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それはすでにうしなわれている

作者: えのまりや

 岬に立つ三階建ての塔。三階の窓からは煙る月が見えていた。ケイの体は小さかったから、父親の肉付きのよい腕で簡単に上下した。積み石でできた室内には、青白い月の光がきらきらと満ちていた。汗まみれの父親の肩越しに、月が隠れたり、月が覗いたり。父親の胸とケイの胸がぬるぬると擦れあう。熱を持った濡れた素肌が、部屋の空気にひやひやとなじんだ。

 ケイは痛くもないし、気持ちよくもなかった。ただいつもと同じように、父親が果てるのを待っているだけだった。


 その小さな島には百人ほどの人間しか住んでいなかった。船はなく、船を造る知恵もない人ばかりだった。誰も島からは出られない、でも誰も困らなかった。彼らはみな、気持ちよくなれさえすればよかったからだ。十を過ぎると、男も女も、誰もがことを覚える。まずは大人から弄ばれ、徐々に自分が楽しむすべも覚えていく。誰もが誰もの、共有の肉だった。ケイも同じ。初めてを知ってから、知らされてから、二年ほどが経った。ただ、ケイはまだ処女だった。処女の魔法をかけられていたから。


「外でも中でも変わらないのは、どこにいたって僕は僕だからなのさ。おまえがおまえであるのと同じようにね」

 地下にある檻のなかで、アサギリがいう。固い石の床に、何でもないみたいに寝転んでいる。

 ケイは水と、穀物を練って焼いたものを格子の隙間から差し出した。アサギリは寝転んだまま受け取り、一口、大きくかじった。

「魔法でもどうにもならない。このパサパサだけはさ。窓からわずかに覗く月とか、君のそのきれいな目だとか、みたいにさ」

 ケイは檻に寄り添うように座った。昼間はこうして終日ぼんやりしていることが多かった。塔から出ることは許されていない。約束を破るとひどい目に合うけれど、ひどい、ということのひどさも、ケイにはもうわからなかった。だから、言いつけ通り塔の中で過ごすのは、ただ面倒だったからだ。

「魔法を使えばいいんだ。私を処女にしたときみたいなやつを」

 そのとき父親は大喜びしていた。この島の男は、処女が大好きだからだ。それに、食べ物もたくさん手に入る。

「魔法遣いにもできないことがあるのさ。海を渡ることと、そして乾燥した食べ物に潤いを与えること。それ以外は、なんでも、どんなことだって」

 そしてアサギリはもう一口、穀物の塊に噛みつく。顔の上で器を傾けると、水が綿毛のようにふわふわと、アサギリの口に吸い込まれる。

「今日もおまえが来ることをとっくにわかっていたのさ」

「そんなのは当然なんだ。毎日来てるんだから」

 そうしてケイはお願いした。自分よりもずっと長く生きているという、この小さな体を持つ魔法遣いに、島の外の話を聞かせてほしいと。広い向こう側のこと。それに、ここからも見える、もう一つの島のこと。

 もう一つの島では、生殖以外の目的で、男女のみだらな接触が禁じられているらしい。とても厳しく。大昔、袂を分けた兄弟がそれぞれに島を持ったのが始まりで、今では交流もない。


 日が沈んだ頃だった。いつの間にか檻の前で眠っていたケイは、引きずられている事に気がついた。父親だ。右腕を引っ張られ、階段を上らされている。床と擦れた足が熱かった。

 そうして三階にまで連れてこられた。窓際に一つきりの燈心に、弱々しい火が心もとなく揺れている。ケイの周りには、大きな体をした父親と、同じくらい大きな、でもがっしりとした兄と、知らない大人が二人いた。二人は、木の皮を編んだ大皿を父に渡している。こうしてしばらく私たちは食べ物に困らない。母は誰かの家に、父親たちと同じような楽しみを求めて出かけている。

 今夜も始まるのだ、とケイは思った。寝て、起きて、食事をするのと何も変わらない。当初覚えた痛みはもうない。初め感じていた、鈍く重たい異物感は、繰り返されるうち、鋭く刺すような痛みに変わり、肉を裂かれるような思いを毎晩繰り返すうち、燃えるような熱が絶えることのなかった股は、次第に冷たく、あらゆる感覚を拒むようになった。そうしてケイは、苦痛や辛さを、どこかで落としてしまった。

 もう痛くも辛くも、悲しくもなかった。


 冷えた潮風が素肌にこそばゆかった。ケイはふるふる身を震わせながら体を起こした。体中に、誰のものかもわからない体液がこびりつき、排泄物と日陰の泥を混ぜたようなにおいがした。胸をこすると、垢のようにぽろぽろとはがれた。

 ケイは立ち上がると、転がっている男たちを避けて窓辺に近寄った。日は未だ姿を見せていないけれど、藍色の空気が、ずっと遠くまで広がる海の上に横たわっている。向かいの島が、見える。そばに、いくつもの明かりが見えた。きっと船だ。

 どこに行くのだろう、と考えたけれど、ここ以外のどこのことも知らないケイには、想像もつかなかった。


 ケイはいつものように、アサギリに昼食を渡し、そのまま地下で、アサギリと話すとも話さずともしてぼんやり過ごしていた。そこへ父親がやってきた。右手には、丈夫で尖った木の棒が握られている。

 檻の前で父は言う。

「船を作り出してください」

 鋭利な棒の先をアサギリに向けた。アサギリはのんびりと寝ころんだまま、地表付近の高窓を見ている。父は棒の先を、アサギリの足に突き刺した。

「では、向かい島の女を連れてきてください」

 血が流れ、痛みに転がるアサギリに、父がさらに棒を構える。アサギリは相手にせず、呼吸も荒く、足を押さえている。父はさらに、アサギリのおなかに穴をあけた。

 父親はいつも色々なお願いをするけれど、アサギリは相手にしない。今日のお願いについて、ケイには父親の考えていることがわかった。この島の男は新しい女が好きだ。既に交わっている女だけでは満足できず、新しい女を探すのだ。この小さな島では満足できず、向かいの島の女を連れてくるつもりだ。

 アサギリは体中、穴ぼこだらけにされた。いつも、次に会う時には自分ですっかり治療してしまっているとはいえ、ケイはさすがに見かねた。立ち上がり、体に巻いていた布を床に落とし、父親の太い腕に抱き付いた。

「お父さん、お父さん。したいから」

 引っ張ってみるが父親はびくともしない。父親が腕を振るうと、ケイはころころと地面に投げ出された。起き上がり、今度は体に抱き付いたけれど、

「あとにしろ」

 頭を強く小突かれてから、突き飛ばされた。ケイは再び起き上がった。二回、肩を上下して大きく息を吸った。意を決して、父親の股を蹴り上げた。父は大きな頓狂な声を上げた。そうして振り返り、ケイを思いっきり殴りつけた。ケイはくるくる転がり、壁に頭を打ち付けた。

「思いっきり痛くしてやる。無茶苦茶にしてやる」

 父親はケイの腕を引きずって階段を上り始めた。ケイは頭がくらくらしながら、アサギリを見て小さく手を振った。アサギリは重たそうに目蓋を上げ、口を動かした。

 音は聞こえなかった、でも確かに声が聞こえた。

 ――今日だよ。


 酷い目にあったケイは、全身くたくたに疲れて、生きているのだか判別もつかないような細い息で眠りに落ちていた。しかし大きな音がしたために目が覚めた。人の怒鳴り声や、あわただしく動き回る音だ。そうして、重いものが床に落ちる、鈍い音がした。目を開くと、薄闇を挟んで、目の前に父の顔があった。首から下はなかった。温かい液体が、床を伝い、ケイの体にしみこんだ。

 起き上がると、目の前に大きな斧を担いだ男がいた。足元に父親の体が寝転んでいる。男はケイに向かい斧を振り上げた。

「待ちなさい」

 柔らかい声がした。ほっそりとした男が階段を上ってきた。手には薄くて大きな刃物が握られ、それが雨雲みたいに光っている。その男はケイの胸をついて寝転ばせると、股に指を伸ばした。散々に検め、最後に中を仔細に観察した。

「この子はきれいな体だ。連れて行ってあげよう」

 斧の男は頷くと、階段を下りて行った。細い体の男は、ケイの体を布で覆うと、手を握った。そのまま二人で塔を下り、塔の外へ、岬へと出た。

 いつもと同じ、潮気を含んだ風が、ケイの髪を気持ちよく揺らした。ただその風は、いつものように、塔の狭さを思い知らせるものではなく、世界の広さを教えてくれるものだった。

「外でも中でも、変わらないのさ、なんて思っていたけれど、やっぱり風の味が違うね」

 振り向くと、アサギリがいた。

「それにおまえの目も、広い世界を映した方が、ずっときれいだ」


 魔法遣いだから、こうなることは分かっていたのさ、なんてことをアサギリはいう。二人は唯一の生き残りで、取りあえずは、向かいの島へと、今は小舟に揺られている。向かい島の男が二人で、せっせと舟をこいでいる。

「ついに島を出てしまったんだ。世界に」

「そう。でも、世界っていうのは、もっと広いのさ」

 アサギリが、小さく首を傾げてケイを見ているので、ケイは「一緒に行く」と答えると、アサギリが頷いた。これからの二人旅を思い、ケイは少し、考えてみた。アサギリの耳元に、そっと話しかけた。

「あなたに、私の処女、あげよっか」

「お前は処女じゃないだろ」呆れたような声だ。

 確かに股に、久しい感覚が戻っていた。


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