きゅうけいさんは約束する
体中を、虫の這うような気持ちの悪い焦燥感が染める。汗をかくような体でもないだろうに、嫌な汗が額を伝うような錯覚。目の前にいるシルヴィアちゃんがこちらを見ているも、気にかける心の余裕がない。
マイケル君が、いない。
ただ単に見失っただけなら。ただ単に遠くに行っただけなら、何とも思わなかっただろう。でも私のレーダーの範疇から、煙のように消えたように錯覚している。
だってマイケル君は、キャシーちゃんに並んで警戒していたのだ。私が見失うはずがなかった。
「……マイケル君がどこにいるか、分からないのですか……?」
言われた内容に、現状を再認識させられたような衝撃を受けて、体を小さく震わせるとシルヴィアちゃんとようやく視線が合った。
「……」
「どう、なんですか……」
「……うん……。……見つから、ない……」
ようやく搾り出すように声を出す。
「……なんで……ずっと注意していたはずなのに……」
「あたしと喋っているうちに消えた、ということですか?」
「……うん……そうみたい……」
わからない。一体どこに行ったのか全くピンとこない。どうして……?
「シルヴィアちゃん、私」
「行くんですね。くれぐれも気をつけてください」
頷いて、私は村の外へ出る。向かう先は、マイケル君がいたであろう場所。
魔物の少ない村の近くの森。その場所の静かさは普段は落ち着くものだったけれど、今の私には不気味なものに感じられた。
誰も見つからない森を、私は必死に探す。いなくなった場所なんて分からないだろうかと思ったけど、その場所に着くとすぐに分かった。
綺麗な林檎と編んだ籠が、落ちている。
「……マイケル君……!」
私はその場所に何かないか探す。正直こんな普通のゲーム転生でチートレベル発揮しちゃったわけで、細かい分析なんてできるわけがない。だけど……それでもこのまま帰るなんてできない。
レーダーにも何かが変化した様子はない。こんな日に限って、魔族も魔物もこれ以外に何か仕掛けてきた様子が見られなかった。
もちろん、村も注意している。だけど、無情にも私の余裕のない心を嘲笑うように、静かな森には数刻、何の変化も起きなかった。
……私はこういう場合、あまりにできることが少ない。
林檎の籠を拾うと、怒りと無力感をハンドミキサーで雑に混ぜたような、飛び散った気持ちのまま村に戻った。
……ボビーさん、ペトラさんに、なんて説明すれば……。
-
村長の家へ戻ると、深刻な顔をした私にリックさんが声をかけてくれた。後回しには出来ない……すぐに、ボビーさんとペトラさんを呼んでもらうことにした。
横にはシルヴィアちゃんが座っている。私達だけで話を済ませないために、村長のリックさんパトリシアさん、キャシーちゃんもいる。
「……どうしたんですか、きゅうけいさん」
「ボビーさん、ペトラさん。落ち着いて聞いてください。……マイケル君が、今日昼に行方不明になりました」
私が言った直後、二人は目を見開いた。ボビーさんが声を上げる。
「どういう、ことですか」
「私のレーダーは、かなり広範囲まで見ることができるんです。それでずっとキャシーちゃんやマイケル君を見張っていたんですが、昼間に突然、何の魔物も出てきていないのにマイケル君の反応が、消えてしまって……」
……懐に入れていた、林檎の籠を机の上に出す。
「これは……間違い、ありません……」
ボビーさんがそれをマイケル君のものだと確認すると、ペトラさんが気絶するようにボビーさんに倒れかかる。驚いて抱き留めるも、ボビーさんの腕の中で完全に気が抜けてしまって青い顔になっているペトラさんに、胸が苦しくなる。
何か、言わないと……そう思って私が喋る前に、シルヴィアちゃんが先に声を出した。
「きゅうけいさんを、責めないであげてください」
「……え?」
こんな場面だというのに。私のことを擁護したからといってどうにかなるというものでもないというのに。
「あたし達は……きゅうけいさんに頼りすぎていました。ペトラさんに取り憑いた魔王の呪いを治せる白金貨の薬をいくらでも作り出せる能力。一瞬で消えて牢の中にいるサキュバス達と連絡が取れる能力。そして……村の外どころか大陸の広範囲を探せる、規格外すぎるレーダーの魔法」
シルヴィアちゃんは……私の代わりに頭を下げていた。
「申し訳ありません。あたし自身、あまりにも長い間ここで暮らしていて、気が緩んでいたのでしょう。この失態は、リーダーのあたしの責任です。……油断して、いました……。厄介になる以上、迷惑をかけるわけにはいかないと、思って、いたのに……」
……そんな……私が担当していた、ことなのに……。
私が頭を下げるシルヴィアちゃんに対して申し訳なさと、どうすればいいのか情けなくも困惑していると、ボビーさんとペトラさんも私と近い反応をしていた。
シルヴィアちゃんは、古竜だ。圧倒的な能力を持つ、種族のヒエラルキーの頂点の中の頂点だ。
そんなシルヴィアちゃんが、獣人の村人に謝罪するために。パーティメンバーの……魔族の私のために頭を下げている。
「……シルヴィア様」
そこで、ペトラさんが弱々しくも声を上げる。
「……今でこそわたくし達レポゼータ族は無事に過ごしていますが、本来ならばきゅうけいさんがいなければ、村の食料を恐らくミアキスベータ族と奪い合っていたと思います。……飢えはね、恐ろしいのです。フェンヴェーナでは物の出来に毎年ばらつきがあります。少なかった年は……それだけで、村の結束を試されるほどです」
ペトラさんが、籠から林檎を取り出す。
「わたくしは愚かにも、サタンに利用されてあなたの仲間に襲いかかりました。そして食料も、一体どれほどの作物が我々の所に来ているのか、きゅうけいさんの働きによって知っていますわ。……そもそもサタンに対抗する、なんて思うことすらできなかったでしょうね。きゅうけいさんがいなければ、我々などとっくに滅んでいたのかもしれません」
その目が、私の方を向いている。
決して納得している顔ではない。だけど……私を責める顔でもない。
「わたくし、さきほど話を聞いて……最初にあなたに対して、なんで守ってくれなかったの、って思いましたわ」
「……」
「不遜でした。施されて、あまりにも施されすぎて、心が油断しきっていたのはわたくしの方ですのに……わたくし達は誇り高いレポゼータ族、自分のできないことを他人に強要して不平を漏らすようなことはできません」
恐らく体が今のでがっくりきているだろうに……ペトラさんは目を閉じて両手の拳を握りしめて太股を叩くと、私の方をはっきり見た。気力で踏ん張っている、そういう姿だ。
「ですが……それでも、わたくしは、あなたに頼らざるを得ないのです。どうか……どうかマイケルを。マイケルは、わたくし達の未来の希望。次の世代の光。マイケルを……あの子を……どうか、お願いします……」
ペトラさんは、頭を下げた。……今回の件で、ミスをした私に向かって。
「もちろんです。私にとっても……私にとってももうマイケル君は……! あの子は、大切な子なんです! 絶対に……絶対に、何があっても、相手から奪い返してみせます!」
私は不安を吹き飛ばすよう、大きな声で宣言する。
ペトラさんも、背筋を伸ばして私の方をしっかり見ていた。ボビーさんも、私の方を見ていた。そして無言で、頭を下げた。
「……さて」
話が通り終わって、シルヴィアちゃんが一言。
「反省するより、あたしは多少冷たいと思われても早く解決までの糸口を考えたいです」
「それに関してはシルヴィア様が正しいですわ。解決してこそ、ですものね。言いにくいことを言い出してくれて助かります」
「ええ。それではきゅうけいさん、ちょっと話があるので、あたしと二人で来てくれますか?」
「ん、わかった」
私はシルヴィアちゃんと部屋から出ていこうとする。
「……きゅうけいちゃん……」
……! 今のは、パトリシアさんだ。小さいつぶやきでも聞き間違えやしない、パトリシアさんだけが言ってくれる可愛い呼び方。
私が振り返ると……そこには、心配そうな顔をしたパトリシアさんがいた。
「無茶なこと、しちゃだめよ? きゅうけいちゃん、普段は明るいけれど……半年以上一緒に料理をしたからわかるわ、きゅうけいちゃんはとっても責任感が強いもの。絶対に、無理をしちゃう」
「……パトリシアさん……」
「だから、約束」
パトリシアさんが、その両手で私の手を包み込む。
「絶対に……絶対に、自分を犠牲にするようなことはしないで。たとえマイケル君が助けられても、助けられない局面になったとしても……あなた自身を犠牲にして助けるようなことは、絶対にやめて」
「……がんばり、ます」
「だめ。絶対って約束して」
今までにないぐらい、力強く手を握られる。両目が私を射貫いている。
「……。……わかりました。約束します。っていうかサタンなんかの攻撃、無防備で受けたところで無傷ですから。絶対負けませんから。私は、ちょーつよいですから! ……それに……それにまだまだ、パトリシアさんの冬の料理をたくさん食べてないから。私からも、冬用のお料理をたくさん教えたいから」
あったかシチューに、大和のお鍋。そしてパトリシアさんからは、きっと素敵なこっちの地方の料理。
「絶対に、戻ってくるよ」
「うんうん、約束だよ! きゅうけいちゃん!」
パトリシアさんが、私をぎゅっとハグする。体に暖かさが伝わる。私もパトリシアさんの背中を撫でる。……震えているのが、伝わる。
大丈夫。大丈夫だから。強がりじゃなくて、私は本当に、強いから。
だから、心配しないで。
必ず無事で帰ってくるからね。
-
シルヴィアちゃんが、白い息に火を混ぜて、空に軽く吹き上げる。なんだかその姿は、ちょっと強めの溜息をついているようだ。
「……みんな、ついてきていませんね」
「うん」
シルヴィアちゃんは、腕を組みながら私の方を見る。
「そもそもの問題なんですけど……サタンって、本当に襲ってくる頻度が少ないですよね」
「え? うん、そうだね」
「そしてもう一つ。マイケル君を誘拐……そうですね、死体がないので誘拐したとあたしは思います。ですよね」
「……そう、だね」
シルヴィアちゃんが、村の中央にまで歩いてくる。
すっかり見慣れたログハウスが立ち並ぶ村。その周りに街灯があり、シルヴィアちゃんが振り向いたところで、魔力が宿り、灯りがつく。
「誘拐方法は、二つ。まずは何らかの方法で、ワープした可能性」
「それは思ったよ」
「もう一つは……シャドウタイプのモンスターが絡んだ可能性」
「あっ!」
そうだ、ステルス性能のあるシャドウブレードタイガーとか、あの辺が出てこられたら、何かそのスキルか種族の性質の影響でレーダーに引っかからなくなった可能性がある。
……あの直後、もしかしたらもっと隈無く探していたら、見つかった可能性があったのか……。
「でも、その方法自体はいいんです」
余談を振り払うように首を振ったシルヴィアちゃんは、それまでとは違って剣呑な雰囲気を纏いながら私の方を見た。
「きゅうけいさん。やはりこの誘拐は、あなたを狙ったものではないかと思うんです」
「……私、を……」
「そもそもサタンは、アスモデウスに勝っている……はず、なんです。更にサキュバスが捕まっていること、これも確定しています。脅威なのは、あなただけです」
確かに、それはそうだ。うぬぼれではなく、もちろん私が一番強いという自負はある。私の具体的な数値は知らないにしても、サタンは私を警戒しているだろう。シルヴィアちゃんを警戒しているというのは……あるかもしれないけど、シルヴィアちゃんは考えてないんだろう。
「というわけで、誘拐した理由は恐らく二つ。最初に考えたのは相手がベルフェゴールのきゅうけいさんを警戒しているということです」
「なるほど、そういうことだね。……ん? 二つって言った?」
「はい。確かにベルフェゴールを警戒している可能性があるということです。だけど……二つ目は、最近ようやく分かったことです」
……なん、だろう。全く想像がつかない。
「単純な話、時期がどうも合わないというか。本来ならば、もう警戒しながらイデアさんを探す必要がなかったはずなんです。レベルが下がっているかどうかなんて関係ない、筆頭眷属に魔王が負けるはずがないからです」
「……そりゃあ……そうだけど……」
「まだあたしが何か見落としている可能性もあるかもしれませんが……それでも不自然だったんです。どうしてイデアさんの場所を探していたのか」
どういう、こと?
「じゃあ、言いますね。どうして、憤怒の呪いに冒されていたペトラさんが、アスモデウスの場所を探していたんですか?」
「……え?」
「討伐、してたんですよ? なんでミミちゃんを見て、アスモデウスって叫んだんですか? だって、あの子はレベル1の生まれたて。サタンにとって、探す必要ないじゃないですか。魔族自体が脅威だというのなら、なんでベルフェゴールに反応してないんですか?」
「そ、それは……!」
「もう一度言います。なんでアスモデウスを探していたんですか?」
確かにそうだ。どう考えてもおかしい!
「脅威とはとても思えないあの小さい女の子を、色で種族を一致しただけでそこまで必死に探す理由にはならない。そこからあたしが考えている可能性は」
シルヴィアちゃんは、それを宣告した。
「サタンは、先代アスモデウスが死んだ瞬間を観測していません」
……霧が、晴れたようだった。
「実際には倒したのかもしれません。ですが、恐らくイデアさん一人になっても強行軍ができないぐらい、アスモデウスを警戒しています。そこに何か、解決のヒントがあればいいんですが……」
「……それに関しては、先代さんのことを私達が知らないからなあ……」
「そうですね。イデアさんにはぬか喜びさせたくないので、それとなくあたしから聞いておきます」
シルヴィアちゃんは、纏っていた空気を少し緩めると、私の方に近寄ってきて顔を寄せた。
「もうひとつ、きゅうけいさんにお願いしなければいけないことがあります」
……その願いを聞いて、私は目を見開いて驚きつつも、首肯した。
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夜中の村の、門の付近。
魔石の街灯だけが静かな村を照らしている。
……静かな場所には、音がよく響くのだ。
森の中で神経を研ぎ澄ませていると……確かに、シルヴィアちゃんの予想が当たった。
「【ロックスピア】!」
私の魔法が、森の中を駆け抜ける。静かな夜を切り裂く轟音とともに、敵が吹き飛ばされていく。……そこにいたのは、全身が真っ黒い、猿の魔物だった。
「……っ!」
再び静かになった森の中から、息を呑む音が聞こえる。
私はその森の、夜の木漏れ日の小さな月明かりの下に、姿を出す。
「……きゅうけい、さん……」
「そうだよ」
声を返す。若干苛立った声が出てしまったかも知れない。
「心配な、気持ちも分かるよ。だけど……だけどね、あなたがマイケル君を心配なように、あなたを心配している人が、今はいるの。その人の気持ちを、考えて」
「……」
「だから……戻りましょう、ボビーさん」
森の陰から月明かりの下に出て、背を丸めた輪郭が浮き彫りになる。
「……申し訳ありません。あんな、魔物が出るなんて全く想像しておらず……気が逸ってしまいました」
「いえ、私もじっとしていられませんでしたから。でも……」
「……そう、ですね。確かにもう自分には、マイケル以外にも守る人がいる。ここでやられるわけには、いかなかったんですね……」
ボビーさんが、黒い猿の死体を振り返る。そして再び私に向き直ると、頭を下げた。
「どうか、このことは」
「言わない代わりに、次からは絶ッ対、勝手に出ないこと。ペトラさんを心配させるようなことはしないこと」
「わかりました」
「ペトラさんを守ってあげるのは、ボビーさんの役目なんですから」
そう言うと、ボビーさんは少し顔を歪めると、目を伏せて頷いた。
予想はできなかったわけじゃなかったけど、でもここまで即行動するとは思わなかった。それだけ……心配なんだろう。必ず、マイケル君を見つけなくちゃ。
私はボビーさんの背中を見ながら、心の中で呟いた。
……シルヴィアちゃん、お役目ちゃんと果たしたよ。






