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迷宮変動が始まってからすでに一昼夜が経過しようとしている。
商店街の住民や管理局の職員を総動員して築き上げた防衛線は健全な状態を保っており、今のところ迷宮下層からくる魔物を順調に跳ね返している。
適当な資材を並べたただけの簡易なバリケードであれば、一部では突破されていたかもしれない。なにしろ敵対するのは海千山千の魔物たちなのだ。人間相手には十分に有効となる馬房柵、有刺鉄線等の足止め施設や土嚢などの簡易防壁は全く役に立たないといってもいい。
そのため敵の攻撃から身を隠し、魔物から放たれる遠距離攻撃の雨を十分に凌ぐことのできる防御陣地を構築しなければならない。
それを可能としたのは迷宮商店街に住む大工の一家の技量と、管理局から支給された潤沢な資材のおかげであった。全身が隠れほど深く掘られた壕の上に、ルーン魔法の効果を受けやすいサンデラル山脈の産の神木で組まれた屋根をかぶせ、さらにその上には迷宮の土砂をたっぷりとかけたこにより並みの攻撃では傷一つつかない程に作られている。
最初はこんな立派なバンカーを作る必要はあったのかと疑問に思い親方に尋ねたのだが、安心して休むことができる場所がないと肉体的にはともかく精神的に参ってしまうと言われたことを思い出す。
「意外と考えているのね」
その野戦陣地に資材を運び込みながらカリンが言った。
「経験からくる知識だよ。前回の迷宮変動で問題となったことをリストアップして、今回の対策の中に反映しているんだ。毎回毎回同じような失敗をしていたらそれはただの間抜けだから。ちゃんと事前に会議を行って住民総出で被害を抑える方法を考えているんだぜ」
「へぇ、そうなんだ。 貴方たちのことだからてっきり会議という名目で酒盛していると思っていた」
「そんなわけないだろう。 迷宮商店街の一大事なんだから当然まじめに会議をするさ」
「そう。その割には懐疑に行って帰ってくたびにお酒の匂いがしてたような気がするけど」
「はっはっは」
カリンがジト目で俺を睨むので、笑ってごまかす。匂いがしないように少量だけしか飲まないだの、気を付けていたつもりなのだが。やれやれ今回の反省点だな。
資材の搬入を完了し小休止とする。まだまだ迷宮変動は始まったばかりなのだから、無理をしてカリンを疲れさせてはいけない。
それにしても改めて今回は物資が非常に潤沢であるなと思う。この物資の出所は税金を原資とした役所のものではなく、迷宮を探索する冒険者のスポンサーたち、国の主要都市に商店を持ちありとあらゆるものの商売を取り仕切る元締め的な七つの商会、通称セブンシスターズからもたらされたものであった。
彼らにとっても迷宮という存在は大きな利益を生み出す魔法の壺として認識されている。そのため閉鎖期間を極めて短くすることは自分たちの利益に直結することとして認識しているため、協力を惜しまないとのことであった。もちろん、それだけではなく莫大な財貨を投入するわけなので、事態が収まった後にそれなりの見返りは求めてくるだろうが。
何れにせよそれは迷宮管理局の仕事であって、俺たちは与えらた物資を有効に使うだけでいいのだ。これ以外のことは考えず、物資を消費し、強固な陣地を維持し続けてひたすら事態の収拾にあたればいいのである。
「よしっ! 休憩終わり! カリン。 次の搬入先はどこだったかな?」
「ええと、たしか第三搬入路だったと思うわ」
「第三搬入路か、確かあそこは調査用の出入り口だったから、調査課が防衛にあたっている場所だっけ」
「うん、要領にはそう書いてある……、あっ、分隊責任者はスピカさんみたいね」
「うぇ、アイツが居るのかぁ……」
俺が渋い表情を浮かべるとそれにつられるようにカリンは苦笑を浮かべた。いつかはそこに出向くことになるだろうとは思っていたが、こんな序盤でそこに行くことになるとは思っていなかった。
第三搬入路の防衛を担当するスピカ分隊は、遠距離からの攻撃を得意とするレンジャーと魔術師が全体の八割を占め、残りを動きやすいが防御力が心もとない軽装歩兵で構成されている。本来であれば魔物の集団を押しとどめるために壁役となる重装歩兵の比率が高めに編成されるのが一般的なのだが、スピカの部隊に関してはそこから全くの正反対となってしまっている。
なぜそんな歪な編成になっているかというと、すべては分隊長であるスピカが原因であった。なにせあいつは一人で頑張りすぎるのだ。襲ってくる魔物に対して全力全開で立ち向かうのはいいが、スピカの戦闘スタイルはよくいえば勇猛果敢、悪く言えば雑で荒っぽいと評価されるものである。狭い迷宮の出入り口で彼女の得物である大剣を振り回せば、魔物だけでなく周りにいる同僚たちも巻き込んでしまいかねない。魔物による損害よりも同士討ちによる被害のほうが多いとなってしまった日には笑い話にもならないだろう。
そんな事情もあってスピカが全力を出せるような編成になっているのだが、そんな状況に甘えて彼女が暴走していないか甚だ不安であった。
「フェン。また荷運びをお願いするね」
カリンが物資を満載した荷車の後ろに控えている存在に声をかけて頭を撫でた。そこには一匹の魔獣が体を伏せて律儀に待っていた。
彼は迷宮内で魔物牧場を営むラザール爺さんから、物資を満載させた荷車をけん引するため借り受けた魔獣である。その姿は動物で言うところオオカミに酷似しているが、体の大きさはそれよりも十倍以上はある。一般的には魔狼と呼ばれている魔獣であった。
荷物の量が多いため大型の荷車を牽引するにはそれなりに大きな体躯が必要になるとはいえ、魔狼なんてものをこんなしょうもない任務で使用して良いものなのかと常々疑問に思う。
しかし魔物が跳梁跋扈する迷宮内で馬や牛といった普通の農耕動物では、魔物におびえて混乱し荷運びどころではなくなってしまうのは目に見えている。そのため、比較的におとなしく知能の高そうな魔物を借りたのだが。
「いいじゃない。フェンだって荷運びの仕事を引き受けてくれているのだから」
魔狼が肯定の意思表示なのか、小さく鼻を鳴らした。それを受けてカリンは再び魔狼の頭を撫でた。
「随分と仲良くなったな。最初はそいつに触れるどころか近づくことしか嫌がったのに」
「確かに、最初は確かに怖かったけど、一緒にいたことで気さくで大人しい性格しているってことがわかったからね。まぁ、見た目はまだちょっと怖いけどね」
そう言ってカリンは魔狼の喉をくすぐるように撫でた。見た目が怖いと言っていたのはその体躯の大きさと、触れている部分のすぐ上にある異様に発達した牙の部分だろう。特に牙はオオカミのされよりも長く、生半可な防具など紙の切れのように貫通し人体を容易に噛み千切ることができるようなものである。
「確かに、お前との触れ合いを見ていると可愛くも見えてくるのだが」
俺も触れようと手を伸ばすが、魔狼は俺に対しては触れるなと言わんばかりに魔獣特有の殺意のこもった眼光で睨みつけてくる。
「どういうわけか、懐いているのはお前だけのようだ。なんでこんなに扱いが違うんだ?」
俺は魔狼に一度も触れたことがない。触れようとすると今のような視線を向けられるためである。幸いなことに指示には従ってくれるので問題はないのだが、こうも態度が違うと不満には思えてくる。
「やっぱり性格かしら? チハヤさん、ちょっとあれだから」
「おう! どう意味だ!?」
「あはは、そういうところよ」
ため息を吐く。おそらく単純に魔狼が男よりも女の子のほうが好きということなのだろう。何せ獣なのだ。理由はそうたいしたことではあるまい。
なんにせよ仕事が順調に進むのであれば問題ない。さっさとスピカのところへ物資を運搬して自分のノルマを終わらせよう。
そう決意して、俺たちは次の仕事場へと足を進めるのであった。




