1-4話
目を覚ますと咄嗟に辺りを見回してしまった。
どこだここ?と自分に聞くと昨日の記憶が蘇ってくる。
診察室で目覚めたところで止まってしまい、それより前はなにも思い出せないままだった。
正確な時間は分からないが朝だろう。
とりあえず寝癖を整えようとお手洗いに向かう。
鏡に映る顔を昨日より冷静に観察する。
…悪くない。これが自分の顔なら両親に感謝だ。
食堂へ行くと昨日と同じようにバニラさんが朝食の支度をしていた。
「おはようございます、ナナシさん」
(ナナシさん?)
「どうかなさいましたか?ナナシさん?」
「いいえなんでも…おはようございます」
(…ああそうか僕か)
ナナシは昨日と同じ席に着く。
すると間もなく相変わらず気だるげな表情でシクステンさんがやってきた。
その手には唐草模様の風呂敷包みを持っていた。
「君の着替えがまだ乾いていないから代わりの着替えを持ってきた。私のお古で申し訳ないが適当に良さそうなの使ってくれ」
「ありがとうございます」
今日のスープはちょっとしょっぱかった。
食べ終わって洗面所に寄ってから着替えに応接室へ戻る。
テーブルの上で包みを解くと、チュニックとズボンとベルトがそれぞれ3つずつ出てきた。
見た目は外出用の布の服といった感じだ。出かけるのにジャージよりもずっといいだろう。
着てみるとすそが長いので一折。
寝巻と包みを持って着替えて出るとシクステンはもう待っていた。
シクステンさんの服装は黒のコートと黒のズボン。
…どうもコートの丈が短いんじゃないかと思う。
「君の服の預かり証としてこれを代わりに持っていてくれ。その服も含めてジャッシーとやらを返すまでは好きに使ってくれて構わないよ」
手のひら大の巾着が投げ渡された。中を覗いても何も入っていない。
「貸してみな」
シクステンさんが寝巻を風呂敷に押し込む。
次に包みを曲げて巾着に押し込むとするすると入っていく。
風呂敷が仕舞われた巾着をほいと渡された。
巾着は少し膨らんでいるが重さは変わっていなかった。
「便利だろう?巾着に入るもので5Kgまでなら重さもそのまま。入れた人のマナに反応して入れた人とこの袋を作った人にしか取り出せない防犯機能付きだ」
巾着の中を覗くと中身は空。逆さまにして振っても何も出てこない。
「どうやって取り出すんです?」
「巾着の中に手を入れて入れたものを思い浮かべてみな」
さっき入れたのは唐草模様の風呂敷包み。
そう思い浮かべた瞬間手に柔らかいものが吸い付いてきた。
掴んで引っ張り上げるとさっきの風呂敷包が出てきた。
…ジャージなんかよりもよりもこっちの方が欲しい。
「もし入れた物が分からなくなったら触れた状態で”ステータス”を使えば中身が分かる。風呂敷は服を畳んでくれる機能があるから寝巻も一緒に入れておくといい。あと得物だけどとりあえずこいつでいいかい?」
「…えっ?」
風呂敷を出したりしまったり遊んでいたナナシは固まった。
急に渡されたのは鞘に納められた剣だった。
片手で振り回せそうなくらいに軽い。長さは腕の長さほどで幅は掌ぐらい。
鞘にはベルトがついていた。
恐る恐る鞘から抜いてみた。刀身に自分の顔が映りヒヤッとする。
「何でこんなものを?」
包丁やノコギリなんかと違い、剣の用途は一つ。
生き物を切るため。
そうとしか考えられないのだ。
「魔物や野盗が出たらさすがに素手じゃ無理だろう?」
「魔物?野盗?」
シクステンはため息をついた。
「…そろそろ時間がないから聞きたいことがあるなら行きながら聞くよ。靴はそのブーツを使うと良い」
脛のあたりまで届く革のブーツだ。
剣は…堂々と持ち歩いていいのだろうか?
とりあえず袋にしまっておくことにした。
「じゃあバニラ行ってくる。遅くなるかもしれないから飯は適当に食べてくれ」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
「お世話になりました」
挨拶をする僕に丁寧にバニラさんは礼をしてくれた。
外に出ると良く晴れていた。けど少し肌寒い。
目の前は木に阻まれ遠くは見通せないどころか道が見当たらない。
目の前を小さな光の玉がゆっくりと通り過ぎていく。
なんだろう?
目で追っていくとパチンとシャボン玉のようにはじけて消えた。
周りをよく見るとまばらに飛んでいる。
蛍のようだが虫じゃないようだ。
どこからともなく生まれては消えていく。
「何をしている?」
「シクステンさんこれ…」
また目の前に小さな光の玉が飛んできた。丁度指さした時にはじけて消えた。
「ああ、”妖精玉”か。ここらへんはマナが濃いから集まって形になるんだ。マナが濃いかどうかの目印になるってだけでこうして特に…害はない」
シクステンさんはちょうど口元に飛んできた妖精玉を食べてしまった。
「ほら行くよ。はぐれない様気をつけるんだよ」
慌てて後を追った。
屋敷を出てからの道を覚えようとしていたがほんの数分で諦めていた。
今歩いているところは道と呼んで良いのかと言うほど雑草で覆われている。
森の木は歪に伸びていた。不自然にねじ曲がったもの。何本かの木が絡み合ったもの。膨れて変形したもの。時折吹いてくる風の音だけで虫や鳥の鳴き声はしない。枝葉の間から差し込んでいた日の光はいつの間にか遮られていた。うっすら霧が出てきた。急に寒くなった気がする。吐く息が白いのか霧なのか。
道はさらに深い茂みの奥へと続いていく。
もし感覚が正しければぐるりと屋敷の周りをまわっているだけではないか。
僕はどうやってここまで来たのだろうか?
ガサガサと音を立てて必死でついていくのだが雑草が茂り足元に絡みついてきて思う様に歩けない。気をつけなければ転ぶどころかくじいてしまいそうだ。
シクステンさんと距離が空いてしまった。
そう思うとすうとシクステンさんが霧の中に消えてしまった。
さらに霧が濃くなっていく。
真っ直ぐ伸ばした手も見えない。
慌てて辺りを見回した。
「シクステンさーん!?」
思わず呼んでしまった。
「こっちだよ」
霧の中から急に手が生えてきて掴まれた。
安心と恐怖が一緒に来た。
しばらく霧の中を引っ張られるままに歩いた。
「森を抜けるのにあとどのくらいですか?」
「もう抜けるじゃないか」
「…あれ?」
気がつくと目の前に僕の腕をつかんでいるシクステンさんがいた。
周りを見るとそこまで広くはないが雑草もそんなにないきちんと踏み固められた道にいた。
霧も晴れて空が見える。木はまっすぐ上に向かって伸びている。
前を見れば森の出口が見えていた。
森を抜けた目の前には草原が広がっていた。緩やかに起伏して木はまばらに生えている。森から続く道が行き着く先は見えない。初めて見る景色と風と臭いだった。
少しの休息を挟みまた歩き出す。日の光の温かさと限りなく駆け抜ける風の冷たさが心地よかった。
「シクステンさん」
「ん?」
「マナって何ですか?」
「色々な物の素になるエネルギーだよ。目には見えなくてもそこら中にあって、体を活性化させたり、生き物を進化させたり影響を受ける。発生しやすい場所では、迷いやすくなったり蜃気楼が起きたりと不思議な現象が起きるんだ」
…なんだかすごいものというのはわかった。妖精玉があったということはさっきの森もマナが発生しやすい場所と言うことなのだろう。不思議な体験をしたのもマナが原因らしい。
「生物の体に取り込まれる性質もあって訓練次第で体に取り込んだマナで傷を癒したり火や水に変えたり出来るんだ。残念ながら魔力欠乏症じゃ”聖職者”や”魔導士”の加護を受けられないからできないけどね。その2つは才能はいるが便利だし稼げるかどうか別として食うには困らないんだけどなぁ…」
昨日バニラさんの言っていた仕事をするのに無いと困る加護というやつか。今の所持金はゼロ。今までどうやって暮らしてたのか分からないがこれからも暮らしていかなくてはならないのだ。聞けるだけ聞いておこう。
「魔力欠乏症でも”職業”に就けるんですか?」
「ああ、別に”聖職者”と”魔法使い”以外に就くのなら大丈夫だよ。極めるとなれば難しいかもしれないけど…そもそも魔力欠乏症自体時間がかかるが治らないものじゃないよ。魔力欠乏症を治して”聖職者”と”魔法使い”に就いた人はいくらでもいるしどうにでもなる」
「治すのにどのくらいかかりますか?」
「ん…治療を始めて治すのにかかる期間で言うのなら二、三か月。値段で言うなら…普通の稼ぎで3か月分ってところだな」
『○○○』
「お金貯まったら治療をお願いできますか?」
「ああ、もちろん。貯まったらギルドを通して連絡を入れてくれるかい?こちらから往診させてもらうよ」
僕の就ける職の候補は”戦士”、”狩人”、”魔物使い”、”鍛冶師”、”裁縫師”、”採取師”そして”錬金術師”。
「お勧めの”職業”ってありますか?」
「お勧めか…とりあえずで言うなら”採取師”だろうな。素材を採取するのに特化した職で取れば”HP”と”VIT”が上がって体が丈夫になる。『○○○』畑やったり炭鉱で働く人や私は得てないが”鍛冶師””裁縫師””錬金術師”といった生産職の人は合わせて取っている人も多いよ。生産職でも多少は素材を採取するスキルは得られることもあるけど、やっぱり”採取師”に就いてると就いてないとじゃ大違いだね」
ん?シクステンさんの言葉に交じって何か聞こえた。
さっきも聞こえた気がしたけど周りを見ても誰もいない。
「あとは大きく稼ごうと傭兵や兵士になるのに”戦士”や”狩人”を取ろうとする人が多いかな。生産職になっても護身用に使えるから取っておいて損はないよ」
『○○○』
今度はもう少しはっきりと聞こえた。
子供のような声でシクステンさんの声じゃなかった。
あの…何の木か分からないがあの大きな木の方だ。
気付かないうちに引き寄せられるようにナナシは木の方へ歩いていた。
風が吹いてちょうどそれに乗ってきたかのようにまた聞こえた。
『○○○』
間違いない。あの木の方だ。
三度目が聞こえてナナシの歩きは早くなっていた。
聞こえた言葉は『助けて』だった。