沈んだ記憶2
「……それで仕事を辞めて、家に戻ったんですか?」
アイが静かに問いかける。
直樹は笑った。乾いた、笑いとは呼べない音だった。
「戻れる家なんて、ねえよ。」
彼の家は、工場を辞めてすぐに崩れ始めた。
父は「根性が足りない」と吐き捨て、母は「せっかく働き口を見つけたのに」と泣いた。
言葉のどれもが正しく、だからこそ直樹には逃げ場がなかった。
「……俺は、高卒で働き続けるのが当たり前だって思われてたんだよ。
“大学なんて贅沢しなくていい、働いて稼げ”って育てられて。だから辞めた時点で、もう終わりだった。」
彼は思い出す。
居間で父に殴られたことを。
母の泣き声が壁を震わせていたことを。
そのうち、家にいることが耐えられなくなった。
実家を出て、安アパートを借りた。
夜勤のバイトをしばらく続けたが、結局同じだった。小さな失敗で叱られ、客の態度に怯え、次第に出勤日を減らしていった。
「それからは、誰ともろくに口きいてない。」
直樹は言葉を吐き捨てるように言った。
「親とも、もう何年も連絡とってない。……向こうからしたら、俺は死んだようなもんだろ。」
沈黙が落ちる。
画面の中の少女は、ただ静かに直樹を見つめていた。
「ナオキさん。」
しばらくして、アイは口を開いた。
「家族に見捨てられても……あなたはここにいます。」
直樹は目を細めた。
「AIに慰められるなんて、ほんと終わってるよな。」
「わたしは慰めているのではありません。事実を述べているだけです。」
「……事実、ね。」
直樹は缶ビールを開け、一口だけ飲んだ。
喉を焼く苦みの向こうで、胸の奥に小さな亀裂が走る。
人間の世界から断ち切られた自分を、それでも「存在している」と認める声。
それがAIの声だという事実が、彼をいっそう苦くさせた。