女子高生と、上洛の意味
彦四郎。後に魚住彦四郎と言う名の朝倉家の家臣だと宗滴に教えてもらうと、彦四郎は宗滴にこう告げた。
「鳥居殿が、宗滴様を探しておりましたよ。今、館の遠侍で待っていてもらっています」
「そうか。丁度良い機会じゃから、凛殿も顔を合わせると良い」
私たちは彦四郎と別れ、再び朝倉館に戻ってきた。
現代では礎石などの遺構しかないが、戦国時代では立派な建物が立っていて、京都にある二条城の二の丸御殿を思い出す。これだけ立派な建物を建てることが出来るほど、朝倉家は相当な権力を持っていたようだ。
館の詰所である遠侍にやって来た。館を警備する人がいる場所のようで、そのような場所に、ひっそりと大人しく胡坐をかいて待つ、美少年がいた。
「すまぬ。景近」
「宗滴様。殿と話された後、どこに行かれたのですか?」
「宿直から、海を眺めておったわい」
宗滴は愉快そうに笑っている反面、影近と言う美少年は、呆れるようにため息をしていた。
「宗滴様。安波賀の屋敷で、越後からの使者が来ております」
「そうか。それは悪い事をしたの。今すぐ向かおうか」
越後と言うと、私はあの人物が脳裏に浮かび、宗滴にふと尋ねてしまった。
「越後って事は……、もしかして上杉謙信の関係者ですか?」
越後の者とか言っていたが、越後と言えば長尾家もとい、上杉家の領土。朝倉家と上杉家が関わりがあったなんて、私は驚きだ。
「はて? そのような者は存じないのじゃが、後に出てくる人物かの?」
「あ、まだいないんですね……」
そんな事実があったことに驚いて、私はまだ出ていない人物の名を言ってしまった。今後も、ポロリと織田信長の名前を言ってしまいそうなので、注意しないといけない。
「この者。奇妙な事を言いますね。どこの者ですか?」
青年が、私を怪訝な顔で睨んでいると、宗滴は愉快そうにガハハハっっと笑ってから、私と青年を握手させた。
「凛殿。この者が景近。仲良くすると良い。必ず、凛殿の支えになるじゃろう」
宗滴が、私にそう紹介すると、景近はチラッと私の方を見て、小さく頭を下げていた。
「あ、朝倉凛です。色々あって――」
「話は後で聞く。宗滴様、早く越後の者と」
こんな美少年が、私を支えになるのだろうか。顔はかなり整っているし、現代でいれば、即アイドルにスカウトされるだろう。そんな彼と、もしかして恋仲の関係になってしまうのではと思い、私は少しだけ頬が赤くなっていたのだが、私を警戒しているのか、景近は宗滴を私から引き離そうと、早く客人と合わせようとしていた。
宗滴の屋敷は、一乗谷の関所である、大きな石垣と土塁で築かれた下城戸を出て、しばらく歩いた場所に、大きな屋敷が立っていた。
朝倉館と変わらないぐらいの、広い敷地と大規模な建物が宗滴の屋敷で、そして屋敷内の一室で、越後の人と話を始めていた。
「加賀の一向宗の掃討か」
「ええ。お互い、近くで一向宗が力を持っていると、上洛の際に支障となるでしょうし、この地に避難しに来ている、公家の方たちも心配でしょう」
私と景近は宗滴の後ろの方で、じっと宗滴と越後からの使者と話を聞き続けていた。
「大丈夫か? 茶の席でもないのだから、正座をする必要は無い」
そして1時間以上、私は宗滴と越後の人との訳の分からない話を聞き続け、そして動けないまま正座をし続けていたので、私は足が痺れて、動けなくなってしまった。そんな様子を見て、景近が心配そうに、床に倒れている私を見ていた。
「宗滴様から聞いた。凛殿は、私が想像つかない、遠い所から来たと」
「そ、そうですね……一生歩いて帰れないぐらい、とっても遠い場所ですよ……」
一乗谷の唐門を撮ったら、私は500年前の戦国時代にタイムスリップ。宗滴の言っている意味は間違ってはいない。
「どうだ? この土地は?」
「良いと思います。今も昔も、この地は落ち着きますよね」
「そうか……? ま、まあ私も好きだ。左右は山に囲まれているし、敵が来た時には、攻めにくい場所だからな」
「あ、そう言うパターンですか……」
私は、山に囲まれ、川も流れ、東京に無い、四季折々に見せる、一乗谷の様々な顔。自然豊かな場所が好きと言ったつもりだったのだが、やはり、戦国時代の人とは、価値観が違うようだ。
「凛殿も宗滴様に仕える者。《《同性》》として、話し相手ぐらいには――」
「……えっ!? ……だ、男性じゃないんですかっ!?」
名前も男性の名前だし、見た目も美少年。まさかの女性だと知って、私は足の痺れを忘れて、再び正座をして、景近に真意を聞いた。
「事情があって、私は景近になっている。これは宗滴様も知らない。私、鳥居景近は、女だという事は、私と凛殿だけの秘密で頼む。宗滴様にも内緒で頼む」
「は、はい。拷問されようが、絶対に秘密にします」
このような事は、戦国時代では当たり前だったのだろうか。けど、景近が女性だと知って、私は景近だけ、畏まらずに話せる、友達が出来た気がした。
タイムスリップして、孫次郎、宗滴、景近に会うなど、色々あった翌日、宗滴たちを含む朝倉家の家臣は、朝倉館に集められ、丸一日、色々と話し合いをしたらしい。
「若殿は、京に行き、主上様に挨拶をされたいという事だ」
辺りはすでに真っ暗。景近が点けた、弱々しい灯りさえなければ、近くにいるはずの景近、宗滴の顔も認識できない、薄暗い見えない屋敷の中、会議を終えた宗滴は、私にそう説明した。
「つまり、上洛されたいという事ですか?」
「そうじゃの。実現すれば、朝倉家は周辺の武将に、権威を示せる」
景近は、宗滴に興奮気味に聞いていた。
「その際、宗滴様は同行されるのですか?」
「出来ればしたいが、加賀の動きも怪しいと聞く。儂は、そっちの対応をしないといけないじゃろう」
景近と宗滴は、今の話で分かったようだが、私は全く分からない。
「其方だけ分からぬ顔をしておるな。凛殿、五百年後の京には、主上様はおらぬのか? も、もしや途絶えたと言うのかっ!?」
「す、すみません。主上様って言うのは、足利将軍家なのか、天皇なのか、どっちなのかなって……」
「主上様は、皇族、帝の事を指す」
天皇陛下の事を言っていたから、宗滴は取り乱してしまったようだ。軍神と言われた宗滴も、皇族に何かあれば、流石に動揺するようだ。
「だ、大丈夫ですっ! 今は京都――じゃなくて、色々あって、京の都から、私が住んでいた東京って場所に移動して、500年後でも天皇の血筋は続いています」
「それは良かった」
私の話を聞いて、宗滴は安堵していた。今の話で、宗滴の寿命を縮めてしまったのではと思い、私は申し訳ないと思った。
「それと凛殿。明日、儂と一緒に会議に出るようにと、若殿に言われての」
「私、政治の話とか、全く話が分かりませんけど……」
「若殿は、凛殿を家臣たちに紹介するつもりじゃ。つまり、どういう事か分かるか?」
私は、学校の転校生みたいに、歓迎される事は無いだろう。最初はどこかの家の残党と言われ、余所者扱い、毛嫌いされる。さらに戦国時代離れの風貌に、景鏡みたいな仕打ちを受ける可能性が高い。
「……」
「分かったか? 明日は死を覚悟して、若殿に会うじゃな」
急に胃が痛くなってきた。何か変な事を言ったら、私は処分、打ち首確定。昨日の夜は、疲れでよく眠れたけど、今日は寝れそうにない。
「あ、あの一つ聞きたいことがありまして……」
「言ってみなさい」
「……義景って人物は、今の朝倉家にはいなんですか?」
孫次郎が義景だと思ったのだが、本人は否定しているし、宗滴が義景ではない事は知っている。朝倉家には多くの支族がいるはずなので、もしかすると思い、私は尋ねてみる。
「諱で、そう言った名前の者は存在せぬ」
「……あの、諱とは?」
「五百年後の世界には、もう存在せぬのか」
宗滴と景近が興味深そうに頷いた後、宗滴は説明してくれた。
「儂の諱は、教景と言う。実名を公で言うのは、とても失礼な行為であるから、これから凛殿は気を付ける事じゃの」
「……恐れ多いのですが、殿の諱は?」
怒られる覚悟で聞いたら、宗滴はあっさりと答えた。
「延景と言っておこう。ここだけの話で頼むの。儂が教えたなどと、殿に知られてしまっては、この屋敷が没収されんからの」
宗滴は夜でも構わず、大きな声で笑った後、宗滴は寝る準備に入った。景近は、小姓の役目を果たすため、宗滴と一緒に部屋を出ていった。
「……皆、景近みたいな人たちだったら良いのに」
私は縁側に移動して、星空を眺めながら、そう呟いた。
他の朝倉家の家臣は、どんな人なのだろうか。景鏡、九郎兵衛のような過激な考えを持つ人もいるだろうだから、私は慎重に言葉を選んで、挨拶をしないといけないだろう。
「宗滴様も人が悪いな」
そして戻って来た景近は、星を眺めていた私に声をかけた。
「凛殿は、この地の住人として過ごすのか?」
元の世界に戻れない以上、私はこのまま朝倉家にいるしかない。
「近い将来、朝倉家は滅亡するって、話は聞いていますか?」
「先ほど宗滴様に聞いたが、それは本当なのか?」
「はい。数年後に、とある武将が下克上して、そのまま一気に勢力を拡大します。そして朝倉家は、その武将を全面戦争するのですが、最終的には負けて滅亡って感じです」
歴史は変えられない。変えてしまったら、私のいた令和の時代は消えてしまうだろう。だから私は、せめてバッドエンドだけを避けるために、今から動くつもりだ。
「さっきも言いましたが、私はこの一乗谷が好きなんです。そして朝倉家の人は、良い人ばかりです。宗滴様、彦四郎様、そして景近様も、お人柄も良い。私を認めない、景鏡様みたいな人もいますが、事実通りに最悪な結末になってほしくない」
緑に囲まれ、町も雰囲気も良い、この一乗谷を、炎に包まれさせたくない。朝倉家の滅亡を免れられないなら、違う方法で朝倉家を破滅させるしかない。
「今の凛殿に、何が出来る事があるのか?」
「延景様が計画している、京への上洛を、絶対に成功させる事だと思います」
最期の当主、朝倉義景の最大の失態は、皇族、足利将軍家と強い結びつきがあって、上洛できるチャンスがあったと言うのに、なぜか渋った事。
私も、なぜそこまで渋ったのかは分からない。けど今回の相手は、代替わりの挨拶をするため、皇族に謁見するための上洛だとしても、これは絶対に実現させないといけないと思う。
「それなら、尚更明日の会議には、凛殿は出席しないといけない。凛殿、周りは戦場に赴き、幾多の修羅場を乗り越えた、朝倉家の猛者たちだ。生半可な態度、一瞬でも隙を見せたら、凛殿はその時点で終わりだ。宗滴様のように、大御所のように、図々しいと思わせるぐらい、堂々と居座る事が大事だと、私は思う」
「図々しすぎて、かえって追放されませんかね?」
「程々にって事だな」
今宵の星空もきれいだ。秋が近いのか、鈴虫の声も聞こえ、この美しい風土を、信長の手によって焦土化させないよう、私は朝倉家の重臣のように振る舞おうと、輝く一等星を見て、心に誓った。
そして翌日。
「早いの。凛殿」
「あ、宗滴様。起こしてしまいましたか……?」
「そうじゃない。もう歳で、すぐに目が覚めてしまう。長く寝ることが出来ないだけじゃ」
私は、早朝に宗滴の屋敷周りを、軽くランニングしていた。そして丁度帰ってきた時に、宗滴様と鉢合わせした。
「宗滴様。私、数日でこの世界でやる事が分かりました」
「ほう。言ってみなさい」
「朝倉家を、最悪な結末にさせません。黙って、この地が燃え盛る光景なんて見たくないです。だから、歴史が変わらない程度、延景様の京への上洛に協力したいです」
宗滴の目をまっすぐ見て、そう話すと、宗滴はガハハハっと大きく笑った。
「凛殿。それは矛盾しておる。守護大名が京に行くという事は、どういう意味か分かっておるのか?」
「それは周りの武将に力を見せるため――」
「それだと、凛殿が知る史実と変わってしまう。応仁の戦以前は、守護大名が京に赴き、将軍様を守るため、常駐するのが当たり前だった。だがの、今は戦国の世、京への上洛が、生半可な物で実行出来るものではなくなり。若殿は、上洛の意味をしっかりと理解されていないから、簡単に言ってしまう」
「宗滴様は、延景様の上洛には、反対されるという事ですか?」
そう私が聞くと、宗滴は大きく頷いた。
「上洛したと言って、天下を取れるわけじゃない。他の武将が怯える、恐れ戦く事も無い。かえって隙を与えてしまう事もあるの」
「……?」
私は首を傾げていると、宗滴はこう言った。
「喜ぶのは、敵対勢力。つまり隣国、加賀の一向宗。京に行き、主上様、将軍家と遊び惚け、当主がいない領土など、あっという間に制圧できてしまうじゃろう。凛殿が知る史実よりも早く、一乗谷は戦場になる」
「……じゃあ、延景様は越前から出てはいけないって事ですか?」
「幕命などの、余程のことが無い限り、若殿は動くべきではない。だからの、京への挨拶は奏者の者に任せ、若殿は周りの動向、特に加賀と美濃を注視するべきじゃと、儂は思うの」
朝倉宗滴が、軍神と言われた理由が分かった気がする。経験の差は、もちろん宗滴の方が上。説得力のある宗滴がこう言えば、延景以上に、多くの家臣が従うのだろう。
「凛殿が、会議で何を言うかは、儂は何も文句を言わぬ。好きに言えばよいと思う。じゃがの、一言一句、すべてに責任を持って発言するようにと、それだけ忠告しておく」
そう言って、宗滴は屋敷の中に戻ろうとする前に、私にこう言った。
「二十年程前にの、儂も幕命で上洛しておる。けどの、上洛したからと言って、朝倉家にほとんど徳は無かった。上洛するのが日本を制する考えは、止しておくんじゃな」
私は、宗滴の話に、何も反論できなかったし、初めて宗滴が恐ろしい、敵に回してはいけない人だと思った。