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迷宮から脱出し、地上にある露店市場に移動する。
閑散としている地下の商店街と違い、こちらは、冒険者、商人、市民が往来の全てを埋め尽くしており、商売の活気に満ち溢れていた。
迷宮都市にある市場は王国でも最大級の規模を誇るといわれている。政治の中心でもないただの一都市がなぜ最大級の市場を持っている理由は、人口が他都市に比べて非常に多いためである。
公称では約50万人。住居を持たない冒険者や商人の数を入れると100万人以上の人間がいるのではないかといわれている。この人口数は国家の中枢たる王都の3倍近い数字であり、王国における最大都市となっている。
それだけの人口を支えるためには、大量の食料品や消耗品を初めとする様々な物資が必要であり、それらはすべて商人の手によって日夜を問わず迷宮都市に運び込まれていた。
運び込まれた商品のほとんどは仲卸の商会に運び込まれるが、一部は消費者に直接販売をする場合もあり、それらが一か所に集まって市場を形成している。
「うわ~!すごいです!」
シアンがキラキラと目を輝かせながら感嘆の声を上げた。
久しぶりの地上に気分が高揚しているようだ。喜んでもらえると連れてきた甲斐があるなと思う反面、地下でずっと働かせており、適度な休暇を与えていなかったことを後悔する。
この国に労働者を守る法律はないため、従業員の福利厚生は使用者の裁量にすべて任されている。そのため、毎日何人もの労働者が事故死をおこすようなひどい労働環境があるというのも聞いたことがある。
そこまでいかないまでも酷使しているようなところはごまんと存在している。うちの店はそういったブラックな環境にはならないように注意しよう。そのうち従業員の労働規則でも作ろうかな。
「シアン、あんまり離れるな!」
「はい、ご主人様」
きょろきょろと左右に並んだ露店を見ながら歩いているシアンに注意する。シアンは俺の言葉を素直に聞き入れると、覗き込んでいた露店を離れて、とことこと俺のそばに戻ってくる。
こういった行動を見ると歳相応の幼い面もあるのだなと思う。普段は真面目で落ち着いた性格のため、大人びているように見えることが多い。それが悪いことであるというつもりはないが、変に大人ぶるよりはよっぽどいいと思う。
「何か面白いことでもあったの?」
気が付かないうちに顔がにやけていたらしく、カリンに指摘された。あわてて真面目な表情を作る。シアンの行動が微笑ましかったからにやけていたなどとは流石に言えない。
「ご主人様。カリンさん」
先頭を歩いていたシアンが俺たちのところに戻ってきた。小さな両腕を俺とカリンの前にそれぞれ突き出した。
「人ごみで逸れないように皆さんで手をつなぎませんか?」
シアンが提案をする。確かにこの人ごみの中を進むには有効な手段かもしれないが、しかし、なんというか、いい年をした大人が、人前で手をつないで歩くというのは少々の抵抗感がある。
どうしようかと思いカリンを見る。俺よりもはるかに若いカリンはそういった感情を持ち合わせていないのか、すでにシアンの手を握っていた。
シアンが期待の目を込めてこちらを見る。この期待は裏切ることは難しいだろう。
「わかったよ」
シアンの圧力に屈して、手をつないだ。
それから3人で市場の中を歩き回った。今回のこの市場で購入するものは、1か月間に消費する食料と生活雑貨類である。
「そういえば、1月分の食料をなんてそれなりの量になるわよね。どうやって持ち帰るの?」
八百屋でなるべく新鮮な食材はどれかを品定めをしているときにカリンが訊ねた。
「配達で運んでもらうようにすでに手配済みだ。商店街には郵便を生業にしている奴がいて、それに依頼すれば、地上で購入したものを自宅まで運んでもらえる」
「郵便?郵便って手紙や荷物を送り届ける事業よね。迷宮内でそんなの必要なの?」
「迷宮だからこそ必要になる」
カリンの疑問に答える。
「迷宮を最深部まで探索しようとする冒険者にとって一番必要なものが何かわかるか?」
逆にカリンに訊ねた。カリンは少し悩んだ後、険しい顔をして強い武器や回復薬と答えた。自分たちが全滅しかけた教訓から学んだものだった。
「迷宮の上層を探索するなら、それが最も大事だな」
「それ以外に何が必要となるの?」
「水、食料、後は安心して睡眠できる環境」
他にもあるが、総じて言いたいのは人間が生きていくのに必要な物資であるということだった。
「いくら屈強な冒険者といえども動けば腹が減るし、のどが渇く。水ぐらいであれば魔法でつくりだすこともできるが、水をつくるのにいちいち魔法を使うのでは、すぐに魔力切れを起こしかねない。そして食料だ。これは魔法ではどうにもならない。何もないところから食料生産をする魔法は存在しない。せいぜい魔法に出来ることは、腐ったものや毒のあるものを浄化して食べられるようにするぐらいだ」
「迷宮に入るときに持ち込めばいいじゃない。私だって水筒や簡易食料ぐらいなら携帯して探索を行っていたわ」
要領を得ない声でカリンは言った。
「上層ならそうだな。その程度の用意で十分だと思う」
下層に行ったことが無い人間に理解しろというのは難しいか。迷宮の広大さは実際に足を踏み入れないとわからないものだ。そう思いながら苦笑を浮かべる。
「いいか、下層を探索する冒険者は何日も迷宮内に滞在しなければならない。その間に生きるための物資は地上から持ち込む必要がある。そうだな。三階層を探索して、十分な時間探索し、帰還するとすればとすれば、並の冒険者で10日は必要となる。つまり10日分の食料を持って移動しなければならない。それだけの食料に加えて探索に必要な武器や防具、回復薬等の消耗品、水なんかを持ち歩く必要がある」
「……きついわね」
カリンがようやく理解できたという表情になっていた。
「だから荷物を配達してくれる存在が必要になる。それが商店街に郵便屋が存在する理由だ」
しかしカリンにはそう説明したが、郵便屋の本業はほとんど行われていないのが現状だった。迷宮内の配達を必要とする冒険者など数える程しか存在していない。収益だけを得るならば一階層の探索だけで十分で、危険の多い下層に進みたいと思う者が極端に少ないためである。
そのため、配達仕事の少なさを穴埋めする目的で始めた、住民の荷物を運搬する副業だが、今ではそれが主業となってしまっていた。
商店街の住人になったカリンに郵便屋の使い方を教えようとしたが、その前に大きな声で俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ご主人様!これです!面白いものがあります!」
声の方に視線をやるとシアンが何かを両腕に抱えて、興奮していた。人の頭よりも大きな楕円形の物体で、緑色の分厚い皮が特徴的だった。シアンはそれを両腕で抱えているにもかかわらず、重そうに持ち上げているところから、中身がたっぷりと詰まっているらしい。
「なにそれ?どこで見つけてきたの?」
カリンも初めて見るものらしく、物珍しそうな表情を浮かべ、ペタペタとそれを触る。店頭に並んでいるものを必要以上に障る行為はマナー違反なような気もするが、この市場では客の立場が店よりも強い位置にあるため、よほどの行為をしない限り、咎められるようなことは無い。
「カボチャか?珍しいものがあるな」
二人に野菜の名前を伝えた。
「この国では見かけるのは始めてだな。見た目はこんな緑の岩みたいな外見をしているが、立派な野菜だ。確か瓜の仲間で地上に実ができる。この状態のままだと固くて食用にはできないが、煮ることで容易に切り分けることが出来るぐらいには柔らかくなる」
昔の記憶を頼りに簡単な概要を説明する。
「お客さん。物知りだね」
カボチャを販売して露店の店主が話しかける。薄くなった頭髪が哀愁を感じる中年の男性で、屋号の書かれた前掛けを着ている。
「隣の大陸にある国家から輸入した商品だよ。最近国交が樹立して交易が始まったから流通するようになった珍品です!」
「へぇ、そうなんだ」
カリンが物珍しげな表情でカボチャを見る。しかし、購買欲はわかないらしく見つめるだけだ。それを店主は察したらしく、困ったような表情を浮かべて頭を掻いた。
「しかし、物珍しい商品はなかなか売れなくてね。そいつのことを知っているお客さんたちなら買ってくれないか?安くするよ」
「安くしてくれるのはいいけど……。それ、おいしいの?」
不安そうな表情で店主を見ながらカリンが言った。安かったとしても、おいしくなければどうしようもない。
「大丈夫だろう」
カボチャを軽く叩きながらカリンに言った。
「中身はしっかりとあるようだし、長時間の船旅で程よく熟成していそうだ。この野菜は熟成させることで中身が甘くなる性質を持っている。まずいということは無いと思う」
「ふーん。でも、どうやって調理するの?」
「さっきも言ったように煮るのがメインの調理方法だな。ゆでてそのまま食べることもできるし、煮物にもできる。他にはパイとかスープとか……。そうだな、甘いからお菓子の材料なんかにも使われたりしていたはず」
「お菓子のですか!?」
シアンが菓子という単語に勢いよく反応した。シアンは甘党で甘いものに目がない。期待の視線を俺に向ける。
「安くしますよ。今なら一つ5カウルだ」
シアンの反応に在庫が処分できるかも可能性見出した店主は、ここぞとばかりにカボチャを勧める。商魂逞しいなと思い苦笑いを浮かべつつ、確かにジャガイモ1個で銅貨3枚という値札と比較して考えると銅貨5枚は大分安い価格である。安いという言葉だけで十分に心が揺さぶられる。
結局、店主の勧めに従いカボチャを購入することにした。カボチャは栄養価も高い。成長期であるシアンやカリンには必要なものである。彼女たちが成長するに必要なものは、なるべく惜しまないことにしよう。




