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「まぁ、こんなもんでいいだろう」
ヴォルフが書類に目を通しながら言った。
ようやく終わったということに安堵のため息をつきながら右腕をさする。数分で終わると思っていた迷宮内の調査報告だが、報告書が必要になるから自分で作れと言われて、朝から今に至るまでずっと集会所の一室で書類作成をさせられていたのだ。
行政に出す書類というものはなぜこうも回りくどいのだ。
事実のみを淡々と記載すればいいのではと思ったが、貴族や市の実力者が読み込むということで、やたらと格式ばった文体でないとだめらしい。
書きなれている人間であれば数度の清書で完了するのだろうけど、ただの商人にそんなものが書けるはずもない。成功に至るまでに、何十枚と消費した紙がゴミ箱に山となってこんもりと積まれている。
「はぁ、地下の探索よりもこっちのほうがよっぽど疲れるよ」
「ははは、組合長の苦労が少しでも理解できたか?お役所を相手にしているといつもこんなものだぞ」
「はいはい、お疲れ様です」
ヴォルフの言葉を適当に流す。行政とのやり取りは組合長がほとんど担っている。取りまとめ役だからというのが理由であるが、実際は行政とやりあえるような知識と交渉能力のある人間がほとんどいないからだ。
まぁ、こんなところで暮らしている奴にそんなものを求める方が間違っていると思うのだが。その能力があればこんな場所で暮らしてはいない。
何にせよ書類の作成も終わったのだ。後はヴォルフが報酬を持ち帰ってくることを首を長くして待っていればいい。
「それじゃ、俺は帰るからな」
「おう、お疲れ」
帰ろうと席を立ち、懐に入れている懐中時計を取り出して時間を確認する。昼飯の時間が近い。早く帰らないと昼飯の支度が遅くなってしまう。今日からは用意する分が3人分に増えている。
自宅にある食材の残りを思い出しながら、作ることが出来るものを考える。基本的に食料や生活雑貨は一度に1か月分をまとめて購入しているため、月末になると在庫はほとんどなくなってしまう。こまめに買い出しに行けばいいのだが、浪費癖の所為で街に出るたびについ余計なものまで購入してしまうため、なるべく出かける回数を減らしている。
まとまった金も入るしそろそろ買い出しに行こうかなと考えながら、出入り口の扉をくぐる。
「あ、そうだ。忘れていた。おい!秘蔵の一本はどうした?」
「ああ、そうだったな。ちゃんと準備している」
書類をかばんに詰め込みながらヴォルフは言った。どうやらすぐに管理局に報告に行くつもりらしい。
組合長の仕事は街や行政との折衝がメインの仕事で、平時では特別忙しい仕事というわけではない。ありていに言えば常に暇を持て余しているということになる
「だけど、今は蔵の中にある。俺の仕事が終わって……、夕方ぐらいには持っていくつもりだ。だから、準備をよろしくな」
「準備?……俺への報酬じゃなかったのか」
「一本くれてやるとは言ってないぞ。安心しろ。安酒でよければワイン以外にも持って行ってやるから」
ヴォルフがにやりと笑いながら言った。
ああ畜生と心の中で呟く。もとからそういうつもりだったな、この野郎。
ヴォルフに限った話ではないのだが、この町の住人はなぜか俺の家で酒を飲みたがる。この商店街には意外なことに酒を飲める居酒屋のような店が一軒もないのだ。そのため、必然的に誰かの家に集まって宴会を開くことになるのだが、俺の店が会場となる割合が妙に高い。統計を取っているわけではないが、宴会の6割以上は俺の店で開催されている。
理由はわかっている。俺の家でやれば酒のあてが豊富に出てくると思っているからだった。最初は自分のために作っていたのだが、それを来客にも分けているうちに我も我もと集まってきた。
料理人であれば泣いて喜ぶような状況だろうが、俺は料理人でもないし、うちは居酒屋ではない。自分とシアンのための料理なら喜んで作るが酔っぱらいのための料理なんて作りたくない。
褒められることが嬉しくないわけではないのだが。
「大丈夫だ。今日は俺しかお前さんの店にはいかないから。ほら、いつぞやのように20人前作れというわけじゃない。3人前だけだ。……いや、一人増えたから4人か」
指を折って人数を数えるヴォルフにため息をつく。人数の問題ではなく、あんたのために料理を作るのが嫌なのだが。
「まぁ、いいか。従業員が増えたから、どうせ歓迎会でも開かないといけないなと思っていたし」
「お!ちょうどいいタイミングだったというわけか!」
「アンタを呼ぶことは想定してなかったけどね」
「ははは、呼ばれなくても大丈夫だ。押しかけるからな」
相変わらず何を言っても通じない。この人は昔からこうだった。
「しかし、そんなことよりも聞きたいのだが」
ヴォルフが疑問を口にする。
「どうして従業員なんか増やした?お前さんの店の状況はよく理解しているが、労働力が不足しているようにはどうやっても見えない。また、不要な従業員を雇えるほど経済的に余裕があるとは思えない。男の一人暮らしであれば女を連れ込むのはわかるが、女の子の扶養家族がいるお前さんがそれを行うとは思えない」
「まぁ、そうだな」
どう答えるべきかと少し悩む。これがいつものように適当な調子での会話であれば、適当に流すだけだったが、ヴォルフの言葉には純粋な善意からの心配が混じっている。それを鬱陶しいと思う気持ちと気にかけてくれてありがたいという気持ちが両方存在している。
事実を話してしまおうか。そう考えたが、無償で冒険者を助けたなんて話をしたら、馬鹿にされるか怒られるに決まっている。
「新しい商売を始めようと思って」
ヴォルフの問いに答える。適当なごまかしをしただけで考えなんか何一つない。ヴォルフはジロリと睨み、疑いの目を俺に向けたが、ため息を一つ吐いただけだった。
「まぁ、いいか。新しく始めるなら事前に報告だけしてくれよ」




