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「えーと、それでは、この街に新しい住人が増えてことを祝して、乾杯――」
俺の音頭を合図に全員がグラスを持ち、杯を交わした。俺とヴォルフのグラスには秘蔵のワイン、シアンとカリンのグラスにはシードルが注がれている。宴会を始める前にアルコールが飲めるかどうかをカリンに確認したところ、全く飲めないわけではないがすぐに酔ってしまうためあまり好きではないとの回答があった。
ならば飲みやすく強くないものを用意しようと思い、出したのがこのシードルである。それをさらに薄めたリンゴの果汁で割っており、酒というよりもジュースと言ったほうがいいかもしれない。
俺の作った料理はおおむね好評だった。酒をほとんど飲まないシアンとカリンは、酒のつまみの類には手を伸ばさなかったが、二人用にと思って作ったペンネやマッシュポテト、揚げ物類は積極的に食べてくれた。
「あ、美味しい!」
「美味しいです。ご主人様」
二人が笑顔で自分の料理をほめてくれる。それほど料理をするのは好きではないが、それでも、褒められると悪い気はしない。
「口に合って何よりだ。さぁ、遠慮せずにどんどん食べてくれ」
シアンたちに料理を勧めながら、自分も料理に手を付ける。ワインにはやはり肉料理だろうと思って作ったローストビーフを口に入れた。塩コショウでしっかりと味付けし、じっくりと時間をかけただけあって、味は悪くない。
「男のくせに、相変わらず料理が上手いなぁ」
ヴォルフが言った。いつのまにか彼の取り皿には料理がこんもりと盛られており、我が家であるかのような気楽さを持って食べていた。
「食べてくれるのはうれしいけど、アンタは少し遠慮してくれよ。カリンの歓迎会だし、アンタのために料理を作ったわけじゃない」
「固いこと言うなよ。別にいいじゃねぇか、少しぐらい大目に食べたって。並んでいる料理は4人で食べるには十分すぎる量だろう?」
ヴォルフが食卓をジロリと見渡しながら言った。確かにそのとおりだとは思う。作っている最中に少し興が乗りすぎた。作りたいなと思ったものを自制せずに作りすぎたと反省する。
「それに、食べきれなくて残す方が、料理人に対して失礼に当たると俺は思う。だから、この場を用意してくれたお前さんに感謝の気持ちを表現するための当然の行為だ」
「そういうものかなぁ」
確かにその言葉には一理はあるのかもしれないなとは思う。しかし、それは自分から飯を出せと言った人間が使う言葉ではないのではないかと考える。いったいどう生きればこんな考えを持った人間になるのだろうか。育ちと神経、どちらが影響しているのだろう。
「ご主人様、グラスが空ですよ」
ぼんやりとそんなどうでもいいことを考えていると、シアンが酒瓶を持ってお酌をしてくれた。少しだけとはいえ酒を飲んだ影響の所為か、手元がゆらゆらと揺れて、危なっかしい。大丈夫かと聞こうとしたが別の声に遮られる。
「ねぇ、そっちのワインってやっぱりおいしいの?」
カリンがシアンの持つ酒瓶を見ながら俺に訊ねた。
「気になるのか?」
「うーん、お酒はあまり好きじゃないけど、高級品って言われると少しね」
どうやら興味があるようだ。確かに高級品だの稀少品だの限定品だの、興味のない物であっても何かしらの箔が付くと途端にほしくなるというのは理解できる。小市民的な思考だなとは思うが。
カリンの期待に応えるべく、空になっていたカリンのグラスに少しだけワインを注いだ。カリンはそれをキラキラとした期待の目で見つめ、一口に喉へと流し込んだ。
「けほっ、けほっ!……何これ? なんだか、渋いだけ」
期待を裏切られた表情をしながらカリンは文句を言う。たぶんこうなるだろうなと予想した英アクションだったため、俺とヴォルフはそれを見て笑う。まだまだ、カリンはお子様といえる感性をもっているようだ。
「ご主人様、どうぞ」
シアンが再び空になったグラスにお酌をしてくれる。
「はっはっは。お嬢ちゃんには、その旨さがまだわからないか」
「わかる気がしないわ……」
「はっはっは。大人になればわかるようになるさ」
ヴォルフが大きな声で笑いながら言った。確かにそのとおりだと思う。俺だって酒が好きになったのは20歳を超えてからだ。それまでは変に大人ぶりたい仲間たちと酒を競うようにして飲むようなことはあったが、味もわからないままに飲んでいた。ビールは苦いし、ワインは渋いし、ウイスキーは辛いだけだしで、こんなものを好きになる奴なんているのかと思っていたものだ。
それが今では、立派な呑兵衛である。大人になるということはこういうことなのかと思うが、これが大人として良い方向なのかと問われると自信はまったくない。
「何よ!大人って!大人なんてみんな自分勝手、子供と大して変わらないじゃない!」
唐突に怒声が宴会の場に響いた。驚いて声の主を見る。カリンだった。目に涙をためて必死に中身が有るようで無いような抽象的なことを呟き始めた。
急に言動が変わったカリンに驚き、視線を顔の方にと向ける。相変わらず愛嬌のある端正な顔立ちだが、異様に赤みがかったように見えた。
片手には並々とワインが注がれたグラスを持っている。知らない間にワインをさらに飲んでいたようだ。不味いと言っていたからそれ以上は飲まないと思っていたのに何故飲んでいる。
「はっはっは。確かに大人は勝手だな。でも仕方ない。大人だからな。はっはっは」
ヴォルフが陽気に笑っている。この人も酔い始めたようだ。
ヴォルフは酔っぱらうと、どんな些事でも笑いどころ見つけて、大声で笑いだす癖がある。変に絡んだりしてくることは無いので、放置しておけば人畜無害の置物と化すのだが、カリンが変な酔い方をしてヴォルフに絡みついているせいで、ヴォルフもヴォルフで変な反応をし始める。なんだか徐々におかしな状況になってきたな。
「みんな、わたしを置いていく、ううっ、大人になんてみんな、みんなそうなのよ!」
「はっはっはっは。違うぞ、みんながお嬢ちゃんを置いていんじゃない。お嬢ちゃんがみんなを置いていったんだぞ」
「そうなの?じゃあ、じゃあ、わたしも身勝手な大人? なの? ぐすっ」
笑い続けるヴォルフと鳴き続けるカリン。このまま飲ませ続けるとさらにひどいことになるかもしれない。ヴォルフのおっさんはいつもどおり放っておくとして、カリンはひとまず落ち着かせるために介抱しよう。
「シアン、カリンを寝かす……」
「ご主人様、グラスが空です!」
シアンがテーブルの上に酒瓶を勢いよく叩きつける。テーブルが揺れ皿がガチャガチャと鳴った。
「いや、今はそれどころじゃ……」
「グラスが! 空です!!」
駄目だ。いつものシアンじゃない。この子も酔っている。
普段のシアンからは考えられないほど力強い声で酒を勧められる。シアンの目が据わっており、愛想など一切感じさせない仏頂面であった。普段大人しい子が荒れると怖いと聞いたことがあるが、確かにそのとおりだと思った。
「聞いているんですか! 飲んでください! ご主人様!」
「はっ、はい!」
透明な液体をグラスの中に注がれる。やはり相当酔いが回っているようで、注ぐ手が震えている。本人は普通に酒を注いでいるつもりのようだが、テーブルの上に酒がこぼれてしまった。
あわてて拭こうとしたが、シアンはじっと俺を射殺すような目で見つめる。
飲まないと何をしでかすかわからないという恐怖に負け、注がれた液体を口に入れる。
「がふっ!げほっ!なんだよ、ごれ」
口と喉をやくような刺激に思わず咽て、吐き出す。口の中からアルコールが気化する感触が気持ち悪い。視界がぐらぐらとし、見えるものがぼやける。
シアンから瓶をひったくりラベルの文字を見る。
「ウォッカ……? なんでこんなものが?」
見慣れないラベルに疑問の言葉を口にする。それから相変わらず笑い続けているヴォルフを見た。おそらくだが、こいつが持ち込んだのだろう。
ふらふらする頭を抱えて立ち上がる。水でも飲まないと潰れかねない。
立ち上がった瞬間に、シアンと目があった。
「ごしゅじんさま!! グラスが! 空です!!」
その瞬間俺はこの場から逃げるのはできないのだろうと全てをあきらめた。たまにはこんな日があってもいいのではないかと。
誰一人として正常な思考が出来る人間はいなくなり、夜は賑やかに更けていくのであった。




