼は誰が軍事費を含めた王国予算の編成会議を仕切っているのかを知らないらしい。
バッツは椅子に座ったまま鼻で笑うような仕種を見せた。
「ドライデンに誰が来たかを伝えてこい。その上でどう対応すべきか聞いてくるんだ」
若造の横柄な物言いに庶務官はしばし呆気にとられていたが、騎士団長に匹敵する圧迫感は感じ取れたようで、憮然としつつも庶務官は食堂を去った。
彼の対応もわからないものではない。戦乱に怯えた魔貴族が騎士団に護衛の要求など厄介ごとを頼みに押し寄せたと聞いている。誰に対しても拒否しろと団長に命じられているに違いない。
食堂を見回すと、テーブルで眠りこけている騎士が一名いた。こんな深夜に食堂で寝ることからも、彼らに課された激務が窺い知れた。
大して待つこともなく重そうな足音がドタドタと聞こえてきた。
「スリザール伯爵、こんな時間に何事ですか?」
ドライデンが忙しそうな様子で現れた。やはり寝てはいなかったようだ。気難しげなご面相が彼の心情を示している。確かに歓迎するつもりがないようだ。
それに応じるようにバッツは素っ気なく報告した。
「ポオ殿下がかどわかされました」
「……ほう」
想定以上に反応が薄い。バッツは戸惑いを覚えつつ尋ねる。
「もしかして、すでに捜索隊を出発させているとか?」
ドライデンは、いやいやと首を横に振った。
「そんな余剰兵力はありません。騎士団員を殿下にお貸ししたのは、口添えしたアマリア殿の顔を立ててのこと。捜索には近衛兵を回したらよろしい」
あまりにも気のない返事にバッツは立ち上がり、詰め寄った。
「王城の兵士どもは信用できない。誰の息がかかっているかわからないのでね。それより、あなたはポオ殿下がどうなってもいいのか?」
「ふむ。殿下のことは心配ですが、ナロウにはそれ以上に大事なものがある。側近だったなら陛下より聞いているだろう。万魔王殿だ。あれだけは死守せねばならない」
パンデモニウムとはポオが話してくれた遺跡のこと。そして、スターロードの遺言が二人の脳裏にはある。
『ポオを万魔王殿に近づけるな』
万魔王殿、近づけてはならない理由、そのどちらのこともわからないが、ポオはすでに遺跡に接触している。ならば、出会うべくして出会ったというべきなのかもしれない。
そして何より、彼は魔王、あるいは大魔王への道を歩むことを決めた。また、遺された言葉の主体は万魔王殿ではなく、ポオである。そこから遺言の真意を推し量ると、どちらが重要であるかは明らかであった。少なくともバッツにとっては。
「いいえ。死守すべきはナロウの魔王だ」
その言葉を聞いた途端、ドライデンはけたたましい笑い声を立てた。
「我が忠誠は今でも強壮なるスターロードとともにある。ナロウの魔王は死んだ」
バッツはわき上がる侮蔑の笑みをこらえ、努めて冷めた顔を維持した。この騎士団長は元来陽気な男ではあるが、この笑声には狂気じみたものが潜んでいる。
本来先代魔王への忠誠心には敬意を払うべきところだが、次代を否定するようでは先はない。ここでこの老害の鼻はへし折っておくべきだ。バッツはそう判断し、口さがない言葉で攻め始める。
「年寄りがロートル魔王を戴くのは勝手だが、僕の戴く魔王はポオ殿下の予定でね」
「とても先代の側近を勤めた方とは思えない発言ですな」
先代、先代とうるさい騎士団長である。
「それは失礼。だが、僕はあなたと違って、この先長きに渡って次代の魔王の側近を勤めなければならない。仕方ないから、率直に言ってやろう。アルヴィス星辰騎士団を存続させたければ、四の五のぬかさずに兵を提供しろ、ドライデン」
呼び捨てにされてふくよかな頬が不快げに歪む。しかし、辛らつな台詞は止まらなかった。
「いいか。ポオは、今回のセイヴィニア捕縛の前にパンデモニウムとやらに足を踏み入れている。貴様が先代魔王に忠誠を誓うのは勝手だが、ポオはその先を進んでいるんだ。にもかかわらず、万魔王殿だけを守ってポオを守らないのは片手落ちと言う他はない」
一方的にまくし立てられ、騎士団長の目に危険な光が灯った。しかし、その物腰は変わらない。
「ほう、ポオ殿下が……。しかし、人手不足は事実なのですよ。殿下の作戦で七名もの大切な騎士団員を失っている」
「それについては成果があったはず」
成果とは、霊血の同胞二名のことだ。
「殿下がさらわれては成果どころかマイナスではないか」
「それはつまり、それだけ重大事な失点だから取り返さなくちゃならないと自分でも認識している、ということだな?」
ドライデンはわざと腰の長剣を揺らして音を立て、脅すように言い返す。
「しつこいな、スリザール伯爵。戦争を知らないインプ風情にこの先の戦局は読めまい」
「いいえ。それは簡単だ。ポオ殿下がいなければ戦う前から負けることになる。何せ担ぐ大義名分がなくなるわけだから」
「先代に殉じるだけで充分だ」
話の噛み合わないことに苛立ちを覚えたバッツは乾いた笑い声を響かせた。この頑固者がわかりやすく計算できるよう金を絡めて話すしかない。
対して小バカにするようにドライデンの肩がすくめられた。何度も経験したことのある侮蔑は軽く流し、バッツは冷たく言葉を返す。
「ほう、そうですか。これまでの戦費は国内の諸政務を後回しにすることで生み出してきたので、ポオ殿下もいないのであれば、無理にひねり出す必要もない。騎士団長殿、そろそろ降伏時にモーブに渡す持参金に計上したほうがいいですかな?」
「脅す気か? そちらこそ、ナロウ王国自体がなくなってもよいのかね?」
先に脅してきたのはどっちだと思ったが、そこには触れず、今や信念に変わりつつある主張を繰り返す。
「言ったはずです。ポオがいないなら、先はない。さっさと降伏したほうがマシだ。スターロードがいない今、国内をまとめられるのは、ポオだけだ!」
城内では普段お喋りばかりしている秘書官の語る真剣な言葉にドライデンも揺らいだ。
「貴公、幼馴染みの色眼鏡ではなく、本当にそう思っていると?」
「もちろん。掛け値なくね」
それでも騎士団長の表情は悩ましい。
「しかし、人が足らないのは事実なのだ。それを理解して欲しい。人手がほしいなら王城の守備兵力を出すべきだ」
「それも言ったはずだ。どこかの公爵家の息のかかった奴が、どさくさに紛れてポオを暗殺するかもしれない」
ドライデンが言い返そうと口を開きかけたとき、カツカツと足音を立てて一人の人物が現れた。そのすらっとした長身の騎士姿はアマリア・グレイスだった。
「ドライデン殿、緊急事態です! 今一度、星辰騎士団の力をお借りしたい。と、これは……スリザール伯爵」
勢いよくドライデンに近づいたアマリアは、筆頭秘書官に気がついてギョッとする。まさかここで顔を合わせるとは思っていなかったのだろう。バツの悪い顔で会釈した。
自分の与えた指令が実行されなかったことにバッツは不機嫌そうに頬を歪める。
「君には星雲騎士団に合流してともに南の国境を警備する任務を与えたはずですが、どうしてここに来たのですか?」
「そ、それは……」
言いよどむアマリアにバッツは訓示を垂れるように言った。
「統帥権をもつ魔王は今いない。だから、筆頭秘書官である僕や各政務を司る大臣たちが合議で軍事的な判断を下しているんだ。魔王位が空位の今、これはナロウ魔王の勅命に近しい。それを蔑ろにされては困るな」
「ですが、その魔王位を継ぐ魔王子がいなくては、この国に未来はありません! すぐにお助けしなければ!」
「ポオを、自国の魔王子を最近まで気にかけたこともなかったくせに、どうして今更大切にするんだ。おまえたちがしっかり国を守らないから、こういう事態になったんだろう!」
強い口調はアマリアの色白な顔を紅潮させたが、それはすぐに消えた。
「それについては……返す言葉もありません。ただ、ポオ殿下には優れた才も強大な魔力も感じられませんが、今、私は他のどんな魔貴族よりもあの方に魔王になっていただきたいと思っています! それだけの人物であると確信しています!」
その断言にドライデンは苦々しく唸った。それをバッツは鼻で笑い、アマリアを厳しく諭す。
「その気持は僕も同じだが、こういう時だからこそ、指示命令はきっちり守ってもらわないと組織としてのまとまりが保てない。戦場で一兵卒が命令を無視した行動をとって作戦を台無しにした場合、軍規ではどう罰するんだ?」
一瞬口をつぐんだもののアマリアはすぐに言葉を吐き出した。
「状況にもよりますが、被害が出ていれば処刑します」
「それと同じだ」
「しかし! たとえ軍規違反でも、それをしないことで味方が壊滅するなら、私はそれをすべきだと思います!」
こいつは、とバッツの両目が細められた。
彼女の態度には真摯さが感じられ、このまま任せてしまいたい気持ちになった。だが、彼女に与えた役目は他の者に任せられるものではない。
南の強国聖エピスが軍を催したと情報が入っている。剣光騎士には一刻も早く星雲騎士団に合流して、現地で士気を高めてもらわないと困るのだ。
ドライデンとアマリアの反抗的な態度は国を動かしてきた筆頭秘書官の瞳に冷たく危険な光をたたえさせた。二人には、魔王不在の今、誰の言うことを聞くのが大事なのかをがよく落とし込んでおく必要がある。
本来なら、アマリア以外に剣光騎士が二名いるので、彼らに役目を振りたいところだが、そうもいかない現実がある。
剣光位騎士はスターロードによって星光の力を与えられたが、一位のエル・スプレイグと二位のフレッツ・プラットは、どんな非常事態であろうとも魔王以外の指揮権に服する必要はないとスターロードから直々に赦されている。
何のために、そんな権限を与えたのかはわからないが、有名な話だ。逆にアマリアは宮廷に尊重こそされ、顎で使われる立場なので、上位二人は別格といえた。
そのせいで彼らは滅多に王都に顔を出すことがなく、ナロウ存亡の危機の今でも、その動きをつかむことすらできなかった。
バッツが融通の利かないバカどもの家門は軒並み潰してくれようかと考えたとき、ドライデンが掌を打った。いいことを思い付いた、といった風情である。しかも、人のよいおっさんのようなコロコロした瞳をしてみせた。
「そうそう、捜索に駆り出すなら、いい人材がいましたよ。それも二人も」
「それが、もし剣光騎士の序列一位と二位のことなら、二人ともつかまらないぞ」
「スリザール伯爵、そうではありません。実に強力かつ死んでも痛くも痒くもない人材がいるじゃありませんか」
唐突な提案にバッツの鋭い眼差しが和らいだ。対照的にドライデンの顔は悪辣とさえ言ってよい表情をつくった。
「ほう、ナロウにそんな都合のよい騎士がいたとは。その表現は少し可哀想な気もしますが」
「いや、騎士ではないのですよ」
「なら、兵士か? 断っておきますが、近衛兵のようなどこのどいつの息がかかっているかわからない奴はダメだ」
「いえいえ、絶対に特定のナロウ魔貴族の手下ではありえない。それに人質がいるため、決して逆らうこともありません」
人質という単語にバッツはハッとする。
「まさか、あなたは……」
「そうです。霊血の同胞です」
確かに人材的にはうってつけだが、逆にポオが人質になりかねない。素直にうんと言いがたい提案である。その証拠にアマリアが驚きのあまり口を開けたまま固まっている。
しかし、検討せずに却下するには、この状況にうまくはまる提案ではあった。ポオと一緒に誘拐されたのは彼女らの仲間なのだ。なるほど、これはこれで少し改善することで使えるかもしれない。
バッツが立ったままぬるくなったお茶で喉を潤すと、ドライデンとアマリアはひと言も発せずに待った。筆頭秘書官がどう答えるのか聞き逃すまいと息をひそめているのがわかる。
二人の態度にバッツは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「フン、名案ですね。ドライデン団長、見直しましたよ。ですが、彼女らからポオ殿下へ対する危険については、どう歯止めするつもりですか?」
「セイヴィニアを人質にしていれば、下手なことはできまい」
「お粗末ですね。現地での行動を監視しないと、ポオは助けたが死にました、なんて間抜けな報告を聞くことになる。やはり、星辰騎士団から一個小隊ほどの人手は出してもらう必要があるな」
ドライデンは舌打ちをした。人を出すことを渋る態度は変わらない。が、拒絶はしなかった。
「いいでしょう。その程度なら何とか都合します。しかし、指揮官までは出せない」
その言葉を受けてアマリアが恐れながらと口を挟んだ。
「私はメリー殿を推挙します。近衛兵とはいえ、彼女はポオ殿下の信用も厚く、魔力こそないものの戦闘力は極めて高い。少人数であれば兵を指揮する能力もあります」
ふむ、とバッツは首を少し傾けてアマリアを見つめた。その視線には少々の信頼が含まれる。と言うのも、なかなかよい人選であったからだ。
実のところ、バッツもその人物のことは真っ先に思いついたのだが、彼女はすでに候補から外してあった。情報によると侵入者たちは聖エピスの手の者らしい。あれだけの価値ある人質なら、さっさと本国へ送ってしまうだろう。つまり聖エピスに救出隊を送り込むことになるわけだ。
そして、あの銀毛のコボルト娘はポオが大事にしていた侍女の姉である。万が一にも彼女が聖エピスで命を落とすようなことがあれば、それを指示した者は間違いなく相当深い恨みを買うだろう。それも、次代の魔王の恨みを、だ。
バッツは幼馴染みの性格はよくわかっていた。彼はドライな言動で理性的に見せることを好むが、その本性はかなりウェットである。もし、事前に相談できるなら、ゴールドマリーを戦場へ連れて行って死なせた二の舞だけは絶対に避けろと言って反対するだろう。
ポオを助けることは最優先だが、替えが利かない人物を送り出すことで、最悪の展開からポオが馬鹿な真似をしでかすリスクを考えると、能力があるなら人物面は多少目をつむって人選する必要がある。そのリスクは歯止めをかけることで対処できるはず。
そう考えをまとめて、バッツは残念そうに首を横に振った。
「それはできない。ポオ不在の今、彼女には、セイヴィニアの監視と警護という重要任務がある。ドライデン団長、何とかならないのですか?」
ドライデンは大きくせり出している自分の腹を叩いて答えた。
「人材不足なのだよ。現地で指示を出す人物はそちらで都合つけてくれ」
バッツにこういうときに役立つ人材の心当たりはなかった。能力があっても信頼に足らず、また、全幅の信頼をおけるがこういうことにはおよそ向かない、そのどちらかだ。
一瞬、レイリス・クラーグスの不景気な貧血顔が脳裏をよぎったが、すぐに打ち消した。これこそありえない。激怒するドレド・クラーグスの顔が目に見えるようだ。
しかし、まてよ、と顎に手を当てる。
レイリス姫の知り合いにうってつけの人物がいるかもしれない。彼女に相談するのも手だ。由緒正しいダーゴン伯爵にならそういう人間関係をもっているに可能性が高い。
「わかった。救出部隊の隊長となる人物はこちらのツテで見つけよう。それでよろしいか?」
「仕方ありませんな。手を打ちましょう」
ドライデンはやむを得ないとばかりに溜め息をついてそう言った。
ただ、その態度はバッツに火をつけた。
自国の魔王子をさらわれたというのに、その救出のための出動を仕方ないと口にする軍隊など消されても文句は言えまい。たとえ歴史的に由緒正しい組織だとしても、この戦争が終わったあかつきには必ず根こそぎ解体してくれるとバッツは密かに誓った。
そんな気持はおくびにも出さず淡々と言う。
「では、これから段取りをしてきます。夜明けには出立できるよう、そちらの手配は頼みます」
「承った、秘書官殿。ところで、救出部隊の兵糧や物資、あと馬など費用のことなのだが……」
どこまでも小賢しい騎士団長だった。
「それはこちらで面倒を見る。そちらは追跡能力と逃げ足の速い人物を一個小隊分準備しておいてくれ。集合場所は夜明けまでには連絡する」
吐き捨てるように言ってやったが、ドライデンはしてやったりといった顔で頷いた。
どうもこいつは考えがずれている。あるいは、こんなクソ頭でなければ騎士団長が務まらないというなら、ナロウの軍隊は抜本的な改革が必要だ。それもポオが魔王になれば、可能だ。
バッツは二人に辞去を伝え、騎士団の営舎を出た。
その後、王城を訪れ、セイヴィニアを見張っているレイリス・クラーグスに会いに向かった。ポオの自室にセイヴィニアを監禁しており、そこで監視をしているはずだった。
さすがに深夜であり、相手はクラーグス家のご令嬢だ。城の侍女を先に入らせて許可をとることにした。すると、至急の用件だと督促するまでもなく、レイリス自身がすぐに現れてくれた。それも寝巻き姿のままで。
こんな深夜に来るのだから、緊急を要するのは自明の理だと理解しているらしい。この呑み込みのよさと健気さをどこぞの樽腹には見習ってもらいたいと、バッツは深く頷いた。
正直なところ、隣のポオの趣味部屋にセイヴィニアがいるためこの場で話してよいものかとも思ったが、どうせ寝ているし、一刻一秒を争う事態なのだ。この場合はやむを得ない。
当初、ポオが誘拐されたと聞いて、レイリスは卒倒した。が、すぐに意識を取り戻す。そして、どうやって救出するつもりなのかと問われた。
その点については九割方段取りを整え終わったことを伝え、安心するように言った。そして、救出部隊の指揮を執る隊長がいないことで困っていると相談した。
すると、案の定、彼女は隊長にふさわしい人物に心当たりがあると言ってくれた。それが誰かと尋ねたが、彼女は言葉を濁し、名前は言えないが信頼できる人物だ、とのこと。
せめて、レイリスとの関係を教えろと言ったら、大変信頼できる友人とのこと。『深淵図書の司書』とまで呼ばれる彼女には、政治畑のバッツには窺い知れない交遊関係があるのだろう。
そこは魔王顧問としてポオを支える仲間として信用することにした。
そのため、レイリスに救出部隊の集合場所を伝え、手配は全部しておくので、集合場所までその人物を連れていくことと、そこで救出部隊への指示出しをすることを頼んだ。
すると、彼女はバッツの手を取り、信頼してくれてありがとうと言い、この信頼には必ず応えると力強く誓った。
この意気込みに一抹の不安を感じたバッツだったが、やれるだけのことはやったと自分を納得させた。王城を出て自分の邸宅に戻ったときには夜が明けていたが、寝ている暇はない。今日は今日の仕事がある。
というのも、ポオが戻ってきたときにはケチのつけようのない長老会議を開き、晴れて彼が魔王になるというゴールに到達しなければならないのだ。
ザックスリー公爵の一派は長老会議への召喚状に対する返事をのらりくらりと延ばしており、多数派工作のための時間稼ぎをしていることは明白だった。
もちろん、それに対抗する動きをバッツもとっており、主に宮廷事務官系は押さえてある。また、武官系も剣光騎士アマリアによる喧伝が効いて親魔王子派とも呼ぶべき派閥ができつつあった。
官僚職に就かない魔貴族への働きかけは王政代行会議前にすませており、今はその維持に勤しんでいる。あとはポオ自身が面会したことで魔貴族にどれだけ味方を増やせたかによる。
バッツは姿見の前で着衣を脱ぎながらフッと笑みを浮かべる。なかなか腕の揮い甲斐のある時代になったと思ったら笑みが自然とこぼれたのだ。
その中心には、幼馴染みである魔王子ポオがいる。大魔王については眉唾物だが、モーブ陣地から帰ってきた彼は見違えるような成長を遂げていた。この分であれば、彼がナロウの魔王になることは充分に勝算のあることだった。
その上で、次は対モーブ、そして対聖エピスと政治的にも軍事的にも難局が続くわけだ。これを思うと楽しくならないわけがなかった。
笑みを納めるとバッツは召使に命じて身支度を整えさせた。その最中、彼は不意に不安に駆られた。
レイリスが、この信頼に必ず応える、と言ったことを思い出したのだ。まさか、心当たりの指揮官とは、レイリス自身のことを言っていたのではなかろうか。
いやいやと首を振る。彼女はポオからセイヴィニアの保護という役目を与えられている。その役目は、ポオ不在の今、重要性が非常に高まった。それは他人に代われるものではなく、シルバーメリーとともに内と外へしっかり見張りの目を向けてもらわなければならないのだ。賢明な彼女が、それをほったらかして出かけるような真似はしないだろう。
「さすがにないか。ポオじゃあるまいし」
着替えに袖を通しつつ、バッツは呟く。
が、その予感が的中したと知るのは、昼を過ぎてからのことだった。
たーすーけーてー。