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迷宮内から湧き出た冷水で両手を洗ってから店舗フロアへと移動する。すでに食事の準備は完了しており、俺意外の三人はすでに席についていた。遅れてきたことを詫びてから、4人でささやかな朝食会を開始する。
「いやー、相変わらずチハヤの作る飯は美味いな!」
テーブルに上に用意した朝食を上機嫌で頬張りながらスピカが言った。その言葉の返事として恨みがましい視線を送るが気付く様子はない。
今朝の騒動については、カリンと一緒に様子を見に来てくれていたシアンがとりなしてくれたらしく俺は事なきを得たのだが、朝から驚かせた罰として朝食をスピカに振る舞うことを強制されてしまった。理不尽だと思いながらも、作る手間は3人前も4人前も変わらないし、これ以上の騒ぎは勘弁してほしいと思ったのでしぶしぶと従うことにした。
「なぁ、チハヤ。食事中に仏頂面はやめようぜ。飯は笑顔で楽しく食べないと」
「それにはおおむね同意だね。しかし、誰のせいでこうなっていると思ってるんだ、誰のせいだと!」
いまだに痛みの残る自分の首をさすりながら反論した。先ほど台所に置かれている鏡で状態を確認したが、首周りには手形がくっきりと付いており非常に痛々しく見た目だった。
シアンが先ほどからずっと心配そうな視線でこちらを見ているが、おそらくこれの所為だろう。
しかし、スピカの言うことにも一理はある。せっかくの食事なのだから怒りながら食べるよりも笑顔で食べたい。深く深呼吸し気分を切り替える。紳士たるもの寛大な精神で受け止めることにしようと思う。
皿の上に乗ったトーストを手に取って、端をかじる。程よい焼け具合で香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。コムギを使用したパンは少しだけ値が張る高級品だが、ライムギやオーツムギを使用したパンに比べて口当たりがよくて好きだ。従業員の二人も同意見だったため我が家で出されるパンは全て白パンである。
本音をいうとオウゴンムギと呼ばれる穀物が一番好みなのだが、稀少価値が高く取引には同じ重量の金貨が必要になるため滅多に手を出すことが出来ない。いつかは種子を購入して自分で栽培するのがひそかな夢だ。
先日買い出しに行ったおかげで、少しだけ食卓の内容は華やかだ。トースト、目玉焼き、ベーコンエッグ、自家製のドレッシングがたっぷりとかけてあるサラダ、自家製ジャム、カボチャのスープ。
作りすぎかなと思ったが、スピカが遠慮なく食べているのでおそらく問題はないだろう。
「なぁ、スピカ。前から聞こうと思っていたが」
ベーコンエッグを口の中に詰め込む途中のスピカに訊ねる。
「どうしておまえら親子はわざわざ俺の家まで来て食事を要求するんだ? お前のお袋さんは確か料理は出来たよな? わざわざうちに来る理由がわからんのだが」
何回かスピカの家で食事をした時のことを思い出す。超一流店並みの味とは言わないが、店を出せばそれなりの人気は出るだろう。
スピカはベーコンエッグを飲み込んでから、渋い表情で俺を見た。
そんなに答えにくい質問をしたつもりはないのだが。
「いやぁ、おふくろの料理は美味けど……。美味いのは間違いないけどさぁ……」
「美味しすぎて、たまには俺の作った普通の料理が食べたくなるとか?」
だとすれば贅沢な悩みだなと思う。しかしその言葉にスピカは首を横に振る。それから腕を組み悩むような素振りをした。
「チハヤ。あんたが食べたおふくろの料理ってどんなものだった?」
「ええと、サンドウィッチ、パニーノ、トルティーヤ、クロックムッシュ……、あとはクレープとかもあったような」
どれも見事な味であった。
「なんだか、はさむものばっかりですね」
シアンがぽつりと言った。そう言われると確かにそうだ。俺が言った料理のほとんどが手でつかんで食べるようなものばかりである。
「レパートリーが少ないんだよな。味付けの調整とかは超得意なくせに、少しでも手の込んだ料理になると途端に形容しがたい何かになっちまう」
しんみりとした口調でスピカが言う。
「うん? いやでも、レパートリーが少なくても中の具材なんかは結構凝っていたような」
「それは親父か俺が作ったものだな。おふくろが作れるのはソースぐらいしかないぜ」
スピカの言葉に衝撃を受ける。意外だった。てっきり母親がすべて作っているものだと思ったのに。
そういう事実を知ってしまうと意外にこの親子も苦労しているのかもしれないと思ってしまう。
「それよりも、さ」
スピカがカリンを見ながら言った。
「結局この娘は誰なんだ?」
どうやらお互いに自己紹介していなかったらしい。てっきり俺が失神している間にそのあたりのことは済ましたと思っていたのだが。
「そういや自己紹介してなかったな。新しい従業員のカリンだ」
「カリンです。この前からここで働かせてもらっています」
「従業員?」
品定めをするような目でカリンをじっくりと見る。それから何かに納得したようで頷きながらそれならいいかと呟いた。
「俺はスピカ=エルトリウム。この商店街の元住人で今は迷宮管理局調査課で働いている一等調査官補だ。よろしくな!」
「ええ、こちらこそ。よろしく……。一等調査官補? 」
聞きなれない役職にカリンが疑問の声を上げた。その疑問に対して俺が答える。
「調査課に所属する役人の等級だな。三等から始まって、特一等まで六階級存在する。一等補以上であれば単独での迷宮調査が許されており、それ見合った実力があることが保証されている」
実力以外にも危険に対し瞬時に的確な判断が下せる能力と、迷宮内で発見した資源や財貨の類を私的に持ち帰らない誠実さと、冒険者の救護を行う救命精神が求められるのだが、どれもこれもスピカには足りてないものばかりであるため、それはあえて口には出さない。
「つまり、エリートってところだな」
自慢げにスピカが言った。カリンが信じられないといった疑惑の目をスピカに向けた。それはそうだろう。どう見てもシアンと同年代ぐらいにしか見えない娘が、自分よりも遥かに高いところにいる強者には到底思えないようだった。
「エリートというのは微妙だな。父親のコネクションだし。まぁ、実力の部分は本当だけど」
「コネクション? 父親?」
カリンが俺の言葉に疑問を口にする。やっぱり気が付かないか。奇跡的に父親の遺伝子はほとんど仕事していないし無理もないとは思うが。
「スピカさんのお父さんは、組合長ですよ」
俺の代わりにシアンが質問に答えた。その言葉にカリンが固まる。それからちらちらとスピカを見て腕組みをした。頭の中で組合長の姿とカリンの姿を重ねているようだ。しばらく頭をひねって悩んでいたが、諦めたようで大きくため息を吐く。
「嘘でしょ!」
カリンの絶叫のような言葉が狭い店内に響きわたった。




