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『今どきの魔王子』の処世術  作者: ディアス
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生か死か、さあ、選びたまえよ。



ふっふっふっ、我が世の冬がきたー!


全然嬉しくない!






 俺の名は、ポオ。

 魔王子だ。王の子供が王子。魔王の子供だから、俺は魔王子。簡単な話だ。


 自分で言うのも何だが、俺はいかつい父親には似ず、華奢で花もうらやむ美貌の持ち主である。人柄は誠実で慈愛に満ち、才気溢れる前途有望な若者、それが俺だ。

 そして、将来は素敵なピチピチの魔王になる。俺専属の侍女、ゴールドマリーがそう言っているのだから間違いない。


 とある、うららかな春の日のことだった。

 俺は魔王城の自室でいわゆるテレビゲームに興じているところを、父親である魔王に呼び出された。マリーに角飾りをつけさせ、服を整えてもらうと、ぶつくさ文句を呟きつつ部屋を出た。


 箱入り息子の俺は日がな毎日遊び暮らしている。インドア生活を箱入りの宿命と俺自身は受け入れているのだが、親父はなぜかよく説教をしてくる。

 何故だ。俺にはまったく理解できない。


 今回もきっとそれに違いないと思って、上階にある執務室に恐る恐る顔を出した。


「あの、お父様? お呼びと聞きましたが」


 我ながら気色悪い喋り方である。しかし、俺の儚げな容貌にはこういう話し方が似合う。これで大抵の奴はイチコロだ。

 詐欺じゃないぞ。セルフプロデュースと言ってくれ。人間界には多いだろ。そういうの。


 一方、魔王(おやじ)は禍々しい彫り物のある、豪奢な机で仕事をしていた。

 長大な角を幾本も頭に生やし、その魔力の質と量が桁外れであることを示している。厳しい風貌と合わせて実にグッとくる威容だ。


 親父の目が俺を見た。年をとっているが、その眼光は衰えていない。おーコワー。


「うむ、きたか……。ポオよ、わしの授けた魔転輪をきちんと身につけておるか?」


「はい」


 と俺は腕輪のはまる右手首を見える位置に出す。


 説明しよう!


 魔転輪とは魔力を上手に扱うための器具のことだ。『輪』といいつつもデザインは様々で、俺の魔転輪が腕輪なのはたまたまにすぎない。


 魔転輪の本体は小さな珠であり、それが魔力をうまく扱えるようにしてくれる。未熟者にとっては魔力操作の補助装具であり、熟達者にはより繊細なコントロールをもたらす強化装具でもある。

 腕輪以外にも様々なものに取り付けることができ、特に俺のような不勉強なタイプは必ず身に帯びている。


 俺の腕輪には環状の溝が彫られており、そこに水晶のように透明な小さい珠がはまっている。


 ちなみに、魔力とは自然現象を自らの意思で自由にコントロールする術であり、その有無や強弱は頭に生える角の類型によって判別できる。

 ただ残念なことに俺の角は魔王子の地位にふさわしいものではなかった。


 親父は腕輪を見て安心したように溜め息をついた。ただ、その表情はひどく険しく、いつもの説教とは様子が違うぞと気づいた。これは防御を固める必要がある。

 俺は普段の十倍増しで可愛い子犬のように瞳をウルウルさせた。

 それを見て親父は辛そうに顔に手を当てる。


「クッ……。おまえには、本当にすまないと思っている」


 何だか嫌な前フリだよな。


「我がナロウ王国は、近々亡くなることとなった」


 亡くなるって何ですか。国家倒産ですか。父さんだけに。

 腹の底に響く低い声が重々しく話を続けた。


「おまえも知っての通り、今、北のモーブ皇国が国境を越えて攻めてきている。三日後には、この王都にまで敵軍が押し寄せるだろう。実は、昨日、彼奴きゃつらの軍団長から使者がきた」


 いきなりですか。ついさっき遊びまくってると広言したばかりなのに、もう切羽詰ってるとは……。


 親父は俺の反応を見るかのように待ってから咳払いをした。


「降伏勧告を受け入れなければ、ナロウ王国を住民ごと殲滅するとまで言っているのだ」


 え、ええ? ねえ、ちょっと、それはひどくない? どこのクソゲーの超展開だよ。


 つまり、俺の将来の職業はピチピチの魔王ではなく『亡国の魔王子』というわけだ。

 これは俺にとっての現実だ。決してゲームオープニングのあるあるネタではない。まだ現実味を感じないけどね。


 ふむ、魔王(おやじ)も歳だし、もしかすると、トチ狂って夢で見た妄想を口にしただけかもしれない。

 俺は、念のために口に出して確認してみた。


「それはマジですか?」


「大マヂじゃ」


 やっぱ、マジかあ……。俺は気の滅入った様子で尋ねた。


「それで、その降伏勧告ってどんな内容でしょう?」


 魔王(おやじ)は指を一つずつ立てて説明してくれた。


【降伏勧告】

 1.ナロウ王国軍の解体

 2.モーブ皇国によるナロウ王国の併合

 3.ナロウ王国内全王族の公開斬首刑


「以上の三項目だ」


 問題は三つ目だな。いまだ現実感のない俺は自分の鼻を指し、恐々質問を口にした。


「もしかして、その王族には私も含まれますか?」


「そなたはわしの子じゃぞ。当たり前だ。わしの死後、王位を継承することになるおまえを生かしておくわけがない」


「それでお父様のお考えは?」


 答えるまでに重苦しい間があった。言いたくない答えとは、つまり聞かせたくない答えだ。


「……降伏だ。西の同盟国オーパルドからいまだ援軍は来ず、戦い続ける理由が王族の命を永らえるためだけなら、これ以上の血が流れることは我が矜持が許さぬ」


 オー、死亡確定デス……。


 いや、ちょっと待て、ふざけるな!

 生まれて(とうじょう)からの人生経験のすべてが、一人喋りと父親との会話だけでは哀れすぎる。せめて幼い操(どうてい)だけでも捨てさせてくれ。


 万感の思いを込め、向け続けた視線の先で厳しい顔が左右に振られた。俺の両肩がガックリと落ちる。 


 俺は魔王子だ。弱小国とはいえ、大魔界の魔王の息子で、いかなる美少女よりも美しい美貌の持ち主でもあり、さらにデジタルなゲームが趣味で、毎月お小遣いももらって、お世話係の侍女もいて、王族だから警護の者もいて、老前から悠々自適の生活を送っている、超優遇種族だぞ。

 魔力の訓練をしなくても自分のやりたい魔術の知識だけつけてれば褒められるし、武術なんて俺がしなくても騎士や兵士がいくらでもいるし、何の不自由もない生活を約束されているのだよ。


 本当はな……。


 俺の脳裏にまだ手をつけていない積みゲーの数々が思い浮かんだ。ほんのさわりしか読んでない電子書籍(コミックス)も大量に残っている。

 膨大な時間と莫大な労力をかけて人間界と往来できる魔術まで編み出したってのに、このままでは、夏の暑い日に人間界のエアコンの効いたアパート(べっそう)に避暑に出かけるという優雅な生活もできなくなる。


 俺は涙ぐむふりをして額に手を当てた。


 クソッ、やはり自分で何とかするしかないのか。


 俺は心を決めた。固い決意だ。敵の大将と交渉してやる。そして、必ず生き延びてやる。相手の言い値を呑まなければ、降伏してもまだ生きる目があるはずだ!


 やってやる。キリッ!


 俺は演技を、そう、子犬の演技をやめた。顔を上げ、背筋をピンと伸ばして口調を改める。


「父上、降伏の決断をする前に私に少しお時間をください」


「ど、どうしたのだ、ポオよ」


 愛玩犬のような俺が急に凛々しい喋り方をし始めて、魔王(おやじ)は驚いた。この二十五年間、蝶よ花よと育ててきた愛息子の態度が豹変したのだ。無理もない。


「安易な降伏は得策ではありません。最終回答までにどれくらいの猶予があるのですか?」


「明後日までだ。停戦期間は十日間で、すでに四日が過ぎた。つまり停戦期間の七日目の早朝、モーブの使者にこちらの使者を同行させてハーデンの森の北にあるモーブの陣地へ送る予定だ。その使者が帰陣したときが、我々、いやナロウ王国の最期だ」


「わかりました。私に最終回答までの二日をください。その後であれば降伏してかまいません」


 魔王(おやじ)はオロオロと優柔不断な動きを見せたあと、心配そうに俺の両肩に手を置いた。


「いったいどうするつもりなのだ?」


「ご心配なさらないでください。私もナロウ王国の魔王子、覚悟があります。進むも地獄、戻るも地獄、ならば進んでから地獄へ参ろうではありませんか」


 俺が顔つきを引き締めてそう言うと、なんと魔王(おやじ)はポロポロと涙を流し始めたではないか。魔王(おに)の目にも涙。長大な角をもつ強面の魔王が、息子の言葉にいちいち泣いているのは実に締まらない光景だ。


 しかし、言ったはいいが、現状把握もできていないのだから、手始めに何をすればよいのかわからない。

 徹底抗戦するよう扇動するという方法も考えられるが、誰も魔王子(ニート)の振る旗には集まってくれないだろう。それに俺一人が軍勢に加わったところで形成が逆転するわけもない。俺、インドアメンだし。


 もし、これが、こっそり人間界から購入しているゲームなら、『秘密裏に開発した、たった一機で戦局を左右できる超級ロボット』とやらを投入するところだ。他にも、俺が急に『スゥパァパゥワに目覚めて敵を一掃する』なんて希望的観測もある。

 日頃説教のたびに、いつか本気出す、とうそぶいていたのだが、まさかこんなに早くそのときが訪れるとは思ってもみなかった。


 では、そのとやらを見せてやろう。


 何はともあれ、すぐに着手しなければならないのは情報収集。


 俺はダメ元で尋ねた。


「ところでその使者はもうお帰りになられたのですか?」


 魔王(おやじ)の口から寂しげな溜め息が洩れた。


「まだこの王都にいるぞ。スリザール伯爵の発案で引き留めて饗応しておるのだ。彼だけではない多くの魔貴族が生き残りをかけて執拗にもてなしておるよ」


 バッツ、ナイス!


「では、早速私もその使者を盛大に歓待することとしましょう。失礼します」


 俺は一礼すると、踵を返した。

 息子の意図が読めない魔王は、怪訝そうな顔で見送ってくれた。


 空気の重い執務室を出た俺は早速スリザール伯爵ことレオノール・バッツを捜した。


 必ず生き延びてやる。




 ◇ ◇ ◇




 大魔界。


 人間はおらず、大魔界系統樹によって独自の進化の系譜をたどる魔物の世界。


 魔物には知性のある『魔族』と単なる獣である『魔獣』がおり、魔族は動物とともに魔獣を家畜化し、文化文明を築いて生活していた。ただし、その中でも魔力のある魔族は魔族社会の頂点に立ち、魔力のある魔獣は伝説の獣として言い伝えの中に生きた。

 つまり、大魔界では魔力の有無が競争能力、生存能力に直結するのだ。


 中でも最高の魔力をもつ者は『魔王』を名乗り、国を治めることができた。

 そして、過去には偉大な『大魔王』が君臨して大魔界すべてを統べていたという。今では比肩する者がいないほど突出した魔王はおらず、絶大な魔力とともに大魔王の過去の遺物となった。


 そして、現在。


 大魔界には幾人もの強大な魔力の持ち主が魔王の称号を得て群雄割拠する。


 そのうちの一つ。大陸の東端で滅亡の危機に瀕している国、その名もナロウ王国。この国は南北を強国に圧迫された実に狭い、というか、クッソせせこましい国だ。

 スターロードの称号を持つ魔王が治めるその国は、大国の脅威に怯えつつも、西の友好国オーパルドと細々とした関係を保つことによって生きながらえていた。


 ところが、北の大国モーブ皇国が兵を挙げて攻め寄せてきた。

 ひと際巨大な魔力を誇ったナロウの魔王も年をとり、かつてのような力はなかった。モーブ皇国は弱体化した隣国の力を見透かしたように大軍を催し、ひと揉みで潰そうとしたのだ。しかし、かつての栄光を知る騎士団や諸将は戦線を後退させつつも奮戦し、辛うじてもちこたえていた。


 そんな弱小国の魔王子ポオは魔王に甘やかされて育てられ、物事はすべてインドアで片がつくと勘違いする困った青年に成長した。

 ミステリーならアームチェアスタイルもありだが、ファンタジーなオープンワールドにおいて一歩も外に出ないという選択はありえない。


 強烈な生存本能があるわけでもない魔王子ポオは、果たして生き抜くことができるのだろうか?




 ◇ ◇ ◇




 答えがあきらかなくだらない質問、それを愚問という。


 さて、気を取り直して生存戦略を続行しよう。


 ここはナロウ王都の中心にある王城。城は壮麗な建築様式をもって普請され、絵画の描かれた高い天井のアーチやきらびやかな金装飾、複雑な紋様彫刻などで見る者を圧倒する。

 しかし、これでも他国のそれと比較すると狭小住宅(タイニーハウス)並みの建坪らしい。他所(よそ)はどんだけ広いんだか。


 で、魔族には宮仕えもいれば、一般市民もいる。魔貴族の中でも城の役職についている者は日中、宮廷で仕事をしている。


 スリザール伯爵は頭が切れ、若いながらに魔王の秘書官の筆頭に抜擢された敏腕家だ。特に財政面における強い権限を与えられている。


 彼は忙しいため、今日も登城しているのは間違いない。

 ただ、享楽的傾向が強く、仕事を手早く片付けてよく中庭でだべっていることが多い。仕事が出来る奴とは大抵そういうものだ。

 彼に会うために俺はまず中庭へと足を向けた。


 魔王のいるエリアは居室もある奥の院であり、執務室を出ると高い円柱の並ぶ通路があった。長い、長い内廊下だ。目的の中庭へは、その廊下の先で遥か下層階まで階段を下りないとたどり着けない。

 この長い通路を歩くことは『インドアこそ生きる道』の俺にとってマッターホルン北壁登頂に匹敵する。


 血のにじむような努力によって偉業を達成すると、扉のないサロンに出た。そこから中庭は目と鼻の先だ。サロンにはシャレた椅子が何脚もあり、額を寄せて話し合う魔貴族や騎士、軍人らの姿があった。

 彼らは俺に気づくと急に話をやめた。普段なら、数人ぐらいは声をかけてくるところだ。だが、彼らはただ無感動に俺を遠巻きに眺めるだけだった。


 俺は元々社交的なタイプではない。そのため、誰も話しかけないのに自分から話しかけるような真似はしない。だって、こっちから寄っていったら負けみたいじゃないか。


 それに、ここにいる連中はすでにナロウ王国を待ち受ける運命を知っているらしい。よそよそしい視線は哀れんでいるわけでもなく、蔑んでいるわけでもない。ただゲームの敗者への関心をなくしただけ。実に嫌な奴らだ。


 念入りにとろ火で炙られる気分を味わいながらも、俺はキャラを崩さないようゆったりとした歩みを維持した。ちくしょー、本心では騒々しく駆け抜けてやりたいところだ。


 サロンを抜けようかというときに一人の若い魔貴族が声をかけてきた。


「ポオ殿下、ご機嫌麗しゅう。それにしても大変な事態になりました」


 ご機嫌が麗しく見えるならそいつは目の検査をしたほうがよい。だが、これは嫌味だった。


 彼の名はヒラルド・ザックスリー子爵。一代爵位の魔貴族だ。ナイトメア族でも有力なルビーアイ種の長であるザックスリー公爵の息子である。


 彼は美丈夫であり、ほがらかな性格の人気者でもある。その周りにはいつも人が群れて一人のところを見たことがないほどだ。

 だが、この立派な角を生やしたイケメン魔族は、表の顔ほど裏の性格はよくない。奴は、城内に引きこもっている俺を見つけては、何かとからかってくるのだ。

 おかけで若い魔貴族の間における俺の評判は極めて低い。


 今日も俺の小さく可愛らしい角の飾りを見てひとくさり失笑しやがった。


 俺はそこなかとない敵意もどこ吹く風と、いつもどおりに優しい微笑を浮かべて言葉を返した。


「やあ、ヒラルド、本当に大変ですね。まさか、戦争をしているとは知らなかった」


 ザックスリー子爵の顔に侮蔑の色が見える。家臣であるはずの彼だが、俺の前では内心を隠す素振りすらしない。


「おお、これは失言でした。この国が滅ぶかの瀬戸際など引きこもり王子である殿下には興味のないところでしたな。人間界へ足を運ぶ魔法の開発で忙しいのでしたか?」


 周囲からクスクスと忍び笑いが聞えてきた。


 人間界は大魔界とは異なる異世界であり、たまに召喚されて人間界に出張する魔族がいる。しかし、そこには大して得るものもない上に、世界間の往来は極めて困難なため、行きたがる物好きは滅多にいない。

 それ故の無知のせいで、人間界は概ね大魔界の下位世界と位置づけられている。


 嫌味はいつものことだが、奴が俺のすることに言及するなど百年に一度の珍事である。俺は子犬の皮をかぶったままわざと嬉しそうに答えてやった。


「うん。あそこはおもしろいから。なんとか行き来できるようにしたいんだ」


 もうとっくに実現してるけどな!


「愚かな指導者のせいでナロウ王国に滅びが目前に迫ってる今でも?」


 ストレートな表現にムッとしたが、そこは抑えてハムスターのようにちょこちょこと体を揺する驚きのポーズを見せる。


「え? 滅ぶの?」


 舌打ちが鳴り、ザックスリー子爵の整った顔が憎しみに歪んだ。相手にだけ聞えるよう押し殺した声の語気は冷ややかだった。


「まだ、わかってないのか。今、モーブの大軍が王都から三日のところまで攻め寄せてるんだよ。それを知らないとは、愚劣さもここに極まれりだな」


「あ、ああ、そのことですか。私ももう心臓が止まりそうで」


 俺はしれっと胸に手を当てた。


「本当に止まるんだよ」


「それは、どういう……?」


 さすがに俺の地位を考えれば、この発言に関してはぶっとばしてもお咎めはもらわない気がするぞ。

 だが、ここは戸惑った表情を浮かべるに留めた。やはり暴力はいけない。特に自分より強い相手に対しては。


「モーブは王族を差し出せば、降伏を認めてくれる。おまえは死ぬんだよ、クズ王子」


 顔色を変えずに無言を守っていると、ザックスリー子爵は憎しみを顔から消し去り、一礼してから元の集団へ戻っていった。ちなみに、そいつらは俺を見て口元を隠して笑っている。他からも忍び笑いが聞こえてきた。


 俺はうつ向いて大理石の冷たく光る床石を見つめた。俺の中にある熱がその冷たさに同調するようじっとして動かない。

 ややあって俺は顔を上げると何事もなかったかのように歩き始めた。そして、足早にサロンを出た。


 握り締めた拳から力が抜けるころには中庭に入ることができた。ここは庭師によって美しく剪定された庭園であり、陽の降りそそぐ回遊路は多くの魔貴族の憩いの場ともなっている。


 予想通り、中庭に入ってすぐのベンチで他の魔貴族と談笑しているスリザール伯爵を見つけた。


 彼はインプ族のとある一派の若当主であり、俺の幼馴染みでもあった。ストライプ=インプ族特有の土気色の顔色にも関わらず、人付き合いがよく、話し相手に困ることはないタイプだった。


 こめかみからは面白みのない標準的な角がちょろっと生えた貧相な頭の持ち主である。

 角の形状や大きさは強さのバロメーターであり、端的には魔力の質と量を表現しているのだが、彼の三叉角はもちろん極めて普通を意味する。ただし、角の間にある脳ミソにはけっこうな小賢しさが詰まっている。


 俺が近づくと、彼の談笑相手は敬意の感じられない一礼と愛想笑いを浮かべ、引き波のように去っていった。どいつもこいつもサロンにいた連中と大差ない。


 くさくさした気持をそのまま言葉に出してやった。


「やあ、スリザール伯爵、ひどいじゃないか。俺を見捨てて逃げる気か?」


「当然だろう。僕は死にたくない。乗ってる船が沈むなら、全力で救命ボートを手に入れるさ」


 俺がニヤリと笑うと、彼も同じように笑みを返す。腹の底の見えにくい相手だが、よちよち歩きの頃からの知り合いで、ウマが合う。本当の俺を知る数少ない人物の一人でもある。


「その救命ボートに空席はあるかい?」


「ひ弱な魔王子は重すぎて乗れない」


「なら、自前で頑丈な船を造るしかないな。モーブの使者は今どこにいるんだ? 俺も命が惜しいんだ。教えてくれ」


 バッツの顔がさすがに曇った。ちなみにスリザール伯爵は爵位名であり、彼の本名はレオノール・バッツだ。


「引きこもりの耳にも入ったか。だが、王族は助からないぞ。降伏条件が何せアレだからな」


 『王族()皆殺し()』についてはザックスリー子爵も知っていた。苛烈な内容まで宮廷内に流布するようでは機密もへったくれもないな。

 これでは敵軍の到着前にナロウは瓦解しかねない。そのとき、俺の首は親父の隣で丸太杭の上に載り、モーブの将兵をお出迎えすることになる。


「わかってる。でも、いいだろう。少しぐらいチャンスがほしいな」


「ナロウの魔貴族全員が生き残り工作で必死だから、分刻みのスケジュールで奴は引っ張りダコになってるぞ。うまく引っ張れるかわからん。今頃はヴィーター侯爵邸かな」


 ヴィーター侯爵家には遠いが王族の血が交じっている。これまでさんざん王室に入り込もうと血統を主張してきたが、今頃はその痕跡を消し去ろうと必死に違いない。


「その次は?」


「ハートリー子爵」


 次々と使者の予定を確認したが、空いている様子はまったくない。矢継ぎ早に質問をすると、幼馴染みは待て待てと掌を前に出した。


「僕は奴のジャーマネじゃない。詳しい予定なんて知らないぞ。ただ、チャンスがあるのは、明後日までだ。その日の朝に使者、バフ卿はここを発つ。面会をするなら、今日明日中に強引に割り込むしかない。だが、彼は屈強な剣士らしい。それに折り目正しい性格だともっぱらの噂だから、強引な割り込みやズル入りは無理だろう。ま、俺の見たところ、奴はケチな小物だがな」


 あは~ん。簡単に会える状況ではなさそうだ。会うためには策を講じて釣り上げる必要がある。やれやれ。

 釣りは画面越しにしかやったことはない。ゲームのように連打すれば釣り上げられるというものじゃあないだろう。生き餌と仕掛けが必要だ。


 俺は少しでも手がかりになるものはないかと尋ねた。


「そうか。何か気がついたことや特徴はあるかい?」


「そうだな。バフ卿はウェアウルフ族だ。外見はいかにも歴戦のつわものって印象だったな。少なくともそう装っていた。獣化属だからモーブでも待遇はあまりよくないようだ。こちらの盛大な歓待に最初戸惑っていた」


「他には?」


「そうそう、奴はかなりの酒好きだ。うちの蔵で一番いいワインを全部飲まれたよ。あの忌々しい飲みっぷりなら、訪問した先々でも酒蔵を空にするぐらい朝飯前だろう」


「さすがに誇張しすぎだろ。酒がそんなに飲めるもんか。俺なんか晩餐の食前酒で気持悪くなったぞ」


「おまえは弱いからな。だが、奴の酒豪ぶりはあながち誇張でもない。奴を自邸に招いた他の魔貴族にも話を聞いたが、あの人狼は息をするのと同じ速さで酒を飲む」


 聞いているだけで吐き気を催した。


「それはもう病気だな」


 俺のしかめっ面につられたのかバッツも険しい顔になった。


「タダ酒をかっ喰らいやがって。何より腹立たしいのは戦争にすでに勝った気分でいることだ」


 それは、おまえらが負けた気分ですり寄るからだ。とは言え、俺も少し媚びてみるとするか。

 ただ、次の言葉には国の命運もどこ吹く風の俺も嫌な気分にさせられた。


「昨晩、ウィルツァー伯爵家では雇われの小間使いが手篭めにされたらしいぞ」


 ゲームで様々な非道を経験した俺もリアルに胸糞の悪い話にはイヤになった。掌を見せて、それ以上の内容は遠慮した。

 見上げると空が見え、白い雲のゆっくりと流れる光景がわずかながら心を洗ってくれた。気持を切り替えて、俺は幼馴染みの顔を見つめる。


「わかった。情報はもういい。ただ、レオノール、一つ頼みがある。幼馴染みのおまえだからこそ頼める」


 厳粛な表情でそういうと、嫌そうな顔で返された。その顔はかつての少年のもので、俺たちが幼かった頃によく見たものだ。

 彼はその表情の通りのセリフを口にした。


「そういう言い方は好きじゃない。おまえのことは、おまえの首が落ちたときにスッパリ忘れられるようにしておきたい」


「言ってくれるじゃないか。ひょっとすると、一発逆転して俺がナロウはおろかモーブを征服するかもしれないだろ」


 ないない、と奴は首を振った。それもソッコーで。せっかくのやる気が萎えるだろが、おい。


「レオノール、難しい話じゃない。王都にあるいい酒を片っ端から買い集めて欲しいんだ。知っての通り、籠の鳥の俺には遊行費がない」


 魔王(パパ)から魔王室予算(おこづかい)をもらっていることはすでにご理解いただいているところだが、もらうとすぐに人間界の設備の維持やゲームやマンガの購入に使っちゃうので、俺様に蓄えはない。


 俺は奴の肩を抱いて口説き落とす。


「早くて残り三日の命の俺だ。いつ処刑されるかわからないが、もし断れば、それまでの間、おまえは先のない俺の頼みを断った後味の悪さを噛み締めるんだ。頼みを聞いてくれれば、四日目の朝にはきれいサッパリと忘れてもらって構わない」


「三日しかない命に投資するのは割に合わないな」


「なに、ちょっと酒を買うだけだ。ただし最高級の。買ってくれれば、俺は斬首刑になってもおまえのことだけは恨まない。それ以外の奴には魔王の血筋に秘められた魔力のありったけを込めて呪ってやるけどな」


 バッツは舌打ちをした。


「酒を買うぐらい大したことじゃない。だが、ポオ、おまえは何をする気だ」


「いやあ……」


 俺は清廉潔白な顔を作ると照れたように頭をかいた。


「もちろん、降伏後の、おまえたちナロウ魔貴族や民草への寛大な処遇をお願いするのさ」


 幼馴染みの顔に意地の悪い微笑が戻った。


「ふ~ん。何か企んでるな。わかった。酒は届けさせる。だけど、どう転んでもスリザール伯爵家に被害が出ないようにしてくれよ」


「ええ、もちろんよ。私を信じて、レオノール」


 俺が口元で両手を組みつぶらな瞳でそう言うと、彼は腹を抱えて笑い出した。




 ◇ ◇ ◇




 俺の部屋は魔王の居室や執務室よりずっと手前に位置する。


 このブロックはいわゆる奥の院にあたるところだが、地下には重要な囚人のための特別牢などもあるなどいろいろと特殊な作りをしている。

 牢は魔王が直接尋問をおこなったり、王族以外の者が手を出せないようにするためのもので、今は空である。


 バッツと分かれた俺は来た道を戻り、自室に戻った。


 ライトブルーを基調とした清潔感のある室内では、侍女のゴールドマリーが心配そうに俺の帰りを待っていた。彼女がその清潔感を保ってくれているのだが、俺がよく散らかすから、片付けと清掃だけで半日は費やしている。


 部屋は比較的質素な装飾だがまあまあの広さのものが二部屋あり、奥の寝室には多数の人間界グッズが保管してあった。

 グッズといっても、家庭用ゲーム機とか美少女フィギュアとか美少女じゃないフィギュアとか、あとマンガ雑誌とか、標準的な家庭にはよくあるものばかりだ。多分。


 何も言わずに指先一つで侍女にソファーに座るよう指示すると、俺はゴロリと横になり、野暮ったい侍女服の上から膝枕に頭を載せた。

 ふう~、と深く溜め息をつく。適度な弾力と温かさ、そして女子の腿をナデナデする。これが俺の心の洗濯場である。アア~、気持イイ~、ナデナデ~。


 しばらくくすぐったいのを我慢していた侍女は思い切って尋ねてきた。


「陛下からはどんなお話があったんですか?」


 あ、そうそう、ゴールドマリーというのは侍女名だ。本名はマリー。見事な金髪だからゴールド。人間界に存在するという伝説の秘宝、変形する黄金ライターをイメージして名づけた。


「お小遣いを増額してくれるって」


 すっとぼけた回答にのん気な合いの手が返る。


「それはよかったですね~」


「ところで、今ナロウとモーブが戦争してるって知ってた?」


「はい、それは……もちろんです。殿下にお仕えしている身ですから、それぐらいは」


 少しの言いよどみが彼女の心情を表していた。


「それなら、相当危険な状況だということも知ってる?」


 マリーの表情が明らかに暗くなった。


「はい……。先月の終わりにモーブ軍が北の国境を侵したと聞いています。私たちは大丈夫なのでしょうか?」


 ……大丈夫か、だと?


「そんなことわかるわけないだろ」


 返事は意図せずぶっきらぼうなものになった。ゴールドマリーは小声ですみませんと謝る。

 イカン、イカン。マリーを怯えさせても事態が変わるわけでもあるまいし。


 俺は彼女の頬をなでて言った。


「お父様のお話ではナロウは降伏するらしい。そうなれば、もうマリーを侍女として雇ってあげられないんだ。ごめんね」


 途端にマリーは手を目にあて、ウッウッと嗚咽を洩らし始めた。


「お優しい殿下……ああ、おいたわしい……」


 言っておくが、彼女はライトブラウン種のコボルト族。つまり、ロープレ的表現によるところの犬型獣系モンスターである。

 牙の見え隠れする口の上で太くてごつい指が涙を拭っている姿は、慣れていない者にはご馳走を前によだれをふいているようにしか見えない。


 一応ふわっふわの金髪をピンクのリボンでまとめるなど野獣イメージの緩和策をとらせてあるが、それ以上の対策はしていない。あんまり可愛くして、欲しがられては困るしな。


 彼女は貧しいコボルト村の娘だった。出稼ぎをしようと姉を頼って都にきたのだが、地方の田舎娘など都会人からすれば食い物でしかない。彼女が有り金をすべて盗られて途方に暮れていたところを俺が拾った。


 侍女職は細かい作業の得意なオークや忍耐強いゴブリン族の娘が多いのだが、彼女たちは宮廷慣れしていていけ好かなく、ちょうど入れ替えをしたかったのだ。

 また、彼女はコボルトにしては家事能力に秀でたところがあった。そのため、自宅警備員が天職の俺としては満足している。


 だが、彼女の最大の魅力はその寛容さと声の美しさにある。


 俺は体を起こすと金毛の頭をよしよしと撫でて慰めた。そして、気分を変えるように明るい口調で言った。


「それを今気にしても仕方がない。それに私は幸せなんだ。だって、マリーが世話してくれてるんだからね。ウフフフ」


 天使の微笑みを向けると、彼女は甘い砂糖菓子を舐めたようにほわわ~んと笑顔になった。な、イチコロだろ。


「それより、またマスカットライダーごっこをしよう」


 暗い話が嫌になった俺は立ち上がって手を引っ張った。彼女も立ち上がって涙の跡の残る顔をほころばせた。もし降伏条件まで伝わっていたら、こんな表情はできないだろう。


「ねえ、人間界のアキバハムートガハラで買ったメイド服を着てよ!」


「わかりました。怪人メスイ・ヌメイド役ですね。すぐに準備しますね」


 念のために言っておくが、俺は魔王子ポオ。齢二十五歳だ。そして、デーモン族の成人年齢は百歳だから、人間族に換算すると五歳ぐらいとみなせる。故に、ごっこ遊びはまったくもってノープロブレム。くれぐれも誤解のないように。


 さて、マスカットライダーとは人間界で活躍する正義のヒーローの名である。テレビでその活躍を目にした俺は、すぐさまその虜となった。好きなのは『マスカットライダー・ウィッチ』で、次が『マスカットライダー・ファントム』だ。

 この大魔界なら実際にあるんじゃないかとウィッチの新しい形体(ニューフォーム)へ変身できる魔呆石(ジェム)を探したしたことだってある。


 俺の扮するマスカットライダーがジャンプして必殺の飛び蹴りを決めると、ゴールドマリーは派手な演技で倒れ伏した。


「グガガガガ、や~ら~れ~た~……ガクッ」


 彼女はいつものへなちょこキックが当たるなり軽くジャンプして壁際まで吹っ飛んでくれる。透明感のあるお嬢様みたいな声で断末魔を上げながら。なんてええ娘なんや~。


 俺がゴールドマリーを助け起こしたとき、部屋の扉を叩く音が聞えた。


「誰?」


「メリーです」


 ゴールドマリーの姉のシルバーメリーだった。


「入って」


 扉が開くと、銀髪の美しいコボルト娘が腰を低くして入ってきた。

 カーキ色の近衛制服を着用した彼女は妹より筋肉質で背が高く、すらりとした体はしなやか且つ強靭。彼女は近衛隊所属で、主任務は俺の護衛であった。コボルトであるため階級は上級兵止まりだが、実力は将校並みの兵士だ。


 妹が珍妙な服を身につけていても気にせず、まっすぐに俺のところにやってきた。彼女の目つきは常に鋭く、青い瞳には一貫して俺への軽蔑の色がある。妹に悪影響を与えているのでは、と心配をしているらしい。


「どうしたの?」


「スリザール伯爵より贈り物が届いております」


 さすがレオノール。魔王の筆頭秘書官だけあって仕事が速い。


「ああ、思ったより早くて助かった。貰い物はすぐに秘密基地へ運んで。中身はお酒だから、瓶を割らないように気をつけてね」


 『秘密基地』は、俺専用馬車ともいう。専用機だが、残念なことに車体は赤くないし、角も生えてない。もちろん三倍のスピードで走ることもできない。


「お酒、ですか?」


 何かとクールな彼女からは、飲まないくせにと言いたげな冷めた視線が寄せられる。


「私が飲むわけじゃないから、安心して。とにかく急いで欲しいな、メリー」


「わかりました。では、失礼します」


「ああ、ちょっと待って。お願いがもう一つあるんだ」


 踵を返しかけたシルバーメリーは銀髪をひるがえして元の位置に戻った。


「チッ、何なりと」


 チッ? いや、親父に動揺させられた俺の耳が幻聴を聞いたのだろう。たぶん、彼女は『ハッ』と言ったんだ。たぶん、ね。


「モーブ軍からバフ卿という方が使者としていらしてるのは知ってる?」


「はい。昨日より近衛隊が護衛についており、不審者には注意するよう指示が出ています」


 戦争相手国の使者を堅固に護衛するとは、ナロウの滅亡はもはや避けがたいとしか言いようがない。俺がオンラインでフレンド登録した人間界の知人なら、話を聞く前に首を切るぐらいの非紳士的所業を行うというのに。ボタン連打で間違えてな。


 しかし、これは好都合だ。護衛の任を近衛隊が担っているならタイムスケジュールと移動ルートぐらいは何とか調べがつくだろう。

 俺は愛くるしい微笑を浮かべた。


「なら、話が早い。バフ卿の今日の予定を教えて欲しいんだ。特に午後も遅くて喉が渇きそうな時間にどこにいるのか。そこで彼をお迎えしてほんのちょこっと、移動しながらでいいからお話をしたい」


 ブルーの瞳が警戒の光を帯びた。


「それは命令ですか?」


「もちろん命令」


「……かしこまりました。では、面会の際は武器を所持しないように願います。他に御用はありますか?」


「あと、このことは他言無用で。とにかく間に合うようにスピーディーに頼みます。以上です」


「では、すぐに調べてご報告にあがります」


 俺の護衛官は一礼して去っていった。実に有能な女性である。


 彼女の本名はメリー。銀髪だからシルバー。だが、本当はシルバーをもう少し掘り下げて、マグナムメリーとしたかった。が、彼女からの質問に対してうまく答えられなかったので断念した。


『殿下、マグナムとは何ですか?』


 本当に何だろうね。君が野球というスポーツを知ることがあれば、教えてあげよう。


 さて、そろそろ準備を始めなければならない。


 俺はゴールドマリーに考え事をしたいから外すよう指示すると、暖炉のそばにあるソファーに腰を落ち着けた。腕にはまる魔転輪の珠をゆっくりなでながら、今後の行動について考えを巡らせた。


 そのとき、どんな顔をしてたかというと、当然悪い顔だ。




 外出の支度中にシルバーメリーの再来訪があった。

 彼女は俺にモーブ皇国の使者の予定表を押し付けると、扉の脇で門衛よろしく立番を始めた。どうやら俺の行動を怪しんでいるようだ。さすが、犬だけに鼻が利く。


 マリーは赤と黒の豪奢な魔王子の正装を準備し、俺に着せてくれた。軍人相手に交渉するために、強そうな印象を与えるものをリクエストした結果だ。この色合い、実に毒々しくてデーモン族にふさわしいだろう。

 マントは丈の短い肩留めのものを選んだ。大きな姿見の前で入念にチェックするが、彼女の仕事に抜かりはなかった。

 俺の魔族としてあまりにも小さな角は最強格の螺旋角を模したカバー型角飾りでうまく装飾をした。俺の角は無妄角といって、まあ、なんつーか、貧弱な部類に入る。だから、魔王子として演出が必要なわけだ。


 すっかり着替え終わったところで、シルバーメリーが何かを要求するように右手を差し出した。

 チッ、わかったよ。俺は腰から礼装用の剣を外して、護衛官に渡した。


「これでいいかい?」


「はい」


「ついてくる気かい?」


「はい」


 妹と違って彼女は冷静であり、自分が近衛兵であることをよくわきまえていた。


「ダメ、と言っても、だよね」


「近衛兵として受けている命令もありますので。お許しください」


 コボルトの犬顔は表情が読みづらいが、彼女はあまり感情を面にださない性質なので余計にわかりにくい。本当に申し訳ないと思っているのやら。


「わかりました。いいですよ」


 ちょっと拗ねたように言ってやったが、顔の筋肉はぴくりともしなかった。

 俺は諦めて交換条件を出す。


「でも、その代わり、馬車の手綱をお願いしてもいい?」


「ハッ、かしこまりました」


 シルバーメリーは勇ましく拳を胸に当てた。口から聞こえたのが舌打ちじゃなくてよかった。少なくとも指示したところへは馬車を走らせてくれそうだ。


「じゃあ、いくよ」


 そのとき、室内に大音声が響き渡った。


「私もいきます!」


 耳の奥でいつまでも反響するように残る。


 ゴールドマリーだ。姉と違って表情が豊かな彼女からはすぐにとても真剣な気持が伝わってきた。人間界で買ったメイド服姿で泣きそうになりながらにじり寄ってくる。


 ダメだと言っても彼女は聞かなかった。

 戦争には敗北寸前、ほとんど外出もせず、いまだにごっこ遊びを卒業できない主人が不憫で仕方がないと思ってるのだろう。脅してもすかしても頑として引き下がらなかった。


 彼女を説得するには時間がかかりそうだ。しかし、モーブ皇国の使者と会うタイミングを遅らせることはできない。


「わかりました。そのメイド服のままついてきて。マリーにはもてなしの宴の給仕を頼もう。お客様の杯が空にならないように気をつけてね」


「わかりました」


 俺は二人を従えて、部屋を出た。


 それではショータイムといこうか。ついでに、能ある鷹は爪を隠す、という諺の意味を教えてやる。







みなの衆、心を広く開くのだ。


そして、私の生き方を受け入れたまえ。


さあ、唱えよ!


『変身!』


叫べ!


『マスカットゥライッダァァァ……参上!』



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