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スピカの持ち場には第三連絡路はひどい有様であった。吹き飛ばされて壁にたたきつけられたのか、通路のあちらこちらで壁にもたれかかって気絶している管理局職員が通路を彩っていた。
倒れている彼らには目立った外傷はないので、おそらく気絶しているだけなのだろうと思う。定時連絡ではスピカ分隊の人員に負傷者や戦死者が続出しているだとか、バンカーを含む防御施設が使用できないほどに破壊されているだとかそういった報告は聞いていなかったので、なぜこんな有様になっているのだろうかと疑問に思う。
何か火急な変状でも起きたのだろうかと手近なところで倒れていた職員を助け起こし、頬をぺしぺしと叩いてみる。反応がなければ気付け用の水薬を試してみようかと思ったが、残念なことに職員はすぐに目覚めてしまった。
「何があったのか?」
俺の言葉に職員は震える手で迷宮の奥を指した。その方向の先には元気に職員を投げ飛ばすスピカと、おそらくそれを止めようとしているらしい同僚たちの群れがそこにあった。同僚たちはスピカに近づくたびに投げ飛ばされては戻るということを繰り返している。
「アイツはいったい何と戦っているんだ!?」
頭の痛くなる光景に思わず顔をしかめる。魔物によって幻惑や魅了などの攻撃を受けた結果ならこの状況は分からなくもないが、スピカには精神異常に対する耐性も対処方法も心得ているはずである。それを突破できるような上位の技能を持った魔物も存在はするが、迷宮変動の最終段階の頃であって、開始から一昼夜程度で出てくることなどはあり得ない。ならば彼女の行っている行為は、自分の意思で起こしている暴走となるのだが。
「隊長を……、隊長を、止めてください。 あの人持ち場を離れて地下へ潜ると言っているんです!」
「はぁ? 何で!?」
事情を確認するため職員の話を聞く。
部隊が第三通路に配置されたから数時間は問題と呼べるものは何もなく順調に魔物を撃退できていた。全英がスピカだけという部隊編成も当初は不安視されていたが、彼女が気兼ねなく暴れられる状況というのは想定以上に上手くいったらしく、後衛の職員は彼女の奮闘っぷりを後ろから観戦するだけの状況になっていた。最初の頃はそれに対して申し訳ないという気持ちもあったのだが、スピカからは監視以外何もするな、魔物はすべて私の獲物だから山する奴はぶっ飛ばすとの命令があったため何もできずひたすら待機する状況となってしまった。
「ははぁ、なるほど。自分一人だけ働いている姿を見て嫌気が指したのか」
働いている自分の後ろでのんびりとくつろいでいる連中が居たら怒りたくなる気持ちは理解できるのだが、スピカの場合は自分で何もするなと言ってしまっている。そのことに不満を持つなんて理不尽以外何物でもない。
納得しかけた自分の考えに対して、職員は首を横に振った。
「いえ、違います。魔物の襲撃数が思っていたよりも少ないことが不満で、地下に狩りに行きたいと言い出しておるのです」
一時間ほど前に急にそんなことを言い出したらしい。最初は何かの冗談だと思って笑って聞き流して職員たちも、装備を整えて単独で下層へ移動しようとする彼女の姿を見てようやく本気であるということに気付き説得を開始した。しかし、正論をもって押さえつけようとするとゴム鞠のように反発するのがスピカという少女である。最初は大人しく聞いていたが、それらを切り捨てるようにそれがどうしたと一喝すると下層に向けて歩き出した。こうなってしまっては物理的に止めるしかない。
「その結果、こんな職員が次々と体当たりしては吹き飛ばされるという状況になっているわけでして……」
「そっか、おたくらも大変だね」
職員の肩に手を置いて慰める。スピカと組まされたことは本当に不憫なことだと思う。いくら官庁勤めをしているからといっても根っこの部分では迷宮商店街の住人なのだ。やはり迷宮商店街側の班編成に彼女を組み込んだほうが正解だったのではないか。
「うう……、やはりスピカさんと仕事なんてやるべきではなかった。おかしいと思ったんだよなぁ、だいたい部隊配置の通達と昇進の内示が同時に来るなんて普通の状況ではありえないもの、やっぱりアレは特進の前渡しだったんだ」
「ああ、なるほど。やっぱりアイツと一緒に仕事をすると生きて帰ってこれるとは思われていないのか、調査課だけではなく、管理局全体からそんな認識なんだな」
何でクビならないのだろうかという疑問が頭の中に浮かぶ。何か重大な事象を起こさないうちにさっさと商店街に送り返せしてしまえばいいのにと思う。そうできない事情でも何かあるのだろうか。
管理局でのスピカの扱いを改めて認識したところで、水薬の入った瓶をいくつかと取り出すとそれをカリンに手渡した。
「その辺りでぐったりしている連中をそれで起こしてやってくれ。この気付け用の水薬は強烈な味と香りで、一滴、二滴を口か鼻に垂らせば目が覚める。いいか、必要以上に与えるなよ。」
「うん、わかった。 チハヤさんはどうするの?」
「決まってるだろう」
カリンに薬瓶を受け渡した手をスピカの方へと向ける。
「あのバカを止める。関わりたくはないけど、知り合いの醜態をこれ以上見ているのも辛いのでな」
そうカリンに言うとスピカに向かって歩き出した。
俺の隣をスピカに投げ飛ばされた職員の一人がかすめるように通り過ぎた。スピカへ立ち向かうことができるほど気力が残っている職員は残りわずかだ。このままだとスピカはこの防衛線を突き抜けて旅立ってしまうだろう。
だが、そうはさせない。
「スピカ!!」
バカの名前を呼びながら、他の職員に習ってスピカへ体当たりをする。俺の声に驚いたのか、スピカは一瞬だけ体の動きを止めた。そのすきを見逃さず羽交い絞めにする。
「チハヤ!? なんでこんなところに、……というか、近い!近いって!!」
投げ飛ばされないように力の限りスピカを抱きしめる。それに対してスピカは抵抗をするが、非常に弱々しいものであった。先ほどからずっと職員たちの取っ組み合いをしていたのだ。体力切れにでもなったのだろうか。
「離せ! こんな所ですることじゃないだろ! こういうことはもっと二人きりでいる時に……」
「ああ、離してやるよ。、お前がこれを飲んだらな!!」
そういって、水薬の瓶をスピカの口に押し込んだ。そのあたりに気絶している職員に与えたものと同じ気付け薬である。
この水薬は治療や解毒用の水薬と違い、魔力を帯びていない素材でできていた。強烈な香りが味を持つハーブをすりつぶし蒸留酒に漬け込んだもので、魔法薬というよりは飲むと滋養強壮に効果のある健康食品と呼ぶべきものである。
そんなものが気付けになるのかと問われると、それだけでは大した効果はないだろう。この薬を効果があるものに変えるには、さらにひと手間の作業が必要となる。その作業とはとシュール酢と呼ばれる魚型の魔物の死骸を発酵させて作り出す調味料を加えることである。これを加えることで水薬の味がより渋いものへと変わり、それに加えてシュール酢が持つ非常に強力な臭気も含んだものとなる。
「おい、何を飲ませ……、臭ッ、 ちょっと、やめ! ぎゃあ――!」
効果は抜群である。スピカはその場に倒れこむと、水揚げされた魚のようにのたうち回った。しばらくの間は胃の中から臭気が立ち込めてくるので、何かをしようという元気はなくなるはずなので、多少は大人しくなるだろう。
さとて、スピカが痙攣している間にさっさと仕事を済ましてしまうか。




