12
俺を包囲するように無数の剣戟が、高位の魔法が初夏の夕立のごとく降り注ぐ。鋼刃を薄皮一枚の距離で、魔法は魔力の障壁を展開して打ち消して、致命傷とならないように必死で防ぐ。
必死に戦いながら、諦めに近い達観した気持ちが心の中に存在している。俺はいったい何のために戦っているのだろう、と。
信じていたものに裏切られ、同胞と呼べる存在を殺し、英雄だと慕ってくれた存在を見捨て、俺は何もかもを失った。
それでも、諦めずに戦ったのは、死んでほしくない親友がいたからだ。
高尚な思想や理念があったわけじゃない。こんな世界に生きる人間たちが繁栄しようが滅ぼうがどうでもいい。親友たちが不足なく生きていける世界が残すことができるのであれば、それでいい。
「違う!俺はお前たちを裏切ろうなんてしていない!」
叫び声を上げる、それと同時に視界が歪んだ。そこでようやく今までの風景が昨日見た夢の続きだということを理解した。
目が覚める。
額にびっしょりと描いた汗を上着の袖で拭う。昨日と同じく地下室のソファーの上で寝転んでいるようだった。
周囲の状況を確認しようと状態を起こして、ぼんやりとする頭で周囲を見渡す。
無造作に置かれた書物や、家財道具は昨日見た光景から一切変化なくそのままの状態であった。
荷物が散乱している室内を見るたびに片付けをしようという気持ちが心の中で芽生えてはいるのだが、結局実行に至ったことはあまりない。変なプライドなど捨ててシアンに片付けを任してしまうべきなのかもしれない。
夢だったということを完全に理解し、再びソファーに体を倒す。変な目覚め方をしたせいで眠気は残っている。このまま二度寝をしてしまおうかと考えたが、その誘惑には必死を必死にこらえた。再び眠ることで夢の続きが再上映されるのではないかと思ったのだ。
それはなるべく避けたい。大きく息を吐いて、必死に頭を起こす。目を覚ますために机の上に置いてある水差しを手に取った。
「……腐っていたな。これ」
そっと水差しを元の場所にあったところに戻す。
水で目を覚ますということをあきらめ、頭の体操代わりにどうして俺は寝台で寝ていないのかを必死に思い出すことにした。
昨日は迷宮の一階層でパンサーを倒し、未熟な冒険者のパーティーを助けたはず。助けたといっても、全滅していないだけで、パーティー4人の内3人が死亡と言う壊滅状態だったが。
「ああ、そうだった。死んだ奴も蘇生したのだったな」
莫迦みたいな情を見せてしまったことで、人間を三人も生き返らせるという大仕事をしたのだ。蘇生魔法は魔力を大量に消費する魔法である。一般的な技量を持った魔法使いであれば、持ちうるすべての魔力を消費して一人の蘇生がようやく可能となる魔法である。それを3人分使用し、さらに復活して弱り切った冒険者どもを安全な迷宮の入口まで誘導した後、店に戻り夕食の準備を完了した時点で体力の限界を迎えてしまった。
その結果、風呂にも入らず、着替えもせずに、倒れ込んで惰眠を貪るということになったようだ。寝室ではなく工房で寝ていた理由は、寝台を汚い恰好で汚したくなかったからだろう。
頭の体操兼ねた記憶の整理をしていると、扉が控えめに叩かれた。ソファーに寝ころんだまま起きていると答える。扉を叩いた人物が誰かはわかっている。他人であれば、大した設備はないとはいえ、自分の工房を見せるようなことはしない。
「おはようございます。ご主人様」
シアンがあいさつをして頭を下げる。それから部屋の中を一瞥すると渋い表情になった。部屋のなかの惨状についてはやはり思うところがあるようだ。
「おはよう。何かあったのか?」
小言を言われる前にことらから質問をする。
「えっと、お客さんが来ていまして」
「客?確かにうちの店では珍しい存在だね。だけどこの店は商店だから、客が来るのは普通のことだろう。それとも、またクレーム客が来たのか?」
「いえ、そういうわけではないみたいでして」
どうにも煮え切らない声でシアンが言った。
「お店の客というよりも、ご主人様に用があるようです」
「俺に?ここの住人かな」
俺の質問に対してシアンは首を横に振った。商店街の住民であれば、よほどの引きこもり以外は顔と名前ぐらいは把握している。シアンが首を振ったということは外から来た人間だろう。
わかったと短く返事をすると、シアンと一緒に階段を上り、店へと顔を出した。
カウンターの前には一人の少女がいた。顔を見るが、見覚えが無く商店街の住人では無いようだ。きれいな金色の髪は肩口で切り揃えられており、部屋の照明に照らされてきれいに輝く、ここに来る客はほとんどが冒険者であるため、鎧や外套等の重厚な装備を身に着けている場合が多いのだが、目の前の少女は一般市民のように、綿や麻で出来た衣服は身に着けている。来ているものがみすぼらしいということもあって、綺麗な金髪と、幼さが残るが整った顔をさらに目立たせているよう。その少女の淡い碧色をした瞳がじっと俺を見つめる。
正体を確かめようと質問を投げかけようとしたが、その前に俺の存在に気が付いた少女は深々と頭を下げた。
「昨日はありがとうございました。」
身に覚え無いお礼を言われて一瞬驚く。なにせ、こんな美人からお礼を言われるようなことをした記憶は一切ない。
しかし、この声はどこかで聞いたような気がするのだが。必死に記憶をたどる。
「ひょっとして、昨日のお客さんですか?4人組のリーダーの」
お客さんの正体に気が付いたシアンが手を合わせて言った。
「うん?あっ。そう言われれば……」
シアンの言葉に少女を改めて見つめる。そう言われてみれば確かにそうだ。昨日とは違って普段着を着ており、鎧兜姿ではないため、全然気が付かなかった。確かにじっくりと見てみれば、僅かに見えた地肌や素顔等の部分が記憶の中の姿と一致する個所もある。確かに昨日の冒険者だ。
「シアン、ちょっと席を外してくれ」
昨日の冒険者であれば、訪ねてきた理由は一つしかない。込み入った話になるとは思えないが、金銭の話なので、昨日のように怒声や罵声が飛び交うことになるかもしれない。シアンの教育上あまり聞かせたくない。
「わかりました。何かありましたらお呼びください」
シアンは首を縦に振って頷くと素直に2階にある自室へと戻って行く。その背中を横目で見送った。




