2-4:賢人とは何者か
「待たせたな、お二人さん……ってなんだ、まだ飯、頼んでないのか?」
「ほ、泰然が来てからの方がいいかなって」
「いいものはすぐ食べられちまうぞ。茶ぐらい注文しとけって」
呆れたように笑いつつ、現れた泰然は佩芳の隣に腰かける。木の椅子が軋みを上げた。
「しっかり腹ごしらえしないと、情報収集なんざやってられないからな。ちゃんと食えよ」
「そうだね。どれにしよっかな」
微笑んで再び悩む暁華をさておき、結局ほとんど泰然が品を決めた。
緑豆粉の薄焼き入りあんかけに豚モツのとろみ煮込み、焼き小籠包は九つ。茶は青茶を注文した。
ほとんどが体を温めるものだ、と頭の隅で思いながら、佩芳は運ばれてきた茶を飲む。杏色の茶は清香で、爽やかな甘さがあった。
この町は川に面しているためか確かに少し、肌寒い。それでもゆっくり食事をしていくうちに、体の芯が暖まっていく感じがした。
空腹ということもあって、どれもが美味い。特にモツの煮込みはあまり食べてこなかったものだが、ニンニクなどの香辛料、そしてダシの味が利いている。
「で、一応二日間にしたんだな? ここは」
「うん。その間に聞き込みだね」
「……賢人の美玲。それから『霊胎姫』だったか。まず賢人の方を先に探した方がよさそうだな。顔はわかってるのか?」
「わかるよ。画を描いてもらってるから」
言って暁華が革帯の小物入れから、一枚の竹紙を取り出す。料理皿を脇に退け、こちらに向けて机の上へ広げてみせた。
大きい碧眼の女性がそこには描かれている。黒い髻を結い上げ、残った髪はそのまま背中に下ろしていた。衫は桃色で裳は白い。瞳の大きさに不釣り合いな、どこか凜とした顔つきが印象的だ。
「この人が賢人の美玲……って泰然、なんで遠い目してるの?」
「あー……いや……うん。うん、わかった。……凄くよくわかった」
「もしかして、もう見かけたとか?」
顔を明るくさせる暁華に答えず、泰然は焼き小籠包を口に運びながら何かをつぶやいている。「だからって」だの「もしかも何も」と、隣にいる佩芳にだけ聞こえる程度の大きさで。
「見覚えのある方ですか」
佩芳は緑豆粉のせんべいを咀嚼し、たずねてみた。もし彼が賢人の居場所を知っているならば、この中邑で旅は終わる。少なくとも、暁華との旅は。
泰然がうなる。溜息をつき、竹紙を数回、諦めたかのように指で叩いた。
「オレが旅してる理由は、こいつだ」
「え? 泰然、美玲のことを知ってたの?」
「名前だけ同じだって思ってたんだよ」
「探し人というわけですね。今、彼女がどこにいるか見当は?」
「ない。この国の出身だってことは知ってる」
「じゃあ、金冥近くの邑にいなくてもよかったんじゃない?」
首を傾げた暁華に、泰然は茶を飲みながら肩を落とす。
「もしかしたら金冥の国に、賢人として呼ばれてるのかもって考えてたんだよ。こいつ……美玲は旅商人の間に生まれた天才だ。二歳の頃にはもう大抵の文字を読めて、書けたって聞いてる」
「泰然はどうして美玲を探してるの?」
「それは、秘密だ。……なんだよその目」
「ケチくさいなって思っただけ」
「あのなあ。誰にだって探られたくない腹はあるだろ? きっとお前さんにもだ」
指さされ、暁華は瞳をまたたかせた。それから小声で「うん」と答える。泰然はしたり顔をし、頬杖をついた。
「オレを雇うときに約束しただろ。互いの素性には干渉しないってな。忘れたか?」
「忘れてないよ。ごめん」
「わかればよろしい。ま、ともかく美玲がオレの探し人だってことがわかった。利害は一致。聞き込み、気合い入れてやってやるよ」
「ありがとう」
笑い、暁華が佩芳を見た。その瞳にはありありと問いが浮かんでいる。「どうするの」、と。
佩芳は茶をすすったのち、器を置いた。
「私もここが、住むに最適な場所だとは思いません。いささか騒がしすぎる。賢人を探す理由はとりたててありませんが、しるべとなる言葉をいただけるならば……」
「じゃあ、佩芳も協力してくれる……?」
暁華の声に、ただ首肯した。あからさまに彼女は胸を撫で下ろしたそぶりを作る。
泰然が絶妙の合間で手を打った。
「忘れてたわ。この中邑の地図、商人から買っといた。頭に叩きこめよ、お二人さん」
言って美玲の画の上へ、それより小さな竹紙を広げる。水彩画の地図は細かなところまで描き込みがされていた。
「オレたちが今いるのはここ、商店が並ぶ西の区画だ。南のヤム山地側には侠客たちが住んでる。シゴウ砂漠に繋がってるな。東は住居区。北には駐屯軍の連中がいる」
「ふぅん……もしここで、美玲が見つからなかったらどうしよっか?」
「そのときは、ヤム山地から蓮の邑目指して歩くことになる。街道は作られてるらしい。最終的には東に進んで……王邑入りだな」
地図を確認している暁華が、唇を尖らせる。彼女はすぐ道を間違える。方向音痴なのは佩芳も泰然もよく知っていた。
地図を持ち、にらみ合いをする暁華をよそに、泰然が小声でささやいてくる。
「佩芳、お前さんは北には行かない方がいい。兵に目をつけられたら面倒だしな。東の居住区か西の商店区画で聞き込みを頼む」
「わかりました。あなたはどこへ?」
「南だ。荒っぽい連中の相手は任せとけ」
「ねえ、あたしはここ、西にいた方がいいよね?」
「ああ」「ええ」と二人の声が被さった。干の中邑は広い。迷子になられても困る。即答に、暁華はどこか納得がいっていない様子だ。
「私は東に行きます。光源士が藍色へ光を変える前に戻ってきましょう」
「よし、まずは南と東、そしてこの西だ。空の様子は確認しとけよ……特に暁華」
「そのくらいわかってる。子供扱いして」
「地図はお前さんに貸しとく。迷ったら誰かにこの、青い文字を指せ」
「うん」
暁華の返事にうなずき、泰然は椅子から立ち上がる。大股でさっさと邸店をあとにしていった。
佩芳は少し、悩む。それから腰の道具袋を探り、羅針盤を取り出して机の上に置いた。
暁華が羅針盤と自分を見比べ、目を丸くする。
「これ……」
「方角の読み方くらいは習っているでしょう」
「……いいの?」
「迷われても困りますから」
そっけない物言いだと自分でも思った。だが、頬を紅潮させる暁華はどことなく嬉しそうだ。
「ありがとう、佩芳」
謝辞に、佩芳は何も言わなかった。壊れものを扱うように、白い指で羅針盤をなぞる暁華を見下ろし、しかしそれも一瞬だ。時間は少ない。彼女を置いて広間から外に出る。
たらふく食べたためか多少、眠い。だが、邸店の外に出ればすぐ人混みや話し声が押し寄せてきて、思考をはっきりとさせた。風は強いが体も十分に温まっている。
泰然の姿はすでに見当たらなかった。暁華がいない分、歩幅を大きくしても問題ないだろう。いつもより歩く速度を速め、早速、東の居住区へと向かった。