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 足が地面に触れたのを感じると同時に、浮遊魔法で全身から放出していた魔力の制御を解除する。歩けば数日単位で時間がかかるであろう道程を、わずか数十秒に短縮できるのは非常に便利と言える。


 「ここまでは何も変わりはない、か……、さてさて」


 通気口の隙間から顔を出して周囲の様子を伺う。周囲は地下特有の重苦しい沈んだ空気と静寂のみが存在する空間。


 このまま最下層フロアへと足を進めてみてもいいのだが、少しばかり躊躇していた。なにせこの先には迷宮の主がいる。あいつのことだから、のこのこと歩いてきた俺を脅かしてやろうと殴りかかってきたり、魔法による砲撃をかましてきたり、もしくは押し倒しに着たりすることも十分にあり得る。


 「――なんて。 考えすぎだろうか」


 そんな考えが一瞬だけ頭をよぎったが、首を振って否定する。アレ似合うのは久しぶりなのだ。感極まったアレがすることなど凡人の俺には予想もできない。ならばやはり最大限警戒するべきなのだろう。


 しかし、だからといって俺にはのんびりしている時間はあまりない。上層では商店街の住人や管理局の職員たちが汗水をたらして必死に働いているのだ。俺だけさぼるわけにもいかないだろう。


 そう思いなおし、勢いよく換気口の扉を開ける。そして大きく息を吸い込むと中にいるアレがどこかに隠れて居ても聞こえるぐらいの音量で叫んだ。


 「ユクアリアー! おーい! いるなら、返事をしろー!!」


 俺が大声で叫んだ相手はユクアリアという名前の存在だ。この迷宮すべてを統括する存在であり、迷宮の探索する者すべてが差し有的に目指すべき存在、つまるところ迷宮の支配者と呼ぶべき存在であった。


 しばらく呼びかけを続ける。しかし帰ってくるのは天井や壁に反響した自分の声がばかりで、ユクアリアからの返事は一切なかった。ユクアリアが持つ機能の一つに、このフロアに侵入してきたものを自動で感知するというものがある。そのため、俺が立坑から外に出た瞬間にアイツは必ず目覚めているはずなのだが。

 

 「はぁ、面倒くさい」


 思わず不満を口にしてしまった。呼べば出てくるのがユクアリアの最大の褒めるべき点だというのに、自らアピールポイントを放棄するのはやめてほしい。 


 まぁ、数分も歩けばすぐに見つかるだろう。迷宮最下層であるこの場所は上層のフロアに比べて非常に狭い作りとなっている。フロアの構成は上層からの出入り口にあたる階段と、中央に鎮座する祭壇を囲むようにして点在する小部屋とそれらをつなぐ廊下が存在するだけである。

 

 なぜ、迷宮の最も重要たる部分がこんない簡素なのだろうかと気になり、本人に聞いたことがあるが、自分が生活する空間を複雑に作ったら迷子になるからと返されたときは何も言い返せなかった。

 

 「どこだー! いないのか―!?」


  声をかけて、探しながら前進する。しかしいくら声をかけても返事は全くない。


  いよいよ、本格的に何かあったのではないかと心配になったのだが、ようやく自分の叫び声以外の声を聴くことができた。


 「おや、思ったよりも早かったですね」

 

 声をかけられたのは最下層中心部にある祭祀部屋に入ってからだった。しかし、声はすれども姿は姿はどこにもない。魔法による思念会話によるものかなとも思ったが、それにしてははっきりと聞こえるものであったため、おそらく派声によるものだろう。どこにいるのかときょろきょろと辺りを見渡す。

 

 「ふふ、ここにいますよ」


 先ほどよりも強い声で、今度ははっきりと聞くことができた。その声の方向は平面的なものではなく立体的なもの、つまるところ俺の頭上からのものであった。


 「はぁぁ、頭痛いなぁ……」


 頭を抱えながら呟く。天井には一人の少女が浮かんでいた。いや、浮かんでいるという言い方は語弊があるかな。魔法で空中に浮遊しているのであれば、迷宮の主として威厳ある登場方法でも模索していたのだろうかと理解することもできるのだが。


 「足を縛られて天井から逆さに吊るされているとはね……」 


 「あら、貴方との予想を上回ることができましたか。 ふふ、体を張った甲斐があるというものです」


 「どちらかというと下回っているけどな……。 まぁ、お前さんの奇行は今に始まったことではないから何か言うつもりはないけど、なんでそんことをしているんだ?」


  殴りかかってくるとか、呪いをかけてくるといった行動なら、まだ理解もできるのだけど。まったく予測できない行動をされるとどう対処してもいいのかと悩む。それとも、迷宮変動に関する重要な儀式だったりするのだろうか。例えば、迷宮の主たる存在が苦痛を受けることで、迷宮変動が発生するとか――。


 「さぁ? 私にもわかりません」


  がんばって理解しようと努力したが、その頑張りは一瞬で否定される。


 「起きた時にはすでにこの状態でした」


 「ずいぶんと悪い寝相だな」


 「さすがの私でも寝相の問題ではないと思うのですが……」


  ユクアリアは困惑したような笑顔を浮かべて言った。こいつなら眠りながら浮遊魔法で空を飛びながら寝るぐらいの芸当はできそうな気がするが、冷静になって考えてみれば、自分の足をひもで縛るなん手甲ができるとは思えない。


  だとすれば、この状況を作り上げた誰かがいるということになる。 

 

 「思っていたよりも早くチハヤさんが来てくれて、助かりました。起きてからしばらくの間は味わったことのない感覚で楽しんでいたのですが。一人で動けないのは退屈で、退屈で。 おしゃべりができる相手ができたのは、とっても嬉しいのです!」


 「一人? お前を吊るした誰かはいないのか?」


 「ええ、少なくとも私が起きてから、今の間でこの空間に侵入したのはチハヤさんだけですよ。 そんなことよりもお話ししましょう。チハヤさんの最近の近況とか、地上の面白いお話を聞かせてください。 立ち話というのもあれなので、いつもなら私が腰かけているお気に入りの椅子でも使ってくつろいでください」


 そう言って、俺はユクアリアの定位置となっている祭壇の椅子を見た。どこぞの王様が腰かけるような華美な装飾が施されている代物だ。それでくつろげというが、そんな場所に座ったらきっと落ち着かないだろう。


 しかし、会話を楽しみたいというのは好都合である。迷宮変動を止めろと拳ではなく言葉で伝えることができるのであればそれに越したことはない。


 ユクアリアに促さられたとおりに椅子に腰をかける。それと同時にユクアリアは口を開いた。


 「さっそくですが……。 その前に、チハヤさん」


 「どうかしたのか?」


 「降ろしてくれませんか」


 「降ろせって、そのよくわからない状況を楽しんでいるのだろう? そのままでいればいいのに」


  楽しんでいるのであればそのままでいてほしい。ユクアリアは非常に自由な存在なのだ。地面に足をつけた状態で存在していると、思い付きのままにふらふらとどこかへ歩き出してしまう。


 以前から思っていることだが、行動原理が幼児のそれである。


 「はぁ、見てくれががそれに近ければ我慢もできるがね……」

 

 大きな声でため息を吐く。俺の気持ちに気が付いてほしいという願いを込めたものであったが、ユクアリの表情からは、その期待をかなえられることはなさそうだ。

 

 「ふふ、楽しみたいのはやまやまですが」


 ユクアリアが目を閉じる。そして両の手のひらを自分の腹部へとあてた。そこには体を縛るひものようなものが巻き付いている。


 「……この姿勢って、体重がすべてがお腹にかかるんですよね」


 「はぁ? まぁ、そうだな。ここから見ても紐がお前の腹に食い込ん……」

 

 「食い込んでません」


 「いやだって、下から見てもの紐がに……」


 「お腹にぴったりと張り付いているだけです」


 俺の言葉に対して、有無を言わさずに否定する。自由奔放で自分の身だしなみには気を使わないくせに、なぜここだけ拘るのだろう。そんなものに拘るのであれば、威厳とか風格とかカリスマ性とかもっと守るべきものをしっかりと守ってほしいと思う。

 

 「こほん。それでは話を元に戻しますね。いろいろと今の状態の言葉を表す言葉を考えていましたが、限界なのでシンプルに言います」


 ユクアリアは力のない笑顔を浮かべた。その表情はあきらめの感情に似たものが混じっている。


 「普段からそうしてほしいな。しかし、限界って何が?」


 「はい。我慢していましたが、吐きそうなんです」


 「はぁ!?」

 

 「お腹痛い……」


 また冗談でも言っているのかと思ったが、演技には見えない迫真の表情からこの女。さすがに姿は見たくない。


 「うふふ、でちゃいそう」


 「出すなよ! 絶対に吐き出すなよ! ただでさえわずかにしか残っていない威厳やカリスマを、それすらもすべて外に出すつもりか!?」

 

 「いげん……? そんなもの今の私には関係ありますか?」

 

 そこは守ろうよと心の中で叫ぶ。位階は低くともこの世界で最も高い位階とよべる存在の一柱なのだから、自身の権威を下げるようなことはなるべく控えてほしい。まぁ、今更という気持ちもあるが、世の中にはこんなものでも信仰している善良な人間だっているはずなのだ。


 いや、大事なのはそんなことではない。大事なのは、ユクアリアは天井から吊るされていて、俺はその真下にいるということだ。


 背を向けて、後方へと移動しなくては。今すぐ着弾点から離れないと――。


 「げろげろげろ」


 気付いた時にはすでに遅かった。上空から女性の口からは絶対に聞きたくない音とともに、酸っぱい臭いが落ちてくる。


 ぎりぎりのタイミングで気付いたため、直撃は避けることができたものの、衣服が付着した。ああ、もう、最悪だ。


 だからここには来たくなかったんだ。事の大小はあれども、ろくな目に合わないのである。心の中でため息をつきながら、後悔するのであった。

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