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「え? ここなの?」
迷宮の裏口と呼ばれる場所に着いたときに、カリンが最初に言った言葉がそれだった。
正門ほど立派ではないとしても、魔物の進出を防ぐ能力を持った重厚な扉と上層に上がるための階段がある場所をカリンは想像していたのだが、案内された場所は想像とは大きくかけ離れた場所であった。
「普通の民家にしか見えないのだけど」
俺たちに目の間にあるのは、どこにでもあるような一般的な民家であった。特別に豪華な装飾が施されているわけではなく、不自然にボロにもなっていない一階建ての家屋。教えてもらわなければ迷宮の出入口があるような場所には見えないだろう。
「一応秘密の通路だからね。見た目でばれないように偽装しているのさ」
驚くカリンを横目に見ながら、家の玄関扉にある呼び鈴を鳴らす。門番が民家側で待機していれば、扉を開けてくれるはずである。
しかし反応がない。聞こえなかったのかなと思い2,3回繰り返すが、先ほど同様にまったく反応が無かった。どうやらこちら側の出入口には居ないようだった。
ならば、勝手に入るしかない。ドアノブを回すが抵抗はない。幸いなことに鍵は閉められておらず、軽く手で押しただけで扉は簡単に開いた。もし鍵が閉まっているのであれば組合長のところで合鍵を借りる必要があった。
「この家には誰か住んでいるの?」
玄関扉を通過しながらカリンが訊ねた。
「おじいさんが、一人で住んでいます」
カリンの質問にシアンが答える。
「といっても、昼間の間だけで、夜は別の場所にいるみたいですが」
三人で家の中に入るが反応はない。建物内は静まり返っており、人の気配は全くしなかった。
足を止めることなく玄関から先に進むと、奥のほうに地下へと階段が見えた。その階段から数百m続く地下道へと入り、地上へと向かう階段を上ることで迷宮の外に脱出することが出来る。
「本当に裏口があったのね……。冒険者や迷宮管理局も知らないルートがあるなんて、思いもしなかったわ」
意外そうな口調でカリンが言った。
迷宮管理局は迷宮構造のすべてを把握していることが建前となっている。迷宮の構造、資源の産出箇所、魔物の生息地などなど、そういった冒険者たちに必要な情報を管理、提供できているからこそ冒険者から入坑料を取り立てることが出来ている。
「この場所について知らないだけで、秘密の抜け穴があること自体は管理局も把握しているよ。ここ以外にも2、3本ルートが存在して、そちらには管理局の役人が待機している」
「わたしがこの街に来た時に通った出入口ですね。確かにあちらにはお役人さんがいっぱいました」
「あれ、そうだっけ?……よく覚えているな」
シアンの記憶力を褒める。言われて思い出してみればシアンを初めて連れてきたのは、関所のある住民用ルートだった。そこはシアンを連れてきたときぐらいしか使用していない。なぜそこを利用したのかというと、舗装されて歩きやすい道だからである。あの時のシアンは今よりも痩せていて、ちょっと足場が悪いとすぐにバランスを崩し転んでしまった。
もっとも、その道であったとしても歩くのは大変そうであったため、結局俺が抱きかかえて歩くということになったのだが。
「関所のあるルートとないルートの違いって何なの?」
階段を下りながらカリンが質問をした。確かに疑問に思うのは当然だと思う。答える前に通路の明かりを灯すために、壁に設置されたスイッチを押すようにシアンに指示する。シアンが慣れた手つきでそれを押すと、天井から吊らされたランプがぽつぽつと転倒し、先の見えなかった通路を明るく照らす。
「さっきの質問だが」
歩行を再開しながら、カリンに言った。
「お前も冒険者をやっていたなら知っていると思うが、行政、迷宮管理局は迷宮に入るものすべてから入坑料を徴収している。この入坑料は冒険者だけではなく、調査に来た学者、観光に来た貴族、そして迷宮に住む住民、分け隔てなく」
「知ってる。けど、チハヤさんみたいな住民から徴収しているとは思わなかったな。てっきり貴方たちは特別扱いなのかと」
「特別扱いなのは間違っていないかな。行政に協力することを条件に不動産税とか物品税とか地価税他にもいくつかの税金の減免を受けている」
地上で商売をやるよりも低コストで商売はできているそれは間違いない。
「え?それなのに、あのぼったくり価格で商売を?」
「……まぁ、そうだな。いくら税金が安くても、商機がほとんどないからな。売れるときに高値で売っておかないと俺たちも生きていけない」
売り手側としてはやましい気持ちなどない。正当な価格で販売していると思っている。しかい買い手側からすれば、不満はあるだろう。何かを言いかけるカリンの言葉を遮るようにして、当初の質問の回答を行う。
「そんな訳で入坑料を節約するために、管理局に知らせていない通路をいくつか残している。この道はそのうちの一本だ」
「じゃあ、関所のあるルートは使っていないの?」
「いや、たまに使っている」
使った時を思い出しながら回答する。改めて思い出すと年に数回とかその程度しか使っていないな。
「まったく通行無しでは、行政から怪しまれてしまうからな。もっとも連中は気付いた上で黙殺しているのだと思う。やりすぎなければ多少のことはお目こぼししてくれる」
直接聞ける話ではないので、これについては俺の予想だが、おおむね間違ってはいないと思う。
「でも、危なくない。誰でも通行できる出入口があるなんて、魔物が出現するかもしれないし、外から危険な人間が入り込んでくるかもしれないし」
カリンが不安そうに言った。
「心配するな。ちゃんと門番を置いているよ。住民以外に対しては、問答無用で攻撃を仕掛ける犬が一匹」
「犬?」
「この子です」
唐突に聞こえたシアンの言葉にそちらを見る。俺は見慣れているため、そこにいたのかと思う程度だったが、初めてシアンの隣にあるものを見たカリンは、驚愕のあまり表情がひきつり、手足が固まったようだ。
シアンの隣にいたのは、獰猛な牙を光らせ、血走った眼で俺たちを睨む、巨大な犬の化け物だったのだから。




