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 「さて……と、そろそろ降ろしてくれませんか?」


 衣服に付いてしまった酸っぱい臭いをどうにか落とそうと必死に浄化の魔法を使用している俺に向かってユクアリアがすっきりした表情で言った。胃袋を締め付けられる苦しさから解放されたためなのか、血色は若干良くなっているようだ。

 

 どうしたものかと悩む。できることなら降ろしたくはないが、迷宮内で起こっている異変の原因は間違いなくコレだろう。

 

  「はぁ、致し方ないか。 浄化が完了したら降ろしてやるから、謝罪の言葉でも考えて大人しく待っていろ」


 「はーーい。でもなるべく早くしてくださいね。口を開けた瞬間に続きが、出ちゃうかもしれませんので」


 「わかった! だからこれ以上威厳を下げるような言動は控えてくれ……」


 これ以上周囲を汚されてはたまらない。というかこの神様は仮にも自分が奉られている神域を汚すことに対して抵抗はないのだろうか。


 まぁ神殿といっても、信仰を集めるような場所ではないし、訪れる人間も俺ぐらいしかいないから、厳かにしておく必要はないかもしれないが。


 「まぁ、結局神様の考えは人間ごときではわからないと言うべきか」

 

 感性が違うというのは最初に出会った時から感じていたことだ。


 最初は言動がいちいち人を怒らせるようなものが多いことから、人間を下等な存在としてしか見ていないのかと思ったが、彼女が人間に害をとなる存在なのかを調べていくと、ユクアリア本人には悪意や敵意というものがないことに気が付いた。


 いや、無いというよりも希薄であるといった方が正しいかもしれない。何せ。言動や行動理念が人間の幼子のそれに近いのである。


 それに気が付いてからは、彼女の存在とははそういったものだと理解し、そう接することとした。幸いに彼女は人類にとって害となるような存在ではないようだし、自分の領域から積極的に出るようなこともしないようだった。


 ならば、適度に面倒を見てやればそれでいい。パンドラの箱なんてものは開けない方がいい。


 衣服や床に散らばった吐しゃ物を浄化魔法で消す。吐しゃ物といっても人間の物とは大きく違う。


 何せ神性を帯びた膨大な魔力の塊なのだ。ちゃんとした処理をしないと、吐しゃ物に触れた物質が変質してしまうのだ。ゴレーム等の魔法生物ぐらいなら問題はないのだが、新しい神使が生まれてしまえば今ダンジョンが大きく成長しかねない。 これ以上このダンジョンがが大きく成長すれば、人間の手では制御できなくなるだろう。


 それだけは絶対に発生させてはならないのである。


 ようやく浄化の魔法が完了し、自分の衣服にに付着した不快な物の処理が完了した。


 これからどうするべきか。先ほどユクアリアに降ろしてやると約束したが、その前に状況の確認をするべきもしれないか。今回の迷宮変動の原因はユクアリア本人に起こった異変が原因であることは間違いないと思うが、下手に降ろすと自体が悪化するかもしれない。


 顔を上げてユクアリアの顔を見る。視線が合うと彼女はにこりと微笑んだ。どうやら余裕はあるらしい。ならばーー。


 「もうしばらくの間、ぶら下がっていてくれないか」


 「えー……。嫌です、チハヤさんがせっかく来てくれたのにぶら下がっているだけのなのはヤだぁ…・・・」


 ユクアリアは俺の提案に対して体をくねらせて抗議の態度をとった。


 「ちょっとこの辺りを調べてから降ろしてやる。 お前さんがどうして天井にぶら下がっているのかがわからないのに下手に降ろすと危険かもしれない」


 そうユクアリアに声をかけると、くるりと背を向けて歩き出す。ユクアリアが天井からぶら下がっている原因だが、おそらく迷宮の最下層に侵入された何者かにやられたのだろう。彼女はちょっとあれな存在ではあるが、自分で天井にぶら下がって降りられなくなるような存在だとは思えない。 しかし、ユクアリアを吊り下げた存在がいるとしても、何のためにそんなことをしたのだろうか。


 「待ってください!」


 背後から俺を呼び止めるユクアリアの大声が響いた。


 「なら私も一緒に連れてってぇ。見捨てないでぇ。 そして出来ればご飯を作って食べさせてぇ、一緒にお風呂に入ってぇ、寝るまで頭をよしよししてぇ」


 「要求が多い……! しかし、ずいぶんと余裕だな……?」


 ブランコのように激しき前後に揺れるユクアリア。


 「いえ、余裕なんてありませんよ? むしろ、激しい動きで締め付けがきつくなって、再びお腹が限界を迎えそうです」

 

 彼女なりの脅迫だったようだ。


 「はぁ……、降ろしてやるから静かにしてろよ」


 「わーい、わーい。 さっさと降ろしなさい。このノロマ」


 「このまま逆さに落とすしてやろうか? お前」


 仕方なくユクアリアを降ろすことをことを優先することにした。浮遊魔法を使い天井付近へと浮き上がる。


 「さてと、どうなってんだ、これ?」


 改めて間近から天井から垂れ下がっている迷宮の主を調べながら呟く。


 ユクアリアを縛っているロープは非常にややこしいつくりになっているようで、簡単にロープをほどくことはできないようだ。ロープ自体の材質は植物由来の繊維質であるが、魔術の術式が絹に縫い込まれているようで、ほどくには繊維の一本一本をほどいていくような作業が必要になる。


 「引き千切ればよろしいのではないですか? 見たところそれほど強い魔力が込められているようには見えませんし」


 「試したけど、触れると魔力を吸い取るような術式になっている」


 ロープに触れた右手は力が抜けるような感覚があった。


 「ああ、なるほど、だから私も力が出なかったんですね」


 自分の体に巻き付いているロープを引っ張っりながら、きょとんとした表情でユクアリアは言った。


 「気付かなかったのか……?」


 少し触れただけで結構な魔力が持っていかれるのだが、さすがは腐っても神様といったところか、この程度の吸い取り量出来が付かないと程魔力があるということか。魔力の総量は人間とは比べ物にならないらしい。


 「あ、ああ、これは――!」


 ユクアリアがロープを強く引っ張りながら、大きく目を見開いた。


 「何か気付いたのか!?」


 「はい!このロープ引っ張るとですね!」


 「引っ張ると……?」


 「締め付けがきつくなります」


 きらきらとした目でユクアリアが俺を見た。


 「……それで?」


 「締め付けられると気持ちよくなりますね」


 もう、こいつに助言を求めるのはやめよう。一人でやった方早く済む。ユクアリアの嬌声を無視して、ロープを調べる。触れないようにやらなければならないため、目視では調べにくいのと、ユクアリアが自由に動き回るため非常に調べにくい。


 「ああ。もう! ロープが見づらい。ユクアリア、引っ張るのを止めてくれ。お前さんの尻とか腹に貫が食い込む所為で、見づら……」


 「食い込んでません」


 急にユクアリアが動きを止めた。ユクアリアの顔からは先ほどまでの人を小ばかにしたような微笑は消えて、氷のように冷たい真顔になっている。彼女の表情に喜び以外の感情が出ることは珍しい。珍しいというか初めて見たような気がする。

 

 「え? いやだって――」


 「食い込んでません」


 「でも――」


 「それ以上言うのであれば、人間らしい生活ができないような体にしますよ?」

 

 「いったい何をするつもりだ……?」


 まがりなりにも神様である。頭は馬鹿で魔力量は俺よりも早く上回っているし、自身の権能を用いて一部ではあるが概念を改定することができる能力を用いて俺に害をなそうと行動を起こされた場合は、抵抗できる自信は少ない。ここは素直に従うことにしよう。


 暴れないようにユクアリアに言い聞かせ、ロ―プに込められた術式の解析を行う。人間から魔力を吸収し自分のものとする魔法はいくつかあるが、そのすべては混沌の力を源としたものである。混沌魔法は魔の性質が非常に強く、人間側の魔術体系で言うところの黒魔法というものに性質は近い。しかしそれよりも原始的な、いわば魔法の深淵部分と呼ぶべきもので、禁術とされており使い手はほとんどいないはずなのだが。


 「――だとすれば、厄介だな」


 そんな魔法を用いる存在を俺は知っている。そしてその存在たちはすべて俺の、俺たちの手でこの世界から消したはずだった。


 ロープを覆っていた解析魔法の魔法光が消滅し解析が完了した。やはり魔法は混沌魔法で、迷宮変動の前兆が現れたの同時期に発動しているらしい。驚いたことは、このロープに魔力の蓄積能力は無いということだった。代わりに魔力を転送する機能があり、別の場所で魔力を貯蔵する構造になっている。その転送距離はそれほど長くない。つまり受け取る受信部、あるいは受け取る存在がこの部屋にいるということになるが。


 「ユクアリア、この最下層には俺たちのほかに誰かいないのか?」


 「いますよ? 先ほどからこちらをずっと見てますね」

 

 「は!?」


 ユクアリアの言葉と同時に振り返る。黄衣に身を包んだ人物が幽鬼のように佇んでいる。気が付かなかった、そう思ったのと同時にその人物は両腕に魔法光が浮かび上がる。


 どうやら、無詠唱で魔法を発動さえたらしい。蛇のように軌道を描きながら紫電が俺に向かって放たれた。


 それを魔力による防壁で防ぐ。不意打ちに近いような状態のため、魔力の展開が間に合わず薄い防壁しか張ることができない。

 

 雷が落ちるような轟音とともに魔力防壁が崩壊する。直撃は防ぐことができたが衝撃や熱は完全に防ぐことができず、わずかな裂傷やかすり傷を右手や顔面に負ってしまった。


 「ほう、私の攻撃を防ぎますか、人間にしてはそれなりの強さを持っているということか、さすがに迷宮の最下層に到着するだけの実力はあるのですね」


 魔法を放った黄衣の存在は賞賛と驚きの感情が混じった言葉を俺に投げかけた。


 「本気で放ったものではないですが、人間ごときに混沌魔法を防ぐ手段があるとは思いませんでしたよ」

 

 「ああ、やっぱり混沌魔法か」


自分の予想が当たったことに舌打ちをする。


最悪だ。本当に今更。今更、魔人と相対することとなるなんて――。




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