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紳士な世話好き狼と傷だらけの臆病な猫  作者: papiko
第一章 家なき子と不良少年
3/8

3

 リンは軽い栄養失調という診断を下された。そのため、常葉は嬉々(きき)としてリンが健康体になるまでここにいなさいという。それは温和な雰囲気の中にも強制力があって、リンは否と答えることができなかった。


(いいんだろうか……こんなあたしがここにいて……)


 何も返せるものがない。体が弱っているせいか、掃除や洗濯などの家事さえ手伝えない。そんな気持ちを察したのか、聡は猫たちの餌やりをリンに頼んできた。

「一日二回朝と夕方、シロとナツはこっちの青い袋の方で、ハナとロビンとチビにはこっちの赤い袋の方な。量は、シロとナツのほうはこの青いカップ一杯分が一回、ハナとロビンには二杯、チビにはこっちの赤いカップ一杯が一回分。

あとで、紙にかいておくから、今は聞くだけ聞いてろ」

 リンはうんと小さくうなずく。

「あの……猫砂の掃除は?」

「それは俺がやるからいい。直井がもっと元気になったら手伝ってもらうから。今はいい」

「わかった……えっと……ありがとう」

 リンが振り絞るようにそういうと、聡は別にといいながら視線をそらせた。

「学校は明日から俺といっしょに電車でいくことになったから」

「え?でも、お金……」

「それ心配しなくていいって常葉さんいわなかった?」

「言った……けど……そこまで甘えられない」

「それ、常葉さんにも言った?」

 リンは申し訳ないと思ったがなぜか拒否できなかった。だから、聡の問いに首を横に振る。

「なら、今のも俺は聞いてない。直井も言ってない。だから、余計なことを考えるな」

 わかったとは、さすがに言えないリンに聡は返事はと念をおした。とりあえず、こくりと頷く。聡はよしと一言いってリンの側を離れた。

 リンがいるのは、大神家の離れで聡の部屋というか聡と猫の家なのだと常葉が言っていた。昔からよく猫を拾ってきて、子猫なら貰い手を探したという。ナツは迷い猫で庭にいたのを見つけた。なかなか人に懐かなかったが、いつのまにか離れに住み着いたらしい。他の子は引き取り手がなかったので、聡が責任もって育てるというから、離れは猫と聡の部屋になった。

 元々はお祖父さんとお祖母さんがすんでいた。だから、広くはないがキッチンがある。お風呂もトイレもついている。部屋数は三室あり、リンが休ませてもらっている四畳半の部屋と八畳の居間(うち二畳がキッチン)、八畳の聡の部屋がある。二人ぐらしなら十分な広さだった。


 翌日、聡と一緒に学校へ行くことになった。リンは初めての電車通学に苦労した。まず、どうやって電車に乗るのか、切符の買い方もICカードの使い方も知らないのだ。それに人が多すぎてめまいがしそうだった。聡は、足の(すく)んでいるリンの手をとって人込みから離れる。

「電車乗ったことないのか?」

 リンはコクリと頷く。恥ずかしいのと困っているのと、聡に迷惑をかけているという感情が複雑にからみあって、顔があげられない。聡は、リンの手を引いてまず券売機の見える柱の陰に移動した。

「あれが、券売機。上にあるのが路線図。赤色がこの駅だ」

 リンは懸命に聡の指す方をみた。伊勢浪駅(いせなみえき)と書いてある部分が確かに赤くなっていた。

「それから、降りる駅は左に三つ目の楢崎駅(ならさきえき)

「あの、下の数字は?」

「料金だ。ここから楢崎まで二百十円って意味だ。向こうに五十音で駅名と料金が表示してある。見えるか?」

 リンはコクリと頷く。

「現金の時は、券売機に必要なお金をいれて料金ボタンを押す。直井は常葉さんからカードもらったよな」

 リンは鞄にくくられた紐の先にある定期入れのようなものを、手にして聡にみせる。

「そう、それな。それがICカードで事前にお金をいれてあるんだ。チャージっていう方法。あそこの青い機械がそのカードに料金を入れるためのやつだ。直井の分には五千円分はいってるから、しばらくは問題ない。ここまではいいか?」

 リンはコクリと頷いた。聡はじゃあ行くぞと言ってリンをつれて改札の行列にならぶ。前の人の手元をみてろといわれて、次々と改札を抜ける人の手元をみた。切符を入れる人もいたし、なぜか財布をのせただけで改札が開く人もいた。むき出しのICカードを改札に触れさせる人もいて、なんとなくどうやって改札をぬけるのかわかった気がした。聡とリンに順番が回ってきたので聡が財布をかざす。リンも見よう見まねでICカードをかざすとピッと小さな音がして改札があいた。あわてて改札をぬけると、一度はなれていた聡の手がリンの手を摑まえる。そのまま、ホームまで歩く。


(人が多い……これから毎日……)


 リンは小さくため息をついた。通学するだけでも一苦労しそうだと思った。

「顔色がわるいな。帰るか?」

 聡にそういわれたが、リンは首を横にふった。

「学校は……ちゃんと通うって決めてるから……」

 本当は休みたかったけれど、リンが休めば常葉が世話を焼いてくれるだろう。それはうれしいことでもあるが、申し訳ないという気持ちの方がリンには強く感じられた。


(はやく大人にならなくちゃ……)


 リンは息苦しい満員電車をなんとかやり過ごし、学校でもいつもと変えわらず、静かに過ごした。昼休みになると聡がリンに声をかけた。

「昼飯、いくぞ」

 そういわれて、がてんのいかないリンは首をかしげる。お昼は売店のおにぎり一つ食べるのが習慣だったせいで、聡の言っていることがよくわからなかったのだ。聡はとくに気にせず、リンの手を引いて学食へ連れ出した。

「そこにすわってろ」

 そう言われて窓際の席に座らされた。なぜか、周りから視線を感じる。普段、感じない視線。聡といるからなのか、珍しく直井リンが食堂にいるという違和感なのか、リンにはさっぱりわからなかった。

 聡が両手にトレーを抱えて戻ってくると、リンの目の前に一つが置かれた。それは卵粥と温野菜のサラダだった。

「あの、こんなメニューあるの……」

「朝、頼んでおいたんだ。特別に。しばらくは、まともなもの食えないだろう?」

 確かにリンはお粥ぐらいしかのどを通らない。昨日から常葉が作ってくれる粥しか食べれなかったし、夜は点滴だった。

「ご、ごめんなさい……あたし……また、迷惑……うぐ」

 向かいに座っていた聡の手が強引にリンの口をふさいだ。

「ごめんなさいとか、迷惑とか言うの禁止。今度、いったらその口縫うぞ」

 リンは聡の迫力に押されて、こくこくと頷いた。


(けど、じゃあ、なんていえばいい?)


 そう考えた瞬間、聡は見透かすようにいった。

「ありがとうって言ってればいい。俺はそう言われる方が好きだ」

 聡の手が外れて、リンはほっと息をはく。そして蚊の鳴くような声でありがとうと言ってみた。そしたら、今度は聡の手が頭をがしがしと撫でた。

上出来(じょうでき)

 リンはどくんっと心臓が跳ねる音を聞いた。それは、ほんの一瞬、聡は満面の笑みを浮かべていたからだった。それから、二人はほとんど無言でお昼ご飯を食べた。


 リンが大神家で生活するようになって、自分がかなり世間ずれしていることに気がついた。聡の手助けがなければ、電車に乗れない。チンするという言葉の意味がわからなくて柚季にオーブンレンジの使い方を教わった。颯希とショッピングへ出かけてフードコートでファーストフードを食べたとき、席についてじっとしていたリンに食欲ないのかと聞かれて首を横にふると、もしかしてフードコートって初めてかと聞かれたのでうなずく。颯希は手を引いて、何が食べてみたいと言われ、ハンバーガーというとマクドナルドのブースに並び、注文を手伝ってくれた。コンビニとか小さなスーパーしか使ったことのないリンにとっては、緊張するできごとだった。

『初めての事って緊張してあたりまえだから、気にすんな。すぐに慣れる』

そういって笑って励ましてくれた。


(見ると聞くとじゃ大違いっていうけど……)

 リンはこの二週間。無知(むち)との遭遇(そうぐう)の繰り返しだった。本を読んでいて、喫茶店やコンビニ、スーパーの描写があるが、コンビニ以外のシステムはよくわからなくて流し読みしていたから、実際体験して緊張してしまう自分に情けなさを覚えた。

 もし、あの晩、聡に拾われなかったら、自分はどうなっていただろうとリンは想像してみるけれどまったくわからなかった。朝食も夕食も誰かと一緒に食べるという感覚に、未だなじめない。朝はだいたい常葉と柚季と聡という面子(めんつ)で食べる。朝食は和食は常葉がつくり、洋食の日は柚季が作った。せめて自分の食器は洗おうと食べ終わった後に、食器をもってキッチンへ入ったけれど、蛇口がなくて戸惑った。すぐに聡がこうするんだと、水道の根元に取っ手らしきものをあげる。蛇口はぐるぐると回すタイプではなく、上下に動かして水量を調節するタイプだった。

 離れの蛇口はすべてぐるぐる回すタイプのなじみの蛇口だったので、母屋もそうだと思っていたけれど違ったのだった。自分の常識がかなり古く貧しいものであることに、リンは恥ずかしくなった。本をよんでいたから、知識はそれなりにあるし、一人でやっていけると思っていたことが、とても恥ずかしい。


(なんて世間知らずだったんだろう……)


 リンは小さな自分だけの世界に閉じこもって、いろんなものを知らないままに生きてきたことを恥ずかしく思った。もしかしたら、母もそんなリンが(うと)ましかったのかもしれない。こうして、他人の庇護を受けてようやく、母の気持ちがわかったような気がする。

 自分でなんでもできるしっかり者のように思っていたリンは、結局、何もできない面倒ばかりかけている子どもでしかなかったのだ。


(どうやったら、大人になれるんだろう?)


 母に許される様な大人になりたいとリンは思った。


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