親友がそばにいる
天竜神を祀る神社の境内で掃除をする少年、彼は最下級神官の装束を身にまとっていた。白藤明良は修行中の身でありながら神社の神主を務めている。
「あー、手水の水道がまた漏れてるよ」
明良がなでるのは水道管の補修用テープをはった部分、ちょうど強烈な西日が当たる場所。水がしたたっている。彼は力を込めてダメになったテープをはがす。思った以上に簡単にはがれた。それはすでに耐用年数を越えて劣化していることを意味するが、いくらなんでも早すぎないか? 倉庫にあったのを見つけて使っているから詳しいことは分からないが、相当な安物か古すぎるのか。
いつになったら水道管を交換できるのやら、と考えつつ明良は新しいテープで補修する。応急処置的な補修が済んだあとで思った、この神社に参拝客は来ないのだから、手水を整備しても無意味ではないかと。
かつて各地の神社を行脚した時、手水の水道から水が出ない神社があったことを思い出す。
「でも、それは天竜神様への不敬だよね」
明良は社殿を見つめる。オンボロである。大雨が降ればたちまち雨漏りして内装が傷むし、体が軽い自分が歩いても床がギシギシと音を立て祭壇が崩れないかヒヤヒヤする。最近は建物自体が歪んで礼拝堂が左右非対称になっているのが気になる。
神を祀る社殿自体がこれでは設備の一つ二つがどうこうという問題でない気がする。神が金をかけた神社を要求するのか、という信徒の声もあるが、自らがお仕えする神にこんな扱いをしたくないのが明良の思いだ。慈愛に満ちた我が主が、人間が大切なものを美しく着飾る心を無意味だと言わないだろう。
もっとも、信徒が建て替え費用を寄付することはないし、神社組織の中央部が立派に改築して我らが神の威光を表そうなどと考えることもない。
「まあ、僕にはお似合いか」通常なら神主という地位になれない階級の明良が抜擢されたのは、高位神官が就任するのはボロすぎるし重要性もないためだ。建立の来歴は伝わっていないし、歴代神主の名簿も直近10年分しか残っていない。
明良は社殿の縁側に腰かける。神社の出入口をぼーっと見つめる。あの小さい鳥居だけは崩れそうじゃないな、もし倒壊の危険を感じたらいっそのこと先手を打って撤去しようか……。
鳥居の向こうに人影が見える、石畳が音を鳴らす。
「あ、エイジ」来訪者がきた。それは参拝客ではない。
「おー、明良。まだ昼なのにたそがれてるじゃねえか」
雨宮エイジ、陰陽師の少年。同い年の男子かつ神秘的な分野に関わる者同士、親しくやっている。
「桜瀬大神殿の祭りに参加してきたぜ。ほら、おみやげ」
エイジが手渡したのは小ぶりな饅頭である。薄い生地の中にあんがぎっしり詰まっていて小さいのに重い。
「ありがと」明良は包みを解くと少しずつ食べる、豪快な男にとっては一口サイズだが。そして包みは完全に解かずに素手で饅頭を触らないようにするために使っている。
「それは一番小さいヤツだったんだ。サイズが5段階もあるなんて面白いよな」
「なるほどね、ダイエット中の僕のためにわざわざ最小サイズを選んでくれたんだ」
桜瀬大神殿のお祭りを想像しつつ食べる明良。さぞ賑やかで活気にあふれているのだろう。たくさんの人が笑顔ですごしているに違いない。この味は楽しい思い出のおすそわけだ。
「その饅頭分のエネルギーで、俺なら体重60キロの人間を1メートル吹っ飛ばせるぜ。あるいは3日くらいくしゃみと鼻水の症状を引き起こせる。覚えておいてくれ」
「別に呪いをかけたい人なんていないよ」
明良は包みを意味もなく折りたたむ。
「はは、おまえはそういうヤツだよ。まあ、一週間の運勢くらいなら正確に読める、おまけに金運を20%アップさせてやる。親友価格で」
饅頭一個で一週間とはお得なのか? 親友でも金運アップは別価格なのはエイジらしいや、と明良は納得する。
「僕はいつも天竜様とともにいるから」
明良は立ち上がる。
「それじゃ僕からもお礼をするよ。お茶を飲んでいって」
ふたりは住居部分に移動する。どういうわけか神の鎮座する社殿よりもシッカリした造りをしている。
「金運アップを必要とするのは、エイジの方じゃない? 文献を集めたり魔道具をDIYしたりするから」
「プロが自分で自分にまじないかけてもむなしいぞ。依頼人ためにやってこそだ」
そんな雑談をする。ちなみに明良の装束は1000年前から変化のない伝統的なものだが、エイジが身に着けているのは現代的にアレンジされた洒落たものである。
部屋の中に入ると明良はまっさきに包みをゴミ箱に入れる。その後にお茶の準備をする。ポットで湯を沸かし、安物の急須で湯のみに注ぐ。本当に安物である。コイツまで水漏れを起こすが、急須に補修テープは使えない。
とん、と湯のみをちゃぶ台に置く。緑茶にしては少しぬるい。湯のみは明良が赴任する前から棚にあったものである。ホコリまみれだったので念入りに洗った。
「はい、貰い物で申し訳ないけど」
「別に気にしないぜ」エイジは遠慮なくグイっと飲む。気にしないというと語弊がある。こんなボロ神社に贈り物をする人間は誰だ? 確かに明良は好かれる子に違いないが。
「それでお祭りの話、詳しく聞きたいな」
お茶を飲み干したエイジは話を始める。
「ああ、桜瀬大神殿は中世期で最大の建設プロジェクトと称されるだけあってバカでかい。やっぱ写真と実物は違うな。野球場より広い境内が出店と客でいっぱいだったぞ」
野球場より広いと言われても、明良にはピンとこない。とはいえ自分の神社がすごく小さく見えることは間違いない。
「それに最近はキッチンカーも派手だ、ここの神社にあったら場違いに思えるくらいに。みんな楽しそうに食べたり遊びをしていたぜ、演芸を披露する芸人も楽しんでいたな。アゼド教の底力ってやつを見せつけられた感じだ」
アゼドとは古代に主流だった天竜信仰を衰退させた神である。親友とはいえ、神官に自らの神を脅かした異教が繁栄している話をするエイジは他人からみれば無神経に思えるかもしれない。
「なるほど、さすが我が主を超えた大いなる神」明良は目を閉じてうつむく。素直に称賛し、自省する明良はお人よしを通り越して変人かもしれない。
「魔道具も多数揃ってたな。パワーだけなら俺の陰陽道の方が上だが、初心者でもあんなに手軽に使えるのは正直すげえよ。おまけに生産性の差は圧倒的だ」
自分の領分の話になったエイジは興奮気味に語る。エイジが専攻する陰陽道は古代から続いているが、その後に発展していった現代魔術に押され気味なのだ。すなわち、現代では廃れつつある神秘の継承者が彼らだ。どちらも東方世界で生まれ育ったが、その故郷でさえ衰退してしまったのは己の限界か。
「ま、僕らだけでも次代へ託し続けよう。完全に役目を終えるその時まで」そう締めくくる明良。彼には滅びの美学でもあるのか?
エイジはそんな彼を見つめる。
「あーそうだ、この湯のみと急須は俺が洗うぜ」
「え? お客さんがそんなことしなくても」
エイジは明良の声をスルーして台所に向かう。くるっと後ろを振り返って言う。
「おまえ、そろそろ舞を奉納する時間だろ。準備してきな」エイジはドヤ顔で教えた。
エイジが洗い物を終えて棚に湯のみをしまうのと、明良が舞の準備を終えるのはだいたい同時だった。ふたりは一緒に拝殿に向かう。エイジにとって親友の神事を見守るのは大神殿の祭りに参加する以上だ。
「天に舞いし大いなる竜神よ」普段は聞けない厳かな声。
鈴を手に持つ明良の服装は巫女服である。すなわち本来は女性が着るものである。白藤明良という美少年でなければ他人には見せられないだろう。
りん、りん、りんりんりん。鈴の音を響かせつつ舞を奉納する明良。本来は雅楽も必要だが、舞をしつつ演奏することなど不可能だ。そもそも、神社のどこにも指定された楽器がないし。巫女がいないのに巫女服だけがあったので、明良は自分で巫女役をすることにした。
真剣な顔は姿も知らない天竜神に向けられている。手を掲げ、くるりと回る。
どういうわけか、この巫女服は下半身の丈がやたらと短い。生足を露出するので、脚が細くないと見栄えが悪いと感じて明良はダイエットしている。そんなことを気にするとは、彼はやはりお人よしというか変人である。
「数多の邪気から人と世界を守りたまえ」
手を合わせ祈りを捧げて舞は完了する。
「明良、お前の巫女はサマになってるぜ」
「そっか、褒めてくれて嬉しいよ」
決してコスプレ女装が似合っているという意味ではない、他人にはマネできない役目を務めあげているという評価である。
「んじゃ、俺はそろそろ帰るぜ。静のやつが帰ってくるからな」
「うん、妹さんにもよろしくね」
思春期という年頃のわりに仲が良い雨宮兄妹の団らんを想像する明良。彼は神社でひとり、いや天竜神をそばに感じている。