2-1:わからずじまい
クダ草原と丹の中邑を通り、一週。
炎駒の国と聳木の国をまたぐカラン山脈に差しかかった。針のような山頂を踏破したものは未だおらず、先端は夜霧に包まれたままだ。
閃光街道と名付けられた道は赤い煉瓦でできており、そこここに高台がある。旋の邑とは比べものにならない立派な高台では、無数の光源士たちが遠くの方にまで白い明かりを灯し続けていた。
「ちょっと寒いね、ここ」
「山の中腹だから空気も薄いしな。辛いなら馬に乗ってもいいんだぞ」
「やだ。歩くの」
「潰れないようにしろよ。捻挫とかされたら荷物が増える」
「佩芳、泰然が意地悪言う!」
「彼の言い分は正論だと思いますが」
佩芳が淡々と告げれば、暁華はむっとしたように眉をひそめた。歩く速度を上げ、一人で先に進んでしまう。
「あれで十七かあ……とっくに成人なのか」
苦笑を浮かべつつ泰然がつぶやいた。旅の途中で知ったことだが、彼も同い年らしい。佩芳からしてみれば、暁華には確かに幼い部分が多々あった。
それはもしかすれば、旋の邑で聞いた「いらない子だから」という言葉と何か関係があるのかもしれない。王族としての教育を完全に放棄されている節がある。
二つの存在を探せと金冥の国から出された公女。そうさせるために、暁華の兄たる帝、傑倫がどこにも輿入れさせなかった可能性も考えられた。
だが、やすやすと――例え『いらない子』だとはいえ、王族を旅に出させるのか疑問が残る。
暁華は何も語らない。否、佩芳も泰然も聞こうとしなかった。彼女が公女であることは、泰然には話していないままだ。
なだらかな坂道をゆったり歩きながら、隊商や旅人たちと通り過ぎる。国境付近ともあり、夢魔が出てくる様子など微塵もなかった。
「あんた、聳木の国に行ったことは?」
「いえ。炎駒の国を転々としていただけで。聳木の民はみな、明朗だと聞いています。あまり騒がしいのは好ましくない」
「だからか? 暁華に冷たいの」
「そう見えますか」
「冷たい、っていうのは間違ってるかもな。あんたはどこか……そう、暁華を怖がってるように見えて」
あけすけに言われ、佩芳は押し黙る。怖いもの。恐怖すべき存在。そんなものは存在しない。夢魔ですら恐るるに足らないのだから。
「彼女をかしましいと感じているだけですね」
嘆息と共に放った言葉に、今度は泰然が黙った。
どうしたのかと横目で見ると、彼は小さくうなずいただけだ。
「ま、そこは同意できる。でもあいつ、無理してるように感じてさ」
「無理、ですか」
「いつも笑ったり怒ったりしてるだろ、暁華は。けど目がどこか暗いんだよ。強がってるって言えばいいのかもしれないけどな」
「……この短期間で随分、彼女を知ったのですね」
「つまらない観察眼だ。そう見えてるオレの感想。いろんな奴に出会ってきたからな」
軽い口調に、佩芳は首肯するだけにとどめた。
泰然はこれまで、雑技団や旅人の護衛として活躍していたという。旋の邑で見た刀剣の使い方、五行の扱いは実にこなれていた。幸い、旅路の中で夢魔には遭遇していないが、即戦力になると納得できる。
暁華はどうだろうか、と歩みを進めながら考えた。
クダ草原で野営をした際、短刀を使って小枝を切っている姿は様になっていた。体力も、女性としてはある方だ。
しかし痕術を使ったためしがない。火起こしなどは全て手動で行っている。
かといって、光源士としての素質があるのかと思えば、そんな様子は微塵もない。せめてなんの属性を扱えるのかわかれば、戦術も立てられるのだろうが――
「佩芳、泰然! こっち来て、凄い眺め!」
思考をさえぎる声がして、佩芳は口元を歪めた。
いざとなれば二人を突き放し、囮になって死ぬのがいい。別に生きることにこだわりはなかった。むしろなぜ今まで自害しなかったのか、不思議なくらいだ。
暗い考えを振りほどいて顔を上げれば、閃光街道の折り返し地点で暁華が手を振っているのが見える。
「今行くからそこで待ってろな」
「ご飯にしようよ。お腹減っちゃった」
「わかったから大きな声出すなって」
苦笑した泰然が少し、歩みを早めた。佩芳もそれに倣う。
暁華の側へはすぐだ。彼女は紅潮した頬をそのままに、山から見渡せる景色に陶酔しているようだった。
針葉樹が並ぶ凍原と広大な川は、通ってきた草原とあいまって緑と青の色味が美しい。中邑や村落に点々と灯されている白い明かりが、色彩に拍車をかけている。下り方面には横に長い関所があり、石灰石で化粧塗りされた塔がいくつも建ち並んでいた。
「こうして見ると絶景だなあ」
「だよね。砂漠はまだ見えないね。どうしてなの、佩芳」
「曲がった先で見られると思います。焦る心配はありません」
「よし、じゃあ飯にするか。国境を出てすぐには……」
「干という商人たちが中心の中邑が地図には載っています。ここらで保存食を使用しても大丈夫でしょう」
言いながら、佩芳は周囲を確認する。
同じことを考えているものが多いのだろう。岩に腰かけ、あるいは軽めの毛氈を下地に座った行商人たちが、煙管を片手に一服していた。
早速、暁華が馬から荷物を降ろす。塩漬けの豚肉と干しモヤシが入った包子を渡す手際は、やはりいい。
その間に佩芳は、水袋から木製の水呑みに残った飲み水を入れる。松の葉も投入して暁華たちに手渡した。
馬の面倒を見ているのは泰然だ。ニンジンをかじる馬はどことなく嬉しそうだった。
暁華からもらった包子を口にし、佩芳は岩へ腰かける。美しすぎる眼下の光景は、全て土鱗の国から奪った資源で培われたものだ。
万年の氷を産み出す水晶。日光がなくとも光だけで咲く特殊な花々。岩石に鉱石――挙げればきりがない。佩芳は全て知っている。母、藍洙から呪詛のように聞かされたためだ。
土鱗の国。四ツ国の中央にあり、夜霧の発生源とされている場所はここから見えない。見えたところでどう思うかなど、自分にもわからなかった。
「佩芳、美味しくないの?」
なぜか隣に座った暁華が顔を覗きこんでくる。
心配そうな光をたたえる白の瞳から視線を逸らし、首を横に振った。
「とりたてて何も」
「そう? あっ、湯円が残ってるよ。半分こする?」
「甘いものはそこまで好きではありません。泰然と食べなさい」
これまたなぜか、暁華が気落ちしたおもてを作った。渋々、といった様子で、餅米でできた菓子が数個入った椀を泰然へ突き出す。
「はい、仕方ないからあげる」
「もらっとく」
泰然は一口すするだけで、全ての団子を頬張ってみせた。
「もっと味わって食べなよ」
「食べてる食べてる」
「嘘ばっか。飲むみたいに食べるじゃない、いっつも」
「仕方ないだろ。早寝早食いは癖なんだよ」
「炎駒の国の人ってみんなそうなの?」
「別にそうじゃない。オレの個性」
けらけら笑う泰然へ憤慨したように、暁華はそっぽを向いた。二人の様子をどこか遠くで眺めつつ、佩芳はゆっくり包子を咀嚼していく。
人と食事をすることに慣れたわけではない。邑にいたときもほとんど一人だった。だから居心地が悪い。賑やかな食卓というものが、どこか場違いなような気がして。
下らない、とすぐに思考を打ち払う。
暁華や泰然と旅をしているのも、一過性のものに過ぎない。聳木の国で、どこか居心地のよい邑などがあればそこに住まうつもりだ。二人と馴れ合う気持ちは微塵もなかった。
「ところで暁華、お前さん通行証は持ってるか?」
「あるよ。端水の国まで行けるやつ。でも、端水の国の人ってよそ者に厳しいんでしょ? だからできるだけ聳木の国で情報がほしいなって思ってるんだけど」
「そこは運だな。大体、賢人ってのは大半が隠居してる。探すのも一苦労かもな」
暁華は少し唸り、残った包子の一欠片を口に押しこんだ。
彼女と目を合わせぬよう、佩芳が関所の方に視線をやったときだった。
閃光街道に作られた人の列、そこで歩人甲を着た兵が何事かをたずねて回っているのに気付く。
「泰然。あれを」
「ん? ……検問か?」
「なんだろ、何かあったのかな」
疑問を口にする二人をよそに、佩芳は立ち上がって人々の顔をよく観察した。誰もが驚いたのち、表情を畏怖に染めている。
そういえば、とはっとした。
旋の邑にいた雑技団たち。彼らは丹の中邑でも見かけた。無論こちらから接触したわけではないが――
「……私を探している可能性があります。雑技団の人間が私のことを語ったのかもしれない」
二人だけに聞こえるようにささやいた。
「そりゃ厄介。どうするかね」
泰然が溜息とは裏腹に困った様子もなく、ただ赤毛を掻いて天を仰ぐ。そうしている間にも二人の兵士はこちらへ、着実に近付いてきていた。
いっそ自ら出頭するかと自暴自棄な考えを抱き、立ち尽くしている自分の手に暁華がそっと触れてきた。
「佩芳。堂々としてて」
「何を?」
「大丈夫だから」
手を握り返すことなく問えば、彼女は人形のようなおもてのまま自らの荷物を漁る。
一瞬、佩芳が目にできたのは、銀でできた通行証だった。
銅製は一般人、銀製は官職やそれに準ずるもの、そして金製は――滅多に使われないが王族が持つ。
金製の通行証ではないことに一抹の不安を覚えたが、言われたとおり背筋を伸ばした。
暁華は、リスみたいなすばしっこさで兵士二人へと近付いていく。
彼女は兵士に話しかけ、人の少ない場所へと誘導する。
佩芳の方からでは暁華の背中、兜を深く被っている兵士の様子しか確認できない。
兵たちが不意にこちらを見た。軽く頭を下げてみた。無視される。
頭を上げた佩芳が泰然の様子を確認すると、彼はただ、馬の毛並みを撫でているだけだ。
兵士二人がうなずく。そのまま、驚いたことに何事もなく――彼らは次の旅客へ話を聞きに列へと戻った。
ひゅう、と泰然が口笛を吹く。
「凄いなあ。どんな技を使ったんだか」
「さて……」
さすがに、自分が公女だという事実を暴露したわけではないだろう。だが、どんな手を使ったのか見当もつかない。
暁華がその場所で手招きするものだから、佩芳は泰然と顔を見合わせた。荷物を適当に片付け、彼女の側まで急ぐ。
「お前さん、どんな手品使ったんだよ」
「内緒。佩芳、そのまま堂々としてて大丈夫だからね」
「……わかりました」
暁華の言葉に首肯した。彼女の覇気のない顔つきはどこか透明感があり、同時に虚ろだ。声音は明るいが、白い瞳の奥が翳っている。
「兵士さんの使う道、通っていいって。行こ」
「そこまでか。本当にどうやったんだ?」
「秘密」
顔を逸らし、歩き出す暁華はそっけない。腕を組んだ泰然が、納得がいかない顔を作った。だがすぐに苦笑する。
「ま、誰だって何かしらの秘密はあるわな」
佩芳は肯定も否定もしなかった。口を閉じ、暁華の後ろに並ぶ。
光の色が変わった。橙と藍色が混ざり合う時間帯になってしまっている。
「そろそろ夜か。ここいらで野営しとくか?」
「関所の中も使えるよ」
硬い声音で、振り向きもせずに暁華が言い放つ。言葉を理解できなかったのは、自分も泰然も同じだったようだ。
「はい?」
一呼吸置いて、泰然が間抜けな声を上げた。暁華は振り向かない。かたくなななまでに。
「泊まる場所があるって言ってた」
「……お前さん、何者?」
「なんだろうね」
佩芳は何も言えない。暁華が公女だということは知っている。だが、それだけだ。何をして、どうしたら兵士を納得させられたのか、純粋にわからなかった。
そして同時に、こんなとき、どう声をかければいいのかも。