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「私の攻撃を防ぐことのできる人間など、何時以来の出来事でしたかな?」


 魔人の口調はは比較的に丁寧なものであったものの、人を小ばかにした感情が含まれている。この感情は自身のことを上位の存在であり、人間など取るに足らない存在だと認識している者からきている物であった。


 「ふむ、まぁ、そんなことはどうでもよろしいか。防がれたところで記憶に残らないということは、どうでもよい些事であるということに他ならないのですから」


 人を小ばかにするように、にやにやとしながら口にする。

 長身ではあるが細身の男で、禿げ上がった頭から見える灰色の肌とやせこけた頬や落ちくぼんだ相貌だけを見れば苦労人のような雰囲気を感じることができる。しかし、黒に限りなく近い赤色の瞳には、言葉では言い表すことのできない、独特の威圧感の色がある。

 

 人間に近い外見をしているのは珍しい。そう、心の中で呟く。魔人には人間のように決まった姿というものは存在しない。通常の生物には脳や心臓といった中核になる臓器が存在するが、魔人にはそういったものがないのである。かわりに魔核というものが体のどこかに存在し、それに書き込まれた宿業をもとに対組織が形成されている。


 そのため、本来は人間から見ると醜悪な化物にしか見えない姿であることの方が多い。


 「この程度の魔法なら防ぐことのできる人間は星の数ほどいると思うけどな。出会ったことがないのでるならば、おまえさんは弱者を嬲ることしかしない卑怯者か、戦いから逃げ出した卑怯者のどちらかだろうね」

 

 「はっはっは、そうかもしれませんね。私は平和主義ですから。闘争など下等生物同士で行うべきものだと思いますので」


 俺に皮肉に対して、変わらぬ態度で接する魔人。この程度の挑発に効果があるとは思っていないが、冷静に消されるとは思っていなかった。人型をしているだけあってちゃんと知性と理性があるらしい。


 「しかし、貴方はいったい何者かな? どこかの高名な魔法使いなのかな? 私の攻撃を防ぐほどの魔力量。先ほどの魔法が混沌魔法だと知っている知識。そこにぶら下がっている出来損ないとはいえ神と仲良く会話できるほどの胆力――。 浅学菲才の身であり、知識はまだ万物を語るほどではないとは思っていますが、貴方のような下等生物がこの大陸にいるとは知りませんでした」

 

 「当たり前だ。自分の実力を馬鹿みたいに誇示するのは、神とか魔人みたいに偉そうにしている連中しかいなからな」


 「なるほど。確かにそうですね」


 魔人は苦笑を浮かべて自分の禿げ頭を掻いた。


 「しかしそれは仕方ありません。それが自分の権威、そして信仰につながるのですから。それがなければ神が、神たることを否定するようなものです。そして魔人とて同じようなもの。もっとも、それに至る目的は大いに違うのですが。いずれにせよ非常に面倒くさいものです」


 「ならば、大人しくどこかの山中にでも引きこもって生きてくれればいいのに」


 俺の言葉に魔人は肩をすくめる。


 「そうできれば、いいのですが。何せ我々には宿業というものがありましてね。どうしようもないのです」


 どうしようもないという言葉に、少しだけことを思い出す。アイツとは十分いお互いを理解していた。あのまま対話を進めていけば、融和は無理でも境界を定めて、共存するができたかもしれない。そうすれば少なくともアイツを手にかけるようなことは無かったはずなのに。


 目を閉じて、奥歯をこすり合わせ歯ぎしりをする。戦闘中に警戒すべき敵から視線を切ることが、危険であることは十分に理解している。しかし、それ以上にこの悔しさの感情は大きいものだった。


 「――さっきの、俺は誰かという質問だけど。アンタみたいなのとは昔に何度か戦ったことがあってね。その過程で対抗できる魔法をいくつか習得しただけの凡人さ」

 

 「ご謙遜を」


 「謙遜なんかしてないさ。俺よりも魔法を使うのが上手な人間は確実に何人かいる。 今現在でどの程度の数がいるのかは不明だがね」


 そう言いながら自分の懐から杖を取り出すとそれを右腕でつかみ構える。杖と魔力を同期させるとぼんやりとした魔法光が杖の先端に灯った。


 鈍っているな。心の中でそう呟く。ビアーティから相棒を返却してもらって以来、整備がてらに練習を行ったものの、動作確認程度のことしかしていないため、上手く扱うことができない。魔法を発動するまでの術式構築や、魔力の展開がわずかに遅れる感覚がある。


 繊細な制御ができないというのは非常に困る。ここは迷宮の最下層であり、核の部分である。下手に全力など出してしまい、甚大な損傷を与えてしまえば、迷宮そのものが死んでしまう可能性がある。いや、それよりも――。


 「チハヤさん! やりすぎないでくださいね。私の寝床がなくなってしまうので、遊び程度に留めてください!」


 ユクアリアが天井からぶら下がりながら言った。その姿勢でこの会話の中に入ってくるのか。


 「そこの貴方も同じように気を付けてくださいね。 魔人である貴方は混沌への扉が開いてもいいかもしれませんが、私やチハヤさんは・……。


 そこまで言ったときに、何か思いついたらしく、ユクアリアは口を閉じる。数秒の沈黙を経て、のんびりとした口調で魔人に訊ねた。


 「そういえば、お名前なんでしたっけ? それに目的を聞いていませんでした。 混沌より生まれたる魔人が、わざわざ混沌へ戻ろうなどといった目的は何なのでしょう?」


 「混沌世界へ戻る?」


 「はい、チハヤさん、先ほど気が付いたのですが、この魔力で編んだ紐は私の力を吸い取るには貧弱すぎるものですね。こんなもので私の神性を奪おうとするのであれば、それこそ幾星霜を経てようやく可能になる、という程度の弱いものなのです」


 ユクアリアから視線を魔人へと移す。 魔人は驚いたような表情を浮かべ、それから大声で笑いだした。


 「ははははは! ……いや、失礼しました。いや、貴方を吊るしてから数か月が経過しているのに、その程度のことしかわからないなんて……」


 魔人は腹を抱えて笑う。

 

 「本当に貴方は神の端くれなのですか?」


 ははは、数か月だって、そんなに長い間吊るされていたのか。さすがに気づかないのはどうなのよと心の中でつぶやく。ユクアリアがポンコツなのは知っていたが、それは性格面の話であって性能面では少なくとも神様にふさわしい能力を持っていると思っていたのに、なんだか微妙に裏切られた気持ちになる。

 

 「ふっふぅ! ああ、本当に面白い! いいでしょう。渾身のジョークをぶつけて来てくれたお礼にあなたの質問に答えてあげるとしましょうか。私の名前はラベンタイン。同士である魔族からは瞠目という二つ名で呼ばれることもあります」


 魔族に性名という概念はない。突発的な天変地異をきっかけとして突然この世界に出現するため、家というものは存在せず、自身に名前を付けてくれる家族もいない。そのため自身の呼称に拘りが無いような性格であれば、生まれてから消滅するまで名無しで通すような個体すらいる場合がある。大概の場合は不便であるという理由で自身または同種の魔族から命名をされることが多く。しかし、こだわりの無さの所為か、身体的特徴や性格的特徴から名前を創り出されることが多く単調な名前が多い――、ということを何年か前に、知り合いの魔人から聞いたことがあったことを思い出した。。

 

 「ラベンタインか、聞いたことがないなぁ……」


 頭の中にある記憶を探るが聞いたことがない魔人の固有名詞だった。おとぎ話や伝承に残っていない比較的新しい魔人ということなのだろうか。ユクアリアの方に視線を送って尋ねてみるが、コイツ迷宮の外のことを知っているはずもなく首を横に振った。

 

 「目的については、ぶら下がっているそれが予測したとおりですよ。混沌の世界を覗き見たみたい。可能であればこの世界に混沌を滲出させたい」


 ラベンタインは両腕を広げるように動かす。この世界を作り変えるとでもいうのだろうか。それに対して言葉を発する前に、ユクアリアが言った。


「何のために、そんなことをするというのですか!? そんなことをしたらこの世界のバランスは大きく変動してしまいます。 下手をすれば神代紀のように混沌と秩序が混在する世界になってしまうかもしれません。そんなことはさせません! させませんよ!」


 ユクアリアが珍しく声を荒げた。それはそうだろうと思う。混沌世界との境界を守ることは神として与えられた責務であり、ユクアリアにとっては全てである。それを破られれば彼女がこの世界にいる意味は無くなってしまう。それはつまるところ権能の消失であり、神としては死を意味する。


 「でも、すでに神様としてはすでに死にかけているような? ほとんど寝ているだけで仕事していないし、現に今も縛られて身動きできない状態になっているし……。 お前、いる意味あるか?」

 

 「ありますよ! 私がここにいるというだけで、この場所に厳かな雰囲気というか、この世界でも重要な場所だなという威厳が滲み出てきます!」


 「そうかなぁ……?」


 初めて、この場所に来た時のことを思い出す。あの時はさすがに天井からつり下がっているということはなかったが、自分の寝台から上半身がずり落ちている状態で寝ており、口の周りがよだれでべとべとになっていたような姿を見た記憶がある。


 「……いうほど威厳なんてあったか?」


 むしろ最下層にこんなのがいるという絶望感しかないのだが。頭を抱える。なんでこの世界を作った神々はこんなのをここに配置したのだろうか。それともこんなのに与えられる仕事はここしかなかったのだろうか。


 「どうしました。急に頭を抱えたりなんかして? ひょっとして酸欠ですか? 酸欠になると頭が痛くなりますよね。 何年か前に最下層への換気を止めたらどうなるのかなと思って、何気なく止めたら、死にかけちゃいまして、空気って大事だなと……」


 おかしい、先ほどから会話の流れがおかしくなっている。ラベンタインは紳士的な性格のようで、ユクアリアと俺が会話をしているときは会話を遮らないように黙っていてくれている。遮らないというよりも面白いから止めないというべきなのだろうか。どちらにせよ不意打ちとかはしてこないようなので、ありがたいのだが、これでは話は進まない。


 「ユクアリア」


 「はい?」


 「うるさいから、しばらく一人で遊んでてくれ。そうだな、振り子運動で天井に頭突きができるようになったら言うこと一つ聞いてあげるから」


 「本当ですか?! 頑張ります」


 ユクアリアは俺の言ったとおりにブランコを漕ぐときの要領で揺れ始めた。ふう、これでしばらくは静かになるだろう。

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