1-5話
『みう~みう~』
声のする方へと導かれナナシは大きな木の根元まで来ていた。
助けてという声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
その代わりに動物の鳴き声が聞こえていた。
…猫だろうか。
上の方から聞こえてくる。ナナシが見上げると日の光が枝葉に透けて見えた。
見回しながら裏に回るとナナシの背丈よりも少し高いところに枝がある。その根元に白が薄汚れた色のふくらみがあった。
どうやらあれが声の元らしい。何かが丸まっているみたいだ。
足元を調べてみたが手ごろな木の枝は落ちてない。
仕方ない。少し迷ってからナナシは巾着に手を入れ先ほどの剣をイメージして取り出した。
根の盛り上がったところに脚をかけて手を伸ばすと何とか届きそうだ。
背伸びをして鞘に入れたままの剣で優しくふくらみをつついた。
『みう!みう!』
ふくらみからから肉球が見えてパタパタと追い払うように手だか足を動かす。
悪いなと思いつつもナナシはもう一度突こうとした。
バキッ。
「あ」
太くはないが折れると思っていなかった枝が折れナナシは間抜けな声を上げた。
ぽすんと軽い音が聞こた。下に落ちたふくらみは小さく震えたまま動かない。
ふくらみにゆっくりと近寄った。
怯えている。ナナシが触れるとびくりと震えた。
それをそっと抱き上げた。
「ごめんごめん」
謝りながらやさしく撫でた。どこが頭で背中で尻かわからない。
『…みう?』
動物が恐る恐る顔を上げた。撫でていたのは首のところだった。
脇に手を入れて視線の高さに持っていき観察する。
まん丸い顔。ネコの様に長いヒゲ。ウサギの様に垂れた長い耳。前足は肉球で後ろ足は厚い毛で覆われてフサフサの靴下を履いているようだ。抱いてみるとぷくぷくしていて中に綿でも詰まっていそうな柔らかさと温かさ。ネコでもウサギでもない始めてみる動物だった。
「お前はネコ?ウサギ?それともパンダ?」
『みうみう?』
言葉が分かるのか分からないのか首を横に振った。
「助けを呼んだのはお前かい?」
『みう~?』
今度は首を傾げた。
丸々としてどんくさそうだ。でも降りられなくなったにしては低い高さではないだろうか。本当に助けを呼んでいた声だったのか。みうとしか聞こえないこいつの鳴き声が助けてとなぜ聞こえたのだろうか。こいつの鳴き声と助けを呼ぶ声は似ていた…と思う。…鳴き声と本当に似ていたのだろうか。そもそも幻聴だったのではないか。
ナナシが自分の耳を疑い始めた時だった。
『みうみうっ!』
急にじたばたともがき始めた。
…さっきまでは大人しかったのにどうしたんだろう?
「なあに?どうしたの?」
足をばたばたさせて肉球が自分をを指していることにナナシは気づいた。
そしてさらに気付く。
「…後ろ?」
ゆっくりとナナシは後ろを向いた。抱いていた動物を落としてしまった。
そこに猿のような生き物がいた。
化け物だ。ナナシはそう思った。
白く濁った眼。吐く息か体臭か腐ったような臭いがする。自分より少し低い背丈で痩せこけてはいるのに腹だけは膨れている。枯れ木のような腕には不釣り合いなナイフのような鉤爪が生えていた。歩けるのかと思う程に歪んだ足。近寄ってきた。よたよたとした足取りなのにやけに速い。思わずナナシは後ずさりした。唸り声が聞こえた。その声は腹が減ったとそう聞こえた。
「えっ?」
化け物が飛び掛かる。振り下ろされる鉤爪。
とっさに剣を持っていた方の手を突き出していた。
鈍い音。
ナナシは鞘に入れたままの剣で受け止める形になった。
慌てて振り払うと鞘が抜け落ちて刀身が露わになる。
化け物はよろめくような足取りで下がると、威嚇するように互いの爪を研ぐ様にすり合わせた。
キーキーと耳障りな音がした。
化け物がバカにするように小さく唸った。
ナナシは剣に身を隠すように構えた。
震える手で強く握りなおす。
袋から出しておいてよかった。
さっきの「腹が減った」は聞き違いではなかったのだろう。
痩せこけているのにあの腹は何で膨れているのだろうか。
嫌な想像が浮かび冷や汗が首筋を伝う。手が震えていた。無論足も震えている。逃げきれる自信がなかった。
ナナシのたどり着いた結論は『窮鼠猫を噛む』だった。
「あああああああっ!」
震えているせいで傍から見たのなら危なっかしいと思う足取りで切りかかった。
振り下ろした剣を化け物は爪を交差させた状態で受け止めた。
弾かれる反動を利用して振り上げまた振り下ろすことを繰り返すこと数合。
回り込もうとしてみたりと位置を変えてさらに数合。
硬いもの物同士がぶつかる音が周りに響く。
化け物が振るう爪は何とか打ち払い、下がろうとしたのかよろめいた。
そこにナナシの剣を振り降ろすタイミングが重なった。
『みうー!』
あの動物の声。剣を振り下ろす直前聞こえた。力が漲る気がする。
今度のその声はナナシには不思議と『頑張れ』と聞こえた。
ぱきり。
振り下ろした剣は化け物の爪へと当たり左手の爪をへし折った。
戦闘の経験こそ化け物の方が上でも膂力はナナシの方がいくらか上の結果だった。
ナナシは感じたことのない手ごたえに怯え慌て飛びすさった。
化け物は爪の折れた指をまじまじと見ていた。
(…何?)
ナナシは戸惑った。
化け物が息を深く吸い込み始めたのだ。
爪がへし折れたのが効いているのかは分からないがタダではないだろう。
頼むから逃げてくれ。
ナナシは相手が逃げることを願っていた。
ナナシが攻めるにも逃げるにも今が絶好の機会であったにもかかわらず。
数秒の隙。それを見逃したことが命取りだった。
『グギアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
空気が震え、側の木の枝が揺れ音を立てた。
うなり声を出鱈目に大きくした叫び声がナナシの耳に突き刺さった。
頭の中が揺さぶられる。
ナナシはたまらず剣を落とし耳をふさいでいた。
さらに痛みに耐える為に目を瞑り屈んでしまった。
(…しまった!)
数瞬が経過していた。気付いて目を開いた時には遅かった。
化け物はすぐ前にいた。表情は笑っているように見えた。
ナナシはゆっくりと強く目をつぶった。
…。
……。
………。
痛みは感じない。
ナナシはゆっくりと目を開けた。
化け物は笑ったまま目の前にいた。
腕はだらりと下がり固まっていた。
そよ風が吹いたかと思うと風に押されるように化け物は仰向けに倒れていった。
そのままピクリとも動かない。
良く見ると化け物の額に黒い何かが生えていた。
死んで…いるのだろうか。
確かめようと剣を拾いゆっくりと立ち上がる。今度は抜身のまま突こうと手を伸ばした瞬間に化け物がビクンと震えた。慌ててまた剣を落として尻もちをついた。そのまま後ずさりをしてナナシは何かに当たった。怯えたまま振り向いた。シクステンだった。
「どこをウロチョロしている」
「あっ?えっ?」
シクステンは化け物の頭に生えたものを抜き取った。
抜いたのはメスだった。どす黒い液体が噴き出した。
「ど・こ・を・ウロチョロしている」
布でメスを拭いながら言われナナシは慌てて辺りを見回した。
木の根元のあたりで丸くなっている先程の動物を見つけた。
足に力が入らず這いながら向かう。
動物は前足で頭を隠そうとしてるが短い前足はてっぺんまで届いていない。
震える足で何とか立ち上がると襟首のあたりでぶら下げてシクステンに見せた。
「この子が…助けを呼んでいて…。なんですかこの動物?」
『…みう?』
辺りを見回すのに合わせて長い耳がふわふわ揺れた。
「なんだ、ウサネコじゃないか」
『みう~』
シクステンが顔を近づけるとウサネコと呼ばれた動物が前足で鼻を押さえて不満そうに鳴いた。
「あ、悪い。…薬くさいかい?」
シクステンはそう言って自分の袖のあたりの臭いを嗅いだ。
ナナシにはシクステンの臭いはわからない。少なくとも一緒に歩いていて気にはならなかった。
この動物はウサネコというらしい。
ネコとウサギは見たことがあるような気がする。
だけどそれが合わさったようなこんな動物見たことがない。
襟首をつかんでいたのを胸の前で抱く体勢に変えた。
『みうみう♪』
ぽんぽんと肉球で僕の手を叩く。お礼を言っているようだった。
化け物を倒したのはシクステンさんなのだが。
返事の代わりに頭をなでるとまた気持ちよさそうに鳴いた。
「シクステンさん?この動物は?」
「ウサネコを覚えてないのかい?正式にはバニーキャット。こいつは人に飼われるために進化してきたとまで言われてるほど人に慣れた魔物だ。毛皮は服や鎧の材料。ヒゲは弓や投石ひもなんかの材料で糞は薬の材料になる。可愛がれば可愛がるほどこれに応えるようにその質は上がっていくペット向きの魔物だ」
魔物と聞くと恐ろし気な響きだがこいつはシクステンさんの言う通り大人しい。
試しに頬やお腹をなでたりつまんでみても抵抗もせず大人しくされるがままにしている。
ふと感じたナナシのこの疑問に悪気はなかった。
「食べられるんですか?」
『みう!?』
大人しく抱かれていたウサネコは抵抗してナナシの胸を蹴って降りるとどこかへ行ってしまった。
どうやら人の言葉が分かるらしかった。
「食ったことはないがとにかく不味いと聞く。硬いし臭いし料理のしようもない。それこそ食うとすれば悪食のこいつら餓鬼ぐらいのものだ」
そう言ってシクステンは化け物の死体を蹴った。
「…餓鬼って言うんですかこの化け物?」
「餓鬼も覚えてないかい?こいつはともかく何でも食って繁殖力が強い。牧場や田畑を荒らして人を襲うから常に討伐の依頼がでている。…こいつは爪が肥大化してるところを見るとその上位のジキトリだ。それなりに強かったろう」
シクステンはメスを振るった。ナナシが剣を数回叩き付けてへし折るのがやっとだった爪が根元のあたりからきれいに切断された。
「いくらか傷がついてはいるがジキトリの爪だ。砕いて混ぜ合わせれば武具の材料になる。そこの折れてるのも含めてギルドで売れば全部で2000エンぐらいにはなるだろう。拾って巾着に入れておくといい。ちょっとした小遣いにはなる」
ナナシが戸惑っていると顎で拾えと合図される。
刃物のような鉤爪を引っかけない様、慎重に巾着の中に入れていく。
全て入れ終えてステータスを確かめると「ジキトリの爪×10」とイメージが浮かんだ。
1本大体200エンとその計算はできてもそれがどのくらいの値段なのかはよく分からなかった。
◆
ゆったりとした歩調で道に戻った二人は歩いていた。
その間ずっとナナシは腰にかけた剣に手をかけ、微かに抜いたり戻したりを繰り返し、落ち着かずきょろきょろとあたりを見回していた。
「…そんなに気に入ったのならきちんとどこかで扱い方を学んでみたらどうだい?」
見かねたシクステンが言った。
丁度微かに抜いたところだったナナシの顔が赤くなった。
察したシクステンは気まずくなる前にと話題を変えた。
「そういえばさっきウサネコの声が聞こえたと言っていたな?君には”魔物使い”の素質があるんだろう」
「”魔物使い”…ですか?」
「ああ。おぼろげに魔物の言っていることが分かり始めるというのは”魔物使い”の加護を得る前段階だそうだ。あとは魔物に懐かれていくうちに完全に言うことが分かるようになって次第に魔物の力を引き出せるようになるらしい」
「”魔物使い”だとどんな仕事があるんですか?」
「”魔物使い”単体なら多いのは牧場で家畜用の魔物の世話や力があるやつを連れての運送業だな。あとは戦闘系の職の加護もつけて懐いた魔物と一緒に魔物狩りや素材の採取に出かけたりするのが多い」
つなぎを着て麦わら帽を被り大きなフォークを持つ姿。
鎧を着て馬にまたがり広い草原を駆け抜け先程のような魔物を討ち取る姿。
何となくそんな仕事をする自分を想像していく。
自分の手を見つめてみた。
…どれもが自分が記憶を失う前にはやってなかったものだろうと感じた。
「ほら見えてきた」
いつの間にか丘を登りきるところまで来ていた。
丘の上から見渡すと壁が見えた。その中に様々な建造物、奥の方には城が見える。
どこからどこまでを取り囲んでいるのか見当もつかなかった。
城壁は近づく程に存在感を増していた。
「…すごい城壁ですね」見上げながらナナシは言った。
「この城壁は五百年程前に初代国王が一晩で作り上げた代物だ」
「この壁を?」
「この高さのそれなりの土壁を作るのなら一流の土属性の魔法の使い手なら一晩で出来なくはないだろう。この壁はさらに鍛冶や錬金術に聖職者の技術も使われていて建造以来掃除以外の手入れは必要としていない。まさしく”賢者の石”と呼ぶにふさわしい。無論この壁を鑑定すればLv10と判定される」
「”賢者の石”?」
「Lv10の錬金術師がその技術の粋を集めて作った代物をそう呼ぶのさ。鑑定の結果Lv10と評価される物。自分の分野のそいつを作るのが我々錬金術師の目標なのさ」
シクステンさんのおじいさんもLv10の錬金術師だったらしい。
歴代の錬金術師の中で”賢者の石”を一番多く作った錬金術師だそうだ。
シクステンさんのおじいさんの自慢を聞きながら丘を下る。
何人かの人とすれ違った。
男性や女性に老人やたぶん子供。大抵剣に盾に鎧と皆装備していた。
変わった動物…魔物を連れている人も何人か。
犬か狼か分からない獣やカラスのような鳥を連れていた。
僕やシクステンさん程の軽装は見なかった。
門へと到着した。脇には槍を持った兵士さんが数人。昼間なのに篝火が焚かれて暑そうだ。
幌を付けた馬車が中を検められていた。幌にはシャイロック商会と書かれている。
兵士と馬車の持ち主らしき人がなんだか揉めているようで怒鳴り声が聞こえた。
時間がかかりそうだな。
ナナシがそう思っているとシクステンが周りを見回していた。
誰かを見つけたようで手を振って合図する。
槍を装備した兵士さんの一人が近づいてくる。
「やあガーキさん」
「やあ…シンさん…久しぶりだね…ケホッケホッ」
シクステンさんの前に立った兵士さんは槍を杖にして立つ。
風邪を引いているのかしきりにせき込み、熱でもあるのか顔色が悪い。
また咳き込むと懐から錠剤を取り出し口に放り込んだ。
バリバリと噛む音が聞こえる。
「風邪薬はそうやって飲むものじゃないぞ」
シクステンさんは透明な液体の入ったフラスコを投げ渡す。
色々出てくる。どうやらあのコート自体が借りている巾着の様に収納の機能があるようだ。
兵士さんは栓を抜くと中身を半分ほど飲んで口を拭う。
「…なんだただの水か」
「当たり前だ」
「この作ってくれた風邪薬効かないんだけど…もっと強いのないの?」
「それ以上強くしたら毒薬と鑑定されるぞ。ほらさっさと検めてくれ」
シクステンさんは金色の板を提示する。
兵士さんはそれに見向きもせずに僕の方へ来た。
「…こちらは?」
とりあえずどうもと会釈する。
「昨日うちの前に倒れていたんだよ」
「へぇ…えっ?あれ…?シンさんちどこだっけ?」
兵士さんはどこか納得いってない表情だ。
「入門料いくらだっけか?」
シクステンさんが見たことのない硬貨を取り出して手のひらの上で仕分けする。
「…230エン」
「ひい…ふう…みい…はいちょうど。あれ?値上げした?」
「いや…合ってるよ…?人一人と…」
僕を指さした後足元を指さした。
「ウサネコ1匹」
『みふ!』
さっきの動物、ウサネコが元気よく前足を上げた。
鳴き声がくぐもっているかと思えば口に何かを咥えている。イチジクに似た赤い果物だ。
ナナシは屈んだ。するとウサネコは咥えていた物を吐き出して前足で丁寧に差し出した。
上目使いでナナシを見ている。僕の代わりにこれで勘弁してほしいとそう言っているようだった。
「デクの木の…トレントの実だな。いいジャムになる」
説明からすると食べられるらしい。
「シクステンさん。この実は食べさせても大丈夫です?」
頷いたので木の実を手のひらに乗せてウサネコの口元へ運んでやった。
『みう?』
「食べな」
言い終える前にがつがつと音を食べて食べ始めた。
ウサネコの口の周りが果汁で真っ赤になった。
食べ終えると頬ずりしてきて手がベタベタになってしまった。
シクステンさんから手ぬぐいを借りた。
ウサネコも拭いてやっているとウサネコが手を前足でつかんで手に顔を擦りつけてくる。
特に顎のあたりを念入りに擦りつけてくる。どうやら懐いてくれたらしい。ウサネコの目を見ると仲間にして欲しそうな目のように見えた。
「首輪の跡がないからたぶん野生のウサネコのようだな。…飼ったらどうだ?」
『みう~』ウサネコがかしこまった様子で頭を下げていた。
「…一緒に来る?」
『みう~!』
両手を挙げての返事が返ってきた。ナナシの長く付き合うことになる相棒と組んだ瞬間だった。
「じゃあいこう」
「はい」『みう!』
シクステンが硬貨を払い、二人と一匹は町へと入っていった。