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最近は迷宮の入り口付近には厚手の鎧で全身を包んだ者をよく見かけるようになった。高級品ではないがそれなりにしっかりとした素材で作られており、並の冒険者ではおいそれと身に着けることのできない品である。
彼らは冒険者ではない。公務員――いわゆる軍人と呼ばれる連中であった。官庁の連中もようやく本腰を入れて行動できるようになったということだろう。迷宮内の通路の確認や、魔法や飛び道具から身を隠すためのバリケードの準備を始めている。
「おい、そこのお前! 止まれ止まれ! 今は迷宮への立入は禁止だぞ」
慌ただしく準備をする兵士どもの隣をすり抜けようとしたとき、一隊の兵士を率いている部隊長らしき男が呼びとめた。美少年とはいえないまでも、それなりに整った顔をした若者であった。
「貴様は冒険者か? 迷宮はすでに封鎖されている。許可なく立入は……」
「私は迷宮に住む住人です。通行の許可は受けています。通行証も管理局から発給されていています」
背嚢から折りたたまれた一枚の羊皮紙を取り出して部隊長に渡す。部隊長は渡された紙をじっくりと眺め、それから俺の方を、出来の悪い不良品でも見るかのような、眼差しを向けた。
そういう視線を向けられるのは仕方のない事だと思っているが、不愉快な感情が沸き立つのは抑えられないな。部隊長はおそらく貴族の出身だろう。貴族というのは平民、特に農工に関わる者や冒険者たちを見下すような癖がある。貴族は人を差配し、その成果について、責任を負うのが仕事なのだ。そのため生産者を下に見るというのは職業柄仕方のない事なのだと思う。
特に、目の間にいる者は若造だ。幼さの残る容姿や、傷一つない新品同然の鎧から見ても彼が新兵であることは間違いないし、何よりも戦場を一度も出たことがない、命のやり取りをしたことが無いという雰囲気がにじみ出ている。
その雰囲気と気負いや不安といった感情が入り混じった結果、このような横柄な態度になっているのだろう。
適当にあしらうこともできるのだが、貴族相手に喧嘩を売るほど暇じゃない。変なところで恨みを買うと、そのしっぺ返しは変なところに来る。その先は迷宮管理局か商店街長のどちらかだろうが、自分の不始末で迷惑はなるべく掛けたくないと思う。
「貴様の身分はわかった。しかし、有事だというのにここを通行する? 貴様らは下で備えをしているのではないのか?」
「買い出しですよ。 商店街の住人から魔法薬の材料が足りないと言われて、街へ買いに来たんです。有事ですからね、回復薬なんてものはいくらあっても数が足りない。そのため普段は使わない窯まで使用して煮炊きを始めたんですが、作成している途中で余計なことを閃いたらしく、要求したものと違う薬が出来たみたいで……。そのため、本来の薬をつくるための材料が足りなくなったというわけです」
「間抜けな話だな。 地下にはそんな莫迦がいるのか?」
「ええ、商店街の住人は皆個性豊かなので、一人や二人はそんな奴がいますよ。まぁ、なんとかと天才は紙一重とか言いますが、なんというか、突き抜けているというかあっち側というか……」
今までのことを思い出し、ため息を吐く。それを見て部隊長が気の毒そうな表情を浮かべた。
「事情は把握した。迷宮に持ち運ぶのはそれだけか?」
「それ以外だと、家族への土産として焼き菓子ぐらいですね」
そういって懐から皮袋を取り出して、皮袋の口紐を解く。中には小麦粉を固めて焼いたものにたっぷりと蜂蜜かけて砂糖を塗したものが入っている。
年頃の娘が、金銭的な余裕のなさから嗜好品を口にできないというのはどうなのだろうと思い、従業員の慰安として定期的に購入して支給しているため、我家ではお菓子という存在は一般的なものであるが、甘味、特に砂糖は高級品であり庶民ではなかなか手が出すことはできない。貴族であればそれなりに口にする機会はあるだろうが、それは貴族として生活していればの話であって、軍人の子弟になるとその機会は皆無に近い状態になってしまうはずである。
部隊長は袋の中身を見て生唾を飲んだ。強がっていてもそのあたりは年相応か、と心の中で笑う。袋の中に手を入れて二つ菓子を取り出すと、一つを自分の口に放り込み。もう一つを部隊長へと差し出した。
「一つどうですか? 美味いですよ」
「むぅ」
部隊長は歓喜の表情を一瞬だけ浮かべた後、眉間にしわをよせて渋い表情となった。ちらりと視線を横に送り、自分の部下たちを見る。手を出したいという感情はあるものの、自信のプライドと、部下を差し置いて自分だけが良い目に遭っていいものかと、躊躇っているようだった。
真面目だなと思う。よい上司になるかもしれない。そう思って、手に持った菓子を皮袋に仕舞うと、今度は皮袋ごと差し出す。
「皆さんにも、どうぞ」
「良いのか?」
「はい、糖蜜菓子ならまだいくらかありますし、他のお菓子もありますから一袋ぐらいは。それに兵士の皆さんには苦労を掛けるわけですから、このぐらいの差し入れは必要かなと」
貴族に媚を売るためとはいえ、平時であれば絶対にしないであろう行為である。菓子を購入するための原資が薬草を買うためにと渡された資金の余剰分でなければ、こんな高級品を施そうなどとは絶対に思わない。
部隊長は皮袋を受け取ると、頭を下げてお礼の言葉を述べた。お礼ついでに部隊長の名前を訊ねると、彼はエイムと名乗った。クルスク家という貴族の三男坊という立場らしいのだが、生憎と貴族の名前には詳しくない。
この話は適当に切り上げてお暇を告げる。暇になったら管理局の調査課課長にでも聞いてみようかと思う。役所なら貴族とつながりがあるから詳しいだろう。
「……それにしても、魔法薬屋には行きたくないなぁ」
迷宮入口の階段を降りながら呟く。店主が出てくると本当に面倒くさいのだ。実験が失敗して、店主の奴が死ぬか意識不明にでもなっていてくれればうれしいのだけど。




