4
リンは少しずつ大神家の生活に慣れはじめていた。ニュースをみながら、楽しくおしゃべりする朝食や夕食。聡といっしょにとるお弁当や学食での食事。猫たちの世話も。
けれど、いつまでも世話になっていてはいけないという気持ちが日に日に募っていく。だから、リンがここに住むようになって一か月目の夕食後リビングで常葉に、バイトがしたいと申し出た。以前、バイトしていた新聞屋さんは、リンの体の調子が戻る前に、蒼甫から事情の連絡をいれて解雇された。解雇といっても、契約期間満了まであと二週間、更新するかどうかはその時に決まる予定だったので、新聞屋さんのおばあちゃんは、蒼甫に伝言でいままでありがとうね、ちゃんとご飯食べるのよと言っていたという。
「バイトはしなくていいのよ」
常葉はおっとりとそういってくれたが、リンは首を横にふった。
「あたし、お世話になりっぱなしだから……せめてバイトして自分で生活しないとって思うんです」
自立できていない。だから、母に捨てられたとリンは思っていた。今の状態は、大神家に依存しているだけでなく、援助までされているのだ。せめて、自分の物は自分で買えるくらいの収入が欲しかった。
「それに、九重高校は保護者の許可なしにバイトはできないでしょう?」
「それは……」
新聞屋でのバイトは、母に内緒だった。高校を卒業して就職したときに必要なものを買えるようにするためのバイトだったからだ。母には、毎月五千円もらっていた。それで、できるだけ必要なものを買っていた。
「というわけだから、リンさんは猫たちの世話係として住み込みでバイトしていただきます。三食付で、月一万円でどうかしら」
「いえ、お金はもらえません!!」
「でも、お金がないと必要な物が買えないでしょ」
「それは、そうだけど……」
常葉はにっこりと笑う。
「実はナツは年齢がはっきりしないの。あなたにすっかり懐いたみたいだから、病気になったときにすぐにお医者様へ見てもらえると思うのよ。ナツのために、このアルバイト引き受けてくれないかしら」
リンはナツのことを言われると、嫌だと言えなくなった。ここに来た時から、ナツはリンの側にいてくれるのだ。おかげで、怖い夢も悲しい夢もナツがいるだけで忘れることができた。
「学校の方には、お母さんのお仕事の都合でうちに下宿することになりましたって連絡しておいたから、大丈夫よ」
常葉はリンが断わる理由をすべて打ち消してしまってから、バイトをもちかけているのは、あきらかだったけれど、リンはありがたくてうなずくことしかできなかった。
こうして、直井リンは大神聡と五匹の猫たちに囲まれて離れで寝起きすることを継続することになった。学校の行き帰りも聡といっしょ、お昼もいっしょということで、生徒たちの間では二人が付き合っているという話になっていたが、リンはそういう噂に疎かった。もともと、友達がいないのだから、噂を耳に入れる人もいない。聡の方は、尋ね来る女子の質問に肯定も否定もしなかった。会話を適当にずらしす。食い下がろうとする女子は一睨みで言葉をのまざる得なかった。
噂話が大好きに女の子たちは、直井リンの存在など気にもしていなかったはずが、大神聡が常に側にいることでリンが目につくようになった。
「なんかさぁ、あれだよね。お嬢様と執事みたい」
「え~王子様と下僕でしょ。直井さんがお嬢様とか、たとえ最悪ぅ」
カラカラと笑いながら、毒の含まれた噂話で盛り上がる少女たち。
「だいたい、あの子暗いし、友達いないじゃん」
「ねぇねぇ、じゃあさあ、ぱしりとかに使えそうじゃない?」
「でも、大神君といつの間にって感じよね」
「ああ、あたし結構いい男だとおもってたのになぁ。女の趣味悪かったんだって思っちゃったよ」
また、カラカラと笑う。
彼女たちの中には、嫉妬と羨望が生まれつつあった。そんな中で、とうとうリンに声をかけてきた人間がいた。隣の席の泉田美鈴だった。
「ねえ、直井さんって大神君と仲いいよね。お昼いつもいっしょだし、付き合ってるの?」
「つきあう?」
リンにとってその言葉の意味がよくわからなかった。
「えっと、お昼は付き合ってもらってるけど?」
「そうじゃなくて、彼氏なの?って聞いてるの」
美鈴は何がおかしいのかケタケタと笑った。リンは、首をかしげる。どう説明していいのかわからない。丁度、そこに大神がやってきた。美鈴はこれ幸いと付き合ってるの?と遠慮なく聞く。
「誰と誰が?」
「大神君と直井さん」
「いや、俺が直井と仲良くなりたいから、声かけてるだけ」
それを聞いてリンはびっくりした。今まで世話を焼いてくれてたのは、てっきり常葉さんの頼みでだと思っていたのだ。リンは自覚なく世間ずれしていて、聡が面倒を見てくれるのは、リンが普通の人が当然のようにできることをできるようになるまでだと思っていた。まさか、自分と仲良くなろうとしてくれる人がこんなに身近にいたなんて、リンには驚きだった。
けれど、リンの表情は変わらない。すごく驚いているのだが、うまく表現できないでいた。
「直井さんはどうなの?」
どうなのと言われても答えようがない。
(はじめから話せばいいのだろうか?それとも常葉が言っていたように母の都合で下宿させてもらっているといえばいいのだろうか)
リンがぐるぐると思考を巡らせていると聡は、昼休みなくなるといってリンを席から立たせた。今日は食堂だから、早くいかないと食べ損なうのだ。
「じゃあ、あたしもいっしょしていいかなぁ。あたしも直井さんと仲良くなりたいなぁ」
リンはこれにも戸惑ってしまった。
「直井?いいか?」
聡にそういわれて、リンはようやくうなずくことができた。断る理由がないから、うなずくしかなかったけれど、リンはなぜか三人で食事しているのに楽しいと感じなかった。
(常葉さんたちと食事するのは楽しいのにな)
リンはぼんやりとそんなことを思いながら、オムライスを口に運ぶ。美鈴は、器用に聡と話しながら定食を食べる。聡のほうは、へぇとかそうかとか短い返事だけだ。
(二人で食べている時は、もっとしゃべっていたように思うけれど……)
リンは自分があまりしゃべらないせいだろうと思った。食事が終わると残りのわずかな休み時間に、リンは図書館へいく。これが、聡と食事をする前からの日常だった。けれど、今日は何かが違っていた。食堂を出て、リンが図書館へ向かおうとすると美鈴がついて来るといいだしたのだ。
「図書館、いくんでしょ?」
まるで知ってるわよと言いたげな口調だったが、リンはただこくりと頷いた。なんとなくではあるが、ふっと目があった聡の表情には剣呑なモノが感じられた。
(怒ってる?まさかね?)
リンには不機嫌そうに見える聡も、美鈴にはいつもの無表情な硬派な不良でしかなかった。とりあえず、聡とは食堂の前で別れ、美鈴といっしょに図書館へ向かう。聡が見えなくなると、美鈴の態度が豹変する。
「いつも一緒だと思えば、無言でご飯とか……ねぇ、どういう理由で大神君にくっついてんの。あんたさ」
リンは驚いて言葉が出ない。美鈴の言葉にははっきりとした悪意と敵意が感じられた。
「黙ってないでさ、なんとかいいなよ。はっきりいって目障りなんだけど」
リンは何かいわなければと焦るが、頬がこわばって口が動かない。誤解だといわなければ、聡にも迷惑がかかるのだと思うとますます全身に力が入って硬直したようになっていた。
「あんたさ、口きけない?そんなことないわよね」
美鈴がイライラとそう言ったときだった。
「お前、どういうつもりだ」
冷たい声が美鈴の上に落ちてきた。美鈴はびくっと肩を震わせそっと振り返る。
「ど、どうって……」
美鈴は、必死で甘い声をだそうとして、真っすぐに冷たい聡の目に言い訳など効かないことがすぐに分かった。
「俺が直井をかまうのは、俺の勝ってだ。直井に聞いてもわかるわけないだろう」
「そ、そうだけど……じゃあ、なんで?今まで誰もかまわなかったよね?」
美鈴は必死で声を出した。
「友達になりたいからだ」
あっさりと聡がそういい、美鈴から視線をはずすとリンに向って図書館いってくるんだろと言った。リンがうなずくと行けというように少し笑う。リンは体の力が抜けるように軽くなったので、言われたとおりその場を後にした。聡もその場を去ろうとしたとき、なんでよと美鈴がつぶやく。
「だったら、あたしとも友達になってよ」
美鈴は必死で聡を見上げたが、悪いが興味ないとあっさり言ってその場を去って行った。取り残された美鈴は歯ぎしりをする。
(なんでよ!クラスで一番存在感のないあんな子と友達になりたいとか!!あたしは駄目だとか!!)
美鈴はがつんと壁を蹴った。