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はっきりとしない意識の中で薄目を開ける。ぼんやりと、自分の視界の中に見慣れた人物の姿と冒険者風の男の姿が映った。口元が自然とゆるんだ。どうやら魔法は無事に完了したらしい。
そう認識したと同時に網膜に鋭利な刃物を突きつけられるような突然の痛みと、地面に吸い寄せられるような重力感に襲われた。
思わず顔をしかめる。耐えようと下半身に力を込めるが、久しぶりの感覚ということもあって抗うことが出来ない。たまらず地面に腰を下ろす。がシャリとした音が響き、二人の冒険者と話し込んでいたスピカがこちらを振り向いた。
「チハヤ? どうかしたのか?」
スピカの心配そうなつぶやきが聞こえた。
「ああ、すまん。少し立ちくらみしただけだ」
手を挙げて心配ないと伝える。思えば数年ぶりに使用した魔法だ。冒険者が復活して、スピカと会話をしていたところを見ると一応成功したようだが、自分自身の調整が上手く行いっていない。大分ずれてしまっているかもしれない。
大丈夫という俺の言葉を無視するように、スピカは俺のそばへと足早に近寄る。それからしゃがみこむと俺の顔をじっと見つめた。ひたむきに見つめられるとなんだか気恥ずかしくなる。
「本当に大丈夫か? 石化の呪いを解くことを嫌がっていたし、それと関係が……」
「石化? ……ああ、なるほどそういうことか。いや、本当に大丈夫だって」
スピカの言葉に魔法の所為で何がずれているのかは把握できた。せいぜい、この場所にたどり着いた時間が少し早くなったぐらいか。その程度であれば、世界に大きな影響もなく厄介な獣が押し寄せて来ることもない。
「何にせよ、上手く入ったか」
安どのため息と独り言を吐いた。その言葉にスピカは不思議そうな表情を浮かべた。
心配ないということを示すために下半身に力を入れて立ち上がる。軽い眩暈や虚脱感は未だに続いているが立っているだけならば問題はない。
「それで、何かわかったのか?」
復活した冒険者たちの視線が向けられていることに気が付き、スピカにたずねた。残された遺体の状況から死んだと思っていた冒険者は一人だと思っていたが、実際は男女の二人組であった。女の方の遺骸が無かった理由は不明だが、殺された後に、遺骸が魔物によってどこかへと持ち去られることはよくある話である。
「ああ、うん。朗報だぞ、チハヤ」
「朗報?」
「アイツらの話が本当なら、アタシたちの調査はここでお仕舞い」
そう言ってスピカは冒険者たちを手招きして呼び寄せる。それから冒険者たちに向かって、石化する前に出会った魔物の話をもう一度してほしいと依頼した。
スピカの言葉に男の冒険者が頷き、事の顛末を話し始めた。
男の冒険者の名前はトラストで女の方はキッカというらしい。二人でチームを組んで冒険者やっているおり、冒険者歴は6年で4階層までを探索した経験を持つ典型的な中堅冒険者であった。普段の目的と同じように採掘と魔物の討伐のために、迷宮へ進入をしたのだが、なぜか大量に魔物が発生しており、その数の多さに対処できなくなったため、この広間へと逃げ込んだ。
この場所に魔物がいないことを疑問に思ったが、その疑問はすぐに別の感情で上書きされてしまう。彼らこの部屋に大量の魔力結晶があることに気が付いたのだ。
「それに気を取られていたせいで、巨大な化物が背後にいることに気が付かなくて……」
「アンタたちを石化したのはその化物がやったのか?」
「うーん、どうもそのあたりの記憶があいまいでして……。殺されただと思うのですが……」
トラストは隣にいる相棒に視線を向けた。女の冒険者も記憶があいまいのようで首を横に振った。ただ、トラストが事情を話している間、何かに思うところがあらしく俺の方をじっと見ていた。ひょっとしたら何か気が付いているのかもしれない。
「まぁ、いいや。どちらにしても助けられたのは間違いないし。石化の解呪代は後日ちゃんと請求しておくから」
スピカが迷宮管理局に務める公務員としての態度で告げた。失敗したなと心中で呟く。蘇生代に比べれば解呪代は少し安い。ほんの数分であるが苦労したのに報酬額が下がるのは心情的に納得できない。
「それで、アンタ達が出会った魔物について教えてくれないか?」
「えっと、そうですね……」
トラストは自分の記憶を掘り起こしながらスピカの質問に答える。何分魔物の姿を見たのは一瞬の出来事である。種族名とか全身像だとかすぐに理解できる情報は何一つなく、巨大だったとか、灰色の鱗で覆われていたとか、鋭利な爪で一刺しされたとか、断片的な特徴しかわからなかった。これだけでは概要すら把握できない。例えでもいいから何かに似ていたものはないのかとたずねると、女の冒険者がおずおずとした口調で言った。
「そうですね、強いていうならドラゴンでしょうか」
「ドラゴン!?」
唐突に出てきた強大で有名な魔物にスピカが驚きの声を上げた。それから新しいおもちゃを与えられた子供の様な無邪気な表情を浮かべた。
「竜種……、ね」
スピカとは違って俺には冒険者の言葉が信じられなかった。
迷宮の奥へと続く通路を見る。その先からそれほど大きな存在感は感じられない。しかし、何かがそこに在るのは間違いないだろう。
「いくら迷宮変動が発生する直前だからといって、竜種がこんな上の階層には出てこないと思う。この迷宮で一番小型の竜種であるフロストドラゴンですら、生息域は十階層だぜ。いくらなんでも三階層まで上がっては来ない。トカゲか何かと見間違えたのではないか」
「そうかもしれないけど、数年ぶりの変動だぜ? 何が起こるかなんてわかんない」
「もちろんそうだけど、スピカ」
スピカに返事をしながら再び迷宮の奥を見た。それにつられてスピカも同じ方角を見る。
迷宮の中で何が起こるかなんて誰にもわからない。何が起こっても不思議はない。迷宮とはそういう場所だ。迷宮の主ですら変動の内容については把握していないぐらいなのだ。
「まぁ、それでも、魔物の正体ぐらいはすぐにわかるだろう」
この場にいるすべての人間に向けて言った。この冒険者を殺した魔物はもう間もなくこの場に姿を現すだろう。
耳をすませば、地面や壁がかすかに振動していることが分かる。先ほどから何者かが這いずり回るような音は徐々に大きくなっている。
トラストたちもようやく事態に気が付いたらしい。二人の顔が蒼白になった。迫りくる魔物から逃げ出そうとするが、逃げ出さないようにスピカが首根っこをがっちりと掴んで離さない。
「逃げんな! 殺すぞ!! オメーらがいなくなると確かめようが無くなるじゃねえか! ・・・・・・安心しろって! 心配しなくても、ちゃんとアタシ達が守ってやるからさ」
ドスの利いた声でスピカは言った。こういう脅し文句を言わせると妙に迫力がある。威圧感に負けたらしく冒険者たちはあきらめたようにその場にへたり込んだ。




