ハイスペ魔術師様は幼馴染への愛が重すぎて酒場で号泣する。その呪いってただの疲れ目だから、まずは寝てくれ
「珈琲を」
開店と同時に入店したその男は、一言そう言うと黙り込んだ。
彫刻のように整った横顔。闇を溶かしたような漆黒の法衣。背に流れる銀糸の髪。
「もしかして……アル?」
彼がこの店に現れたとき、メイは自分の目を疑った。
アルヴィス・フォルトナー。
指先一つで天災すら操ると謳われる、国一番の魔術師。
今やこの国で、その名を知らぬ者はいない。
カウンターに座るその姿は、ただそこにいるだけで周囲の空気を薄くさせるような、圧倒的な威圧感を放っている。
「久しぶりね」
メイがサイフォンで丁寧に淹れた珈琲を差し出す。
アルヴィスは淀みない所作で、ゆっくりとカップを口に運んだ。
その一挙手一投足には、庶民の暮らしとは無縁の、研ぎ澄まされた静謐さが宿っていた。
メイとアルヴィスはこの街で、仲の良い幼馴染として育った。
十三歳の時、彼に並外れた魔力があることが判明するまでは。
それからの一年間、彼は王都から来た大人たちに囲われ、十四歳の春、メイと一度もまともに言葉を交わさないまま、王立魔術学校へと発っていった。
それきり六年間、会うことはおろか一度の便りもない。
当時の彼は、風が吹けば折れそうなほど細く、いつもメイの後ろに隠れて服の裾を握っているような少年だった。
それが今、誰もが畏怖する英雄の姿で目の前に立っているのだ。
メイが知っている少年の面影は、その高い鼻梁にも、鍛えられた肩の厚みにも、どこにも見当たらない。
アルヴィスは珈琲一杯分、わずか十分足らずの時間で席を立った。
何も話さず、時折、射抜くような鋭い視線でメイをじっと見つめながら。
「明日も来る」
それだけ言い残し、彼は嵐のように去っていった。
それから一週間。アルヴィスは毎朝、開店と同時に現れた。
「この近くでお仕事なの?」
「あ、……ああ」
メイにそう答えると、彼は慌てて珈琲を飲み干し席を立つ。
だが、その頃から彼が退店した後、彼の後を追ってきた令嬢たちで、メイの喫茶店は満席になることが増えた。
傍若無人に振る舞う令嬢たちが、店の常連客の肩にぶつかる。気にも留めない彼女たちに、常連客がひとり、またひとりと減っていく。
メイは意を決してアルヴィスに伝えた。
「アル……いいえ、フォルトナー様。大変申し訳ないのですが、もうお店には……」
アルヴィスは、椅子に深く腰を下ろした姿勢のまま、愕然と固まった。
「……なぜだ」
「ええと……あの、……うちは小さな店ですし、あなたのような方がわざわざ来るようなところでは……」
メイの声がだんだんと小さくなる。ちらとアルヴィスを見上げると、彼の眉がほんの少し歪んだ気がした。
「……そうか」
アルヴィスはそれ以上何も言わず、店を去った。
その漆黒の背中が妙に小さく見えた。
メイは一瞬幼い頃の彼の姿に重なった気がしたが、彼を追うように、騒々しく退店していく令嬢たちの対応に追われ、それどころではなくなってしまった。
王宮からほど近く。喧騒に紛れた酒場の片隅。
アルヴィス・フォルトナーは身分を隠すマントを羽織ったまま、同僚で友人のゼノを相手に大粒の涙をこぼしていた。
「……ゼノ。俺は、もうダメだ。メイに、嫌われた……! 俺は呪いのせいで、もうすぐメイの姿が見えなくなるというのに!」
「はいはい。とりあえず、これ食えよ」
ゼノはまたか、という顔をしながら、アサリのたっぷり入ったオイルパスタを器用にフォークで巻いて頬張っている。
「呪いってあれだろ? 少し前に行った、魔物討伐の新人研修……」
「……師匠の代理なんて行くんじゃなかった。目玉だらけの魔物に怯えやがって……あの新人。どうして庇った俺が、視覚阻害の呪いなんて食らわなきゃならないんだよ!」
「一番大事なものが見えなくなる呪い……か」
ゼノが店主にムール貝の白ワイン蒸しを注文し、アルヴィスの前には水のグラスを置く。
「そんなに大事なら、なんで六年も会いに行かないんだよ」
「……っ!そ、それは……」
「それは?……それに、格好つけて碌に話してないんだろ?」
「それは、まだ……俺が……。いや、っい、いいだろ!そんなことより!俺はメイの姿が見えなくなる前に!この目に!メイの姿を!焼き付けたいんだ!」
ガタッ、と勢いよく顔を上げたアルヴィスの瞳は、普段の冷徹さなど微塵もなく、ただの子どものように赤く腫れ上がっている。
「しかも! メイは常連にはあの可愛らしい笑顔を向けるくせに、俺には敬語! ……フォルトナー様!? 師匠の名前なんかもう捨ててやる!」
「おいおい、仮にも王宮筆頭魔術師の後継者だろ」
「そんなもんメイに比べたら塵だ! ここ最近は特に、メイの姿が霞がかって見えてきたというのに……! 俺には……俺にはもう時間が! ……ああ!メイ!」
「なあ、アルヴィス。それって……」
ゼノが何か言いかけた時。
すでにアルヴィスは、並んだ酒瓶をなぎ倒さんばかりの勢いでテーブルに突っ伏して眠っていた。
「……こいつ、メイちゃんに関してだけポンコツ過ぎんだろ」
ゼノは、目の下に隈を作り、すっかりやつれてしまった友人に、呆れたようなため息をついた。
アルヴィスが店に顔を出さなくなって、数日が過ぎた。
嵐のような騒がしさは去り、店にはようやく元通りの落ち着きが戻りつつある。
だが、完全に以前と同じというわけにはいかなかった。
「アルヴィス・フォルトナー行きつけの店」という噂を聞きつけた令嬢たちが、彼を探すような視線を店内に走らせながら訪れるようになったからだ。
ある時、一人の令嬢がカウンターのメイに尋ねてきた。
「ねえ、あなた。アルヴィス・フォルトナー様と幼馴染だというのは本当なの?」
「は、はい……」
「まあ! やっぱりそうなのね? わたくし、あの方の大ファンでして……羨ましいわ」
にこにこと語りかける令嬢に、メイは目を丸くしながらも、その屈託のない人柄に緊張を解いていった。
「幼馴染と言ってもずいぶん昔のことでして。最近では何の関わりもないんです」
「あら、そうなの? でしたら、アルヴィス・フォルトナー様の『呪い』のことも、ご存じない?」
「の、呪い……ですか?」
「ええ。なんでも『大事なものが見えなくなってしまう』のだとか……ご不憫でならないわ」
「アル……いえ、フォルトナー様のお身体に、その呪いというのは……」
「そこは心配ないわ。なんたってアルヴィス・フォルトナー様の魔術の腕は、国内はおろか大陸随一よ。……あら? でも……」
「ヴィクトリア様!」
店の扉の前で、数名の令嬢たちがこちらを伺っている。
「あら! いけないわ。では、あなた、ご馳走様でしたわ」
ヴィクトリアと呼ばれた令嬢は慌てて扉の方へ向かった。
彼女たちを見送った後、店の閉店時刻になっても、メイは彼女から聞いた話が頭から離れなかった。
数日前まで彼がよく座っていた席を見つめる。
アルヴィスが呪いに?
六年ぶりに突然現れたことと、何か関係があるのだろうか。ヴィクトリアは心配ないと言ったが、本当に彼に悪い影響はないのか。
メイの頭の中を様々な思いが錯綜し、最後に見たアルヴィスの姿が脳裏をよぎった。
──泣き出してしまうのではないかと思った、あの顔。
幼い頃、自分の肩越しに見えた伏し目がちの瞳。守りたくなるほどに小さかった背中。
「行かなきゃ」
居ても立ってもいられず、メイは店の鍵を掴んだ。外套を羽織りながら、勢いよく扉を開ける。
「きゃっ!」
目の前に、アルヴィスが立っていた。
「驚かせて、すまない」
「ど、ど、どうして……」
「……いつもより店を閉めるのが遅いし、昼間……令嬢たちに絡まれているようだったから。その……」
メイの動きが止まる。心配が、徐々に不信感へと塗り替えられていく。メイは訝しげにアルヴィスを凝視した。
「……どちらでご覧になっていたの?」
「いや……その……」
「お店にはもう来ないでと、お願いしましたよね、フォルトナー様」
「そ、それは……その……」
「答えて。アル」
そう呼んだ瞬間、アルヴィスの肩がびくりと跳ねた。
「そこの角のところから……見ていた」
「なぜそんなことを?」
「き、君にもう来るなと言われて……」
「だから! なぜそんな真似までして見張るの!? ずっと、何の連絡もしてくれなかったじゃない! 六年間! 一度も会いに来てくれなかった!私のことなんて忘れてたくせに!なぜ今さら……!」
「忘れるもんか!」
「……じゃあ、どうして?」
「……だって。……君が、アイツを素敵だって……かっこいいって言ったから……俺は……」
「……あいつ……?」
「子どもの頃に読んでた本の主人公だよ!言ってたじゃないか!お茶の時間も延々とアイツがいかにかっこいいかって話ばっかりになって……」
「……ねえ。まさか……あいつって、『孤高の魔術師ゼニス』のゼニス……?」
「だからそう言っているだろう! 俺に魔力があると分かったときは、運命だと思った。絶対にアイツより凄い魔術師になって……か、かっこよくなって、君の前に立ってやるって。でもアイツは『筆頭魔術師』なんだ! 俺はまだ候補でしかなくて……くそ! だからあのジジイ、早く引退しろと言っているのに!」
「ええと……ちょっと待って、アル」
こめかみを指先で押さえながら、メイがアルヴィスを止めた。
「つまり、あなたはゼニスみたいになるために、この六年間を?」
「アイツ以上になるために、だ」
「アルヴィス。あなた、それじゃあまるで、私のことが好きみたいじゃない……」
「好きだよ! そんなの、ずっと……昔から、君だけしか見ていない!」
叫びのような告白に、メイは息を呑む。
だが、すぐに現実的な疑問が頭をよぎった。
「……でも、呪いは? 大切なものが見えなくなるんでしょう? なのに、私のことは見えているのよね?」
「そ、それは……! 確かに、今はまだ……」
そこへ、背後から心底呆れたような声が響いた。
「あー、お取り込み中失礼。アルヴィス、気になって調べてみたんだ。お前、討伐前日に担当した魔術学校の講義で、『全状態異常無効』の魔法を手本として自分にかけてる。……だから、呪いなんて最初からかかってねえよ」
振り返ると、そこにはゼノが立っていた。
アルヴィスが信じられないといった様子で顔を上げる。
「え? そんなはずは……現にメイの姿が霞んで……」
「ただの極度の疲れ目だ。この店に毎日通うために、相当無理して仕事を詰め込んでいただろう。そんな生活をしていれば、誰だってそうなる」
夜の帳に、痛いほどの沈黙が流れる。
メイが視線を移すと、アルヴィスは右腕で顔を覆い、その場に固まっていた。
「……アル?」
メイがその腕を無理やり下ろすと、そこには耳まで真っ赤に染め、瞳を潤ませた男がいた。
アルヴィスは消え入りそうな声で呟く。
「……見るなよ。君は……意地悪になった」
メイは呆れたように笑いながら、その震える頭を乱暴に撫でた。背後では、役目を終えたゼノの背中が遠ざかっていくのが見える。
「……他のご令嬢たちだって、霞んで見えていたんじゃないの?」
「……知らない。君しか、見ていないから」
メイがアルヴィスの胸元に、そっと額を寄せた。
「……バカ。本当の、大バカ」
(……本当は、あの本の主人公を好きになったのは、挿絵があなたにそっくりだったからなんて。……内緒にしてたらまた、意地悪って言われるかしら)
アルヴィスの両腕が、メイの腰を力強く抱きしめた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最強の魔術師なのに、愛が重すぎて「疲れ目」を「死の呪い」と盛大に勘違いしてしまったアルヴィス。
そんな彼を、呆れながらも結局は放っておけないメイ。
二人の不器用すぎる六年越しの再会を楽しんでいただけていれば幸いです。
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