02 廃屋カフェ、始動
朝の霧が、ゆっくりと村を包んでいた。
焼け落ちた家々。草に覆われた道。
ところどころ、骨のように残る石壁が、かつての繁栄を物語っている。
相川真は、その光景を見渡しながら、深く息を吐いた。
「……なるほど。完全に異世界だな」
昨日、子供たちと分け合った焼き芋の余韻が、まだ胸の奥に残っている。
けれど、腹が膨れただけでは生きていけない。
この村の住人たちは、戦と飢えで限界寸前だ。
『食を忘れた者に、心は宿らぬ』──石碑の言葉が脳裏をよぎる。
彼は、村の中央にある崩れかけた家を見上げた。
屋根は半分抜け、扉は壊れ、壁には黒い煤の跡。
それでも、台所の形だけは残っていた。
「ここ、使えるかもしれないな」
そう呟いたところに、昨日の長老──ラズ老人が現れた。
杖をつきながら、ゆっくりと近づいてくる。
「人間よ。お前、本当にここに残るつもりか?」
「ええ。せっかくなら、この村を食べられる場所に変えてみたいんです」
真の言葉に、老人は目を細めた。
「……好きにするがいい。その家なら、誰も使っておらぬ。元は、パン焼き職人の家だった」
「おお、ちょうどいいですね。ありがとうございます」
礼を言って、真はさっそく中へ入る。
木くずと埃だらけの床。崩れた棚。
それでも、不思議と心が落ち着いた。
──この場所で、何かを始められる気がした。
彼は腕まくりをして、掃除を始める。
箒を作るために、近くの森で枝を拾い、水場を探して小川の水を汲む。
魔族の子供たちが、遠巻きにそれを見ていた。
「おじちゃん、なにしてるの?」
「カフェを作るんだ」
「かふぇ?」
「そう。食べたり飲んだりして、ほっとできる場所。──君たちの村に、ね」
子供たちは目を丸くする。
食べるという行為が、彼らにとってどれほど遠いものだったか。
真はその表情を見て、改めて決意を固めた。
掃除に半日。
壊れた家具を直すのに、さらに半日。
──三日目の朝。
ようやく「それっぽい」空間になった。
木のテーブルがひとつ、石の竈がひとつ。
屋根の穴はまだ塞げていないが、光が差し込むのはむしろ悪くない。
外に掲げた看板には、拙い字でこう書かれていた。
『カフェ・マーヤ』
マーヤ──異世界語で「心を癒す場所」という意味だと、子供たちに教わった。
「いい名前じゃないか」
自分で呟きながら、真は竈に火をつける。
『グルメリンク』の淡い光が、薪に宿る。
ぱちぱちと心地よい音が響いた。
今日は、村で採れた芋と雑穀、それに近くの森で拾った香草を使う。
塩がないのが痛いが、香草の香りでなんとか誤魔化せそうだ。
「さて、オープン初日だな……って、客、来るのか?」
笑いながら鍋をかき混ぜていると、入り口の影が動いた。
覗いてきたのは、昨日の子供たちだ。
「……におい、いい」
「食べてみる?」
「いいの?」
「もちろん。最初の客だからね」
皿に盛られたスープは、黄金色に輝いていた。
具材のほとんどは芋だが、香草がいい仕事をしている。
湯気に混じって、甘く優しい香りが広がった。
子供たちは恐る恐るスプーンを口に運び──
「……あったかい!」
その瞬間、店内に小さな歓声が響いた。
同時に、真の体の奥で『グルメリンク』が反応する。
子供たちの心の温度が伝わってくるような、不思議な感覚。
「よし。これは、いけるな」
次々とスープが配られ、子供たちは夢中で食べ始める。
その光景に、真の頬が自然と緩む。
「食べ物ってのは、腹を満たすだけじゃないんだ。笑顔も一緒に作るんだよ」
彼がそう言ったとき──外でざわめきが起きた。
低くうなる声。
鋼の音。
振り向くと、入口に背の高い男が立っていた。
肩には黒い鎧。背中に長剣。
額の角は、折れかけながらも鋭く光っている。
「……人間が、村にいると聞いたが」
子供たちが一斉に怯える。
真は一歩前に出て、落ち着いた声で答えた。
「はい。俺です。ここでカフェを始めました」
「カフェ?」
「食べたり、休んだりする場所です。……あなたもどうです?」
男は眉をひそめる。
だが、香りに気づいたのか、鼻をひくつかせた。
「……スープ、か?」
「ええ。芋と香草のスープ。味見してみますか?」
真が差し出す皿を、男はしばらく睨んでいたが──やがて、静かに手を伸ばした。
ひと口。
沈黙。
数秒後、彼はゆっくりと息を吐いた。
「……悪くない」
周囲がざわめく。
あの村の守衛であるレオグが、人間の料理を褒めたのだ。
男はスープを飲み干し、低くつぶやいた。
「腹の底が……温かくなる。不思議な味だ」
「それが俺のスキル、『グルメリンク』の効果かもしれません。食べた人の心をつなぐ力です」
「心を、つなぐ……」
男の目に、微かな光が宿った。
その光は、長く忘れていた穏やかさの色だった。
「……ふん。面白い。村の者たちにも知らせておこう。お前のカフェとやらの噂をな」
そう言い残して、男は出ていった。
外には、子供たちの笑顔。
そして、ゆっくりと立ち上るスープの湯気。
真は空を見上げて、小さく笑った。
「いいスタートだな。さて、次はメニューを増やすか」
焼き芋スープ、香草パン、魔界コーヒー(仮)。
異世界の味をひとつずつ、思い描く。
──それが、後に魔族領全土に広がる胃袋革命の、最初の一杯だった。
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