光さす町
白藤明良は錆びついて古臭い鍵を手に持ち、年代物の蔵へ。オンボロ神社の蔵に入ると、もう片方の手に持ったランタンのスイッチを入れた。照明なんてない。
「電灯が発明される前はどうしていたんだろう?」明良は遠い昔の人々の苦労に思いをはせる。蔵には白熱電球のライトがあったが、明良はLEDのライトを買った。こっちの方が維持費は安いと判断した。
意外だがホコリなどの汚れはなくてセキこむ人はいないだろう。管理している少年神官の人となりを表しているのだが、他人が入ることはない場所だ。
ランタンが照らし出す蔵の中身はこの神社の歴史が詰まった財産である。明良は書物を手に取る。現代とは違う製法の紙、墨で記された文字は書き方も文章も歴史的。
ぱらぱらとページをめくる、古文書の読み方は習得していない。しかし表題だけは神学校の資料で見たのでわかる。自力で祠を建立し、親子で祀り続けた信徒の話を伝えるもの。信仰の手本として現代でも有名なお話だ。信徒以外の世界でも、理想的な親子の愛が描かれているとして広く語られている。内容は理解しているので、読めない文字は脳内で現代的な文章に変換されていく。
「父さん、僕は……」
珍しいことに明良の声にわずかな揺れが表れる。書物を閉じて元あった場所に戻すと彼の感情の波は静まる。
次は小さな杯をなでる。儀式に使うものだ。それなりに骨董品としての価値があるので今では実際には使わない。そんな杯を見つめる明良、無表情なのに優しさを感じる不思議な瞳。末端とはいえ神官である彼は杯のデザイン等からいろいろな事を知る事ができる。
「今日はヘンだ」明良は普段通りの歩きで蔵を出た。その姿からは想像できないが、逃げるような気持ちだ。
自分の部屋に戻った明良はスマホを手に取る。連絡先からエイジをタッチする。明良の発信履歴は【雨宮エイジ】が並んでいる。
「エイジ、お金持ちに依頼を受けたんだって?」
「そうだぜ、大学病院の院長だ。代々続く医学博士の家系の当主。家を増築するから俺に風水的なことをやってほしいそうだぜ」
「家の増築かあ。僕も家を建てる時の儀式はよく依頼されるよ」
この家で暮らす人々が、いつまでも笑顔でいますように。接点のない他人の一家に対して本気でそう思える明良はお人よしなのか、神の愛に達しているのか。本人は特別何も思っていない。
「俺の力でますますあの一族が繁栄したら俺も鼻が高い」
「一番は本人の実力だよ。神秘の力に頼りきりじゃいけない」
「この俺を指名するんだ、有能なやつに決まってんだろ」
明良は心の中だけで微笑む、いつものエイジだ。僕もこれくらいの大口を叩ける強さがほしい、そう思った。
(そんな僕だからエイジのことが好きなんだけどさ)
「あの一族、初代からの家訓があるらしくてな。そのひとつに“家では良き父親たれ”というのがあるんだと。それが子孫が堕落しない秘訣かもな」
エイジはそう伝えた後、にやけ顔に一瞬の焦りが生まれた。
「そういえば」エイジの声はあせりがある。
「あの人には娘さんがいるそうだ。静と同じクラスの子でな、今回の増築も彼女のためだとか」
話題変更したエイジに乗っかる明良。
「もしかして静さんがエイジのことを話したんじゃないの、静さんの学校での様子はどう?」
「そーだなー。わりと友達が多いし、親しいやつからはブラコン呼ばわりされて困っているそうだ」
すなわち、静はエイジへの親愛の情を盛んに口にしていることを示唆している。
「そっか、エイジはどう思うの? 妹をブラコンにしたお兄ちゃん」
「ま、運命の導きによる兄妹って縁もいいもんだ。静のヤツを見ていると良き兄にならなきゃって思えるよ」
明良の胸がとくんと鳴る。一人っ子は兄弟に憧れるものだという、彼もその例に入る。
「僕もお兄さんが欲しかった、そう思うことがあるんだよ」
固くて平たくなった座布団を座り直す。
オンボロ神社と洒落た一戸建ての間で通話は続く。
エイジはフカフカのクッションを枕にして、明良との通話を続ける。
「はっはっは、俺はあんたの親友だが兄にはなれないぜ。静のやつと結婚したら兄になるけどな!」
「静さんは魅力的な子だよ、だってエイジと同じ血をひいているからね。ただ、あの子の趣味には合わせられないけど」
ふたりの会話は気まぐれに話題がころころと変わる。
「じゃーな、お互い頑張ろうぜ」
通話を切ると同時に声がした。
「おにーちゃん、入っていい?」
「おー、いいぜ」
ガラッとドアが開く。静が入ってくるとエイジは起き上がる。
「なんか用か」静に向ける笑顔と明良に向ける笑顔は違う。
「お父さんが桜瀬市に出張するみたい。1週間くらいだけど寂しくなるなあ」
「なるほど。新プロジェクトでも始まったのか? 職場でも家庭でも存在感があってけっこうなことだ」
「お母さんもお兄ちゃんを頼りにしてるからさ」
具体的なことは分からないが、頼りにされて悪い気はしない。
そこへスマホの通知音が鳴る。エイジはメールを開く。
「今さら連絡かい」
“エイジ、父さんが出張の間はお前も大黒柱だ”
「まぁったく」
横目で静を見る。
「ん? 静、これから出かけるのか」エイジは静の服装がよそ行きであることに気づく。なんとなくだが化粧もしているような……。
「そうだよ、ヘンなところないかな」
ポーズを決めてくるっと回る静。
「俺は女子のファッションには疎いんだがな」ごまかすように苦笑いをするエイジ。ファッションへの感想を求められるのはこれが初めてではないのだが、わざわざ評論のために勉強する気はない。
「一応、男子の意見が聞きたいからね」
「そうか。まあ、静には似合ってるよ。魅力を引き出している。その明るい感じがな」
「それはよかった。じゃあ、行ってきます」
バタンとドアが閉まる。
エイジは静の服装を思い返すが、やっぱり気の利いた感想はでてこない。気になるのはミニスカートである。妹のミニスカ(生脚)に欲情することはないが気になる点だ。時々、露出の高い服を着ることがある。別に女は慎ましくしろなどと言うつもりはないが、男どもの視線についてアレコレ言っているのになんでわざわざ?
『別に男の子に見られたいわけじゃないんだよ』本人はそう言っている。女心は複雑だ。
(あれ、さっきは『男子の意見が聞きたい』って言ってたよな)
「ははーん、まあ、頑張れよ。お前の魅力なら俺に弟ができる日も遠くないか」
カフェやショッピングモールが存在し今時の若者が集まる街は、心理的な要素で日当たりが良くて明るく見える。
「ごめんなさい、待たせちゃいました?」
静と待ち合わせしていたのは富永である。街中のカフェにある野外席であり、富永は司祭の正装ではなく普段着である。わりと洒落ているのは他人から見られるタイプだと理解しているためか。
「ああ、おれから呼んだんだから気にしなくていいよ」
「そうですけど、このカフェを選んだのは私ですから」静はスマイルを見せる、富永は色々な感情が混ざった笑いを浮かべる。
ふたりはカフェオレを注文してしばし雑談する。
「それで本題に入るけど、桜瀬大神殿の書庫で新しい文書が発見されたってニュースは知ってるよな」
「はい、大学教授もコメントしていました。その内容はよくわかりませんけど、すごい発見があったとか」
「そうなんだ。中世期のアゼド教団に陰陽道との交流があったという証拠があったんだよ」
静は目を見開く。それがどういう意味を持つのかはよくわからない。だが陰陽道という言葉に反応したのだ。
「だからさ、陰陽師である君のお兄さんの話が聞きたいんだ。取り持ってくれないかな?」
「かまいませんけど、私が富永さんを連れてきたらお兄ちゃんがなんていうか……」
「あーやっぱり陰陽師さんはアゼドの人が嫌いか。教団として公式に陰陽師組合に働きかけるよりはやりやすいと思ったんだけど。あの時は殊勝で友好的な振る舞いをしてくれたから、勘違いしちゃったか」
わざとらしく大げさに振舞う富永。一発玉砕でバツが悪いのでオーバーアクションでごまかす。玉砕したのはエイジに対してか……。
「いえ、そっちじゃなくて。妹がイケメンを連れてきたらお兄ちゃんは穏やかじゃないですよ」
「そこまで嫉妬はしないと思うけど、エイジくんだってイケメンじゃないか」
「いえ、ヘンな趣味の男だとバレます」
富永は静と初めて会った時を思い出す。教会の活動として相談にのったことだ。社会的な少数者の悩みと聞いて身構えたが、変態嗜好のことだった。
(雨宮さん……神像を壊せば異端審問にかけてもらえるとか思わないでくれ)
「とりあえず、タイミングを見て話してみますね」
「感謝するよ」富永は一礼するとカフェオレをぐいっと飲む。
「富永さん、このカフェはレモンティーも美味しいんですよ」
静はメニューを開く。富永は財布を取ろうとした手を止める。飲み物のひとつふたつで長時間居座るのが気になった富永は会話への集中力が下がる。
静が帰ると宅配便の人とすれ違いになった。
「あ、ごくろうさまです」
玄関を開けるとエイジがいた。
「静、おかえり」
「ただいま。やっぱり宅配はお兄ちゃんの物だったんだね」エイジの持つ大きな封筒を見つめる静。
「ああ、やっと探してるのが見つかったからな」
「お兄ちゃん、今月のお小遣いは赤字? 月初めには落雷起こして賠償金払ったでしょ」
「あれか、被害者は大学病院に運び込まれた。同行者として救急車に乗ったのはあれで7回目くらいだ」
「病院関係者でも話題になってたよ、陰陽術の治療が徐々に向上していっているって」静がそんな話をする、大学病院の院長の娘から聞いたのか。
「そりゃ光栄だ」
エイジは上機嫌で部屋に入る。席に座ると封筒を開き中から書物を取り出す。
エイジは書物を開くとぐいっと顔を寄せる。
「中世期における陰陽道とアゼド教との交流があったという謎、それは古代ハンドラ王国に解くカギがあるハズだ」
目次を読み終えて本文へ進んだら、エイジの部屋をノックもせず開ける人が現れた。
「エイジ~少しいいかしら」
「どした、母さん」
「先週分のレシート、家計簿につけといてくれないかしら」
「はいよー」
エイジはレシートの束を受け取る。
「ありがとね~お母さん出かけてくるから」
エイジは書物を横に置き、ノートパソコンを開く。家計簿を起動する。買った物と値段を入力していく。
「ん? このリンゴやけに高いな。品種も生産地もわからんが、あのスーパーは外国の珍味を時々仕入れるからな」
「この紅茶は……来客用だな、母さん側の来客か?」
あれこれ考えながらでもミスなく入力していくエイジ。マルチタスク、というより作業しながら別の思考ができるタイプ。
入力が終わり合計金額が算出されるとエイジは母親にメッセージを送る。
“完了したぜ、確認してくれ”
“ありがとー。お洗濯も頼むわ~静ちゃんにはもう伝えてあるからねえ”
スマホをポケットに入れ、席を立つ。
「しーずー、少しいいか?」
「ん、お兄ちゃんどうかした?」
「お前さ、俺が洗濯する時は自分の下着を別にしてくれって言ってるだろ」苦笑いのエイジ、どこか下手にでている。
「いや、わざわざ別々に洗濯するなんて手間でしょ。血のつながった家族にそんな遠慮いらないじゃん」
「俺が気にするんだよ」
「気にするってことは血のつながった妹にそういう気があるってことでしょ、やらしいなあ。男の本能って大変だね」
静、憐みもこめて挑発的に笑う。エイジは頭をかいて視線をそらす。
「女子が身に着けただけの布に大げさだなあ」
(通行人から見えないように、他の洗濯物でガードする女性の話を耳にしたんだけどなぁ)
「まーいいさ、静がそう思うなら気にしねえよ」
そう言って部屋を出ようとするエイジに、静は追い打ちをかける。
「お母さんの下着は気にしないの?」
ガクッ!
「母親に女を感じたい男がいてたまるかっ!」
「お母さん、この前ナンパされたんだって。うちのクラスの男子に」
「そいつにとっては人妻だろ」エイジの声には苛立ちがあった。
“お母さんね~この前しずちゃんの学校の男の子にナンパされちゃった! 私は旦那様一筋ですからって断ったけど、そんなに魅力的なのかしら?”
静に報告する時の有様が見てきたかのように広がる。
(母さん、それは母性があって隙もあるからなんだよ)
気を取り直して洗濯物を干した。空になったカゴを持って戻ると母親が帰ってきた。
「ただいまー。エイジお疲れ様」
「お帰り、母さんもお疲れ」
上品に笑う母親。
「お父さんの友人と会ってきたわ」
「ははあ、それは本当にお疲れだ。父さんも出張だし忙しくなるぜ」
母親、リビングのソファに座ってリラックスする。
「エイジの煮込みハンバーグ、食べたいわあ」
「今から作るのか!? まだ夕飯には早いぞ」
「食べる頃には完熟するわよ」
「しかたねーな、ワインは未開封のがあったか」
エイジはやっと書物のもとへ戻る。気力体力十二分、この家族のためなら疲れない。
「う、うーん。これはやっぱりとんでもない事かもしれん」
「そうか、陰陽道と交流があるってことは天竜信仰との関係があるってことだ……ああ、だからアゼド教が天竜信仰を衰退させた理由につながるってわけか」
エイジはスマホを手に取る、白藤明良へ連絡だ。
「すー、すー」
白藤明良は昼寝の最中だった。日常のスケジュールを決めているわけではないのに自然と規則正しい生活をしている彼は昼寝はめったにしない。
折った座布団を枕にして布団もかけない姿からはウトウトして眠ってしまったと気づける。
ぴーん、スマホが鳴っても寝息をあげるだけの明良。
「ん、んー。ふわ……」明良は目覚める、こすった目にはエイジが映る。
「おはよう明良、いい寝顔だったぜ。写真撮りたいくらいには」
「ああ~エイジ、来てたんだ」自室で寝起きに来客がいることはごく普通のことして受け止める明良。親友だし男同士だし合鍵渡してるし。
「何か用事があるんだね」
「まったく、『これから会いに行く』ってメッセ送っても既読にならないから不思議に思いつつ来てみればお昼寝とはなあ」
「ほんとだ、ごめん」寝ていて気付かないのはスルーではないが。
明良は寝ぐせを直した後、服装を直す。
「もしかして例のアゼド教団の話?」
「その通り、お前も感づいているだろ。桜瀬大神殿から現れた新事実が指し示す場所」
「僕の父さんが古代ハンドラ王国を目指した理由、今になってわかったよ」
「俺は大学病院の依頼をこなさないとならん。けっこう時間と手間がかかりそうだから、それまではお前に一任していいか?」
「もちろん」珍しく静かな情熱を露わにする明良。
エイジはふっと笑う。
「ところで、俺が作った煮込みハンバーグをおすそ分けしてやるよ」
明良はタッパーを受け取る。
「いつもありがとう、君の手料理は僕のために味付けにしていると錯覚するほどだよ」
雨宮家の夕食なのだから白藤明良に合わせているはずがない。
「煮込みハンバーグは赤ワインの使い方がいいのかもしれん。母さんの直伝だ、恋人時代の父さんに教えつつ一緒に料理したことが今につながっているんだな」
「そういえば、昨日はきんぴらごぼうを作ったんだった。お返しにあげるよ」
「おおっ、お前の手料理はうちのみんなが大好きだからな。自分が食べるだけなのにネットのレシピを参考にしてるだけじゃなくて工夫してるのは明良らしい」
明良は台所からタッパーを持ってきた。
「どうしても作り過ぎちゃうんだ。独りだからそんなに作っても余るのにね」
「ちょっとずつってのは非効率なのかもしれんな」
「きみの家族全員分の量を入れたけど十分余ってるよ。煮込みハンバーグにきんぴらごぼうはミスマッチだけどね」
「んじゃ、そろそろ夕飯の時間だ。今夜は父さんが出張する前の団らんだから遅れちゃまずい」
一緒に外へ出て、エイジを見送る。彼の背中が見えなくなった時、明良は空を見上げた。
「天竜様……?」