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 カリンは自室のベッドでぐっすりと寝ていた。それは当然であると思う、徹夜で働いてほんの数刻ほど前の時間でよくやくっベッドに体を鎮めることができたのだから、この時間で目が覚めているのであれば逆にその方が何かあるのではないと不安になってしまう。


 先ほど決まったことを説明しようかとも思ったが、これほど熟睡しているのであれば、無理に起こすのもかわいそうかと思い直し、小さな声でゆっくり休んでくれと声をかけ、なるべく足音を立てないように静かにカリンの寝室から出る。

 

 カリンの寝室の前にはシアンが両腕に大事そうに荷物を抱えて佇んでいた。俺のことを待っていてくれたようだ。


 「ご主人様、支度ができました」


 「うん、ありがとう」


 シアンが持ってきてくれた防具を受け取りながら感謝の言葉を口にする。


 「ほかに、わたしに何かできることはあるでしょうか」


 「そうだな……。カリンが目を覚ましたら状況の説明をしておいてくれ。 俺がヴォルフに依頼で迷宮の最下層に行くことになったことと、補給の仕事はヴォルフがすべて引き継いでくれたから、俺が戻ってくるまで待機か、余裕があればシアンと一緒に本部で手伝いでもしていてほしいと伝えてくれ」


 シアンはその言葉にわずかに眉を寄せて、渋い表情を浮かべる。体の前にほっそりとした手を胸の前で組み、ほどき、また組み直す。何かを言おうとして、言うべきか悩んでいるようだった。


 「えっと、ご主人様から言われて持ってきた、それなんですが……」


 受け取った防具はいわゆるスケイルアーマーとよばれる種類の鎧で、金属や革などの小片を丈夫な布や革の下地に紐やリベットで鱗状に貼り付けたものである。斬撃の類にはそれなりの防御力を発揮するが、走行としては薄いため打撃には少々弱い。しかし、金属を組み合わせて作られたフルプレートアーマーに比べると軽く、柔軟な構造であることから、長距離を歩く迷宮探索ではこちらの方が都合がよい。


 「随分と軽くて、変わった色の鎧ですよね。黒というか灰色というか……、暗い色なのに光が当たると緑色に光るようにも見えますね。 魔物の攻撃からちゃんとご主人様の体を守れるのかちょっと不安にです」


 「ああ、それについては問題ない。このスケイルアーマーは竜鱗を使用しているからな。 金属よりも軽いのに、武器も炎も通すことはない優秀な奴だよ。これと抵抗魔法を付与した外套を組み合わせることで大概の攻撃から身を守ることができる」


 シアンの質問に答えた。適当な店で販売されているフルプレートに比べれば、この鎧のほうがよっぽど性能も値段も高いのは間違いない。


 それから外套を羽織った。違和感なく装備できたことに安心する。これを身に着けるのは数年ぶりのため、体系が崩れて着ることができませんといった情けないことになるかもしれないという不安があったが、それについては杞憂だったようだ。


 不安があるとすれば、ここ数年倉庫にしまっているだけで、まともな整備どころか掃除すらしていなかったという整備状況だろう。装備はできたが付与した魔法が効果を一切発揮しませんでしたとなると笑い話にもならない。魔法付与の有効期限は確か5年ぐらいであったはずだから、おそらく大丈夫だとは思うのだが。


 「そういえば、以前に身に着けたのはいつの頃だっただろうか…… 迷宮の最深部を探索して、吸血鬼騒動あって、その後は……、ははは」


  自分で口の出してから、思い出すことができないほど記憶が薄れていることに苦笑する。これではシアンに言った言葉は嘘になってしまうかもしれない。


 「まぁ、いいか。機能が発揮されなかったとしても、攻撃を受けなければ全く問題なんてないし」


 その言葉にシアンがぴくりと反応した。何気なしに呟いた言葉であったが、彼女にとっては不安をあおる言葉であったと気が付いたのは、シアンの大きな瞳のしばらくのぞき込み、奥にある感情を理解した時だった。


 右腕に装着した小手を外して机に置く。それから、シアンの小さな頭を抱きかかえるようにして撫でる。シアンは少しだけ震えていた。


 「大丈夫だよ。迷宮最下層なんて大した場所じゃない。手早く片付けて、無事に帰って来れるさ」


 「本当ですか?」

  

 「本当だとも、俺にとっては迷宮最下層を調べて戻ってくるなんてことは大したことのない仕事さ。 迷宮の外に出て市内の破落戸通りにある賭場で馬鹿勝ちした帰り道のほうがよっぽど危ないくらいだね」


 「ですが、今は迷宮全体が大変な時です。普段どおりの迷宮ならそうかもしれませんが……」


 シアンがわずかに眉をあげてこちらを見た。小さくほっそりとした腕で俺の右腕を握る。震えはいまだに治まっていない。


 「地下へたどり着く道も、途中に出現する魔物も、すべてが変わってしまっているってヴォルフさんが言っていました。危険な魔物に出会わなくとも、迷宮の変動に巻き込まれれば壁に押しつぶされたりするって……。 だから迷宮変動中は3階層よりも下の階層には何があっても、人は派遣しないって……」


 ああ、なるほどと心の中でつぶやく。シアンがやけに食い下がる理由がようやくわかった。ヴォルフが余計なことを言ったのが原因らしい。まったく、あのバカは。そう心の中で悪態をつくが、迷宮変動のことを知らないシアンに何が危険だということを教えること自体は重要なことだし、間違っていないか。


 「そんな危険な場所にご主人様が行くなんて心配です!」


 「シアン」


 目の前の少女の名前を呼び、頭の上に置いていた右腕を腰に回して、強く抱きしめる。


 それに対してシアンは何の抵抗もしなった。むしろオレオが抱き占める以上の力だ抱き返してきた。いつのまにか震えは止まっている。

  

 「君と初めて会ったときに約束をしたな。これからは君の父君に代わって、俺が君を守ると。 絶対に、一人ぼっちにはさせないと約束をした」


 昔のことを、初めて出会った時のことを思い出しながらシアンに言った。


 「わかっています」


 シアン派駄々をこねる子供のような怒気を込めた口調で応じた。


 「ご主人様は、いつも約束をも守っていてくれます。 私のことを置いていかないってことも信じています。 ですが、ご主人様の行動を見ているとは自ら好んで危険な場所へと進んでいくように見えません! ご主人様にとって大丈夫かもしれないけど、わたしみたいな弱い存在から見ると、まるで自分の死に場所でも求めているようにしか……」


 そう言いながらシアンは両腕に力を込めて、俺の腰を抱きしめた。こんな細い腕のどこにこんな力があるのだろうと疑問に思うほどに強く、痛みすら感じるものであった。それに対して俺はそっと手をあてけすように優しく抱きしめた。


 「大丈夫だよ。 変動中でも迷宮の最下層まで一気通貫で行くことのできる安全な方法が一つだけあるんだ。それにさっきも言ったけど本当に迷宮の最下層に大したものなんて何も存在しない」

 

 その言葉にシアンは顔を上げて、涙でぬれた瞳をこちらに向ける。その瞳の中には俺の言葉に対する疑念の色があった。


 「なら、迷宮の最深部には何が存在するのですか?」


 「ええと、言葉で言うと少し難しいな……。 あえて言うなら古い、とても古い時代の骨董品……かな」

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