女子高生と、1年ぶりの越前へ
山に自生する木々も、少しずつ紅葉が始まって来た頃、私は約1年ぶりに越前に帰って来た。
「凛殿。お久しゅうですね」
一乗谷に戻る前に、私は敦賀に立ち寄り、そして敦賀郡司である、宗滴の養子、朝倉景紀に謁見した。
「景紀様も、相変わらず元気そうで、何よりでございます」
「元気ではないですよ。むしろ、あの景鏡様の相手をするに、とても疲れているんですよ」
「……私のせいですか?」
「凛殿と関係がないと言ったら、嘘になりますね。月に一度、景鏡の遣いが、徹底的にこの周辺を捜索し、凛殿の身柄を確保しようとしていました」
福岡吉清の言う通り、朝倉景鏡は、私を捕まえようと、自棄になっていたようだ。義景の正室、細川殿を見殺しにしたということで、私を罪人にして、景鏡は認め貰おうと、ずっと動いていたようだ。
「そんな状況でも、凛殿は一乗谷に戻りますか?」
私の決意は変わらない。
「はい。将軍様も一緒ですから、流石の景鏡様も手を出せないでしょう」
あの桂川の戦い以降、漂浪の身になっている、室町幕府13代目将軍の足利義藤は、ずっと私と行動している。
「ほ、本物の将軍様ですか?」
「はい。足利義藤です」
物珍しそうに、景紀は義藤の事をまじまじと見ていた。
「兎にも角にも、凛殿と将軍様だけで越前国内を歩くのは危険でしょう。私の兵を護衛に充てましょう」
「すごくありがたいです……」
景紀にあいさつしたのは正解だった。とりあえず、難所の木ノ芽峠は越えることは出来そうだ。
景紀に見送られ、私と義藤は20人ほどの兵士たちと敦賀を発ち、一乗谷に向かい始めた。
もしここで景鏡と出くわしたら、私は捕縛され、命の保障はない。一応、尾張国を出る数週間前に、一乗谷に戻ると、吉清に書状を送ってもらい、その話は義景、宗滴、景近の耳に入っているだろう。歓迎されることはないと思うが、誰か知っている人が待っていてくれたら、私も少しだけ気を楽にして、入ることが出来るだろう。
「朝倉様。私、一乗谷の地に足を踏み入れるのは初めてなのですが、どのような地なのでしょうか?」
義藤は、初めて訪れる場所、一乗谷を不安視しているのか、私にそう聞いてきた。
「山に囲まれ、近くには川も流れ、多くの人が行きかって、川を伝って、一乗谷にいろんな物が入ってきます。町の人は、戦国の世の事を忘れているような、平穏に日々を過ごす、戦国の世が終わった、日本風景が広がる、素敵な都市です」
公家や武士たちが、昼からお酒を飲んで、武術の鍛錬をせず、夜遅くまで宴会しているなど。体たらくな現状もあるが、義藤をさらに不安にさせないように、そう答えた。
「それが嘘にならないよう、前方の集団を説得させないといけないようですが」
木ノ芽峠に差し掛かったところで、先頭で馬にまたがって、数人の兵士を連れて歩く、景鏡と出くわしてしまった。
敦賀を出る前に、景紀に言われていた。もしかすると、景鏡が敦賀に向けて歩いているかもしれないと。仲良しの印牧能信に会ってから、敦賀に向かうパターンと、日本海側の海岸線を通って、敦賀湾を眺めながら来るパターン。しばらく秋晴れが続いているから、海を眺めるために、日本海側を通ってくるかもしれないと思って、木ノ芽峠を選んだのだが、今回は失敗したようだ。
「おやおや。これは朝倉凛延景殿……でしたっけ? 最近、顔を見ないなと思っていたのですが、どこに行っていたのですか~?」
白々しく、景鏡は私に皮肉を言う。
「殿が心配していましたよ~? せっかく名を与えたというのに、顔を出さないとは、朝倉家の家臣として相応しくないと――」
「景鏡様。殿がそんな器の小さい人じゃないことは、貴方が一番わかっているんじゃないんですか? 私を騙すなら、もっとまともな嘘を考えてほしかったですね~? 1年間、何やってたんですか~? 昼夜問わず、蹴鞠にお酒ですか~?」
私も、咄嗟に景鏡に皮肉を言ってしまう。私も相当、景鏡の事が嫌いのようだ。初めてこの時代に来た時も、私を容赦なく地面に叩きつける卑劣な事をした。その時から嫌いだ。
「これはまあ、ますます憎たらしい糞餓鬼になって帰ってきた事。まあ、良いでしょう。毎月、敦賀に行くのも面倒ですし、延景殿が手間を減らしてくれた礼に、今すぐ捕縛することは止めましょう」
景鏡は馬から降りて、そして私に向けて、扇で指しながら、こう言った。
「尾張の織田に、気に入られたようですね」
景鏡は、吉清しか知らない事を、平然と話した。
「おっと。絶望するのは早いですよ。けど連続で絶望を与えるのは可哀そうですね……。ま、朗報も言ってやろうじゃないですか。この事は、福岡の小僧から聞いたわけではありません。延景殿を売るような事はしない、誠実な男ですよ」
「じゃあ、どうして知っているんですか――」
「そんなの、儂が言ったからですわ。姉さん」
景鏡の兵士の中から出てきたのは、いつの間にか姿を消していた、木下藤吉郎、後の天下人、豊臣秀吉だった。
「織田様にずいぶん気に入られたようで。儂、すっごく悔しいですわ」
藤吉郎は、私を蔑むような目で、そう言った。
「悔しくて、悔しくて、悔しくて。血涙が出るほど悔しかったから、儂は腹を括りました。天正元年に滅ぶ朝倉家でも仲間にして、姉さんの野望をぶっ壊そうと思いましたわ」
藤吉郎の言葉に、私は口を動かすこともできないぐらい、衝撃を受けた。
「姉さん。いや、遠い未来、元号が令和の時代から来た、朝倉凛は、儂が未来の事を知っていて、驚きました?」
景鏡は、私が未来から来たことを知っているし、朝倉家が滅ぶことを知っている。けど、詳しい年代、ましてや、天正元年に朝倉家が滅ぶなんて、詳しいことまでは話していない。それは、歴史が大きく変わってしまうためだ。景鏡が教えたとは思えない。
「けどまあ、あの三河の豪族に過ぎなかった松平、いや家康殿が、関東で幕府を開くとは。次は関東ではなく、辺鄙な陸奥辺りに移動させるか……いや、それやと伊達がうるさい――」
「木下藤吉郎――いや、太閤、豊臣秀吉。貴方は一体、何者なんですか?」
この時代の藤吉郎が、江戸幕府を開く事なんて、絶対知らないはず。なのに、この時代の藤吉郎は、この戦国の世の行く末を知っている。
「凛よ。そう怯えんでくださいよ。儂は、化け物ではありませんって」
「それじゃ……何者なんですが……?」
そして生えてもいない、顎髭を撫でるような仕草を見せながら、藤吉郎はこう言った。
「儂は、豊臣家がずっと天下を取れるよう、大切な秀頼を殺した、徳川の力を落とすため、そして成し遂げる事が出来なかった、朝鮮と明を征服出来るまで時を遡り続ける、暇を持て余した、天下人の道楽じゃよ」
秀吉の不気味な微笑みを見た瞬間、私は全身の毛穴から汗が噴き出して、本物の天下人を目の当たりにして、ただ手足を震わせることしか出来なかった。




