1-3話
玄関の向かいの両開きの扉をそっと開ける。顔にふうと暖かい空気がかかった。
広い部屋だ。手前の方には何にも置いてない。奥の方にそんなに大きくないテーブルがあって椅子は四脚。さらにその奥では湯気で見づらいが誰かが作業していた。
ドアを閉めた。閉まった音は思いのほか大きく作業をしている人が気づいたようでこちらを向いた。
「マスター?丁度出来上がりましたよ」
メイドさんだろうかエプロンドレスを着た女性だ。マスターというのはきっとシクステンさんのことだろう。
メイドさんがこちらへやってくる。目には包帯が巻かれていた。杖がカツカツと床を鳴らす。
僕の前に立った。
背は僕より高くてシクステンさんより低い位。白けた青い髪と雪のように白い肌。顔の上半分が包帯を巻いているのでよく分からないが、たぶんきっときれいな人だと思う。
「…あら?」
鼻をひくつかせながら顔を近づけられた。
目は覆われているが臭いで分かるのだろうか。
急に心配になった僕は袖のあたりから自分の臭いを確かめた。
…たぶん大丈夫そうだ。
顔をあげるとメイドさんの顔がそこにあった。鼻と鼻とが触れてしまいそうなほど近い距離だった。
思わず後ずさった。その拍子に足がもつれた。
ゴン!
尻もちをつくのとドアが開きドアノブがこめかみに当たったのがほぼ同時だった。
「…何をしてるんだい?」
シクステンさんは頭を押さえ悶える僕を見て言った。目はそこにいるお前が悪いと言っている。
メイドさんは困惑した様子で見えていない視線を僕とシクステンさんにやった。
「あら?マスター…とするとこちらの方は?」
「…患者だよ。スープは彼の分もあるかい?」
「えっ?ええ…ございますけど…」
「彼の分も用意してくれ」
「…かしこまりました」
首をかしげながらメイドさんは湯気の立つ方へ行く。
「そっちに座ってくれ」
僕はテーブルに案内されシクステンと向かい合う様に座った。
スープとパンを運んできたメイドさんは少し迷ってシクステンさんの横に座った。
「「「いただきます」」」
何かの肉と野菜のスープ。人参とジャガイモで葉っぱはない。
スープに自分の顔が映っている。何度見ても見覚えのない顔だった。
音を立てないで飲むのがマナーだというのは何となく覚えていた。
ずずっとスープを飲む音が聞こえた。
ようやらそこまで気にしなくても大丈夫なようだ。
冷めないうちにと一口啜ると…よく言えば独特の味わいがした。
素材の味を楽しむというやつなのだろうか薄い。
文句を言える身分ではない。ましてや作ったのがそこのメイドさんだと考えると。
ふと見るとテーブルの上をミルが滑ってきた。
滑ってきた方を見るとシクステンさんと目が合った。
彼は溜息をついて頷いた。ミルを手の上でひねって舐めてみる。
しょっぱい。
「あのマスター?こちらはどなたですか?」
「さあ?ついさっき玄関を開けたらうちの前に倒れていたんだ。話を聞くとどうも目を覚ます前どころか名前も何もみんな覚えていないそうだ」
シクステンさんはパンをちぎってさらにそれを潰してから口の中に放り込んだ。
「お名前も…?”ステータス”はご覧になられたのですか?」
少し間をおいてシクステンさんはそれだとばかりに手を打った。
僕には何のことか分からない。
「”ステータス”って何ですか?」
「目を覚ましてから見てないのかい?」
「はい。すみません何のことだか全く…」
「とりあえず軽く目を閉じて深呼吸をしてから”ステータス”と念じてみるんだ」
言われたとおりにする。
目を閉じて息を吸って吐いて”ステータス”と念じて…。
1…2…3…4…5…。
「目の前に自分の名前やら能力が書かれた文字盤が浮かんでこないかい?」
首を横に振るとシクステンさんの顔色が少し変わる。
「重度の魔力の欠乏症のようだな」
言い初めに舌打ちが入っていたのが気になった。
「…悪い病気なんですか?」
「死にはしないが…”ステータス”も見れないなら不便でしょうがないだろう」
シクステンさんは残っていたパンを口に押し込んでスープを皿に口を付けて飲んで流し込んだ。
「少し待っていな。薬を煎じてこよう」
そう言うとシクステンさんは出て行った。
メイドさんと二人で部屋に取り残された。
メイドさんは黙々と食事を取っている。
「あの…」
「はい?」
話しかけてみた。良かった返事を返してくれた。
「”ステータス”って…何なんでしょうか?」
「”ステータス”ですか?体の様々な状態や能力値。及び体に流れる魔力を元にそれらを表示させる魔法にございます」
辞書を読み上げたかのような回答だった。
「…はあ」
しかしよく分からなかった。
「要はですね…自分はどのくらい力があってどのくらい器用なのか?どんな才能があるのか?を自分で自分を調べることができるのです。具合が悪い時に風邪や毒なんかにかかってないか簡単な診察もできますね。発動の際は微量の魔力が全身に張り巡らされるので身に着けているものも合わせた能力も調べられますし、道具の起動なんかにも使われます」
「なるほど」
便利なのだろう。そこまでしかわからなかった。
「出来たぞ。食べ終わってるかい?」
部屋から出て十分経つか経たないか。シクステンさんは蒸気の立つフラスコを持ってきた。
素手で持っていて大丈夫なのだろうか。
「あ…まだです」
いつの間にかメイドさんは食べ終えていた。
「早く食べてこれを飲みな」
焦った僕は行儀を忘れてスープで残っていたパンを流し込んだ。
フラスコを受け取ると思っていたのと逆に冷たかった。
「一口飲んだらよく噛むんだ。間違っても一気に飲むんじゃないぞ」
口を付けてみると中の液体はそれほど冷たくなかった。
ほんの一口飲んでみると味は甘いような苦いような辛みがあってそれでいて酸っぱいような。
何の味かと考えている間にどんどん味が変わっていく。
言われたとおりによく噛んでいるといつのまにか味がしなくなっていた。
たぶんきっと味がしなくなるまで噛めばいいのだろう。
飲み込んだ。
すると心臓のあたりが温まっていくような感じがする。
またゆっくりと半分ほど飲んだ。
心臓のあたりが温かい…どころか熱い。
込み上げてくる何かがある。
「シクステンさん…何か…こう…胸のあたりが熱いんですけど…」
咳き込んだ。口を押える。
「もどすなよ。薬だから我慢するんだ」
フラスコを取り上げてシクステンさんは言った。
その後「半分か」とつぶやいているのが聞こえた。
…吐きたい。
メイドさんはご丁寧に洗面器らしきものを準備してきた。
それが目に入った瞬間に一気に込み上げてきた。
ものを無理矢理に飲み込んだ。口の中に酸っぱい味が広がる。
気持ちが悪いままだが吐き気は少し収まった。
「ほら、水だ。大丈夫か?」
頷いた。コップを受け取り一口含む。飲み込めない。
たまらず流しまで行って水を吐き出した。吐いた水の色がちょっと変わっていた。
水を吐いたと同時にまた込み上げてくる。
慌てて口を押さえ崩れ落ちた。手の隙間から息をして目をつむりじっと耐える。
…。
……。
………。
もう大丈夫…だと思う。
胸にたまった熱が体中に広がっていく感じがしていた。
椅子へ戻り深く腰を掛けて再び大きく息を吐く。
吐く息に不味い味が混じっていた。
「もう一度やってみて」
目を閉じて息を吸って吐いて”ステータス”。
すると今度はおぼろげだがパッと文字盤が目の前に現れた。
だが文字が書かれているよう酷くノイズが走っていて読めない。
目を見開いてみても凝らしてみてもそれは変わらない。
「上手く見えないのかい?」
頷いた。
「実際のそれは目に映ってるように感じてるだけだ。目は閉じて余計な情報は遮断するんだ」
目を閉じてもそれは確かにそれは目の前にあった。瞼の裏に移り込んでいるのか不思議な感じだ。確かに開けてみているときよりもノイズは小さくなっていた。余計な情報は遮断…試しに耳もふさいでみた。
段々と何とか書かれている文字が読めるようになっていく。
「内容を書いてみてくれる?」
渡された羽ペンで紙に書き写していく。
目を閉じながら描いたので歪んでしまったけど何とか読めるだろう。
===============
名前:
年齢:15
職業:
スキル:魔力欠乏症
HP 37/37
MP 0/0
STR 9
VIT 9
SPI 9
MND 9
AGI 9
DEX 9
===============
文字は全て読めたけど意味が分かるのは”名前”と”年齢”だけ。
僕は15歳。
”スキル”には≪魔力欠乏症≫。
”職業”そして”名前”が空欄だった。
手に職がない。それどころか僕には名前が無いらしい。15歳まで生きてきてそんなことがあるのだろうか。
描いた紙を渡した。シクステンさんは渡した紙と僕を見比べていた。
「文字は読めるかい?」
たぶんと頷いた。
「ここの所の意味は分かるかい?」年齢から下が囲まれる。
「いいえ」
首を横に振るとシクステンさんがメモに書き込んでいく。
≪職業≫、
≪スキル≫、
HP≪生命力≫、生命の脈動する度合い。0になると死ぬ。
MP≪魔力≫、体に蓄えておけるマナの量
STR≪筋力≫、力の強さ
VIT≪抵抗力≫、怪我のしにくさや病気のかかりにくさ
SPI≪霊力≫、魔力を扱う技量
MND≪精神力≫、精神の強さ
DEX≪器用≫、手先の器用さ
AGI≪敏捷≫、身のこなしの軽さ
「あの…これは…?」
色々聞きたかったが手をかざされたので中断。
「…すまないがここの所立てて込んでいたものでね。少しだけ寝かせてもらえないかい。しばらく悪いが…応接室で待っていてくれないか」
シクステンさんの顔色はあまり良くない。
お医者さんだ忙しいのだろう。
しょうがない。
◆
先程の診察室の向かいの部屋へと案内された。
応接室は向かい合う形で置かれたふかふかのソファとその間にテーブルがあるだけの部屋だった。
とりあえずソファーに座ってさっきのメモを見返す。
筋力、抵抗力、器用、敏捷は何となく分かる。
霊力、精神力、魔力…何のことだろう?
職業とスキルのところは説明が書いてない。ペンで突いた跡はきっと何を書こうか迷った跡だろう。
眺めていてもそこから先は分からなかった。
欠伸が出た。
…どうも何をしたわけでもないのに体がだるい。
横にならせてもらおうとソファに片足を乗せると戸を叩く音がした。
開けるとお茶の用意を持ったメイドさんが立っていた。
確か名前は…。
「バニラさん…でしたっけ?」
「はい。バニラと申します。あの…マスターより話し相手になるよう仰せつかりました。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「お仕事はいいんですか?」
「ええ。正直なところ私とマスターの二人ですので暇を持て余しておりまして…」
「それでしたらぜひ。いろいろ聞きたいことがあるんですけど…」
向かい合う形で座った。切り出したのはバニラさんからだった。
「あの…すみません何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
…僕か。何て呼ばれればいいんだろうか。とりあえず適当に名前を思い浮かべてみる。いくつか人の名前らしきものは思い浮かんだ。でも名前に合わせて人の顔はだれ一人として思い浮かばない。ただ思い浮かべていくとその中でこれが今の自分に一番合っていると思うものが一つあった。
「ナナシ…と呼んでもらえますか?」
たしかどこかのだれかの名前だったはずだ。
「ナナシさん…ですか?承知致しました」
「あの…バニラさん。”職業”と”スキル”って何ですか?」
メモの上の方から聞くことにした。
「ご存じな…失礼致しました」
バニラさんの話によるとこの世界には神様がいて人々は神様から加護を授かることができるそうだ。
それは神様から与えられる役割だったり示してくれる生きるべき道だったりと人によって解釈は異なる。
加護の種類は”戦士””狩人””魔法使い””聖職者””魔物使い””鍛冶師””裁縫師””採取師””錬金術師”の九種。
戦う者”戦士”
狩る者”狩人”
自然を操る者”魔法使い”
信仰する者”聖職者”
魔物と共に生きる者”魔物使い”
金属を打つ者”鍛冶師”
衣類を織る者”裁縫師”
恵みを採る者”採取師”
科学を読み解く者”錬金術師”
いつからあったのか定かではないがこの九種らしい。
加護の内容は力が強くなったり体が丈夫になったり手先が器用になったりする。
加護の強さはLvという単位で表される。加護は役割を果たすつまりは仕事をする度に強くなっていく。
適性は存在するが理論上全ての神から加護を受けることは可能。
だが同時に受けれる加護は2つまでと制約がある。
授かった加護は”神に祝福された場所”で”ステータス”の魔法を使えば加護を自由に付け替えられる。
どの神様からも加護を得ていない人は俗に”みならい”と呼ばれるそうだ。
”スキル”は技能、技術、特殊な体質や病気などを指すらしい。それが”ステータス”に表示されるということは神様から良くも悪くも認められた証なのだそうだ。悲しいかな僕の≪魔力欠乏症≫は神様から認められた病気ということである。
剣術Lv1といった具合に技能や技術の習熟の度合いが数字で表されるものもあるそうだ。
”職業”や”スキル”についての説明は子供のうちに教わるもの常識のようなものらしい。
…僕にはどこかお伽噺でも聞かされているようだった。
それからいくつか質問をした後、少しだけバニラさんの身の上の話を聞いた。
半年ほど前に大けがをしたところをシクステンさんに拾われたそうだ。
今は少しでも治療費を払おうと家事をしているらしい。
治療費…。バニラさんも働いて返しているから僕も働いて返せばいいだろうか。
窓の外を見ると日が暮れていた。
いつの間にか部屋に明かりがついていた。
「もう日が暮れますね」
「…あらもうそんな時間でしたか」
バニラさんは立ち上がった。
「それでは私はお夕食の支度をして参ります。用意ができましたらお呼びいたしますのでお待ちください」
「何か手伝いましょうか?」
僕も腰を上げた。タダ飯食らいというのも心苦しい。
「これも私の仕事ですから。出来上がりましたらお呼び致しますのでしばらくお待ちください」
そう言って空になったポットとカップを持って行ってしまった。
出るタイミングを失いバニラさんが部屋からでて数分。
やけに眠い。動いてもいないのに眠くて仕方がない。
やっぱり手伝いに行けばよかった…。
ウトウトしながらも頑張って起きていた。
朝食と同じパンとスープだった。
気だるげに欠伸をしながらシクステンが入ってきた。
クマが消えてない。そんな風に観察していると目が合った。
「明日町へ行くから君もついてきてくれ」
「町…ですか?」
「ああ、ギルドで身元を調べてみよう」
ギルドか。聞いたことがあるような無いような。たぶん役所か警察みたいなものだろ…。
「…おい!」
「ふぁあい!?」
「…大丈夫かい?」
シクステンさんとバニラさんにのぞき込まれていた。
スープは空でパンはいつの間にか無くなって水と錠剤が置かれていた。
お腹がいっぱいな気がするから食べたのだろうきっと。
「その薬を飲んだら風呂に入って早く寝たほうがいい。毛布は出しておくから応接室で寝てくれ。…分かったかい?」
「ふぁい…どーも…」
服は洗濯しておいてくれるそうなのでかごに入れておいて欲しいそうだ。
ジャージを脱いだ。
所持品は今着ている着古したジャージと下着だけ。
もしかしてと名前でも書いてないかと調べてみたが無かった。
大きな鏡があった。
前に立って自分の体の隅々まで見てみると傷も痣もない。
綺麗な手。働いたことがあるのか不安になってしまう。
「っくっしゅん!」
…入ろう。
風呂は広く温泉のようだった。掃除が大変そうだ。
奥にある扉は露天風呂にでもなっているのだろうか。
シャワーはないので桶ですくって頭からかぶった。
洗うものを持ってくるのを忘れてた。
いいや眠い。つかってゆっくり十だけ数えよう。
1…2…3…4…5…6…7…
「寝巻ここ置いておくから」
…たぶんシクステンさんが来なかったら死んでいた。
風呂から上がって体をふいた。寝巻の甚平は紐も結ばずに応接室へと向かった。
毛布。もう無理。
僕がナナシになった日はこれでおしまい。