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日が落ちてから数刻が経過している。迷宮の天井壁面は黒色に変化し、洞窟本来の闇が商店街を覆っていた。
普段であれば自室工房でソファーにもたれてうつらうつらとしているか、枕元のランプを灯して読書でもしているはずの時間であるが、今日は寝る前に明日の準備を済ませておかなければならないと言った事情がある。
先日、ビアーティから返してもらった箱を棚から取り出して作業台に置く。魔法で蓋に簡易な固定化魔法が掛けられているため、それを解除してから蓋を開けた。
「久しぶりだな」
箱の中身を覗き込み、中に収められている一振りの杖に向かって呟く。魔力を帯びてはいるもののただの杖であることは十分に理解している。返事が返ってくるとは思っていない。それでも口にせずにはいられなかった。
そっと右腕で柄を掴んで持ち上げる。あるべき場所に戻ってきたということを主張するように杖の先端に取り付けられた魔石が鈍く光った気がした。
「すべてはコイツから始まったんだよな」
苦笑いを浮かべる。俺が今の立場にいることが出来るのはこの杖のおかげであり、原因であった。正直なところ俺がなぜこんなものを与えられたのか、いまだによく分かってはいない。ただ求められるがままに杖を振るい、魔物を倒し、人を救っただけだ。その果てにあったものは碌でもない結末だったのだが。
ふうとため息を吐く。やめよう。あの事は思い出さないほうがいい。俺には今の背勝がある。護らなければならない人たちとこの居場所がある。復讐なんてまっぴらだ。命を懸けるのは守るときだけで十分。
「あれ? こんな気に奇麗だったかな」
杖の整備をしようと灯りにかざしながらじっくりと覗き込むと、杖に埃の一欠片すら付着していないことに気が付いた。ビアーティが整備してくれていたらしく、魔石は丹念に磨きこまれ、損傷していた柄の部分は新品に交換されている。今魔物に襲われたとしても十分以上に使用できる状態となっていた。
「……ビアーティには感謝だな」
友人の顔を思い浮かべて感謝を述べる。今度会ったら、提供する血液の量を増やしてやろう。
杖を握っていた右腕に魔力を集中し、杖との魔力接続を開始する。自分の武具と魔力でパスを形成することなど普通の魔術師は行わない行為である。パスを形成することで魔法の発動を短縮できるというメリットはあるが、魔力を常に垂れ流しの状態となるというデメリットもある。このデメリットが非常に大きく、並の魔術師であれば魔法の発動前に魔力を消耗しつくして何もできないという状態になってしまう。
俺もその点では例外ではない。出来ればこの状態で戦闘は行いたくないとは常に思っている。しかし使用する魔法が上位を超えた超位や極位の魔法では、発動に時間が掛りすぎてしまうため接続をしなければならないとう事情があった。
「うん? うーん?」
違和感に口から唸り声が出る。接続は問題なく実行できているのだが、反応が鈍く感じられる。
おそらく出力の弱さが原因だろう。杖が本来の形ではないからだ。
この杖は一度大破したものを復元している。杖の柄の部分についてはある程度の復元ができたが、杖の核ともいえる魔石は70%以上が消失しており代用品で無理やり穴埋めしている。かつての姿からすれば似ても似つかぬ不完全品である。
「ご主人様」
部屋の扉の方で声がした。振り向くと扉の影からシアンが顔を出していた。
「まだ起きていたのか? 子供は早く寝ないと大きくなれないぞ」
「ごめんなさい。地下室から明かりが見えたので……。ご主人様が起きて作業をしているのであればお茶でも用意しようかなって」
「そうか。悪いね。気を遣わせてしまって」
微笑みを浮かべながら、努めて優しく言った。
「でも、もう作業は終わったところでね。明日に備えてそろそろ寝ようかと思っていた」
「わかりました」
シアンが頷く。そしてじっと俺を見つめる。その瞳には不安の色が浮かんでいる。
「明日は、どのぐらいで帰って来てもらえますか?」
「うーん。状況次第かな。でも多分遅くにはなると思う」
「お泊りですか、ご主人様」
「それは無いかな」
きっぱりと否定する。シアンの声に含まれている感情に気が付いたからだった。シアンに向かって手招きを行い呼び寄せる。
「心配するな。ちゃんと帰ってくるから」
そう言ってシアンの頭に手を置いた。シアンの心に根付いた不安を吹き飛ばすように優しく丁寧に撫でる。
迷宮の深い階層に進めば進むほど危険の度合いはより大きくなっていく。それは迷宮の深部に入り込んだことのないシアンにとって全てなのだ、不安になるのは仕方のない事だと思う。
「危険はない訳じゃない。だけど、依頼されたのは調査であって討伐じゃないからね。危ないと思ったら逃げることもできる。それにこの前だって、無事に帰って来ただろう?」
最深部ならともかくとして、調査を行う階層に危険なものあるとは到底思えなかったが、方便としてシアンに言う
「それでも……」
シアンが肩を震わせながら言った。その言葉を遮るようにして頭をポンポンと叩く。
「大丈夫だよ。絶対無事に帰ってくる。約束するよ。……それとも俺のことが信じられないかな?」
「……ふふ、そんな言い方は卑怯です」
シアンが笑う。心の底から納得はしていないようだが頷いてくれた。
「ははは、ごめんな。口下手な主人で苦労を掛ける」
そう言いながらシアンの頭に乗せていた手をどける。シアンは名残惜しそうな表情を浮かべながら離れていくそれを見つめる。明日の朝は早い、いつまでもこうして立ち話をしているわけにはいかない。
「さ、今日は遅いからもう寝なさい」




