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才能

作者: 竹仲法順

     *

 朝方起き出し、キッチンに入って、薬缶にお湯を沸かす。コーヒーを一杯エスプレッソで淹れた。そして飲んだ後、洗面台で洗面し、書斎へと入っていく。パソコンを起動させた。もうこの執筆という仕事を始めて長い。ずっと続けている。

 売れない作家だ。確かに今から三十年以上前に公募新人賞を獲った後、その数年後に直木賞をもらったのだが、作品は絶望的なぐらい売れてない。ネット上の掲示板などでは俺のことを非難し、誹謗中傷のようなことさえするヤツがいる。だが、そんなものを一々気にしていたら、書ける物すら書けない。だから、今はもうネット掲示板などを見ることはない。

 大体、小説家など才能がある無しに関わらず、ずっと書き続けていくことで錬成されていくものだと思っている。ハウツーや便利なツールなどあるわけがない。単に書き綴るだけで、別にこれと言って特別な手法などないのだ。あったらとんでもないことになる。

     *

 地方の辺鄙な田舎町の山荘にこもっているのだが、稀に地元で講演などをしてくれと頼まれることがある。まあ、別に差支えないのだが、俺のように還暦過ぎで昔の古い知識しか持ってない人間のどこに魅力があるのか、分からない。ただ、自治体の人間たちは催し物などをする際、俺のように曲がりなりにも直木賞を受賞している作家を表に出したいのだ。

 一回一時間ぐらい講演すると、講演料は五十万ほどもらえる。源泉で半分以上持っていかれるのだが、金額は大きい。書き物をしながら、合間にそういったことを通じて、ある程度、社会参画のようなものはしていた。ただ、元々人前に出るのは苦手である。仕方ないと思っていた。

 今の若手が自費出版などを通じて作家デビューしているので、出版社から献本などがあり、作品を読む機会がある。だが、大抵今の若手はとんでもないぐらい水準の低いものを書く。俺のようにこの道で三十年、四十年やってきている人間に言わせれば「えっ?何これ?」といった感じだ。

     *

 デビュー時から懇意にしている担当編集者の橋本とは、ずっと電話やメールで連絡を取り合っている。大手なのだし、プロ作家しか扱ってない会社なので、あっちもこちらの原稿を取るのに必死だ。一作一作渾身の力を込めて書いているつもりだった。橋本はおべっかを使うことはない。いつも電話などを通じて本気で言ってくる。「ちゃんと原稿書いてくださいね」と。

 生半な作品で勝負するつもりはない。いつも真剣勝負だ。ゲラのやり取りはメールでやっていたのだが、赤がたくさん入ってくる。手書きなど一切しない。全部パソコンだ。デビュー時は手書きだったが、その後も速度の遅いワープロなどを使って執筆していた。

 確かにサイン会などをしないかと誘われても断っていたのだし、別に売れっ子じゃなくて、普通に文芸雑誌などに複数の連載を抱え込んでいたので、その原稿を書くのに必死だった。加えて単行本も月に一作程度書き下ろしている。忙しいのだった。

     *

 朝食は特に食べずにコーヒーだけで済ませるのだが、昼食と夕食は作っていたのである。ちゃんと食べないと、エネルギーが湧かない。美食こそしないのだが、買っていた食材を使い、工夫を凝らして作っていた。

 還暦を超えた俺も昔、作家になる前はドカタなどの日雇い労働をしていた。一度も会社勤めをしたことがない。ずっとアルバイト生活だった。だがきつい仕事から帰ってきて、当時住んでいた都内の古いアパートで、買ってきていた格安の弁当などを食べながら飢えをしのいでいたのを覚えている。

 バイトで貯めた金を小出しに使いながら、原稿用紙を五百枚ぐらいまとめて買ってきて、ペンで書き綴っていた。物になるかならないかは別として、ずっと書いていたのを覚えている。あの時、下積み生活のようなものから脱却して、自分にあるかないか分からない才能のようなものを活かそうと考えていたのである。必然だった。向かないことを続けるより、向くことをした方がよかったからである。

 人生が変わったのが新人賞受賞で、それを機にワープロを一台買い、ずっと原稿を打ち続けていた。別に変わった点はない。単に作品を書くスピードが上がったというだけで、自身の作風が変わったわけじゃないのだし、作品を書くということに特段変化はない。

 確かに読者からいろいろと言われるのは仕方なかった。ネットなどは言いたい放題だから、言わせておけばいいと思っていたのだし、実際何を言われようが関係ない。俺の仕事は作品を書くことだ。ジャンルもほとんど全てのものを手掛けていたのだし……。

     *

 合間にコーヒーを飲みながら、買っていた洋菓子などを摘み、ブレイクする。印税は少なかったのだが、原稿料が結構潤沢に入ってきていたので、それで食べていた。橋本のいる出版社とも、もちろん作家契約していたのだし、他社とも契約して、仕事をもらっていたのである。

 ただ、還暦を超えると、年金受給なども視野に入ってくる。確かに一日二十枚ぐらいコンスタントに原稿を書いていたのだから、年産七千枚を優に超えていた。十分食っていける。年金も掛けるべき年数は掛けていたのだが、作家業を続けている以上、老後に金で困ることはない。

 最近、めっきり冷え込んできた。この山荘も冷える。まだヒーターを出すのには早いのだが、なるだけ室内が温かくなるよう、書斎や寝室のエアコンの調整はしていた。そしてずっと昼間書き物を続ける。

 妻子などがいなくて、独身なので気が楽だった。確かに結婚生活などをすれば、いろいろと問題や制約などが出てくるだろう。東京時代、風俗店などに入り浸っていたのだが、今はもうそんなエネルギーはない。山の中でずっと執筆し続けていた。

 街に出ることもほとんどない。宅配型の量販店に会員登録しているので、買い物したい時は、そこに連絡していた。二十四時間体制で回り続けているので、いつでも商品を届けてくれる。ネット通販のローカル型のようなものだった。そこで一括して買っている。下手すると、家電なども含めて。

     *

 作家としての適性があったから、ここまで来れたのだろうと改めて思う。日雇いなどをやっていたら、人生を棒に振っていたかもしれない。今思えば、二十代の頃は実に若すぎた。現時点では落ち着いているので、それでいいのかもしれない。

 確かに商業出版というのは大変だ。売れなければ次がないと言われている。だが、七百冊を超える書籍を世に送り出しているので、もう作家としては十分だと思う。まだ当面今の仕事を続けるつもりだが、思うように売れなくても仕事はちゃんと来る。ずっとパソコンに向かいながら、原稿を書き綴っていた。さすがに還暦にもなれば、二十代から四十代ぐらいまであった若さや勢いといったものはない。ただ、まだまだだと思う。実際、連載も複数抱え込んでいて何かと忙しいのだし……。

 午前中、書斎の固定電話が鳴り出せば、大抵出版関係者からだと感じていた。しっかりやっている。朝は午前六時過ぎに起き出し、朝食代わりにコーヒーを淹れて飲む。それから仕事を始めていた。ずっとこもる仕事なのだが、運動不足にならないよう、ちゃんと屋内で運動していた。健康には気を遣う。何せ体が資本なのだから……。

 仕事をこなしながら、合間にコーヒーを飲み、意識を覚醒させる。その繰り返しだった。別に違和感などない。この道、三十年以上やってきているので慣れていた。別に原稿を書くことが苦痛にはならない。逆に書いてないと、スランプになりそうで心配だった。

 実りの秋だ。収穫も多い。気を長く持ち、やっていこうと思っている。体調は全然悪くないのだし……。この季節は冷え込むのだが、早寝早起きの生活スタイルは変わらない。健康維持して、やるつもりだ。依頼された原稿に関しては、いつも期日より早めに入稿していたのだから……。作家は常に原稿を書き綴る。当たり前のことを最近再認識し始めていた。原点回帰という意味で。

 そろそろ冬支度を始める。今年の秋冬も例年通り冷え込むのかなと感じながら……。

                                (了)


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