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「思っていたよりも、戻ってくるのが早かったな」
商店街の中央通路に掲げられた商店街入り口の看板を横目に通過する際にぽつりとつぶやいた。
予定では、本日の夕刻までは、迷宮各所を巡回する予定だったのだがスピカの暴走により、思ったよりも物資を消耗してしまったことで、足りなくなった補給物資の補充のために商店街へと戻ることとなってしまった。
報告のため商店街の中心にある集会所に置かれている迷宮変動対策本部へと向かって進む。そこでは商店街の責任者であるヴォルフと商店街に住む婦人や比較的若年層の住民が忙しそうに働いていている。彼らの仕事は各所から上がってくる報告を取りまとめ、現場への的確な命令指示を行うといった全体の統括が主務であるが、前線で戦う者たちへの支援を行うことも行っている。具体的には負傷した兵士の治療や戦死した兵士の蘇生等の仕事である。集会所の一角には仮説の病室が設けられており、商店街組合長夫人が音頭をとって兵士たちの面倒を看病をしていた。看病といっても、担ぎ込まれた兵士に回復の水薬を頭からぶっかけるだけの、看病というのもおこがましい雑な方法でだが。
「ご主人様! お帰りなさいませ!」
補給品の追加受領のため、本部に立ち寄ると同時に俺の姿を見つけたらしく集会所の奥からシアンが飛び出してきた。店で働くときと同じようにメイド服を着込み、その右手には料理用のお玉が握られている。
「ただいま、シアン。 その恰好は……、炊き出しの手伝いか?」
「はい。私にお手伝いできることはこのぐらいですから……」
本部の役割は先に述べたとおりだが、それ以外にも迷宮内で奮闘する者たちへ温かい食料を提供するといった役割もあった。一応手間をかけなくてもすぐに口に入れることのできる携帯食も配布しているため、必要ない仕事と言えばそうなのだが、人間というものは冷たい食事よりも、やはり人の愛情が感じられる暖かい食事のほうがやる気が出るものであり、命を懸けて魔物と戦う者たちに取っては尚更のことである。
「いい匂いがするな。 ひょっとして、ちょうどいいタイミングで帰ってきたのかな?」
「はい、サシャさんお手製のポトフがそろそろできる頃合いです。私もお手伝いしたんですよ」
「ああ、なるほど。その右手に持ったお玉は鍋の中身を混ぜるためのものか」
ちらりとシアンの右手に視線を送った。シアンは右手のものと俺の課を交互に見ると手伝いの途中だということを思い出したらしく、あわてて集会所の中へと戻っていった。
そんな微笑ましい姿を見ると自然と笑みがこぼれた。緊急事態で商店街住民以外の人間がバタバタと出入りしている状況であるため、怯えて知事困っていないかと心配していたが、上手く馴染めている様子にほっと胸を撫で下ろす。よくよく考えててみれば知り合いは何人もいるのだし、何よりも頼れる姉貴分である存在が近くにいるのだから無用な心配をしていたのかもしれない。
「シアちゃんはよく働いてくれてるわよ」
シアンを追って集会所に入り半日ぶりの休憩をとろうと、手近な椅子に腰を掛けた時に話しかけてきたのはその頼れる姉貴分であるサシャであった。
「そういえばあなたは一人なの? カリンちゃんと一緒に補給の仕事をしてるのではなかったかしら」
「カリンの奴は、商店街の入り口でラザール爺さんから借りた犬に餌をやっているよ。触るどころか近づくことさえも嫌がっていたのに、いやはやどうして」
「百聞は一見にしかず、なんて言葉が世の中にあるわ。他人から何度も聞かされて作りあげた先入観なんて、一度実際に自分の目で見た事象によって簡単に覆るということね」
「それにしたって変わりすぎだよ。人の体を布切れのように簡単に引き裂く騎馬の生えた口に、手ずから餌を放り込んでいるんだぜ」
呆れの感情が混じった言葉でサシャに返す。慣れたといっても普通の犬ころのような可愛がり方をするものではない。どんなに上手く手懐けた魔獣であってもふとしたきっかけで野生を取り戻すというのはよくある話である。そのため一流のモンスターテイマーであっても必要以上のスキンシップはしないように心掛けているものである。超一流であるラザール爺さんのように心の底から屈服させるような技術を持っているのであれば話は別なのだが。
「なら、そんな才能があるんじゃないのかしら?」
サシャが微笑みながら言った。それに対して俺は首を横に振る。
「ないない。魔獣が人間に従うのは、その人間に何かの魅力を感じるから従ってくれるんだぜ。あいつには剣も魔法も全く適性がない。そんな弱者に魔獣が従うことなんてありえない」
「そうかしら」
サシャは首を傾げた。
「強さとは違う何かに魅力を感じたのかも。成り行きであるとはいえ、こんな街の住民として日常生活を支障なく過ごせている。特別な才能を持っていると考えるのは不思議な話ではないわ」
「特別な才能か……」
サシャの言葉に腕を組んで考えてみる。確かに魔物が跳梁跋扈する迷宮内で物怖じせずに暮らしていけるというのは特別な才能と言っていいだろう。普通の人間であれば迷宮の空気にやられてすぐに地上へと出ていきたがるものだ。現に商店街に移住したもののすぐに空気になじめず店をたたんでしまう人達は少なからずいる。
「やはりカリンには無いと思う。魔獣が懐いているのだって、偶然気に入られた程度のものだと思う。才能があったととしても、一般的なテイマーの才能程度で、ラザール爺さんのように都市を一晩で壊滅できるような強力な魔獣軍団を形成できるほどの才能はとてもじゃないけど持ち合わせていないよ」
「そうかしら?」
サシャは朗らかな笑みをうかべて言った。
「うふふ、全体の一部から気に入られる能力だって立派な才能よ。その一部の存在が命を助けて生活の面倒を見てくれているのだから、それで十分」
確かにサシャの言うとおりだなと思った。事情を知らない人間からすればそう見えるのは間違いないのだかから。
それを否定しようと口を開きかけたがすぐに思い直す。カリンのことを気に入っているということは否定できない事実であった。料理は上手いし、シアンの面倒もよく見てくれている。冒険者のリーダーをやっていただけあって、細かい変化にもすぐ気付いてあれこれと対応してくれる。だからこそ借金の返済といったことにこだわらず、まっとうな場所で生計を立ててほしいとは思うのだが。
「ご主人様、お待たせしました!」
「ありがとう。……随分とメニューが多いな」
サシャと話し込んでいるといつのまにかシアンが食事の準備をしてくれていた。先ほどまで迷宮のあれやこれやが書き込まれた書類が散乱していた作業机を片付けたらしく、簡易な食卓が目の前に置かれている。
聞いていた話はポトフだけだったのだが、食卓にはそれ以外にもサンドウィッチなどの気軽に摘まむことのできる料理がいくつも並んでいた。
「それについては前回の反省を生かした結果よ。前回準備したのが乾物などのまさに戦闘糧食という感じのものばかりだったでしょう。変動日数も少なめに見積もっていたから量も少なかったし、そのことを不満に思っている人たちが今回はしっかりしたものを用意してほしいと要望を出していたので、それを受けての対応ね」
「ああ、なるほどね」
前回の迷宮変動では商店街の規模が今よりも少なかったうえに男衆だけで対応したので、料理などしてくれる人が誰もおらず一週間以上の日数を劣悪な食料でしのぐことになってしまった。そしてその食料も数が少なく変動末期のころは用意した保存食すら枯渇し、食用とすることができそうな魔物の肉を食べるような状況になってしまった。
「あの時は最悪だったなぁ……。サシャの旦那のおかげでなんとか食事の体裁は整ったけど、ああ、思い出したくない」
思い出したくないつらい記憶は封印して、目の前の食事に集中することにしよう。サンドウィッチを摘まむとそれを口に放り込む。
「旨いな」
「本当ですか! それは私が作った料理です。といっても具材を作ってくれたのはサシャさんで、私は挟んだだけなんですけど……」
うれしそうな、恥ずかしそうな表情を浮かべてシアンが言った。
「いやいや、それだけでも十分に立派な料理だよ。作り手の愛情がこもっていれば、手間の多寡なんて大した問題ではない」
重要なのは食べられるということだと言いたかったが、その部分は口に出さずサンドウイッチとともに飲み込んだ。昼食を終えたら再び輜重の仕事が始まる。余計なことを言って心労を増やすようなことはしたくないなと思った。




