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特訓をするーー。
そう宣言したとおりに今日はカリンの面倒を一日中見るつもりで、店の裏手にあるちょっとした広場にいる。
ここは、迷宮を探索する冒険者が通行しない場所であるため、俺のほかに冒険者用の装備を付けたカリンと、教官役として呼び寄せたスピカの3人がいるだけである。
カリンに視線を向ける。
短剣と小盾を両腕に抱えて、体の急所を守るための防具を身に纏う様は、冒険者をやっていただけあって、それになりにさまになっているように見えた。
「付け心地はどうだ? 借り物だから体に合うか心配だったが、杞憂だったかな?」
「うーん。悪くはないと思う。でも、やっぱりちょっと重く感じるわね。それほど長い期間を休んだとは思わないけど、やっぱり鈍っているわ」
カリンが準備運動をしながら言った。
当然だろうなと心の中で呟く。冒険者の時の装備はすでに処分済みであるため、隣家の奥さまが若いころに使用していたものを借り受けているのである。お古といってもカリンのような新米には過ぎた装備であり、着こなすには経験が必要なのであり、今のところ防具を着ているというよりは、防具に着られているといったほうが正しいだろう。
「馬子にも衣装だな」
容赦のない台詞が隣から聞こえた。相変わらず歯に着せないやつだなと苦笑する。
「スピカ。言い方はもう少し気にしてくれ。お前と違ってカリンは新米の冒険者なんだから、心を折るような言動は控えてくれ」
「なんだテメェ!?。せっかく人が休日の朝っぱらから付き合ってやってんのに、人のやり方にケチをつける気か?」
突き刺すような視線を向けながらスピカが言う。
「そりゃ、まぁな。文句を言うところは言っておかないと調査課の若手みたいにボロ雑巾みたいな状態になるのは目に見えているからな」
そう言いながら、迷宮管理局の中庭で市場に並べられた魚のような瞳でぐったりと倒れていた男たちの姿を見たことを思い出す。彼らは迷宮管理局に就職したばかりの新人たちで、調査課の先輩から戦闘訓練を受けている途中であった。
その調査課の先輩は彼らを8週間の短期日程で迷宮下層へ侵入し帰還が可能な一人前の冒険者にするという目標を掲げ、彼らの肉体を極限まで酷使し、人格を否定するような罵倒を浴びせ、シゴキ続けた。
その結果、新入社員の7割は再起不能となって事務方へと異動し、3割が鋼鉄の心を持った戦争マシーンのような存在へとなった。
このときに行われた教育方法の詳細を俺は知らない。伝説と呼ばれ、誰も口にしようとしないからである。その方法を知っているのは被害者たちと教官役であった隣にいる人物だけである。
「くれぐれも変な指導はするなよ! スピカは調査課の体力馬鹿どもとは違って、体力も経験もないのだ。魔物に出会っても殺されないように立ち回る技術と逃げる方法だけ教えてくれればいい」
「だったら、アタシじゃなくてクソ親父に習え!」
スピカは鼻息を荒げながらそう言うと、手近なところにある木椅子に勢いよく腰かけた。手を頭の後ろに回し、背もたれに全体重を掛ける。不機嫌になると途端に態度が悪くなるのはスピカの悪い癖だ。
「こちらとしても出来ればそうしたかったさ。ヴォルフに頼んだけど断られたんだ。まぁ、アイツは役所と打ち合わせとか資材の買い出しで忙しいらしいから仕方ないことだとは思うけど」
「だったら、お前が教えればいいだろう!?」
スピカが睨みつけるような視線を向けながら言った。毒づくスピカの気持ちはなんとなくわかる気がする。スピカは自分よりも俺の方が、剣の技量が上だと思っているのだ。確かにそれは間違っていない。俺がスピカと10回戦えば、10回すべてで勝つことはできるだろう。
技能はあるだろう。しかしそれを他人に教えることなど不可能である。所詮俺の技術など、人からの借り物貰い物でしかない。本質的に剣技という理解していないのである。
「俺は魔法使いだからな。戦士としての心構えを教えることはできない。それに戦士を本職とする人間が教えたほうが上手く教えられると思う」
「はいはい、そうですか」
スピカが適当な調子で相槌をうつ。それを見て心の中でため息を吐いた。教官役にもニンジンをぶら下げてやらねばならないようだ。
「わかった。カリンを指導してくれるのであれば、スピカの頼みごとを叶えられる範囲で聞いてやるから。俺に対する貸しということで、何とか頼むよ」
「貸し、かぁ……」
カリンがそう呟いて口元を撫でた。それから何かを思い付いたのか、頷いて笑顔を浮かべる。
「その言葉忘れるなよ! ちゃんと返せよ!」
早まったことをしたかもしれない。スピカが何を考えているかはわからないが、どうせろくなことではあるまい。一応、程度は考えてくれると思うのだが。
「よし! 昼飯までには区切りをつけたいし、さっさと始めるぞ!」
ようやくやる気を出してくれたスピカが、椅子から勢いよく立ち上がる。
「カリン」
スピカは準備運動を終えたばかりのカリンを見た。
「最初に剣をどれだけ扱えるかを見たい。あたしが終わりというまで素振りを続けろ。その程度を見て特訓内容を決めるから」
その様子を二人でじっと見つめる。扱いには慣れているため、ちゃんと振ることが出来ているが筋力が不足している所為か、不安定というか不安さを感じさせる動きではある。
初心者ならこんなものかと思っていると、不意にスピカが俺の肩をたたき、耳を引っ張る。
「なぁ、お前、アレを見てどう思う」
気になることでもあったのか、スピカは神妙な顔をした。
「アイツ……」
スピカが感心したような声を上げる。カリンに何かあるのだろうか。俺から見てもさっぱりわからないが、スピカは剣の才能とかそういうものを感じ取ったのかもしれない。
期待を込めて、スピカにたずねる。
「え? カリンに何か……?」
「すごく下手だ! ここまで才能が無い奴を初めて見た! 剣に振られているっていう表現を聞いたことがあるが、それを体現している奴がこの世にいるなんて思いもしなかった!」
「マジか。……というか、思わせぶりな顔で言うんじゃない!」
結局、その後はどう教えればいいかわからないということで、剣の正しい振り方を昼飯時までずっと教えることになった。
特訓が終わった時、適度な運動をして笑顔を浮かべていたカリンに対して、上手く教えることが出来ず悲痛な顔をしていたスピカがひどく印象に残ることになった。
教育方針は見直した方がいいかもしれない。迷宮変動の発生までの時間が限られている。時間は有効に使うべきだろう。




