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「じゃあ、これをレオに渡したら帰りますので」
「そう、それは残念ね。でも、お礼は必ずさせてね」
「はい、また後日に」
頭を下げてサシャに謝罪をする。本音で言えばお礼など不要だとは思っている。この夫婦には迷宮商店街に来たときから大分世話になっているのだ。その時に受けた恩を思えば、多少のお願い事など喜んでやりたいぐらいだ。
俺の言葉にサシャは残念そうな表情を浮かべた。
店のカウンターに置かれていたエプロンを手に取るとそれを身に着ける。
「シアちゃん、カリンさん。準備するから少しだけ待っていてね。すぐに済ませるから」
そう言ってサシャは店の奥へと引き返していった。それを見たシアンは私も手伝いますと言ってサシャの後姿を追いかけて扉の奥へと進んでいった。
「あ、私も……」
シアンの行動につられるようにしてカリンも歩き出したのだが、カリンの手を掴み、この場にとどまらせるようにする。
行動を邪魔されたカリンが俺を疑問の視線を俺に向けた。
「シアンにやらせてやれ。お茶を準備するのはアイツの得意分野だ。アイツの仕事を奪うのは止めてやれ」
「そんなつもりは……」
「無くても、だ。シアンは料理が全くと言っていいほど出来ない。気にしてない振りをしているが、最近はそれに引け目を感じているようだ」
最近は台所に立って料理の練習をしたりレシピ本を読んだりするシアンの姿をたびたび見かけているのだ。
「今までは俺が料理、シアンがお茶の準備をそれぞれが担当することでなんとか均衡を保っていたのに、何でもできるお前がその均衡を崩してしまったら、アイツは今以上に引け目を感じてしまうだろうな」
過保護すぎると言われればおそらくそうなのだろう。しかし、時間をかけてようやくここまで立ち直ってくれたのだ。昔のシアンに戻ってしまうようなきっかけはなるべく与えたくはない。
俺の言葉にカリンはわかったと頷いてくれた。
「すまんな。もう少したったら、事情をいろいろと話すから」
「わかった。待っている」
カリンが納得してくれたのを確認してから手を離す。
それから準備ができるまでの間は店内でのんびりと待つことにした。
手持無沙汰になったので、なんとなく空になったショーケースの中を覗き込む。裏返された値札が数枚転がっているのを発見する。なんとなく興味があったので値札を裏返して見てみると、桁の数が間違っているのではないかと思えるような金額が書き込まれていた。
改めて世の中は不思議だなと思う。
ショーケースの中に一切商品が置かれていないということは、売り切れていることを指し示していることになる。つまりこの異様な値段で買う客が存在するということになる。
需要があることは理解できるが、こんなものになぜ高い金を出して買っているのだろうか。ああ、本当に不思議だ。
「ねぇ、チハヤさん」
店内をふらふらと歩きまわっていたカリンが、視線を俺の方に向けて訊ねた。
「この店の屋号ってこれよね」
迷宮精肉店と書かれた看板をさしながらカリンが言った。その言葉に首を縦に振って肯定であることをカリンに示す。
「精肉ってことは、このお店でお肉の加工もしているってことよね?」
「そうだね。店の奥には加工場もあるよ」
「迷宮内に動物って連れてくることって禁止じゃなったかしら?」
「そうだね。探索に必要として登録された鳥や犬などの狩猟動物ぐらいしか入れないね」
「もうひとつ質問してもいいかしら?」
店の壁に掛けられた値段表を見ながらカリンが震える声で呟いた。
「このお店で売られているお肉って、どこから調達しているの?」
「……君のような勘のいい子供は嫌いだよ」
この店の商品についていつかは言わなければならないとは思ったが、こんなに早く訊ねられるとは思わなかった。行政の管理が及ばない地下世界のため、地上では法に触れるような行為も平然と行っている。管理が及ばないだけで法律は適用されているため、このことが役所の人間に知られるようなことがあったら、レオたちが捕まりかねないので、カリンが地下に馴染むまでは教えないつもりだったのだが。
「嘘、どうして? いくら迷宮の中だからって、こんなのはダメだよ!」
顔面が蒼白になりながら、カリンが必死になって言う。確かに法律違反はしているがそこまでリアクションを取らなくてもいいだろうに。
「迷宮に居れば、そう言う発想が出てもおかしくはないと思うけどなぁ」
頭を掻きながらカリンに言った。俺はその発想はできても絶対に行いたくはないと思うのが、世の中は広いため、実行する奴がいても不思議ではない。
「おかしくないわけないじゃない!」
カリンが悲鳴に近い声を上げた。
「人間を解体しているなんて」
「はぁ? 人間?」
カリンの口から出てきた言葉に思わず聞き返した。なんでそんな物騒な発言が出てくるのだろう。何でそんな莫迦なことを言っているのかと聞こうとしたとき、カリンの手の中にある値段表の文字が一部かすれていることに気が付く。
値段表には脳みそや肝臓といった臓器の名称とそれがいくらで売られているかという値段が書かれているが、その臓器が何のものかという部分が書かれていないのだ。
先ほどまでのカリンのおかしな言動がようやく理解できた。間抜けな話に吹き出しそうになるが、ぐっとこらえる。笑うよりも早く誤解を解かねば。そう考えたときだった。加工場に繋がる扉がガチャリという音と共に開いた。
俺とカリンがそちらを見る。
扉の奥から姿を現したのは異様な出立の大男だった。血が滴り落ちる牛刀を片手に持ち、血でべったりと汚れたエプロンを身に着けている。
それだけでも十分ではあるが、それ以上に異彩を放っているのは、頭部の部分だろう。目の部分だけ穴が開いた薄汚れた麻袋を被っているのだ。その姿はまさに殺人鬼と呼ぶのがふさわしいと言える。
しかし、この人物こそ精肉店の店主にして、サシャの旦那なのである。
カリンにそれを説明しようとしたが、人間の解体をしていると勘違いしたカリンにとって、この強烈な店主の出現は自分の持論を証明する証拠にしかなりえなかった。
「ひぃゃあああああ!」
カリンが耳を劈くような悲鳴を上げ、へなへなと座り込む。あわてて助け起こすが、あまりの衝撃に気を失ったらしく、ぐったりとしている。
「ああ、すまん。お前のこと説明してなかった」
心配そうに駆け寄ってきた店主に対して謝る。ちょっとした悪戯のつもりだったのだが、ここまでの反応を示されるとは思わなかった。
カリンの血の気が失せて青くなった顔を見ながら、後で謝ろうと反省するのだった。




