別視点:パオラ 前編
過去編前半、ちょっと重めです
————私、逃げてばかりだ。
ふとある日、そんなことを思った。
島国の北側、冬の雪山で偽名を使っていた時。
本当に、ふと、突然そう思ったのだ。
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フェニックス、という種族の名の通り、私は生まれてから命の危険というものに関する興味が薄かった。
周りは、死ねば死ぬ。私は、すぐに生き返る。
だから死の先の恐怖なんてものに、まったく想像がつかなかったし、興味もなかった。
ある日、私の目の前に青い肌の魔族が現れた。
「……これが私の、筆頭眷属になる子なのね」
ベルフェゴール、と自己紹介をした魔王は、ふわふわの赤い髪を揺らして、私の頭に手を当てる。
――強い。
私は子供ながら、その圧倒的な力の差を感じ取っていた。
手を乗せられているだけなのに、その壁の高さを感じる。
私は、この魔王の眷属となった。
魔王と眷属の間には、絶対的な上下関係がある。だから、主人の命令には絶対に従わなければならない。
強制的に従わせることも、可能だ。
敬意を払わなくてはいけない。機嫌を損ねてはならない。
しかしベルフェゴールは、そういった私の緊張と覚悟はどこ吹く風といった様子で、明るく私に話しかけた。
「違う違う、ベル、って呼んでくれると嬉しいなぁ」
「えっと……ベル、おねえちゃん?」
「……! うん、うん! ベルお姉ちゃんだよ!」
後から知った話だが、やはり主人に対して軽口を聞いても許されるような魔王は、他にはいなかったらしい。
私が自分の主人を好きになるのに、時間はかからなかった。
再々主人と会うことはあるものの、フェニックスという種族としての自由な活動が許されていた。
私は以前より人間達の集落に現れていた。
彼らはフェニックスという種族を、生命の象徴として崇める。私の像を作り、フェニックスという存在を祀り上げる。
魔物というより精霊や神族のような扱いでなんともむずかゆいが、悪い気はしない。
あまり干渉はできないと言いつつも、その土地に不釣り合いなほどの凶悪な魔物が現れたときは、私は自分の信者を助けるために動いた。
その行為が、私の評判をますます引き上げることとなった。
ベルお姉ちゃんは、そのことを褒めてくれた。
「人間はね、寿命は短くて、HP低い種族。それでも、その短い人生をたくさんの人数が重ねることで、あれだけ発展してきたんだよ」
「そうなんだ……凄いね」
「うん。命は大切、そのことはちゃんと覚えておいて。自分を好いてくれる人たちは、大切にしなくちゃだめだよ。きっとあなたに、いい影響を与えてくれる」
「うん、わかったよ、ベルお姉ちゃん」
ベルお姉ちゃんは嬉しそうに微笑むと、私の頭を撫でながら……びくりと眉根を寄せて震えた。
「……ベルお姉ちゃん?」
「ううん、ごめんね心配かけて。最近ちょっと、頭痛が……」
「夜更かししてるの? 怠惰の大罪なんだから、ぐっすり休まないと」
「……おかしいなあ、たくさん寝てるんだけどなあ……」
私は、その時のベルお姉ちゃんがすぐに頭痛を治めて笑いながら去って行ってしまったから、特にそのことは気に掛けなかったのだ。
この日からベルお姉ちゃんは、あまり私に会わなくなり、最後に「まだ頭痛がつらいの、しばらく休むね……」という一言とともに、私の前から姿を消した。
——それが、致命的な失敗であることに気づいたのは、しばらく後だった。
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私は、長い年月をかけてすっかり大人の身体になった。
あれから変わらず信者は世代交代しながら私を祀り続けていた。私は長い間会っていないベルお姉ちゃんのことが気がかりだったものの、その教えだけは厳守していた。
魔王の、筆頭眷属なのだ。その誇りを持って、あの方の言いつけは守りたかった。
ある日、私の近くにルシファーが現れた。
「……お前が、ベルフェゴールの筆頭眷属パオラだな?」
「そうだが、お前は?」
そう口を聞いた瞬間――――私の視界がぶれた。
そして次の瞬間には、私は元通り直立していた。
すぐに何が起こったか理解した。
今……私は唐突に殴られたのだ。
「貴様、この俺に向かってタメ口とは。ベルフェゴールの教育不足だな」
また、視界がぶれる。
再び私は、立っている。
そして目の前の灰色の男は、全く感慨のない無表情で、ぼそりと言った。
「いくら殺しても死なんのは便利だな。俺にもこういう使い捨てできる駒があればよかったが……」
……そう。
この目の前の魔族は、今、私を二回殺した。
いきなり殴りかかってきて二回殺して、しかも全く私に興味を持っていない。
私の、種族特性によって軽減されているはずの、殴られた瞬間の痛みが強めに響いたことも、私がフェニックスじゃなければ死んでいることも。
何一つ、興味を持っていない。
目の前にいる相手が、圧倒的に格上であることを悟った。
しかし次の言葉に、私は驚く。
「大罪の魔王が七人、集まる。お前も来い」
「……! べるおね……ベルフェゴール様も、ですか?」
私の問いに返事をしなかったが……否定もしなかった。
目の前の自己紹介もしなかったルシファーのことすら頭の中から一瞬なくなってしまうぐらい、私は一気にそのことで頭がいっぱいになった。
ベルお姉ちゃんが……ベルお姉ちゃんが、来る!
ベルお姉ちゃんにまた会える!
しかし。
魔王の会合に現れたベルお姉ちゃんは……私の知らない何者かになっていた。
「ベルお姉ちゃん!」
「……」
ベルお姉ちゃんは、指を鳴らす。
その瞬間、私の胸に痛みが走り、一瞬意識が暗くなって……そして私は、再びその場で立っていた。
殺された。
え? 私が?
今、ベルお姉ちゃんに?
「……死んでも生き返る。なるほど、お前がフェニックスだな……」
「え……」
「……ベルフェゴール、だ。お前の主人だ……」
「し、知って――」
――るよ、と続けようとした瞬間に、また意識が暗くなる。
「……敬意が足りなさすぎる……これが私の眷属……? 除名するか……?」
「あ……っ、いえ! 申し訳ありませんでした、ベルフェゴール様……」
「……最初からそうしろ……」
その間、ずっとベルお姉ちゃんは私の方を見なかった。
目の前の同じ姿をした魔王が、本当に私の知っている相手と同一人物なのかとすら思うほどに、全く違っていた。
それでも……ステータスにはずっと、私の主人であると書いてある。
目の前のベルフェゴールという種族に、隷属していることを証明している。
ああ……そっか。
そうなんだね。
私はようやく、自分が大好きだった『ベルお姉ちゃん』はいなくなったことを悟った。
レヴィアタン様の筆頭眷属であるマーメイドのビーチェは、綺麗な女性でお姫様のような人。性格も気さくで話しやすかったから、すぐに仲良くなった。レヴィアタン様は小言が多いので苦手だったけれど、ビーチェは主人のこと、かなり好きみたい。
アスモデウス様はとても優しくしてくれて、筆頭眷属であるイデアもとても魅力的な人だった。サキュバスも何十人もいたけど、女性同士だともう人間の町にいるような気分。
他の魔王達は……あまり会わなかった。
ただ、みんな自分の好きなように生きていたと思う。
マモン様は、どちらかというと略奪というより怪盗という印象の魔王だった。
欲しいものを手に入れるときは、下手に暴れて破壊したりはしない。
人間の建造物全てが宝物のような意識を持っているようで、慎重だった。それでも結構頻繁に、盗みまくっているらしい。
眷属のゴブリンは、マモン様は放し飼いにしていた。必要なときには一斉に動かす能力があるらしいが、あまり使う気はなさそうだ。
ルシファー様は、明確に苦手。どんなに丁寧語で手短に会話しようとも、返事はナチュラルに見下している。本人は絶対、見下している意識なんてないのだろう。
人間の街を、時々気まぐれに襲うらしい。
王族や貴族など、特に賞賛を浴びた人間を煽りながら踏み潰すと聞いた。
サタン様も、似たような感じだ。眷属に好き放題暴れさせていて、自分はいかに相手が怒るかということだけを考えている。
正直、嫌いだ。
ベルゼブブ様は……実は、見たことがない。
魔王の会合にも、結局眷属が来て会わなかったのだ。
その魔族は太くて臭くて、あと蝿が肩に留まっているのを見て、非常に嫌な気持ちになったことだけ覚えている。
……そして、ベルフェゴール様は……。
「……なんだ、フェニックス……」
「いえ、特に用は……」
「……そうか……」
ベルフェゴール様は、眷属とともに奥の間でずっと眠っている。
時々眷属が起き上がっては、外で眠りにいく。
他の暴れている魔族よりはマシではあるけれど、それでも私に対する扱いは、あまりにも粗雑なものだった。
名前、もう覚えていないのかな。
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「——ベルフェゴール様って、ちょっとコワイよね」
人型の筆頭眷属同士は、立場も近いこともあって特定の場所で集まって交流をしていた。
そんな中での、マーメイドのビーチェによる言葉に、イデアが頷く。
ビーチェやイデアと会話しても、基本的にベルフェゴール様のことは、皆否定的だ。
その否定の言葉を否定したい。
あの人は、優しい人だと言いたい。
……言いたいけど……とても説得力なんてあるものじゃない。
初会合の時に私を一瞬で殺したベルフェゴール様のことを見ているのだ。とてもじゃないけど信じてもらえないだろう。
「おい、めったなことは言うものじゃないぞ」
「クローエ?」
ショートカットの白い髪に茶色い地毛が重なっている、私より少し大きい背丈の女性が現れる。
彼女はルシファー様の筆頭眷属であるクローエ。
寡黙で、少し目つきの怖い女性。ただし、そこまで嫌な印象はない。
誇り高いと表現すればいいのか……とにかく格好良い女性だ。
「ルシファー様も、ベルフェゴール様は強いと言っていた。特に、迂闊に声を掛けない方がいい」
「……そんなことを……」
「パオラは筆頭眷属だろう? ベルフェゴール様に関して知っているんじゃないのか?」
私はそのことを聞かれて返事をしようとして……息が詰まった。
(……私は、ベルフェゴール様のことを……。…………あ、れ……?)
————知らない。
私は、知らないのだ。
優しいベルお姉ちゃんじゃない、今のベルフェゴール様のことを何も。
その能力も、力の程度も。
何も知らされていない。
「知らない……話したことないから……」
「そう。まああの方、自分から話そうとはしないから分かるわ」
私の回答にも、呆れずに納得してくれたことにほっとした。
でも……本当に私は、今の今までそんなことにも気づけなかった自分自身に目眩がした。
私、本当にあなたの筆頭眷属なんですか?
あなたは私のこと、筆頭眷属だと思ってくれているんですか?
ベルフェゴール様……。
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眷属との交流から帰ってくると……建物が燃えていた。
「ベルフェゴール様!?」
私が急いで中に入ると、そこには……じっとしているベルフェゴール様の姿。
顔は俯いている。表情が見えず、何を考えているか、全く分からない。
ただ……尋常ではないことだけは確かだ。
周りを見る。
ベルフェゴール様の眷属が、全て死んでいる。
一体どうして、こんなことが……。
「——襲撃があった」
「え?」
「ルシファーの話によると、人間が外から道具を使って火を放ったらしい……」
「そんな……」
ベルフェゴール様の雰囲気が変わる。
顔を上げたその目は恐ろしく冷たく、火の中にいながら氷水を浴びせられたかのように背筋が凍り付く。
「人間どもは殺さねばならん。……フェニックス。主人として最初の命令だ」
「ハッ!」
ベルフェゴール様の命令。
私は緊張しつつも跪いて、ベルフェゴール様の指示を待つ。
「お前の信者どもがいたな。奴らは殺せ」
「ハッ! ……は?」
私が言葉を発した瞬間——視界が暗転した。
今、のは……! まさか、今、私はたった一言聞き返しただけで、殺されたというの……!?
「——聞き返したな。ということは、命令に疑問を持つか。ならば主人としての権利を行使しよう」
「……! ま、待ってください! それは——」
「——案ずるな、私も私で殺しに行く」
その声を聞いた瞬間、体中に異様な魔力が回る。
これは……主人からの『絶対命令』! ステータスの種族名に刻まれたほどの、奴隷への強制力が働いている!
「…………あ…………」
もう、声も出ない。
ベルフェゴール様は、すでに私への興味すら失ったようで、自分は自分で片手に剣を取り出して人間を討伐しに行くようだった。
その際に……自分の眷属である魔族の死骸が足にかかる。
その死体を見て、ベルフェゴール様は……蹴り飛ばした。
まるで、自分の眷属が殺されたこと自体、ただの口実だからどうでもいいことのように。
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火の鳥の姿となって、すっかり大きくなった、村へと降り立つ。
私の代わりの像を祀る小さな神殿には、普段から神殿を掃除している男がいた。
やめて。
やめてくれ。
「これは、フェニックス様! 一体この度はどのような————」
男が近づいた瞬間、その男の足元から火が吹き上がり、断末魔の声も上げることなく一瞬で炭になった。
……やってしまった。
私は、一線を越えたのだ。
「フェニックス様!?」
「災厄! 災厄じゃ!」
自由にならない身体で、逃げ惑う人々を他人事のように焼き殺す。
一面が炎に包まれた村を見ながら……私は昔のことを思い出した。
————命は大切、そのことはちゃんと覚えておいて。
ベルお姉ちゃん。
大切に育ててきたのに、一瞬でみんな死んじゃったよ。
————自分を好いてくれる人たちは、大切にしなくちゃだめだよ。
ベルお姉ちゃん。
大切にするんじゃ、なかったの?
————きっとあなたに、いい影響を与えてくれる。
ベルお姉ちゃん。
影響は。
絶望感だけ、だったよ。
人間にも、私にも。
フェニックスだなんて、明かすんじゃなかった。
……どうして、こんなことに……。
私の、私の大好きだったベルお姉ちゃんは、どこへ行っちゃったの……。
誰か……答えてよ……。
突然、私の身体に自由が戻ってくる。
さっきまで薄れていた自分の意識が、急に現実に戻される。
————同時に、異様な喪失感に襲われる。
「なんで……、まさか……!? 【ステータス】!」
そして、私は自分の種族の隣にずっとあった、表記が消えていることに気づいた。
そこにあるはずの『(マスター:ベルフェゴール)』という、私とベルフェゴール様を繋ぐ唯一の証。
その表記が、なくなっているのだ。
「……死んだ……ベルフェゴール様が……あの魔王様が……」
これまでで一番『死』というものを意識した。
ベルフェゴール様は、死んだのだ。
……私が『どこへ行っちゃった』なんて思ってしまったせいだろうか。
ベルお姉ちゃんは……本当にどこか遠くへ行ってしまった。
「……死んだ……ベルお姉ちゃんが……!」
長年生きてきて初めての喪失。
『ベルお姉ちゃんが大切にするように言った、長年自分を祀ってきた人々』と。
『長年自分の主人だったベルお姉ちゃん』という、あまりにも大きすぎる喪失。
それが同時に襲ってきた。
体の中で暴れ回る、負の感情。
私は、自由が戻ってきたはずの、自分の身体の操作権を奪われてしまったかのように。
ビーチェやイデアやクローエのことすら頭の中から吹き飛んで、火の鳥の姿のまま、遙か西の海へと渡った。
遠く、遠く……もう誰も私のことを知らない、どの魔王の影響もない土地まで……。






