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06 村に流れる香り

 昼下がりの風が、石畳を撫でる。

 魔王領の端にある色褪せた村。

 その中心に、かつては誰も近づかなかった廃屋があった。


 だが今、そこからはパンの香ばしい匂いと、野菜を煮込む甘い香りが漂っている。


 ――カフェ・マーヤ。

 真が異世界で最初に築いた拠点。

 今日で開店から五日目だった。




「よし、スープの火、弱めてくれ」


「は、はい!」


 リリィが慌てて焚き火台の空気穴を塞ぐ。

 顔に少し汗をにじませながら、真を見上げた。

 白いエプロンには小麦粉の粉が散り、髪にはハーブの葉が一枚くっついている。


「……ついてるぞ」


「え? あ……」


 指先で摘まみ取って渡すと、リリィは少し頬を赤らめて俯いた。


 昨日よりも表情が柔らかい。

 まだ客の前に出るのは緊張するようだが、失敗しても泣かなくなった。

 その成長が、真には妙に嬉しかった。




 カラン――。

 扉の鈴が鳴る。

 入ってきたのは、村の老婆だった。杖を突きながら、慎重に足を運ぶ。


「い、いらっしゃいませ!」


 リリィの声が店内に響く。

 言葉は少し震えていたが、それでも――笑っていた。


 老婆は驚いたように目を丸くし、しばらくリリィを見つめてから笑った。


「まぁ、可愛らしい子だねぇ。ここ、人間の店かい?」


「えっと……その……」


「人間も働いてる店、です」


 真が助け船を出すと、老婆は「へぇ」と感心したようにうなずいた。


「じゃあ、おすすめを頼もうかね」


「はい! 香草スープと焼きパンのセットがおすすめです!」


 リリィはぴょこんと頭を下げ、厨房へ駆け戻る。


 その背を見送りながら、真は小さく息をついた。

 ――ほんの数日前まで、怯えて声も出なかった少女が。

 今は笑って接客している。

 それだけで、十分すぎるほど報われていた。




「……この香りは」


 スープを口にした老婆が目を細める。


「昔ね、戦の前に人間の村で食べた味に似ているよ。優しい味だねぇ」


 その言葉に、真は少し目を見張った。


「人間の料理を、召し上がったことが?」


「そりゃあ昔の話さ。争いばかりだったけど、食べ物の味に罪はないよ」


 老婆は皺だらけの手でカップを包み、ゆっくりと息をついた。


「いいねぇ、この店。なんだか、心まであったまるよ」


 そう言って老婆は銀貨を置き、静かに立ち去った。

 その姿を見送ったあと、リリィが小さく呟いた。


「……心まであったまるって、どういう意味ですか?」


「うーん……そうだな」


 真は少し考えて、笑った。


「きっと、おいしいの、もっと先にある言葉だよ」




 夕方になると、村の通りにはいつもより多くの人影があった。

 スープの香りに誘われて、子供たちが鼻をひくひくさせている。

 その後ろで、村人たちがひそひそと囁く。


「最近、あの店からいい匂いがするな」


「人間がやってるって聞いたぞ」


「でも、魔族の子も一緒に働いてるらしい」


「……へぇ。変な店だな」


 彼らの視線は、好奇心と警戒が入り混じっていた。


 真は窓越しにそれを見ながら、リリィに声をかける。


「なあ、今日のスープを鍋ごと外に出してみようか」


「外、ですか?」


「ああ。香りが風に乗れば、きっと足を止める人がいる」


 リリィが目を丸くしたあと、すぐに笑った。


「……なるほど、商人の戦略ですね!」


「そう。食欲は宣伝より強い」


 二人で鍋を持ち、店先に木台を置いた。

 ふたを少しだけ開けると、熱気と香りが一気に広がる。


 その瞬間、通りを歩いていた子供たちが立ち止まった。


「うわ、いい匂い!」


「スープの匂いだ!」


「ちょっとだけ嗅がせて!」


 リリィが笑顔で答える。


「香草スープです! 無料で試食もできますよ!」


 その一言に、村人たちがざわめいた。


「ただで?」


「どんな味なんだ?」


 恐る恐る近づいてきた一人の男が、木のカップで一口すする。

 次の瞬間――。


「……うまい」

 思わず零れたその一言が、周囲の空気を変えた。

 人々が順に列を作り、次々とスープを求め始める。




 その夜。

 店の中は、まるで祭りのような賑わいだった。

 子供たちの笑い声、スープをすする音、カップが触れ合う音。

 それらが混じり合って、暖かなざわめきになる。


「……まさか、こんなに来るなんて」


「おかげでスープ、もうすぐなくなります!」


 リリィは嬉しそうに笑いながら、必死にカップを洗っていた。

 真も同じく汗を拭いながら、心の底から思う。


 ――あぁ、これだ。

 自分がこの世界で作りたかった光景。

 料理を通じて、人と魔族が笑い合う。

 それは、どんな戦でも奪えない『平和』の形だ。




 夜が更け、最後の客が帰ったあと。

 店内には、残り火のような香ばしい匂いが漂っていた。


 リリィがスープ鍋を抱えながら、ぽつりと言う。


「……村の人、笑ってましたね」


「ああ」


「怖がられないって、こんなに嬉しいんですね」


 その言葉に、真はそっと笑った。


「君の『いらっしゃいませ』があったからだよ」


「わ、わたし、ですか?」


「うん。あれは、すごくいい声だった」


 リリィは顔を真っ赤にして、俯いた。

 けれど、その頬はどこか誇らしげでもあった。




 外に出ると、夜風がやわらかく頬を撫でる。

 村全体に、まだスープの香りが残っていた。

 小さな焔のように、あの香りは人々の心に残り続けるだろう。


 ――香りは、記憶になる。

 真はそう思いながら、そっと空を見上げた。


 満天の星が、静かに輝いていた。

 人間と魔族が、同じ空の下で笑い合える日。

 その始まりが、今ここにある。

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