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カリンの特訓を始めてから1週間ほどの時間が経過した。
この日は街の中心部にある商店街の集会所で急遽会議が開催されたのである。商店街に住む代表的な人物がずらりと集められたその会議は商店街防衛計画の発表と説明が議題の中心であった。
いよいよ迷宮変動が直前に迫っているということを実感させてくれるイベントが始まったのだなとのんきに思っていたが、会議も終わろうかというときに急に提出された議案に対して、にわかに紛糾し荒れ模様となり始めている。
「だから、時間が足りねぇって言っているだろう!」
工務店の代表であるギブリンが怒鳴った。恰幅のいい体躯に使い込まれて色あせた作業着を着込んだ姿は、まさしく大工という言葉を体現したような恰好で、彼にはこれ以上ふさわしい服装は無いだろうと思う。
ちなみに俺は工務店で働く連中が作業着意外の洋服を身に着けているところを見たことが無い。町の仕立屋で見習いの一人が全員の分をまとめて発注しているという噂は聞いたことがあったがおそらく本当のことだろうなと思っている。
そんなこだわりからわかるように、ギブリンは非常に頑固、というよりも面倒くさい性格している。彼は、いかにも熟練の技術者が好みそうな頑固さを体現していた。その性格の所為で、こちらのお願いは大概の場合否定されることが多く、今回もまた同様のことが発生している。
「頑丈なバリケードと言われれば作るのは容易だが、石組みとなると材料が足りない!ただの石だから容易に調達はできるが、石ころ一つ一つに結合の魔法を付与せにゃならんとなると、儂と未熟な弟子だけでは手が足りん!」
「仕方ないだろう」
会議の議長を務めるヴォルフが剥げた額を撫でながらぶすりと言った。
「石塁をつくれと言われたのは昨日今日の話なのだから。ああ、くそ。管理局の役人どもはいつも決定が遅いんだ。防衛のために展開した兵士どもがどこにどの程度配置されるかなんてすぐにわかるだろうに。担当者が顔を突き合わせて話をすれば1日で決められる案件なのに、決裁がどうだとか通知文章がどうだとかやっているから仕事が遅くなる。その割を食うのはいつだって元請だ」
ヴォルフがため息を吐きながら言った。商店街の長として管理局と長く付き合っている彼は強大な権限を持ちながら、しがらみばかりで満足に動くことが出来ない役人というものをよく理解していた。
役職をもつ役人というものは市民の生活にかかわる決定権限を持ち、絶対的な権力で行政力を行使するのだが、行使するばかりで責任を引き受けたがらない。一度でも責任を負ってしまえば挽回する機会を与えられることなく、役職の椅子を取り上げられてしまうからだ。そのため、責任を一人で負わないように根回しをして責任の所在を分散してからことに臨むようになる。そんなことをしているから、決定は進まず時間ばかりがむなしく浪費されていく。
「ならば、結合の魔法が付与されたものを買ってくればいいのではないかな? ギブリン殿が付与したものに比べればいくらか質は落ちるだろうが、貴方が施工したものであれば強度に問題は出ないのでは?」
話に割り込んだのは商店街で鑑定屋を経営している男だった。名前はクルナップといいどこかでそれなりに名の通った商人をやっていたのだが、数年前にふらりと迷宮を訪れ、一軒家を即金で買い上げて鑑定屋を開いた。この商店街に住む人間は変わり者ばかりだが、唐突に住み始めた人物は後にも先にもクルナップしかいない。
「それでも工事費が無いというのであれば、管理局から引っ張ればいいだけの話だ。その折衝は組合長殿の仕事だと思うがね」
クルナップは細巻を口に咥えながら、微笑を浮かべる。その言葉にヴォルフは唸った。
「そうしたいのはやまやまなのだが、管理局からはすでに十分な報酬額の提示は受けている。ここから追加でとなると、当然奴らも怒る。基本的にはあいつらケチだからな。せっかく数十年かけていい関係を築いているんだ。この関係は大事にしたい」
「しかし、言うべきことを言わぬというのもまた違う話だ」
諭すような口調でクルナップが発言する。
「言えぬのであれば、何かを犠牲にするしかない。防備を削るか、兵站を削るか、もしくは報酬を削るか、だね」
クルナップの言葉は、報酬という部分に特別に力が込められていた。その言葉に部屋の空気がざわつく。この会議に出席している人間にとってとてつもない意味を持っているのだ。せっかく良い塩梅に、皆が納得する形で取り決められた議題がひっくり返るかも知れないのだ。
その報酬とは変動終了後に行われる祝勝会の事であった。祝勝会では管理局から支払われる報酬を原資として古今東西ありとあらゆる酒を買い込み、盛大に催される手はずとなっている。五十年単位で熟成されたワインやウイスキーといった古酒から、名門酒造が手掛けた逸品といった平凡な要望から、浴びるように飲みたいと言った頭の悪い要望に備えて、安酒を詰め込んだ樽を十樽単位で発注している。他にも個人の要望によって、この国では見かけることのない材料を用いた蒸留酒や混成酒なんかも揃えようとしている。その結果祝勝会でかかる費用は、王都の中心部にちょっとした豪邸を建てられるほどの額になる。
なぜ、ここまでのものが必要なのかというと、金では無い報酬を示さないと、町の住民は満足に動いてくれないからである。商店街に住む人間の多くは、変なところに金で仕事をしない人物ばかりなのだ。ならば物で釣るしかないと俺とヴォルフで協議し、その結果、仕方なくこういった形となった。
そう、仕方のない事だ。決して俺たちが飲みたかったからではないのである。……シアンとカリンはこの説明に対して疑いの眼差ししか向けてくれなかったが。
会議室の中にいるものたちがお互いの顔を見渡す。誰かが発言をすれば、それを口火として我先にと意見を述べ合う状況になることは目に見えている。そうすれば酒の選定はやり直しだ。高級酒派と安酒をお互いの頭から掛けて飲みたい派が再び対立するだろう。
だからこそ、その空気を呼んで最初に発言すべきは会議の座長である人物であるべきだ。
「はぁ、わかった」
観念したような口調でヴォルフが言った。
「交渉してみる。まぁ、変動後の迷宮調査に積極的に参加すると言っとけば何とかなるだろうし。……ここにいる奴らは覚悟しとけよ!暇な奴には探索の仕事を押し付けるからな!」
ヴォルフの発言に安どの空気が広がる。そして皆の耳目がヴォルフからなぜか俺へと移った。いくつもの顔が俺を見ているが、皆の瞳には悲哀の色が浮かんでいる。




