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 空を見上げる。暁天よりも少しばかり早い時間であるため、漆黒の天井が広がるばかりではあるが、天井の一部が瑠璃色へと変色を始めていた。何度か見た光景であるが、どういう仕組みでこんなに細かい色彩の変化を演出しているのだろうかと思う。


 雑貨屋の店先にある明りを頼りに懐中時計を見る。時計の刻針は待ち合わせ時刻を僅かに過ぎていた。


 スピカが遅刻する。それについては何となく予想できていたので特に何とも思わなかった。さすがの天井が明るくなるまで待つつもりはないが、一刻程度の時間であれば予想の範囲内であるとするつもりだった。


 「待たせたな」


 そう思った矢先に声を掛けられた。ただし、待ち合わせ場所にきたのはスピカとは似ても似つかない父親のほうだったが。


 「ほう、ずいぶんと一晩で成長したな。父親とそっくりになるとはね」


 「すごいだろう? 実家で一晩寝るとこうなっちゃうの。まったく困っちゃう。」


 「……悪かった。裏声で全然似てない物真似をするのはやめてくれ。寝起きにそれは効く」


 「反省しろよ。朝から阿保なこと言うな」


 分かったと手をあげて答える。しかし予想外だったな。スピカが待ち合わせ時間に遅れてくることは予想していたが、父親のほうが来るとは想像もしてなかった。スピカの身に何か緊急の事態、たとえば病気にでも罹ったのか。


 「スピカに何かあったのか? それでその代役として出張って来たとか」


 「この格好を見て迷宮に入ると思うか?」


 ヴォルフの恰好は普段と変わらない普段着であった。背中に一振りの大剣こそ背負ってはいるもの戦いをする格好ではない。そして右腕には大きな毛布の塊を、左腕にはいっぱいに膨れ上がった皮袋を抱え込んでいる。常人では見動くが取れなくなりそうな重量物を身に付けていながら、軽々動き回っているところを見ると数年前からさほどの衰えはなさそうに見えた。


 「申し訳ないが俺の仕事はここまでだ。荷物の運搬と見送りだけが俺の仕事で、娘の仕事にまでは手を出さない。あんな見てくれだが、スピカだって立派な大人だ。自分の仕事は自分でやらせないと」


 「なるほどね。それはご立派。……それで、その立派な大人とやらは何処に?」


 ヴォルフが右腕に抱えている毛布を見た。それから俺の質問に対する返事とばかりに抱えていた毛布の塊をぽいと投げた。毛布はきれいな放物線を描きながら地面へぐしゃりと落ちた。地面に落ちた毛布は悶絶の声を上げながら、くねくねと上下左右に奇妙な動きをする。


 「ああ、なるほどね」


 のた打ち回る毛布を見て、ヴォルフがこの場所に来た理由と毛布の中に入っている存在を察することが出来た。


 もぞもぞと毛布が動き、その勢いで一部が肌蹴る。そこから姿を現したのは見知った頭であった。


 「ってーな!!何しやがる!馬鹿親父!」


 「おう、馬鹿娘! そういうセリフはなぁ、自分の状況を把握してから言え」


 「あ!?」


 スピカは毛布から出した頭をゆっくりと動かし、周囲を見渡した。その視線はヴォルフから俺へと移動し、俺から天井へ異動した。最後に待ち合わせ場所である雑貨屋の扉を


 に視線を動かし、それをしばらく見つめてから、父親へ視線を戻した。


 「……よくも投げやがったな! このハゲ!」


 「寝ぼけてんのか!その前に言うことがあるだろう!!」


 「うるせぇ、ハゲ!」


 親子が睨み合いながら、喧嘩を始めた。


 それを見て俺はさすがだなぁと思った。自分の置かれている状況を把握したらしいのに、反省することなく、父親に対して罵倒を続けることのできるスピカの精神構造が、俺には全く理解できない。頭を割って中を見てみたい。


 「はぁ、まあいい」


 ヴォルフは口げんかに疲れたらしく、諦めの混じった声色で呟いてから、背中の大剣をおろし、左わきに抱え込んでいた袋を、娘を放り投げたときとはうってかわって、優しい手つきで地面に下ろした。


 「さっさと準備しろ。お前が寝ぼけている間に母さんが着替えを含めて準備をしてくれたぞ。それと朝飯と昼飯、探索に必要な道具はこっちの袋に入れてあるから」


 「……わかった」


 さすがのスピカも自分が悪いことは多少は理解していたらしく、素直に父親の言葉に同意した。おもむろに立ち上がる。自宅からここまで寝ていたというのは本当だったらしく、寝間着を着たままだった。スピカが寝間着を着ているのを見るのは初めてだったため、珍しいものを見たなと思う。


 「お、おい! ちょっと! 止めろ」


 俺の視線に気が付かないのか、気にしていないのかはわからないが、スピカが寝間着に手をかけて脱ごうとしたため、あわててそれを止めた。


 「ここで脱ぐな!はしたない!」


 「こんなことでガタガタうるせえな。見られても減るもんじゃないし別にいいだろう?」


 「うん、減るほど無いのは知っているけど、女の子なのだから」


 「女の子、ね」


 俺の言葉ににやにやと笑みを浮かべながらスピカは言った。


 「ふーん。チハヤはアタシのことをそう思っているんだ?」


 「うん? まぁ、そうだな。性別はさすがに否定できないし」


 「そっか」


 スピカは満足そうに頷くと、健康的な肌色をしたお腹を見せつけるようにして寝間着の裾をめくりあげた。


 「チハヤはアタシの裸を意識している、と。いいよ。見たいと一声言えば、見せてあげる」


 「はぁ?」


 スピカの唐突な提案に頭が痛くなる。


 いや、見たいか見たくないかで言えば、凹凸の少ない平野のような体であったとしても見たいとは思う。それが粗野で乱暴者で碌でもない女であったとしても、それなりに顔が良ければやはり見たいと思う。それは男としては当然の性である。


 しかし、公衆の場で恥じらいもなく裸を見せられてもあまりうれしくはない。痴女だと思う。そして隣にはその娘の父親がいる。何かの罰ゲームかな。


 「そんな平らな体を見せても萎えるだけだぞ」


 ヴォルフガぽつりと言った。短い一言だがその言葉は的確にスピカの心をえぐった。


 「ハゲ、その喧嘩買うぞ」


 せっかく納まったのに再び喧嘩が始まりそうな雰囲気になる。


 「はいはい、俺は見たいから。さっさと着替えてこようね」


 これ出発が遅くなるのは好ましくない。喧嘩を瀬切るためスピカに適当なことを言う。


 それから雑貨屋の扉を開け、その中に着替えとスピカを問答無用で放り込んだ。何かを言っていたようだがそれを聞く前に扉を閉じた。どうせロクな言葉ではないだろう。


 「なぁ、さっきの言葉って本気か?」


 閉めた扉を見ているとヴォルフが俺に訊ねた。


 「さっきの言葉?」


 「裸が見たいって」


 ヴォルフの言葉に苦笑いを浮かべた。場の雰囲気を誤魔化すために咄嗟に言った適当な言葉ではあるが、父親の前で言うべきものではないなと思う。


 「すま……」


 「興味があるんだったら、もらってくれねぇかな。アレ」


 俺の謝罪の言葉を遮って、ため息交じりにヴォルフが言った。


 「さっきは大人だと言ったけどな、それはそれとして、娘の将来については親としてはやっぱり心配だ。……今はまだ若いから本人も周りも気にしていないけど、今のままだと絶対に結婚とかしなさそうな気がするんだよなぁ。俺としては早く誰かに引き取ってもらいたい」


 「はぁ」


 あいまいな返事を返す。ヴォルフに言いたいことはなんとなく理解できる。スピカの将来は俺も不安に思うことはある。しかし、だからといって引き取りた以下と聞かれると首を縦に振ることは絶対にない。


 「そうだよなぁ、俺だって嫌だからな。二十歳になったのにいまだにアリの巣を見つけると水責めして喜んでいる女なんて」


 「は? 何やってるの? お前の娘」


 俺の質問に対してさっぱりわからないとヴォルフは両腕を上げた。文字どおりお手上げ状態なのだろう。


 着替えを終えて出てくるまでの間に男二人はため息をつきながら、スピカの将来を心配するのだった。

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