花職人
お読みいただきありがとうございます。
是非、感想や評価していただけると幸いです。
この世界に腐敗はない。
人は死ぬと、花になる。
棺に死体を入れ、温度と湿度を整えた部屋に置く。それだけでいい。三日もすれば皮膚は柔らかくほどけ、血の代わりに透明な液が巡り、骨を芯にして内側から花が咲く。誰一人として同じ花にはならない。色も形も香りも、その人間の最期を映したように歪み、美しく完成する。人々はそれを開花と呼ぶようになっていた。
花職人という仕事がある。死体を預かり、最も美しい状態で咲かせる。温度を管理し、水分を調整し、時には切開して花の流れを整える。俺はその仕事をしている。
運ばれてきたのは若い女だった。顔は整っていて、眠っているように静かだ。遺族の男が棺の横で立ち尽くしている。
「誘拐されたんです」
「そうなんですね」
「この子を見つけたときの状態が忘れられなくて」
男の顔が険しくなる。
「今は眠っているようにきれいな顔をしていますけど、誘拐犯に犯されて」
思い出したくもないのだろう。言葉を詰まらせている。
「つらかったですね」
「どのくらいで咲くでしょうか」
「五日ほあれば開花しますよ」
「綺麗になりますか」
「なりますよ。できる限り綺麗に仕上げますね」
男は深く頭を下げる。
「お願いします、あの子、花が大好きだったんです」
その言葉に、俺はいつも通り頷いた。
三日目、兆しが出る。皮膚の下でゆっくりと何かが脈打ち、血管が淡い色に染まる。
四日目、胸元が内側から押し広げられるように裂け、細い花弁が覗く。
五日目、咲く。
薄紅の花だった。透けるような花弁に細い赤い筋が走り、まるで未完成の血管がそのまま残っているような形をしている。あまりにも整っていて、息を呑む。綺麗だな、と無意識に漏れた。
この花に近づいたとき、違和感があった。花が、わずかに揺れている。空調のせいではない。もっと内側から、呼吸のように、脈打つように。耳を寄せるとかすかな、擦れるような音。
「たすけて」
思わず顔を上げたが、誰もいない。もう一度、耳を近づける。
「たすけて まだ いきてる」
あり得ないと頭では分かっている。だが、その声は確かにそこにあった。
記録室に向かう。過去の開花記録、写真、音声、すべてを引っ張り出す。美しい花ほど、記録が多い。そして異様に評価の高い花には共通点があると気付く。事故、急死、未遂、自殺、殺害。どれも共通しているのは、終わりを受け入れていないこと。途中で切断された意識。強い未練。それが、花として残っている。
部屋に戻ると、花の色が濃くなっていた。白に近かった花弁は赤みを増し、深く、粘つくような色へ変わる。声も、はっきりしていく。
「いたい くるしい やめて やめて やめて」
耳を塞いでも意味がない。音ではない、直接流れ込んでくる。俺は後ずさる。違う、これはただの反応で現象だ。そういう仕組みなんだと自分に言い聞かせる。
翌日、遺族が来た。棺の前で立ち尽くし、やがて崩れ落ちる。
「綺麗だな、こんなに綺麗になるなんて、あの子、喜んでるよな」
その言葉に、花がわずかに拒むように震えた。だが誰も気づかない。俺だけが、それを見つめている。
規定では、一定期間展示した後、保存処理に入る。薬剤で固定し、変化を止める。完全な作品になる準備を始める。
「やめて」
手が止まる。
「まだおわりたくない」
分かっている。これを無視すればいい。今までだってそうしてきた。これは声ではないし、もう人間でもない。ただの現象だ。薬剤を流し込み内部に満ちていく。
「やめて やめて やめ」
声は、途中で途切れた。花は静止する。完璧な形で、永遠に。
美しい花ほど、声が大きい。そしてその声は、必ず途中で消える。俺が、止めるからだ。
仕事は続けた。むしろ評価は上がった。あの職人の花は違う、深みがあると言われるようになった。当然だった。俺は知っている。どんな死が、どんな花になるか。唐突であるほど、未練が強いほど、苦しみが深いほど、花は、美しくなる。
最初はそれに気がついたときは最悪な気分だった。だが理解し最後に、納得した。苦しんでいるから、美しい。そう思った瞬間から、もう戻れなかった。
あの女の花を超えるものを、まだ見ていない。どれだけ手を尽くしても届かない。
ならどうするのか。答えは2つある。1つは他人に対して残虐非道な死を与えること。しかし作品のため誰かを犠牲にする度胸など持ち合わせてはいなかった。もう1つは自分で咲く。花職人としての評価が上がり、今後のキャリアやより良い作品をもっと作りたいと思っているこの時期。この未練を抱えたまま出来るだけ苦しんで死ぬ。準備は完璧にした。温度、湿度、体の状態、すべて自分で整える。記録も残す。誰よりも美しく咲くために。選んだのは、一瞬で終わる方法ではない。意識が途切れず、ゆっくりと壊れていくもの。
始まると最初は違和感があった。やがて痛み。内側から削られるような鈍い苦痛が全身に広がる。逃げようと思えば、まだ逃げられる。だが逃げない、これでいい、これで咲く。視界が歪む。呼吸が浅くなる。骨の内側が軋む。
「たすけて」
どこかで声がする。かつて何度も聞いた声。だが、もう遅い。
次に意識を取り戻したとき、体は動かなかった。だが、感じる。光、空気、周囲の気配。そして、自分の中から広がる感覚。咲いていた。誰かが言う。
「見たことない、なんて花だ、信じられない。これ、あの花職人だろ、最後に自分でやったのか」
笑いと驚きと賞賛。全部、聞こえる。綺麗だと。成功した。どの花よりも、濃く、深く、美しい。その奥で、確かに残っている。まだおわりたくない。動けない。止められない。逃げられない。ただ、咲き続ける。やがて誰かが来る。処理の準備。保存の工程。かつて自分がやってきたこと。
「やめて」
声は、確かに届いていると思う。それでも、その手は止まらない。
花は、今日も綺麗に咲いている。
お読みいただきありがとうございました。
また近いうちに続きを投稿します。




