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迷宮の探索を終えて入り口部分まで戻ってきたのは、帰還する調査隊を見送ってから丸二日が経過したころであった。
俺とヴォルフが迷宮に入った時と違い、幾人もの人間が忙しそうに動き回っている。そのほとんどは鎧姿ではなく役人用の官服を着込んでいた。久しぶりに見たような気がする。最後に見たのは迷宮変動が発生し、無制限通行止めを行って依頼だから2か月以上ぶりぐらいになるだろうか。
どうやら管理局のお偉方は調査隊の期間を持って調査を完了とし、迷宮を通常運営に戻すべく開放準備をすることを決定したようだ。実際のところ調査は失敗し碌な成果を得ることはできなかったのだが、冒険者組合や冒険者たちからの要望圧力が厳しくそれに抗いきれなかった結果であるのだが。
「チハヤ殿! よくぞご無事で!」
役人の仕事ぶりを眺めていると守衛部隊の士官が話しかけてきた。調査部隊の副隊長だった。迷宮内で出会ったときに比べて随分と生気が戻り人間らしい表情に戻ったのは、たっぷちと食事を摂り、ゆっくりと睡眠を貪った結果だろう。それでも一日で回復するのはさすがは軍人だなと思う。
「うん、そちらも無事でよかったです。お互い大変でしたね」
副隊長に対して警護で話す。迷宮下層にいる時は気が付かのだが、副隊長の胸には無駄に線の多い階級章ときらびやかな勲章が付いていることに気が付いたのだ。そしてその階級章にしては副隊長は若かった。俺よりも4,5つほど年上かな。若い身分で責任のある立場に就いているということは、彼が貴族出身であるということを表していることに他ならない。そのため、少なくとも平時では例をもって接するべきだろうと思う。
「立場などお気になさらないでください。貴方は我々の命の恩人なのですから」
俺の言葉の変化に対して副隊長は苦笑を混じりの口調で言った。
「そんなに大したことはしてはいないつもりなんだけど……」
「大したことですよ。 自分の命よりも大事なものなんてこの世の中にはありませんから。 それを救ってくれた人がいるのであれば一生をかけて恩を返すべきです。我がリットー家の家訓では恩を受けたら一代かけて必ず返し、仇を受けたら末代まで返し続けるというものがあります」
「そうか、与えたのが恩でよかったよ」
俺は笑みを浮かべ、副隊長の肩を叩いた。それから受付周りがバタついていることに対して尋ねる。副隊長の口から出てきた言葉はおおむね予想どおりのものであった。
調査部隊が地上へと帰還するとすぐに調査報告会が開催された。部隊の帰還と同時であったため調査内容の精査を行うことができず、簡易的な報告と迷宮第七階層にて部隊の進行が不可能となり調査を断念したという程度ものであった。しかし、その結果でも迷宮管理局としては十分であったらしく、一般の冒険者が立ち入る階層である第一階層から第四階層までに危険度の高い魔物が存在せず、通常状態に戻っていることを確認したかったらしい。
議論が不十分ではないかという意見はあったものの、閉鎖に伴う冒険者の不満、冒険者が活動しないことによって影響を受ける商店の業績低下、そして市としての税収の減少といった要因により、迷宮を冒険者たちへ開放し探索の再開を行うことを決定したのである。
そのため、迷宮出入り口にある入坑受付窓口は大変な忙しさとなっているようだった。通常の書類業務に加えて、変動や魔物の攻撃により焼失した門扉や検疫所の再整備等が必要になったためである。本職の大工を呼べばすぐにでも再建できる規模ではないかと尋ねるが、迷宮内に入って仕事をしてくれる大工がいれば良い案なのですがと副隊長は答えた。一応、大工経験のある工兵部隊を回してもらっているため、なんとか明日中には体裁を整え再迂回することはできる見込みであると副隊長は言った。
「そうだ、ヴォルフ殿が戻ってきたら、いつもの酒場に来てほしいと伝言とを預かっております。毎晩そこで飲んでいるから地下から戻って来たら顔を出してくれと言っておりました」
「ヴォルフが? いつものというと瑠璃色の大鷲亭かな。 市内にある飲み屋はたいしたことないくせに高い場所ばかりだから、毎日飲むとなるとあそこぐらいしかないし」
この町の物価は年々上がっている。この町では安居酒屋で名前が通っていても、別の街で換算するとそれなりに高級な店で酒が飲めるぐらいの金額だったりする。そのためただの一般市民にとっては毎日飲むということはできない贅沢と言ってもよい。
「ところで、迷宮はどうでしたか?」
「迷宮?」
副隊長の唐突な質問に対して首をかしげながら答える。それから周囲を見渡すが特に異常もない。
「迷宮の下層のことですよ。 どうでしたか」
「ヴォルフに聞いたのか?」
迷宮の下層に進入するのは秘密裏に行ったはずである。なぜ目の前の人物が知っているのか疑問に思った。その質問に対して副隊長は首を横に振って答えた。
「これは私の推測です。 ヴォルフ殿は後衛が追撃されないように第七階層の階段で殿を務め、魔物を引き付けているからと言っていましたが、あなた方ほどの実力でそんなことをしなくとも後衛に追従して護衛でも問題なく守り切れるでしょう。であれば殿ではなく別の要件で下層に残ったと考えるのが妥当であると考えた次第であります」
心の中で舌打ちをする。ヴォルフのど阿呆が。何がうまく説得するだ。大口を多たちていた割にはしっかりとばれているではないか。後で瑠璃色の大鷲亭に行ったときに財布の中身が空になるまで追及してやる。
「ああ、ご心配なく。気が付いたのは部隊の中では私だけです。そしてこのことはだれにも口外しておらず、私の胸の内に留めております」
「なるほどね、貴官は非常に優秀なようだな。それで、いったい何を求めているのかな?」
「ははは、手厳しいことを言いますね。恩人に対して迷惑をかけるようなことはするつもりはありませんよ」
副隊長は苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「これは小官の純粋な好奇心であります」
副隊長の口から出た言葉はこの町で暮らすものであれば、誰しもが心のどこかで思っているものであった。
この町に住む人間は大なり小なりの違いはあるものの、迷宮という存在にかかわって生活している。そしてそのほとんどが迷宮という存在の表面的なものしか把握しておらず、なぜ迷宮が存在しているのか、何のために迷宮ができたのか、その奥底には何があるのかといったことを理解している者は一人としていない。だからこそこの街に住む人間にとって迷宮というものの本質を知りたいというのはごく自然的な考えである言えた。
彼の言葉を聞いてどうしたものかと心の中でつぶやく。少なくとも目の前にいる人物よりも、俺のほうが迷宮の最奥にたどり着いたというのは間違いない。そして見聞きしたものを伝えることが出来ないわけではない。しかしこの場で口に出すのは早すぎると判断し、腹の底に納めた。
「今回の探索では、特別な何かは見つけられなかったよ。強力な魔物とそれに類する魑魅魍魎しか見つけられなかった」
「強力な魔物ですか!? それは我々が第七階層で出くわしたような奴よりも……」
「ああ、比較にならないぐらい強大で狂暴だった。あそこまで行くと魔物というよりはもっと高次元の存在で呼びたくなる」
迷宮の最奥で出くわしたものを思い出しながら答える。そしてこれ以上のことをこの場で言うつもりは俺にはなかった。不確定要素を口に出して、善良な市民を怯えさせることもあるまいと判断してのことであった。
それから、副隊長に別れの言葉を述べてその場を後にする。別れ際にお礼の場を設けるので改めて、迷宮のことや魔物の対処方法などを教えてほしいとお願いをされた。お礼という名の宴会を断る理由はないので適当に頷く。気前のよい知り合いが増えることは悪いことではない。
しかし、この街からはしばらくしたら出ていくつもりだったが、あんなものがいると知ってしまったからにはこの街にしばらく滞在しなければならないかもしれない。ヴォルフでもあれは対処しきれないだろう。
余計なことに首を突っ込まなければきまえよかったと心の中でため息を吐きながら、二日ぶりに御立用のまぶしさに顔をしかめるのであった。




