居殿前の攻防戦
私は王妃様の居殿に続く回廊をゆっくりと歩きました。後ろにはタエさんがいます。心音が聞こえてしまうのではないかというくらいドキドキしていました。
いつもより少し遅れてしまった事で、王妃様は門の前で待ち構えていました。おそらく私はいつものように叱責される事になります。私は立ち止まり恐怖で体が委縮してしまいました。
「ユノっ。遅刻とは良いご身分ですね。今日はピカピカになるまで、トイレを掃除しなさい。遅刻した罰として、雑巾ではなく素手で拭くのよ。ふふふ。」
近頃の王妃様には、少し余裕があります。叱責だけでなく嫌がらせを楽しむ時があるのです。今日は後者の方らしく、待ち時間に考えていた事が想像できました。今頃、トイレは汚物にまみれているはずです。
「やだねー。厚顔無恥の家政婦長かしら? それとも無知な侍女かしらね? 何にせよ。――ユノ殿下に無礼である。言葉を慎めっ!」
王妃様の顔が今まで見た事もないくらいに引き攣っていました。
「家政婦長でも侍女でもないわっ! 私はユートピア王国の王妃であるぞっ!」
王妃様は顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげました。タエさんの命がけという言葉を思い出しました。こんなに怒らせてしまえば、私もタエさんも本当に殺されるかもしれません。
「この悪党め。王妃様を語るか。だが私は騙されんぞ。王女殿下に雑用をさせる王妃様がどこにおるかっ!」
「ぐっ。お前は……この王宮で、なぜそんなにも偉そうな態度なのだ。いったいどこの誰だ?」
「私はクレイン様に指名され王宮にやってきたユノ殿下の侍女だ。」
王妃様はタエさんの言葉を聞き、勝ち誇ったかのように笑っていました。
「無礼者めっ! シス。この老婆を叩きのめせ。クレインへの見せしめだ。殺しても良いぞ。」
「畏まりました。」
王妃様の侍女。シスさんは、表情を変えずにタエさんを殴りました。一撃でタエさんは大げさに吹き飛ばされました。タエさんの今までの自信はいったい何だったのでしょう。私はタエさんが心配で、駆け寄ろうとしました。そして、回復魔法の準備をします。ですが、タエさんは両手を使って止めるように合図をします。
そこから、どこか芝居がかったタエさんの演技が始まりました。
「いたたたっ。こんなよぼよぼの老婆に酷い事を。……王妃様、いったい無礼はどちらでしょうか。私は正式に殿下の侍女を名乗りました。その私を不当に害しましたね。これはユートピア王国ではなく、世界の理に反しますよ。」
最後の言葉でタエさんの目つきが変わりました。今はタエさんが命を賭けると言った時の真剣な表情です。きっとタエさんは言葉の時間を稼ぐ為に、わざと大きく吹き飛んだ事に私は気付きました。緊迫した雰囲気に私の心臓が激しく鼓動しはじめました。
「いったい何を言っておる。無礼はお前が先であろうっ!」
「会話の流れで、理解出来ませんか。私は、なんと言いました? 王女殿下に雑用をさせる王妃様がどこにいるかと問いただしたのです。世界中の身分制度は、天界の龍によって推奨されています。その中のいくつかの項目に、いかなる場合も、人は王族に肉体労働を強いる事は出来ないとあります。世界の身分制度は上位の者に与えられた権利が特徴なのです。あくまでも先に龍を愚弄したのは王妃様なのですよ。その上で――」
タエさんが大きく息を吸い込みました。私には理解出来ませんが、タエさんの言葉に間違いなく王妃様が気圧されていました。タエさんの小さな体がとても大きく感じられます。
「――私の正当性について説明させて頂きます。龍の定めた身分制度の中には、王族は母親が貴族である場合、侍女を一人指名出来るという大きな権限があります。クレイン様の身分は、Sランク冒険者として名を上げ正式に準貴族。王宮を管理する王妃様でも知らないうちに私が王宮に入れたのは、その正当性が認められたからです。そして、その侍女は王女様と同等の権利で守られ王女様をお支えする事が出来るのです。」
「それがどうした。口封じに殺してやるっ! シ――」
黙っていた王妃様が、危険を感じ口を開きました。もしかすると理屈は正しいのかもしれません。ですが、ここには私とタエさんしか味方がいません。それでも十分にタエさんは私の為に頑張ってくれました。胸がすっきりとして、タエさんの気持ちが嬉しくて、涙が出ました。もう十分です。私は謝罪しようと一歩踏み出していました。
「――おっと、最後まで話を聞かないと後悔する事になりますよ。」
また出過ぎた真似をする所でした。タエさんには何かあるのかも知れません。タエさんが命を賭けているのに私が信じてあげないと、そんな気持ちで私は天に祈りを捧げていました。
「ぐぬっ。……続けよ。」
「まず王妃様の罪からです。王女様に不当な労働を強いた罪。精神を痛めた罪。正当な理由で抗議した王女の侍女に不当な虐待をした罪。」
「……。」
「ユートピア王国に住んでいる以上、龍の騎士の存在はご存じですね? 私はドラゴレシュティー公とは、彼がまだ幼い平民だった頃からの面識がありましてね。それはそれは良くしてあげましたよ。彼がそれを大恩だと感じる程にはね。彼がなぜ公爵となったのか、その事実を知らぬ者は、この王国の国民にはおりますまい。」
「長々と何が言いたいのだっ。」
「1、王妃様には天界の意向に背いた罪が3つあります。
2、私にはこれを天界に伝える術があります。」
「だから、口封じに殺すと言っておるのだ。」
こんなに恐ろしい王妃様を相手に、タエさんは私の為に命を削った戦いをしてくれています。申し訳なくて、ありがあたくて、私は祈りながらも、涙が止まりませんでした。
「――術があると言っているでしょう。私は戦闘に於いて何の取り得もありません。ただし、スキルは商売に役立つものが豊富でして、その中にあるんですよ。他人に対して、私が記憶した事実を伝えるようなスキルがね。一度発動したら、私が死んでいても関係ありませんよ。なんなら試してみますか? それで滅ぶのが王妃様だけなら良いのですが。」
ついに王妃様が膝をついて、放心状態となりました。なんという事でしょう。あんなに体が小さなお婆さんが、あんなに恐ろしい王妃様を言葉ひとつで本当に倒してしまいました。それもそのはずです。天界の龍はたかが一国など一瞬で滅ぼして終わりという話です。私は心が軽くなり、王妃様のように態勢が崩れました。
「どうでしょう。私はどこかの誰かさんと違って、鬼ばばあではありません。この際、私の事は良いのですが、せめてユノ殿下に今後の安全を約束し、心からの謝罪をされてはいかがでしょう? 」
「……それで許してくれるのか?」
「さき程も言ったように私は商売に便利なスキルを数多く所持しています。その1つに契約内容を破れないという誓いのスキルがあります。謝罪と契約の元に誓いを頂けますか?」
「…………了解した。」
「【契約】」
「……ぐっ……ぅう…………っ……ユノ。今まであなたには酷い事ばかりをしてきました。心から謝罪をさせて頂きます。申し訳ありません。これからは、ユノに対して仕事の強要、暴力や体罰など、絶対にしないと誓います。」
今までたくさん虐められ、辛く苦しかった王宮生活にやっと終わりが来たのかもしれません。
「ユノ殿下。これでどうでしょう?」
「はい。……タエ……本当にありがとう。」
私はタエさんに抱きついて、何度も何度もお礼を言いました。タエさんは私の頭を撫でながら、たくさん励ましてくれました。
――騒動後、タエさんは私を王宮の入口にまで案内してくれました。
「ユノ殿下。王宮から逃げだしませんか? 王妃様の妨害さえなければ殿下は自由です。これまでのように監視付きの送迎ではなく、自分の足で王宮を出る事が出来ます。きっと昔みたいに母上や民に愛される殿下に戻れますよ。」
「……本当にありがとうございます。ですが、なぜ逃げるのでしょうか?」
「私が王妃様に言った事、実はハッタリの部分がいくつかあります。龍は戦争や争いを好みます。同時に身分制度を推奨しているのは、それが争いを生むからだと推察します。例えば身分に優位性を持たせるもの、王族が肉体労働を強いられる事などは禁止とされています。ですが王族同士が争う事にはなんの口出しもしません。貴族が選んだ侍女には最低限の権利も与えられますが、それはユートピア王国の法と大差はないでしょう。スキルは本物なので、王妃様は二度と殿下に直接的に危害を加える事は出来ないでしょうが、それにも抜け道はあるものです。」
「凄いですっ。ハッタリで、あそこまで堂々と戦っていたのですか!」
「もちろん、スキルは本物で言葉の中にも本物が混ざっているので、王妃様にもダメージを与えられます。ですが、それだけで、今後、全ての安全が保証されるわけではないという事です。さあ一緒に逃げましょう。」
私の脳裏に幸せだった街での暮らしが過りました。でも……。
「今日のタエさん本当にかっこよかったです。でも、だからこそ私は思いました。私もタエさんみたく、命を賭けてでも、守らなければいけないものがあるのではないかと。……ここから逃げ出したら、私は安全です。母もきっと喜ぶはずです。民を愛し、愛される幸せな生活に戻れるでしょう。だけど、私が一時幸せでもラジはどうなりますか? 民の未来は幸せですか? 王妃様や今のホワイル王子が主導する世に、誰の未来も保証できません。ならば、私は王宮で愛を持って王族の心を変えなければならない。それが私の使命なのではないでしょうか。」
「なんと! ユノ殿下。……とてもご立派です。タエが間違っておりました。」
「ふふふっ。タエさん。大げさですよ。」
「――なんという美しい笑顔でしょう。もしかすると、タエはその笑顔を守る為にここに来たのかもしれませんね。」
「え? 私……今、ちゃんと笑えていたのですか?」
「ええ。それはもう眩しいくらいに素敵な笑顔です。」
私は戦います。ですがこれは争いなどではありません。タエさんみたいに人の事を想い、ラジ君みたいに愛を持って。父や母の願いのように、家族と仲良くする。愛してくれた王国の民の幸せのために私は、私の使命を果たします。
タエさんが取り戻してくれた、この笑顔を自分でも守れるようになりたいです。
―― 聖女の悲劇はまだまだ終わらない。物語もこの三年後に始まる事となる。 ――
ここまで読み進めて頂き、誠にありがとうございます。
この小説は
現実世界で虐められ続けた最弱の俺は、剣と魔法のファンタジー世界でMP0の生産チートで無双する。落ちこぼれ王女と親に生き方を決められた公爵令嬢との人生逆転物語。(改訂版
の前日譚になります。
これからも精一杯頑張りますのでよろしくお願い致しします。