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広間に到着して思ったのは強烈な違和感であった。
その違和感の正体はすぐに理解できた。違和感の正体を確認するために、魔法で創りだした照明光を消す。
本来であれば通路よりも広い空間があるだけの場所で、内観は通路とさして変わらないはずなのだが、今日はなぜかこの広間だけ日光が差し込んできているのではないかと思うほどに明るい。
「第三層にこんな明るい場所なんてあったか?」
スピカも俺と同じことを疑問に思ったらしい。
「第三層は洞窟だから、極端に明るい場所は無い……はず。考えられるとしたら、俺たち以外の冒険者が使用した魔法の効果が残っているか、発光する魔物が隠れているか……」
前者であれば問題はないが、後者であれば面倒くさい事だと思う。この場所でも先ほどと同様に魔物が大群を成していればその駆除で時間を使ってしまう。行程の遅延は許容しがたい。
「おい、チハヤ!」
スピカは大剣を構えながら俺の名前を呼んだ。何か気になることがあったらしく、壁の一部をじっと眺めている。
「結晶?」
「たぶん、そう。……よっと!」
スピカが大剣で壁を突いた。土がボロボロと剥離し、中から青白く光る石が姿を現した。スピカの感が当たったようだ。地面にこぼれた石を手に取る。無機質な冷たさと微弱な魔力派が手のひらで感じ取れた。
俺の手の中にある石は、魔力結晶石と呼ばれるものである。迷宮内に存在する濃い魔力の正気を取り込んだ土や石が変質して成るものであり、半透明状の結晶体をしている。帯びた魔力によって色は変質する特性があり、濃い赤色か青色になればなるほど魔力の多いことを示している。
残念ながら俺の目の前に出現した魔力結晶石は白色に近い色合いであるため、魔力の含有量は極めて低い個体であった。白色は価値が低くクズ値でしか取引されていない。
しかし、それなりの量を掘削して持ち出せばそれなりの利益にはなる。実力の低い冒険者には、質を問わず魔力結晶石を大量にかき集めて売却して生計を立てている者もいる。
「ちぇっ! つまんねーな。これだけ明るいからてっきりもっと色の濃い奴があると思ったのに」
「あったところで、掘り出せないし、売ることが出来ないだろう? 俺たちは冒険者でも採掘会社の社員でもないのだから」
俺たちのような迷宮内に住む人間には居住権と市民権は与えられているものの、迷宮内での自由な活動、特に採掘や採取に関する権利は与えられていない。
迷宮内で掘削できるのは原則として行政が許可を出したものだけである。この街で許可を受けているのは迷宮管理局に身元を登録した正規の冒険者か、行政から採掘権を買い取った商会の従業員もしくは委託契約を受けた元請会社だけである。
許可を与えた人間が掘り出した魔力結晶は迷宮の入口で管理局の職員が回収し、寮に見合った報酬をその場で支払う。産出された魔力結晶の品質を管理することが題目であるが、実態は迷宮から湧き出る富の独占が目的である。
一応秘密の出入口を使えば外に持ち出すことはできるので、商会や質屋にでも持ち込めば換金することは可能と言えば可能だが、行政が保証のしない違法状態の魔力結晶など、買い取ってもらえない可能性が高い。それに安い値段がさらに値切られ、二束三文での買い取りになるのがせいぜいだ。とてもじゃないがそれで商売する気にはなれない。
「そうだけどさ……」
名残惜しそうな口調で、スピカは他の部分の壁を叩きながら言った。そこも先ほど同様に土が崩れ、白色の魔力結晶が頭を出した。ますます部屋の中が明るくなった。
「これ以上明るくしても仕方ないから、やめなさい。遊んでいると飯の時間が無くなるぞ」
俺の提案にスピカは素直に頷く。大剣を背中に背負うと小走りに俺の下へとやってきた。
「しかし、こんな大量の結晶が三階層に出現するのは初めて見た気がする」
「そうなの?」
「うん。異常といってもいい事態だな。これは」
迷宮の事情をあまり知らないスピカの質問に答えながら、4年前の変動直前の出来事を思い出す。あの時も上層で白色や薄い青色の魔力結晶が大量に発生していた過去の例から考えて、近いうちに変動が再び起こることは確実だなと確信する。
しかし、たまたまこの場所だけ魔力結晶石が集中しているだけということも考えられるため、もう少し迷宮内調査を続行する必要はあるだろうが。
「ああ、そうだ」
探索して何も見つからなかったときの保険用にと、魔力結晶石を砕いて欠片の一部を背嚢の中に入れた。工房に戻って分析すれば、大量発生した要因が何かわかるかもしれないと思った。
「さてと、予定どおりに此処で休憩にしよう」
スピカに提案をして、どこかに腰を落ち着けることのできる場所は無いかと周囲を見渡すと、広場の隅の方に丁度良い高さの岩がいくつか転がっているのが確認できた。それを椅子にしようと思い一歩踏みだした。
少し歩いたところで靴底から、土とは違う柔らかいものを踏みつけた感触が伝わってくる。突然の感触に驚いて足を引っ込める。この感触はおそらくと思いつつ。視線を足元に向けた。
そこにあったのは人間の腕の一部であった。それを掴んで持ち上げる。しかし、ひじから先の部分がついてこなかった。腕だけがここのあるということはあるまい。視線を先ほどの見つけた石の方へと移す。
「ああ、なるほどね」
都合よく程よい大きさの岩が転がっている理由が判明した。それは岩ではなかった。
「魔物にやられたのか? ここまでぐちゃぐちゃになっていると、さすがのアタシでも引くなぁ」
スピカが人間だったものを見つめながら言った。俺もその言葉には同意する。四肢引きちぎられ、内臓は零れ落ち、頭蓋の右半分は鈍器のようなもので殴りつけられたらしく潰れていた。
「おもちゃにして遊んだ感じだな。 ああ! 胸糞わりぃ!」
スピカの言葉の端には怒りの感情が混じっている。その感情には同意であった。
魔物がこの冒険者に対して行ったようなことを俺たちも魔物に対して行っているため、こんなことは当たり前の出来事ではある。しかし、見ず知らずの冒険者であっても、同族が弄ばれて殺されるというのは気分がいいものではないなと思う。
そんなことを思いつつ、ひとまずこの凄惨な遺骸を何とかしよう。こんなバラバラな状態では故人も満足に成仏できないだろう。
「スピカ、昼飯はちょっと待っててくれ、この死体を火葬して弔うから」
「うん。あたしも手伝うよ」
肉片一つ一つを丁寧に燃やすには時間が掛ため、二人でばらばらになった肉片を集めて一か所にまとめるから火葬するということになった。
死んでからそれなりに時間が経過しているが、幸いなことに腐敗はまだ始まっていなかった。体についた臭いは浄化魔法を使用することで簡単に落とすことが出来るが、一度鼻腔に入り込み、脳に焼きついた感触までは消すことが出来ない。魔法とは便利なものであるが万能ではないのである。
「なあ、チハヤ」
死体を集めながらスピカが訊ねる。
「こいつをこんな風にした魔物ってどんな奴なのかわかる?」
「さてね」
スピカの疑問に対して首を横に振る。
「候補が多すぎて絞り込めないな。人間を食料とする魔物であれば大概こうなるんじゃないかな? 魔物によっては偏食傾向の奴もいるみたいだし、内臓が好物とか言う魔物もいるのだろう。食べるためにこういう風に解体したのかもしれない」
魔物にはいろいろな特性があるため、どんな生態の魔物がいてもおかしい話ではない。
「どうした? 何か気になることでもあったか」
「うん、気になる。この場所で何かあったのか知りたいなと思って」
スピカが視線を死体の方へと向けた。
「つまり蘇生したいってことか?」
俺の言葉にスピカは頷く。
「無理だよ。いつ死んだか正確な時間はわからないけど、蘇生可能時間はすでに過ぎている。聖職者じゃないから魂の居所は感知できないけど、肉体からは間違いなく抜け落ちている」
蘇生魔法には時間制限がある。その制限時間は個人によってばらばらではあるが平均で一時間程度だろう。蘇生魔法では魂が肉体から消滅する前の死体にしか機能しない。
もっとも、聖人だとか聖女だとか、神の寵愛を受けた人間であれば、蘇生時間が過ぎた者や病気や寿命などで死んだ者を生き返らせることができるのだが、残念ながら俺にはそんな奇跡を起こす力などない。
「そっか、無理か」
残念そうにスピカが言った。
「ひょっとして、知り合い?」
妙に蘇生にこだわっているスピカに訊ねる。知り合いなのかもしれないと思った。スピカが迷宮商店街から地上部に引っ越してからそれなりの期間が過ぎている。スピカは最高に口の悪い娘ではあるものの、コミュニケーション能力は人一倍あるため友人の一人や二人が出来ていてもおかしくは無い。
「違う違う。さっきも言っただろ、ただの勘だって。こいつを殺した犯人は大物のような気がするってだけ。その大物に出会ったことを上に報告すれば、調査完了になりそうな気がする」
「勘か」
「うん。勘」
「スピカの勘は鋭いからなぁ。昔からよく当たるし、さっきもそうだった」
母親譲りの直感には散々苦しめられたことを思い出す。頭を人差し指で掻きながらさてどうしたものかと悩む。このまま探索を続けることを考えているが、この場で調査完了になれば非常にありがたい。いつまでも店を休みにはしたくないし、何よりもシアンを不安にさせなくて済む。
「蘇生料金の請求とか、煩雑な手続きとかすべて管理局がやってくれるのであれば……、まぁ、やってやらんこともない。ああ、それと蘇生代の一部は特別報酬として請求するぞ?」
今の俺は行政から雇われの身分である。名目上とはいえ俺の上役としてこの場にいるスピカがそれを命令するのであれば、従うのは必然であり義務といえる。
「ああ、管理局が請求して、その一部はチハヤの所に行くように手配する、……けど、蘇生できるの? さっきはできないって」
「蘇生はな。だから別の方法を使う。蘇生なんかよりもよっぽど大魔法だし魔力の消費も激しいけど」
そう言って自分の左腕にある杖を見た。正常に稼働するのか動作確認を行うことも今回の調査中で行いたいことであったため、大魔法を行使することに抵抗はない。
「まぁ、相棒がいれば何とでもなるさ」




