太田光が大好き
さて、奴隷には芸能人や小説家、アーティストなど、影響を受け、大好きな人物が何人かいるのですが、その筆頭が大槻ケンヂと爆笑問題の太田光なんですね。
大槻ケンヂについては何度か語ってますので、今回は太田光について、語りたいなーと。
奴隷が爆笑問題に出会ったのは、爆笑問題が太田プロから独立し、干されたあと、賞レースで勝ち上がり、芸能界に舞い戻り始めた頃だったのだと思います。
反対に言えば、デビュー当時は、奴隷はまだお笑いに興味があまりなく、知らなかったんですね。
爆笑問題の漫才をテレビで初めて見た奴隷は衝撃を受けました。その後、ボキャブラ天国に出演したさいに、一押しの芸人としてファンになったんです。
ボキャブラ天国は初期はネタ見せ番組でしたが、オチのところでテロップに文字が出て、テロップにたいして、ダジャレをサゲとして使う。ある種のフリップ芸のような構成の番組でした。
そんな中で爆笑問題は抜きん出ていたと思います。
まず、日芸出身の爆笑問題の二人は演技が抜群に上手かった。そして、その演技をしっかりと前振りに出来るネタの構成力と表現力が凄まじかった。
出演していた他の芸人も実力派揃いでしたが、テロップがなければ、オチがわからないネタもしばしばある中で、爆笑問題のネタはテロップ不要でした。
テロップで出てくる言葉に繋がるストーリーを迫真の演技で見せて、オチに来るであろう言葉が容易に予想できる展開に持っていき、オチでしっかりとダジャレで太田がボケたあと、突っ込みの田中がテロップに出ていた言葉で「○○○だろ」と正解を言葉にして言う。
この構成のお陰で、テロップ無しでも問題なく分かり易いコントよりの漫才になっていて、軽妙かつシリアスな演技は一瞬でシチュエーションと二人のキャラクター設定を理解させてくれる。
ネタ見せのルールを理解した上で、最大限にそのルールを活かした構成を作ってしまってましたから、天才だと思いましたよ。
最近はデビュー当時のコントなどをYouTubeで見れて新鮮かつ、面白いのですが、デビュー当時はボケと突っ込みが逆だったのも驚きました。
さて、太田光というと、若い方などに「滑ってばかり」「つまらない」とコメントされているのを見かけて、奴隷は哀しくなります。
人それぞれですから、仕方ないんですが、若い時のコントや、漫才、あとは落語や対談などで披露する話芸を見て頂ければ、テレビではしゃいでいる時とは違う、天才的な面白さが見れるので、是非とも見て欲しいものです。
そんな太田光について、奴隷がすごいと思ったエピソードなどを、取り留めなくつらつらと書いていきますと。
まずは、裏口入学問題の時の記者会見ですね。
太田光は週刊誌に大学を裏口入学したと報じられ、裁判をおこし、勝訴した過去があります。
この時、太田光は裁判を起こした理由について、以下のように答えています。
裏口入学を頼んだとされる父親は故人となっており、真偽を確かめようがなく、裏口入学があったのかは自分にはわからない。そう前置きして、故人であり、一般人である父親の会社や名刺、写真を無断使用し、ヤクザにペコペコ頭を下げて、息子の裏口入学を頼んだと、父親の名誉を傷つけたことが許せなかったと。
この記者会見で太田光は父親の会社が父親と息子である自分の名前から一字づつとって社名をつけており、父親にとって、大切な会社であったと語り、その社名が入った名刺を使い、無断で不名誉な写真を掲載し、母親まで悲しませた。と、淡々と語っていました。
芸能人として、裏口入学という不名誉な話題に、「真偽がわからない」から、そこは争点ではないし、自分は構わないと言ったことも驚きでしたが、両親のことを大切に思い、戦ったのだと思うと、とても筋の通った方だなと思いましたね。
この時の判決では、概ね、太田光側の主張が認められましたが、謝罪広告の掲載だけは一審、二審ともに退けられました。理由は「影響力のある有名芸能人である原告は自身で名誉を回復できる」からだそうです。
奴隷は納得できませんでしたねー。なんで、被害者が自分で名誉回復せにゃならんのって話ですし、そもそも太田光は、もう亡くなって弁明することも不可能な一般人である父親の名誉回復を願って起訴したと言ってるんですから、太田光個人の知名度は関係ないはずです。
さて、芸人仲間が余命宣告を受けたさい、太田光は病室を訪ねると「海外では治療法があって、治すことができるらしい。このままなら、お前は病気で死ぬんじゃない。無知で死ぬんだ」といったことを告げて、支援活動の旗頭になり、渡航費用、治療費の募金活動を主導して、無事に治療に成功したというお話を、助けられた芸人さんがしていたことがありました。
忙しいなか、芸人仲間の病について調べ、助けようと奮闘した人間性に、感動しましたねー。
統一協会関連の発言で炎上したとき、奴隷は理解されずに炎上する太田光を理解して欲しいと切に願っていました。
太田光の発言は、当時の統一協会を擁護するものではなく、被害者となってしまった人たちを置き去りにしないで欲しいという、優しさゆえのものでした。
全てを奪われて縋っている被害者たちを置き去りに、受け入れ先や、アフターケアの準備もなく、統一協会の解体論ばかりが先行することに、突然に縋るものを失い、そのあとに受け皿もなく放り出される方のことを考えれば、早急に解体を論じるより、段階的な統一協会の解体に合わせて、被害者救済を同時進行でおこなうべき、という主張と、そもそも、この問題は今に始まったことではなく、過去からあるもので、見て見ぬふりで、今まで報じてこなかった、自分を含めるメディアは自分事として反省すべきだと自戒を促すものでした。
太田光は常に弱者の目線で、その位置まで自ら降りて、セイフティーネットの必要性を常に唱えている方なので、一貫しているのですよね。
無敵の人の事件でも、「俺にはお笑いがあった。でも、お笑いのなかった俺は、あちらにいたかもしれない」と、救いの無い絶望と、それを放置して孤立させる社会構造に疑問を呈していました。
常に前線で新作ネタを還暦こえてもやっている爆笑問題ですが、ライブやテレビ出演のたびに新作ネタを書き、猛練習して本番に挑み、周りの人の話では、本番で失敗があれば、二度と披露することのないネタをもう一度練習して、完璧に仕上げるそうです。
お笑いにストイックで、理想を追い求めているんですね。
お笑いにストイックというと、太田光は常に全力で、若手以上に前に出て、笑いを取りに行きます。今、これをすれば笑いが取れるだろうか、という事に貪欲で、滑ることを覚悟で前に出続ける。
その背中があるので、若手は手を抜けなくなるそうです。先程も書きましたが、ライブのたびに新作ネタをやるのだって、普通ありえません。
小規模な小屋から初めて、ライブで叩いて、ブラッシュアップを重ねて、大舞台やテレビでやるのが普通で、ウケるかどうかわからない新作ネタを毎回やるのは大変なことです。ですが、事務所の代表といえる爆笑問題が手を抜かずに新作をやり続けるので、事務所の芸人たちは大変だそうですが、同時に尊敬していると語っていましたし、他事務所の芸人からも尊敬されているのをYouTubeなどで見ると嬉しくなります。
奴隷がとても好きなエピソードが、太田光は妻の光代と結婚したさい、絶賛干され中でお金が無かったんですね。
で、取り敢えず結婚指輪だけでもと、当時一万円くらいの指輪を買ったそうです。
奥さんの光代さんは結婚記念日などに新しい指輪を作りたいとお強請りするそうで、いいよと快諾するそうですが、太田光は結婚当時の一万円の指輪をずっとしているそうで、なんか素敵ですよね。
太田光の肉体的な問題で子供が出来なかったそうなんですが、お父様は孫を欲しがっていたこと、息子が性的に子種を持っていないという事実に向き合えず、奥様に孫をせがむこともあったそうですが、太田光本人とお母様が、フォローにはいり、奥様を守っていたエピソードも素敵です。
じつはとてもシャイで真面目で、誠実な方なんですが、チャップリンやビートたけしに憧れ、破天荒なキャラクターを全力でやり続け、そのために体力が必要だと、毎日の筋トレをかかさず、良いことがあった日のご褒美は筋トレのメニューを減らすこと、というストイックな、テレビで見せるキャラクターとはギャップのある、知的で紳士な男性なんですよね。
コントがどうしてもやりたいとYouTubeチャンネルもはじめていらっしゃいますが、いつまでも、現役の芸人として、最前線で体をはることを楽しんでいらっしゃる。
奴隷が太田光の言葉で最も感銘を受けたのは、太田光の語るテレビ観です。
1日頑張って働いてきたサラリーマンが、何気なくテレビをつける。そこでバカをいって、くだらないことをしてる俺を見て、あー、またバカやってる、くだらないことして、ホントーにバカだなー、俺はこいつよりはマシだ。
そう溜飲を下げて、ほんの少しでも気持ちが楽になる。明日への活力になる。それが出来ればいい。
テレビなんて、偉くない。偉いのは毎日頑張ってるサラリーマンや、主婦で、テレビが偉いなんて思い上がってるテレビマンは駄目だ。
テレビが大好きで、お笑いが大好きで、映画が大好きで、小説も演芸も古典も新作もくまなくチェックして、自身の表現や哲学に落とし込む超人が、自らを道化にして笑いを取ることを、喜びとしている。
幼い頃、母親に連れられてサーカスにいった少年時代の太田光は、失敗しては笑いを取るピエロを見て、楽そうだなーと、母親にピエロになりたいと、何気なく語ったそうです。
その時、お母様は「ピエロは全部出来た上で、わざと失敗するのよ。全部できる人ができないふりをして、お客さんを楽しませるの、とてもすごい人なのよ」と教えてくれたそうです。
その時から、太田光はピエロになることを願っていると語っていたことがありました。
日本一の道化師に天晴を贈って、拙いファンレターの締めといたします。
整わない文章で申し訳ない。




