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「ああ、……夢かぁ」
目が覚めた。
夢の内容はぼんやりとしか覚えていないが、ずいぶんと懐かしく、そして思い出したくもない出来事だったような気がする。
薄目を開けて周囲に視線を向ける。煤とほこりで薄汚れた天井と石壁、無造作に置かれた魔道書や薬草学の学術書、部屋の中心にある大きな鍋とその上に設置された薬液の抽出装置、それがこの部屋にあるすべてである。
いやになるほど見飽きた自宅の風景であることを確認し、先ほどまで見た光景が夢であるということをぼんやりとした頭で改めて確認した。
「ろくでもない夢だ……。なんで今更こんな夢を」
何かの虫の知らせなどでなければよいのだが。しかしぎりぎりのタイミングで目を覚ましたことは不幸中の幸いといってもいい。この夢はあそこでは終わりではない。前半部分だけであれば悪夢の一つで片づけることが出来るが、後半は悪夢という言葉では足りない存在になるだろう。
早めに目が覚めたことに感謝しつつ、再び夢の中へと二度寝でもしようかなと思い目を閉じる。
しかしそうもいかないようだ。上から聞こえてくる複数人の足音と話し声が聞こえた。どうやら来客らしい。耳栓でもして無視をしようかと思ったが、俺が無視をすればこの家に住む同居人に迷惑がかかってしまう。
その欲望にかろうじて耐えるため、枕元に置いてあるに水差しを手にとり、注ぎ口に口をつけて胃の中へと流し込んだ。この行為が同居人に見られれば下品だとお説教をするだろうが、今はこの部屋には俺一人しかいないため、気にしなくてもいい……。
「ぶっ! うへぇ……。何だよ、これ、。腐っているのか」
酷い味で思わず口に入れた水吐き出してしまう。無臭であるため腐りはしていないようだが、廃液のような味がした。
口元についた水をふきながら、水差しを見ると蓋がされていないことに気が付いた。
この部屋は石壁に囲まれたつくりでろくな換気設備もないため空気は常に沈殿している。そして湿度が高いため、ちょっと気を抜くとすぐにカビだらけになるし、おまけに常に煌々と燃え続けるランプ油の臭いが染みついている。
そういった空気が水にしみこんで、こんな味になったのだろう。俺はこの部屋での生活は長いため、すでに嗅ぎなれて親しんだ臭いとなっていることからそれほど気にしていないが、人が快適に住める環境とは程遠い場所であるのは間違いない。
「痛っ!……ああ、頭痛いなぁ。飲み過ぎたつもりはないのだけれど」
体を動かした途端に脳みその奥で鈍い痛みが広がった。
額に手を当てながら、薬と雑な扱いの影響でボロボロになったソファーから体を起こす。これも常々いつかは買い換えたいと思っているが、魔法薬の作成という問題と、商才の不足により一向に潤わない懐い事情のため、それをなかなか実行することができていない。
「客単価が安すぎるのが悪いよな。もう少し高額なものを売ることが出来れば、少しは生活が楽になるのに」
情けない生活につい不満が口に出る。この場所に入居するときの取り決めに基づいて商売しているとはいえ、もう少し自由が欲しい。
「店長を呼んでよ!店長を!」
部屋の出入り口から聞こえてきた声で、自分が目覚めた理由を思い出す。そういえば珍しくお客さんが来ているのだった。そしてそのお客さんは店長を、つまりは俺を呼んでいるらしい。
声量や口調から店舗の状況がどうなっているかはおおよそ推測することが出来た。なるべく関わりたくないが、店長である以上はその選択を選ぶことはできない。観念しため息をついて立ち上がる。
すぐに出ようかと思ったが、最低限に身嗜みぐらいは整えておこうと思い、工房に置かれている汚れで若干くすんだ姿鏡で、自分の姿を確認する。
「酷い顔だなぁ」
苦笑いを浮かべて自嘲交じりに呟く。
寝起きであることを主張するようなぼさぼさの黒髪に半分閉じかけた黒色の瞳。昨晩から着ていたままの白いシャツは皺だらけになっていて、酒をこぼしたのか所々に染みが出来ている。
人前に出られる様な姿ではないなと思った。ちゃんと身支度をして出ていきたいところなのだが、そんな余裕はないようだ。
さきほどよりも声が大きくなった上階へちらりと視線を上にあげて、それは無理だろうなということを確認する。起こされてから今まで間、怒声は休むことなく続いている。これ以上続けさせると店番をさせている同居人が耐え切れず泣き出すかもしれない。
「風呂にでもゆっくりと入りたいのだけど、仕方ないか……」
ため息をついて立ち上がる。店に上がる前にシャツぐらいは着替えておこう。