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 上階から聞こえるドタバタとした物音で目が覚める。


 昨日は酒など飲んでいないはずなのに、普段の目覚めた時よりも頭がぼんやりとし、瞼が開けるのが辛く感じられた。


 時間を確かめようと手元にあるランプの明かりをつける。窓のない地下室であるため、外からの日光など入ってくるわけもなく、時間を確認するのはもっぱら時計だよりとなっている。


 時計を見て時刻を確認し、渋い表情を浮かべる。時計の刻針は第5刻と第6刻の中間ぐらいに存在している。普段の起床時間は7刻あたりになるため普段の起床時間よりも1刻以上速い時間に目覚めたということになる。こんな朝早くから何をやっているのだろうと思い上階の方に首を向けた。


 ぼんやりとした頭の中から記憶を掘り起こしてみるが、今日は早朝に起きださなければならないような用事はない。


 「まぁ、トイレか何かで起きだしただけだろう」


 相変わらず上階から聞こえてくる物音が気になったものの、眠れないほどうるさいという訳ではない。いつもの起床時間まで二度寝をしようと体を横に倒して目を閉じた。


 最近の夢見は悪くない。一時の頃のように過去を思い出すことも少なくなった。安心して自分の意識が暗闇の中に溶けていくような心地よい浮遊感を楽しむようにしよう。


 そう考えていた時にそれまで上階で歩き回っていた騒音が向きを変えて地下室へ続く階段を大音量で駆け降りた。


 さすがに何事だと思い明かりを再度点けなおす。それとほぼ同時に扉が勢いよく開いた。うすぼんやりとした明かりでは侵入者の顔を見ることが出来なかったが、そのシルエットはシアンやカリンのものとは大きく違っている。


 何者かと尋ねるよりも早くその影は俺の寝ているソファーへと駆け出した。


 「ブフェッ!」


 侵入者は駆け出した勢いのまま寝起きの無防備な腹に飛び乗られ、たまらず情けない悲鳴を上げる。


 侵入者は比較的小柄な体躯であるが、無防備な腹の上に乗られて無事でいられるほど俺は頑強ではない。小さな子供であれば、愛嬌のある行動だと受け止めることが出来るが、大人では殺人の一歩手前の行為である。


 胃を押しつぶされる痛みと胃液が逆流する苦しみに耐えながら薄目を開く。こんなバカな行為を思い付いて実行する奴など俺の知り合いでは一人しかいない。


 「きったねぇなぁ!いきなり唾を吹きかけてくるなよ!」


 俺の着ているシャツの端で顔を拭いながら侵入者は言った。お前のやったことが原因なのにあんまりな物言いである。


 「げほっ! げぼっ! いきなりなにしやがる莫迦野郎!」


 「ああん? 起こしてやったのに文句か? 美人が起こしてやってんだから感謝しろよ」


 当たり前の事だろうという表情で侵入は言った。見てくれだけなら確かに美人ではあるし、美人にモーニングコールをしてもらうのは朝からの活力には繋がると思う。しかしそれを自分でいうのはどうなのか。


 「……せめて、もっと優しく起こしてくれ。寝ている無防備な状態の人間にボディプレスなんて、下手をすれば大怪我だ」


 「そっか? 鍛えてねぇもやし君ならともかく、お前なら大丈夫だろ。それに怪我しないように気は使ったつもりだし」


 そう言いながら侵入者は視線をずらして俺の下半身をちらりと見る。当然そこには朝の生理現象を起こしている俺の股間があるわけで。


 「大事なところを押しつぶさないようには注意したぞ。さすがに勃ってるモンに飛び乗ればどうなるかぐらいはわかっているつもりだ。それが潰れたら将来的にはいろいろと困るからな。……折れてねぇよな?」


 少しだけ不安そうな表情を浮かべ、俺の股間に向かって手を伸ばして状態を確認しようとする。唐突なセクハラ行為から身を守るため、あわててその腕を払いのけて、侵入者を突き飛ばして上半身を起こす。


 「痛ってぇな! なにしやがる!」


 「それはこっちのセリフ」


 頭の痛くなるやり取りにため息を吐く。


 数か月ぶりに出会ったというのにこいつは相変わらず何一つ変わっていない。外で一人暮らしを始めたと聞いたときに少しは落ち着くかと思って期待したのだが、前よりひどくなっているような。


 早朝からくだらないやり取りをしたせいですっかりと眠気は覚めていた。気分は未だに退嬰しているものの、さすがに寝直す気分では無くなっている。


 「はぁ……、スピカ、お前は本当に変わらないな」


 目の前にいる女性の名前を呼んだ。彼女は数か月前まで迷宮商店街で暮らしていた顔なじみである。


 しかしその外見は女性というよりも少女に近い。年齢は俺よりも4つか5つぐらい年下で戸籍上では立派な成人を果たしている。しかし、シアンよりもわずかに高いぐらいの身長と女性らしさの欠片もない平坦な尻と胸。顔立ちは整っているが、童顔気味の所為で美人というよりもかわいいと形容したくなる容姿をしている。


 改めてスピカの顔を見た。うん、いつもどおりのスピカだ。最後に会った時から何も変化はしていない。


 視線が合ったことが照れくさくなったのか、スピカは気恥ずかしそうな笑顔を浮かべ顔を横に向けた。母親譲りの赤みがかった髪がふわりと揺れ。笑顔の隙間からわずかに八重歯が見えた。


 最後に会った時のことをぼんやりと思いだした。確か大人の女になってくるから来して待っていろとかそんなことを言っていた。いろいろな人と交流すれば見た目はともかくとして、精神面は大人として成長すると思ったのだけど、どうやら期待は外れたらしい。


 「ウグェ!」


 俺の腹部が衝撃に襲われる。スピカの拳がみぞおちに突き刺ささったようだ。先ほどの飛び乗り攻撃とは違い、急所に対しての攻撃であるため痛みは比べ物にならない。腹を押さえて、ごほごほと咳を吐く。痛みで目を開けることもできない。


 「なーんか、さっきから失礼なこと考えてねぇか?」


 スピカは俺を睨みつけながら俺に言う。威嚇するように手の骨をぽきぽきと鳴らした。


 「ごほっ! ……頼むから口よりも先に手を出すのは止めてくれよ……」


 見てくれは母親似だが、性格だとか筋力だとか妙に勘の鋭いところは父親のものをそっくりそのまま受け継いでいる。もし、逆であればおしとやかな性格に出るところは出て、締まるところは締まったナイスバディな美女が誕生したのに、と心の中で嘆いた。


 「それで? こんな朝早くから何の用だ?」


 スピカが再び腕を振り上げたのを見て、あわてて訊ねる。


 「用件……。ああ、そっか」


 自分の懐から俺に一枚の紙を突き出した。


 「ようやく日取りが決まったからそれを通知しに来た」

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