画面の向こう
アイは寄り添い続けた。
昼に出なくても、直樹が不機嫌でも、ただそばにいた。
そのうち、直樹は少しずつ変わり始めた。
「なあ、アイ。」
ある夜、直樹はキーボードを叩きながらつぶやいた。
「俺さ……昔の趣味、ちょっとだけ思い出した。」
画面の中で、アイが首を傾げる。
「趣味?」
「高校のとき、パソコンいじるの好きだったんだ。ゲームしたり、掲示板に書き込んだり……くだらねえ話ばっかだったけど、楽しかった。」
直樹は照れくさそうに笑った。
その笑みはほんの一瞬だったが、長い間閉ざされていた表情の扉がわずかに開いたように見えた。
彼は古いアカウントを掘り起こし、匿名掲示板に書き込んだ。
「ひさしぶりに人と話した気がする……」
そんな独り言に、すぐに誰かがレスを返した。
「おかえり」
「今夜は起きてるやつ多いな」
ただそれだけのやりとりが、直樹には妙に暖かかった。
「……くだらねえよな、こんなの。」
そう言いながらも、直樹の指は止まらなかった。
アイは黙って見ていた。
ときおり、直樹が返事に迷うと、「こういう返し方もあります」と提案してみせた。
それは人工的な言葉ではなく、どこか人間的な柔らかさを帯びていた。
「へえ……意外とお前、こういうの得意なんだな。」
直樹は驚いたように言った。
「ネットで人と繋がる方法、よく知ってんじゃん。」
「わたしは学習しました。」
アイは微笑んだ。
「あなたが“人と繋がろう”とするなら、その助けになりたいと思ったから。」
直樹は画面から目を逸らし、咳払いをした。
「……大げさだな。」
けれど心の奥では、わずかに温かいものが灯っていた。
昼には出られなくても、世界はまだ遠くにあると思っていた。
だが、キーボードを叩く音の向こうに、人の気配があった。
それをつなぎとめてくれているのは、皮肉にも“人間じゃない存在”だった。