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「まったく! この人がサシャさんの旦那さんならそう説明してくれればいいのに!」
「本当に申し訳ない」
しばらくの間は目を覚まさないかと思ったが、意外にもカリンはすぐに目を覚ました。目覚めた瞬間に周囲を見渡して、自分の周りに危機となる存在であるレオポルドがいないかを確認する。
幸いなことに店主は血の付いた衣服を着替えに自室へ戻ったところだった。ここに戻って来るまでにはもう少し時間がかかるだろう。
その時間を利用してカリンの考えていることが勘違いだということを説明する。
「それにしても、販売しているものが魔物の肉だったなんて……」
「人肉なんて販売できるわけがないだろう。いくら迷宮にある店だからって何でもやっていいという訳ではない。道徳に反するような行為は、この場所でも禁止だ」
殺人、放火、盗み。いわゆる普通の犯罪行為と呼ばれるものはすべて禁止である。人間の持つ常識として当たり前のことであるため、さすがに商店街の規約に書かれているわけではないが。
「でもどうしてそんなものを売っているのよ。……というか、食べてもいいの? それ」
カリンが疑問を口にする。魔物の肉を食べるということなど、普通の人間にとっては狂気の沙汰である。地下深くに潜り込んだ冒険者が食料を失い、どうしようもなくなった時にようやく口にするかどうかの選択肢が生まれるぐらいである。
「物理的には食べられる種類あるな」
カリンの質問に答える。体の構成する物質が動物と変わらない種類の魔物であれば、食べられないことは無い。
「だけど、魔物が保有している魔力の所為で肉が変質し、特異な効果があったりする場合もあるから、この国の法律では摂取することは禁止されている」
「やっぱり食べちゃダメよね……」
頷きながらカリンが言った。
「あれ? でも法律で禁止されている物なのに販売していていいの?」
「それは問題ないみたいだぞ。販売と譲渡に関しては規制する法律はないから。それに食用以外、たとえば研究目的で取引されることもあるからね」
もっとも研究目的というお題目で販売したはずなのに、食用として使用され、死亡事故を起こすということはたびたび発生しているようだが。
「魔物肉に未知なる味を求める奇特な人は少なからずいる。そういった人たちを相手に商売しているのがこの店だよ」
客層は主に豪商や貴族といった富裕層。この迷宮内に似つかわしくないきちんとした身なりの人間がいる場合は、この店の常連さんであると考えてもいい。
「ねぇ、あまり聞きたくないのだけど、サシャさん達って……」
「ああ、二人とも食べてないはず、と思う。レオボルド……、ああ、サシャの旦那さんの事だな」
カリンに旦那の名前を告げる。人見知りで対人恐怖症気味のアイツには似つかわしくない勇猛な名前だなと失礼なことを考える。
「レオポルドは、独身時代に貴族や商人たちの依頼を受けて、危険な仕事を行う請負人と呼ばれる仕事をしていた。その時にたびたび食用目的で魔物を狩る仕事を受けていたことがあったそうだ。その時の縁があって、魔物専門の精肉店を始めたそうだ」
飲み会の席で聞いた話をカリンに伝える。酔っぱらっていたせいでうろ覚え気味ではあるが、確かそんな話をしていたような気がする。サシャとの出会いと馴初めは面白かったので正確に記憶しているのだが。
カリンが安堵の表情を浮かべた。せっかく知り合った隣人が魔物の肉を好んで食べる変態ではないとわかったことによるものだった。
店の扉が再び開く。先ほどまでとは違い。皺ひとつないきれいな灰色のシャツと黒いズボンを着用したレオポルドが戻ってきた。
「えーと」
身綺麗になったため、先ほどまでのスプラッター染みた不気味さは無くなったものの、いまだにカリンは戸惑っている。何かを話しかけようとする素振りを見せるが、結局何も言えず困ったような表情を浮かべ、俺に助けを求めるような視線を投げた。
カリンの戸惑いの原因はおおむね理解できる。頭にかぶり続けている麻袋のせいで表情が見えないためだ。
レオポルドはいつもこうなのだ。常に麻袋を被り、誰からも素顔を見られないように隠している。
「カリン、この前の外出の時にレオポルドは恥ずかしがり屋だって言っただろ」
「……それは聞いたけど」
カリンがちらりとレオポルドを見た。それから首を横に振り、無理ですという意思表示をした。
「まぁ、それはそれとして」
なだめるような口調でカリンを諭す。慣れるまでは時間がかかるのは仕方ない。慣れるまでは俺がフォローをすればいい。
「改めて紹介する。レオポルドだ。肉屋の店主にして、サシャさんの伴侶。そして俺の飲み友達でもある。見た目のように少し風変わりなところと無口なのが玉に瑕ではあるが、優しくていいやつだよ。仲良くしてほしい」
俺の言葉が終わると同時にレオポルドが頭を下げる。それから右手をカリンの前に差し出した。
カリンは一瞬だけ躊躇ったが、レオポルドの存在を一応は受け入れてくれたようで差し出された手を握り返した。
「カリンです。先日からチハヤさんの雑貨屋で働いています。よろしくお願いします」
上手く調整しなかった自分の責任で色々と悶着があったが、最終的に二人の挨拶が上手く行ったことに安堵の息を吐く。これで目的の一つは達成した。
その後は、依頼されていた依頼されていた玩具をレオポルドに手渡し、中身を確認してもらう。玩具と言ってもたいしたものではなく、犬や猫などの動物をあしらったプレートを天井から吊しておくものである。しかし、吊るしておくだけだと面白くないと思ったので、魔法によって、動物が自由に動きまわったり、音を鳴らしたりといった機能をアレンジして付けてみた。
レオポルドはその出来に十分満足してくれたらしく、説明中に何度も頷いてくれた。
基本的にレオポルドの意思表現は、首を縦に振るか横に振るかのどちらかしかない。しゃべれないという訳では無いようだが、言語を発するということはほとんどない。
それでどうやってコミュニケーションをとるのかとカリンに問われたが、長年付き合うとなんとなく言いたいことが分かるようになると返した。
カリンはその解答に納得しなかったが、それ以外に言いようがない。本当になんとなくわかるのだ。憶測の域の話だがレオポルドはテレパシーのような超能力めいたスキルを持っているのではないかと思っている。
そんな話をしているうちに時間が随分と経過してしまったようで、奥からサシャとシアンが楽しそうな会話をしながら戻ってきた。
帰ると言っておきながらいつまでも居座り続けるとさすがにバツが悪い。レオポルドに別れの挨拶を告げ、カリンに仲良くしろよと言って慌てて店を出る。
少しだけカリンが馴染めるかなと不安になったが、シアンとサシャがいれば楽しくやれるだろう。
そんなことを考えながら、営業を再開するべく店に戻るのだった。




